斬狂   作:羽山健次郎

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後編

 

『…なんだと? 《ギロチン》…だと…?』

 

スーツ姿の男だけではない。その場に居合わせた男たち全員の顔色が軒並み変わっている。

 

『で、でたらめだ! そんなのブラフだろ!? オレは信じねえぞ!』

 

錯乱気味に紅少年に掴みかかろうとするスキンヘッドの男を、スーツ男が辛うじて制止。

 

『落ち着け!……おい、ガキ。こっちを騙そうったってそう上手くいくもんじゃねえぞ?』

 

『嘘だと思うならこのままここを動かなければいい。明朝にはあんたら窃盗団の首が、全員胴体とおさらばするだけだ』

 

『……仮におまえの忠告が本当だとしてもだ。そんなことをオレたちに知らせておまえに何の得がある?』

 

『得? これは損得の問題じゃあない』

 

青ざめる男たちを眺め、紅少年は失笑。

 

俺は彼女に無闇に人を殺させたくないだけだ(I just don't want her she to kill people innocently)―――』

 

 

 

正直、会話の意味は分からない。

だけど、いくら理火でも話が剣呑な方向へ進んでいるのは理解出来る。

どうしよう? こっそり逃げ出す?

でも、紅くんを置きっぱなしで?

…やっぱりここは警察へ連絡を…。

 

 

『俺としては警察への自首を勧めるけどね。国内の逃がし屋にはだいたい商会の息がかかっている。そうそう逃げ切れるもんじゃない』

 

 

今のところ紅少年は危害を加えられそうな様子はない。

あくまで、今のところは。

 

…ひょっとして今がチャンス?

紅くんも警察への自首を勧めるっていっているし、うん、ならやっぱり。

 

意を決し、理火は携帯電話を引っ張り出す。

110と打ち込んで通話を開始しようとした寸前、何かが理火の磨き上げたローファーの上を通過。

それは巨大な黒光りするゴキブリ。

あとを追うようにして、丸々と太ったドブネズミが駆け抜ける。

 

「き」

 

だけで悲鳴を呑み込めた理火は大したもの。

しかし、集中は途切れた。

 

『誰だ、そこにいるのは!?』

 

誰何の怒声にも理火は硬直したまま動けない。

 

 

 

 

 

 

 

「…何してんですか、先生」

 

隣で紅少年がぼやく。

バツが悪くて理火はうつむいたままだ。

発見された理火は後ろ手に手錠をかけられ、工場の隅の小部屋へと放りこまれている。

紅少年も同様。警察に連絡する気はないと宣言した彼だったが、理火の携帯電話のダイヤルが110と入力済みだったのが致命的。

二人まとめて仲間と見做された次第。

これからどうなるかは、どう考えても楽観からほど遠い展開だろう。

 

「ごめんね…」

 

小声で理火は囁き返す。

本当は、こんなところで何やってんの? 君って何者? と聞きたいことは山ほどあったけど、ここは謝罪の一手だ。

 

「…まあ、いいですけど」

 

なんとここでも紅少年はあっさりと謝罪を受け入れてくれる。

 

その余裕と沈着振りに、理火は一縷の希望を見た。

 

「ひょっとして、例の《ギロチン》とかいう人が助けに来てくれるのかな?」

 

途端に紅少年は苦々しげな表情になる。

 

「たぶん、助けになんて来ませんよ」

 

「じゃあ、やっぱり嘘だったの?」

 

「嘘とも違うというか…」

 

妙に紅少年の歯切れが悪い。

理火は頭の中で、先ほどの会話を反芻。

少なくとも紅少年と《ギロチン》と呼ばれる女性は知り合いのよう。

 

でも殺し屋って。

そして紅くんは彼女に人殺しをさせたくなっいって言っていた。

これってどういう意味なんだろ…?

 

「…ねえ、紅くん」

 

理火があらためて質問を重ねようとしたとき。

勢いよくドアが開き、男たちが雪崩込んでくる。

 

『おい、ガキ!』

 

スキンヘッドの男が紅少年の胸倉をつかみ上げるとすかさず殴打。

盛大に吹っ飛び埃を巻き上げる少年。悲鳴を上げる理火。

 

『何が《ギロチン》が動くだあ!? つまらねえハッタリかましやがって!』

 

またぞろ紅少年をつかみ上げ、今度は拳を腹に叩き込む。

血を吐き、えづきながらも薄ら笑いを浮かべ紅少年は男を見返す。

 

『ハッタリじゃない。いずれ依頼が行くのは本当で極秘情報だ。アンタたちの粗末な情報屋では裏すら取れないだろうけどね』

 

『だったらなんでてめえのようなガキが知っているってんだ?』

 

『……』

 

紅少年は笑みを浮かべたまま答えない。

その顔面に再び拳が叩き込まれる。

 

「紅くん!」

 

思わず叫ぶ理火。

大男の打擲の手が止まる。

 

『紅…だあ?』

 

大男の背後からスーツ姿の男が出てきて少年に問いかける。

 

『そういや紅とかいう揉め事処理屋がいるって話だが…ぼうや、おまえさんのことか?』

 

『……さあね』

 

鼻血を流しながらもニヤリと応じる少年。

 

『…まあ、いい。落とし前はつけてもらうさ』

 

ぼろ雑巾のように紅少年は部屋の隅に投げ捨てられた。

 

『それと、こっちのお嬢ちゃんの方だが』

 

思わず理火は後ずさる。

 

『あっちの坊やとどういう関係かわからんが、運が悪かったな。精々、楽しませてもらうとするか。なあ?』

 

スーツ男は背後を振り返る。狭い室内でひしめき合うようにしている男たちが一斉に下卑た歓声を上げた。

理火の全身に鳥肌が立つ。

せっかくの気配を断つ能力も、相手に完全に視認されている状態では機能しない。

つまり、逃げ出すのは絶対に不可能。

これから先、自分を待ち受ける運命を思う。

 

怖い。

泣き叫んでしまいたい。

そうだ、いっそ気が狂えてしまえれば。

 

…でも。

 

ちらりと視界の隅に蹲る紅少年へ視線を送る。

 

理火の震える唇が吐き出した台詞は、命乞いでもおもねりでもなかった。

 

『…いいわよ。私を好きにすればいいわ。でも、彼だけは帰してあげて』

 

―――何いってんだろ、私。

今日は楽しみにしていた実習の初日で。

なのに、マフィアみたいな連中に捕まって。

しかも知り合ったばかりの男の子かばって。

 

ああ、これはきっと夢だ。

まだ私は自分の家で寝てるんだ。

起きろ、私。今日から教育実習だよ。

先生になる夢へ向けて頑張らなきゃ。

 

しかし、現実は。

 

「きゃあああああああああああああああああ!?」

 

幾つものむくつけき手が理火の視界を埋め尽くす。

押し倒され、ブラウスの前ボタンが弾け飛ぶ。

理火の脳裏は後悔と合わせて一瞬でホワイトアウト。

あとは凄惨な流れに身を任せるしかない―――。

 

「………?」

 

幾つもの手が止まっている。

襲い掛かる恰好のまま、いかつい男たちの視線は理火ではなく、部屋の隅の少年へと注がれていた。

紅少年が立ち上がっている。

後ろ手に拘束されていたはずの手錠を引きちぎって。

 

「嘘…」

 

思わず理火は自らを戒める手錠を確認。

スチール製のこれを人の力で壊すことは可能なのか?

 

「…やっぱりこうするしかないのか」

 

紅少年の茫洋とした呟きは日本語のもの。

理解できたのはおそらく理火だけだろう。

 

『てめえどうやって…!』

 

スーツ男が指を突きつける。

振り向きざま、少年は無造作に腕を振り上げたように理火には見えた。

半瞬遅れて視界いっぱいに血しぶきが舞う。

 

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?』

 

悲鳴を上げたのはスーツ男。

右肩を抑える彼の足もとに転がっているもの。

そこに転がっているのはスーツ男自身の腕。

 

切断された?

何に? 

誰が?

 

その答えは、視線を転じれば明白。

理火は信じがたい思いでその光景を見た。

紅少年の肘から突き出た異形の―――角?

いや、その鋭さは刃物と形容しても遜色ないかも知れない。

文字通りの鋭角。

その角を一閃し、男の腕を切り落とした。

現状を見る限り、そう理解するしかなかった。

 

『てめえっ!?』

 

スキンヘッドの大男が躍りかかる。

すかさず紅少年の前蹴り。

その威力は尋常ではない。少年の三倍はあろうかという体重の持ち主が宙を飛び、部屋の壁を突き抜けて消えた。

 

異様な気配に逃げ出した半数の男は少しだけ賢明だった。

襲い掛かった残り半数の男たちは、少年に蹴られ、殴られ、草が刈りとられるように昏倒していく。

その吹っ飛ぶさまはハリウッド映画のSFX染みて、まったく理火の現実感に伴わない。

室内の男たちを残らず倒した紅少年は、隣の工場内へと消える。

打撃音と悲鳴の混じった声が聞こえることしばし、間もなく紅少年だけが小部屋へと戻ってきた。

室内には、肩を抑え床でのたうちまわるスーツ男と理火が残るのみ。

 

『くそっ、くそっ、おまえ、まさか…っ!?』

 

涙と涎を流しながら床から少年を見上げるスーツ男。

 

『うるさいな』

 

紅少年は貫手を一閃。喉元に叩き込まれてスーツ男は昏倒。

動かなくなった男のポケットをあさり、少年は手錠のカギを取り出す。

まずは自分の引きちぎった手錠を外し、それから理火の手錠も外してくれた。

 

「あの…紅くん、何してんの?」

 

痛む手首をさすりながら理火。

紅少年がスーツ男の切り落とされた腕を切断部にあてて、ベルトで固定して止血。

 

「ああ、こうやっておけばくっつきますから」

 

「………そういうものなの?」

 

連れだって二人は小部屋を出る。

工場内は一言でいえば死屍累々。

男たちは一人残らず打ち倒され、うめき声一つ上げていない。

 

「大丈夫です、殺してませんから。…たぶん」

 

工場の外に出ると日はすっかり暮れていた。

ようやく理火は深呼吸。同時に自分の様子を見る余裕も出てくる。

ストッキングは伝線し、スーツも破れてこそいないが大分傷んでしまっている。

ブラウスの前ボタンはほとんど弾け飛んで修復不可。

スーツの上着を掻き合わせても下着が丸見えだ。

 

「これを使ってください」

 

顔を上げると紅少年がマフラーを差し出してくる。

 

「…ありがと」

 

受け取りつつ、理火は胸の中で呟かずにはいられない。

 

一体君は何者なの?

そんな顔を腫らせて、顔色変えず男たちを叩きのめして。

そのくせこんなに優しくて。

 

首にマフラーを回し、前に回して撚り合わせる。丈のたっぷりしたマフラーのおかげで完全に胸元は見えなくなった。

 

「あの…」

 

もう一度お礼を言おうと紅少年を振り仰いだ理火だったが、面食らう。

 

「…この場所、警察に連絡したほうがいいでしょうかね?」

 

おどおどした声。年相応の不安を瞳に躍らせ、紅少年が尋ねてくる。

面食らい、それでも理火は強がることにした。

 

「そうね。でも、この場所を急いで離れたほうがいいと思う。連絡するのはそれから。そうしましょ、紅くん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

警察にはもちろん匿名で通報。

二人で歩く駅までの帰り道。

 

「あの…、紅くん、あんなに強いのに何で捕まったりしたの?」

 

訊きたいことは山ほどある。にも関わらず理火の口を出た質問は平凡だったかも知れない。

 

「それは…」

 

紅少年は顔を歪める。痛みによるものか、それとも。

 

「…結果として先生を巻き込んだことは謝ります。でも、出来ればあまり俺は自分の力を使いたくないんですよ」

 

「ううん、勝手についていって巻き込まれたのは私の方だし、謝るのはこっちの方だよ」

 

謝罪一つを置いて、理火の視線は少年の右腕に注がれる。

 

「力って、その…」

 

視線を遮るように紅少年は右肘を抱えた。

 

「このことは…内緒にして貰えませんか? お願いします」

 

「うん、わかった」

 

あっさりと理火は頷く。

強盗窃盗団はともかく、殺し屋に奪還屋に揉め事処理屋。

下駄を履いてフルマラソンを走りきる女がいる、という都市伝説なみに噂を信じていなかった理火だったが、目の当たりにしてしまった以上信じるしかない。

裏世界。

そこでは、様々な業種に特化した人間が屋号を構えているという。

その上で、肘から角が生える人間がいたからなんだというのだ?

 

「それじゃあ、どうして力を使いたくないの?」

 

紅少年は再び顔を歪めた。それからおずおずと言葉を選びしゃべりだす。

 

「自分でいうのもなんですけど、この力は凄いんです。でも、使えば使うほど、俺が俺でなくなっていくというか。

 そのくせ、力を振えと俺の中の何かが訴えかけてきて、疼くんです」

 

理火はマジマジと紅少年を見返す。

それからポンと両手を打ち鳴らして一言。

 

「ああ、いわゆる厨二病的な?」

 

「………」

 

「ごめん、冗談だよー。ひょっとして怒った?」

 

「もうどうでもいいです…」

 

ごめんごめんと少年の背中をバンバンと叩き、理火は宣言。

 

「じゃあ、これで貸し借りはなしってことでいいかな?」

 

「?」

 

きょとんとする少年に説明する。

今朝の校門前の指摘と、巻き込まれた迷惑を相殺して、綺麗さっぱりプラスマイナスゼロ。

もしかしなくてもこっちの借りが大きいような気もしたけど、この少年とは対等な関係になりたかった。

同級生にすら抱いたことのない心の機微を自覚せぬまま、理火は年下の少年へと微笑みかける。

 

「それじゃ、紅くん。また明日、学校で」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明けて翌日のHR。

先日の轍は踏まぬと今日の理火はパンツスーツ姿。

スーツの破損というもっと現実的な理由があるのだが、その事実を知っているのは理火も含め二人だけ。

その片割れの紅少年はというと、自席で軽く欠伸中。

頬に張られた絆創膏も痛々しいが、周囲が特に気遣う様子もなく。

つまりはこれが彼の日常なのだろう。

 

―――本当に不思議な子。

 

 

 

 

 

 

実は今朝一番で、理火は彼に会っている。

借りたマフラーを返すと、腫れも引ききらない顔で少年は笑った。

 

『ありがとうございます。実はこれ、お袋ので…』

 

『その…お母さんのことは、ご愁傷様というか』

 

『え?』

 

『え?』

 

顔を見合わせる二人。

 

『えーと、紅くんのお母さんって亡くなられてるんじゃないの?』

 

『いえ、バリバリの現役…じゃなくて健在ですけど』

 

『でも、昨日、お袋の味って訊いたら…!!』

 

『…ああ』

 

先日と全く同じ渋い顔のまま紅少年は答えてくれた。

 

『俺のお袋って、大抵切るくらいしか料理出来ないんですよ。だからって刺身がお袋の味だなんて言えます?

 しかも、切られた刺身も鮮度がよくて、口の中でウニウニ動くんですよ―――』

 

 

 

 

理火は次々と生徒の名前を読み上げ、出席をチェックしていく。

そして自身の名前を呼ばれる直前。紅少年は顔を上げ、ちらりと理火の方を見た。

困惑しているようにも照れているようにも見える不思議な眼差し。

受け止め、理火の心がほんのり温かくなる。

 

秘密を共有する二人の合図、といえばクサすぎる。

あくまで彼は生徒で私は先生なの! と自分に言い聞かせる。

 

それでも理火は嬉しかった。理由は分からないけれど。

そして唐突に思う。

今度の連休、久しぶりの田舎のおばあちゃんのお墓参りに行こうっと。

 

なぜか高揚してくる気持ちをそのままに、理火は少年の名前を朗々と読み上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――紅斬九郎くん!!」

 

 

 

 

 

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