Over and over again. 作:AMATERA
ボクは、生まれた時からこの
一人っ子ってのもあったし、何より望まれていたからだ。
家は裕福で、欲しい物は何でも、わりと手に入った。
ママやおじいちゃん、おばあちゃんはボクを溺愛し、ボクの甘えを受け止め、心から尽くしてくれる。それが当たり前だと思っていた。
我儘ま気ままな生活に染まり、堕落するかというとそうでも無い。
パパの存在がそうはさせなかったからだ。
ボクはパパが恐ろしかった。
中心にいるボクをいつも阻む高い壁だった。
『勉強しろ』
『無能は要らない』
口癖のように言われた。
ボクは、ママ達のように愛してくれるよう努力した。
誰よりも優秀で良い成績を取れば、いつかきっとボクを……。
でも結局パパは、ボクには最期まで一度も笑顔を見せる事も無く、認めてもくれなかった。
けどもういい。ボクにはママ達がいるんだ。
この
*
──痛え、熱い、何だこれ、痛え、痛えじゃねぇか。ふざけんな、クソが。
こっちが有利だった筈なのに、何でだ。あの野郎、よくも腹を刺しやがって。ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。血が、血が止まんねぇ。
「俺はなぁ、スキッゾ」
逃げる様に這いずるオレを見下ろして奴は言う。
「お前を"外"に放り出して、フリーカーの餌にしようと思ってたんだが……」
──は? やめろ、餌にだけは、絶対に、絶対になりたくねぇ。
「……だが気が変わったんだ。それはやめとく。何故だと思う?」
──おいやめろ、来るな。
「奴らはお前を八つ裂きにするが、俺と違って満足はしない」
頼む、やめてくれ──。それを言わすまいとこの野郎は、ナイフでオレの首を躊躇無く切りやがった。
──え? は? 嘘だろ? なぁ、おい、嘘だって誰か!
口から溢れ出る血、息はその血で詰まる。切られた腹の痛み、遠退く意識、視界は砂嵐。
──死ぬのか?
ここで、こんなところで。
──嫌だ、嫌だ、嫌だああああ、死にたくない。死にたくないよ!
幼少期から今までの記憶が一瞬で通り過ぎていく。はは、これが走馬灯ってのらしい。
──オレは間違ってたのか? いや、絶対に間違ってない。そうだ、オレは正しい。オレは悪くない。
こんな筈じゃない。こんな終わり方になる予定じゃなかった。オレがこんなところで終わるなんて、嘘だ。嘘に決まってる。クソ、クソが、あの野郎、ディーコン・セントジョン、アイツのせいで全部台無しだ。クソ、クソ、クソ、ふざけんじゃねぇ。
──嘘だ、嫌だ、誰か、誰かあああぁ、
目の前が真っ暗だ。熱さも痛みも苦しさも無い。……闇だ。
こんなに呆気ないものなのか、死ぬ時は。
きっとこれは現実じゃない。夢だ。そうだ、オレは夢を見てるんだ。こんな世界、全て夢だ。そうに、そうに決まってる。
──夢の筈だ。絶対、そうなんだ。
オレは死んだ。嘘だと思いたいけど、嘘じゃない。
後悔はある。こうすれば良かったとか、ああすれば良かったとか。1番はディーコン。アイツさえいなけりゃあオレは今頃……。
「……レイモンド」
──誰だ。オレを呼んでんのは。
「レイモンド、レイモンド」
──しつけぇな。何度もよぉ。
「レイモンド!」
「っせぇなクソが! オレを何度も呼ぶんじゃねぇーよ!」
あ、声が出た。がばりと勢い良く起きたオレは、咄嗟に首元に手を当てる。──切れてない。腹は、痛くないし血も出ていない。
「……あれ?」
服が違う。着替えさせられたのか。いや待て、オレは死んだんだぞ。
「死んだよな?」
「レイモンド、……あなた、大丈夫?」
「は、え?」
さっきから何だよ。顔を上げて驚いた。だってオレの目の前には、心配そうにこっちを見つめる母親の姿があったからだ。
「え? え? 何で?」
頭が追いつかない。これは一体どう言う事なんだ。
オレは慌てて洗面台に急ぐ。鏡の前に映るのは、無精髭も生やさず身綺麗な自分。薄いブルーのシャツに黒のデニム。カジュアルな服装でギャングの格好なんてしてもないし、当たり前に首元に切られた傷も無かった。
「具合でも悪いの?」
「具合? べ、別に何も……」
──あ? はあ? はあぁ? 何だこれ?
バスルームから目覚めた部屋に戻る。懐かしい気もするテレビではCMが流れ、目を向けた窓の外は陽も落ちて薄暗い。淡い照明が部屋を良い感じに照らし、テーブルには、祖父母から贈られたメッセージカード入りの封筒が置かれている。──此処は天国か。んなわけねぇ。だってこの部屋は、引っ越して来たばっかのオレの部屋だからだ。あの日のまま、ほら、まだ隅に開けられてもないダンボールの箱が無造作に置かれてるし。
──これは夢か? いや、もしかして、今までのが夢だったんじゃないか?
そうか、そうなのか。あのクソみたいな日々は全部夢だったんだな。そうだ、きっとそうだ。
「ごめん、ま、ママ、なんか寝ちゃってて……」
何だ、夢だったのか。やけに鮮明でリアルだったな。大きく息を吐いてオレは酷く安堵した。
「疲れて怖い夢を見てたんだ。だからびっくりして、つい、あんな風に、言っちゃったんだ。本当に、ごめん」
オレがそう言えば、ママはほっとした様な表情で笑った。
「怖い夢? いやねぇ、驚かさないでよ。あなたがあんな汚い言葉使うからママ驚いたんだから」
「ごめんね。もう二度と使ったりしないよ。ところでさぁ、どうしてこの部屋に?」
「やだ忘れちゃったの? あなたが電話で頼んだのよ、『部屋が片付かないから手伝いに来て』って」
「そうだったっけ?」
玄関を覗けばママのキャリーケースが。……うん、確かそうだった。決まった就職先の会社がサンフランシスコにあって、今度は此処で一人、アパートメントで暮らし始めてたんだった。家族と住んでいる時の部屋の片付けはいつもママがやってくれてて、自分だけじゃ整理出来ない。──苦手だ。
「テレビも付けたままソファで寝ちゃうなんて、疲れててもちゃんとベッドで寝なきゃ駄目よ」
テーブルに置いてあるリモコンを手に取るママが、消そうとしてテレビ画面に目を向けると、『あら、マギーだわ』と声を弾ませて言った。
「マギー?」
「マギー・ローよ。知ってるでしょ?」
マギー・ロー、3歳の時に子役デビュー。国民的ファミリードラマ、【今日も我が家は】で末娘のマギー役を3歳から12歳まで演じて一躍人気に。有名監督にオファーされて13歳でハリウッド映画に出演。その後も次々と有名作品に出たマギーは更に名を馳せ、歌手活動にファッションと、ティーンからお年寄りまで絶大な支持を得ている17歳の若手人気女優だ。
「私この子大好きなの。小さな時凄く可愛かったんだけど、今は美人になったわよねぇ」
ママが少しテレビに釘付けになる。放送していたのは、夜にやってるトーク番組の再放送。マギーはそのゲストだった。
──だからか。
オレもテレビ画面に映るマギーに目をやりながら思い出していた。何が"だからか"なのかと言うと、さっきまで見てた、最悪な夢の中での一部の出来事。あれは確か、アイアンマイクとかいうジジイにキャンプを追い出された後だった。
南に向かって彷徨っている最中、降り出した雪を凌ぐ為にとある廃墟に入った。寒くてその辺にある本とか雑誌とか何か色々燃やして暖作ってた時、壁に持たれて死んでいる薄汚れた女を見つけた。時間はそんなに経ってない。死因はわからないけど、餓死か凍死だろう。
いつもなら気にもしなかった。ただの死体だし、関係ないし、放置してた。でも──、何故かその時、オレはそのまま見過ごせずに死体に火を付けたんだ。
意味があってなのか、哀れに思ってだったのか、何となくそのままに出来なかったんだと思うけど、覚えてない。だだ──、その死体の女は、テレビの向こうにいるマギー・ローに似ていた気がする。
──テレビを観ながら寝てたせいだ、な。
「ねぇ、あなたが高校生の時の彼女、マギーにちょっと似てたわよね?」
そんな事を突然言い出され、オレは心臓がドキリとした。
「あなた結局写真しか見せてくれなかったし、一度も家に連れて来なかった。それに──」
「そ、そ、そうだっけ? 覚えてないや! それよりさあ、ママ!」
まだ覚えていたなんて。声を裏返しながら食い気味に話題を変える。その事はもう、今直ぐに忘れて欲しい。
「夕食でも食べに行こう!」
「ああ、そうね、そうよ、行かなきゃ」
テレビを消し、部屋の明かりを消してママと外へ出る。涼しい。外に出ると夏の終わりを感じさせられた。
「何食べようか? フレンチ? 日本食? それとも中華?」
二人並んで華やかな街並みを歩く。とても新鮮な気分で、とても懐かしい。忘れてしまっていた何か。匂い、足の感覚、目に映る全てがノスタルジックだ。
「レイモンド、私行きたいお店があるのよ」
「え? どこ?」
洒落た街並みから離れ、少し歩いてママが指定したダイナーらしき店の前に立つ。その瞬間、オレの心臓の音がざわついた。耳鳴りが、まるで警告音の様に頭の中で鳴り響く。
──知らない店だよな?
でも、何故かこの店に覚えがあった。
「ま、ママ、何でこの店? 他にもあるだろ? もっと綺麗な店にしようよ」
付き合いで仕方なく行った経験はあるけど、未だかつてママとこんな店に来た事は無い。何で──。胸騒ぎの様な不安に駆られる。
「お願いレイモンド、中に入って」
ママが妙に緊張した顔をして、オレの手を引いて中に入る。
──嫌だ、何でだ? 何で。
入りたくない。高級な店じゃないからとかっていう理由だけじゃない。何で。オレはこの店、先の事を知らない筈だ。なのに何故か知っている。ママが何故この店を選んだのかを。
「……嫌だ、ママ」
店の奥の席の知らない男と目が合った。ママとそう変わらない年齢のしょぼくれた男だ。知らない──否、オレは知ってる。夢で、悪夢で見た。この次は、まさか、いや違う筈だ。
「レイモンド、あのね、ママ実はあなたに紹介したい人がいるの。彼はずっと私を支えてくれてて、結婚しようと──」
男が座る席の前でオレが足を止めると、ママがこっちを振り向いて言った。
「は?」
冷水を頭から浴びせられた様だ。全身が震える。怒りと、哀しみと、言い知れぬ恐怖で。
「……なんっだよそれ。サンディエゴからわざわざ来てくれたのはオレの為じゃなく、このおっさんとの結婚報告の為だったのかよ」
「ごめんなさい。でも、先に行ったらあなた絶対会わないでしょ?」
「当たり前だろ? 絶対会おうと思わなかった。こんな男に、何で? 急に、おかしいじゃねぇか!」
──ママには似つかわしくない男だ。ふざけんじゃねえ。
「落ち着いてレイモンド」
「落ち着けるわけないだろ!」
声を荒げれば、店中の客が一斉にオレとママに集中した。
「こんな男ママには合わない。見ろよあの格好、安物だろ? しみったれた店連れて来て何? こんなおっさんを紹介したいだって? は、頭おかしい。騙されてる、騙されてんだよママは! どうせ金目当てだって、パパの遺した金狙ってる悪いヤツに決まってる! そうだ、そうに違いない! コイツは、このクソ野郎は、金──」
途中でママがオレの頬をぶった。生まれて、初めて。
「謝りなさい、レイモンド。彼は! ジェームズは、そんな人じゃない」
目に涙を溜めてるママは、怒りよりも哀しみが溢れていた。オレはそれを見るのが辛くて、こんなクソみたいなところに少しも居たくなくて、『うるせぇ』と一言だけ返して店から逃げた。ママとあのおっさんを残して。
「レイモンド!」
引き止める為にママが名前を呼んだけど、オレは何も考えずに自分のアパートメントに走って帰った。
──クソ、クソ、クソ!
着くと乱暴にドアを開け、そのままベッドにうつ伏せに倒れる。
──何がずっと支えてくれて、だ! パパが死んでからあんなのとデキてたのかよ!
オレだってママを支えていたんだ。なのに、なのに……。オレはまるで幼い子供ように癇癪を起こした。
ああ、思い出せば腹が立ってくる。──と同時に、言い知れぬ不安に駆られた。オレはママがあのおっさんを紹介しようとしていた事を知っていた。
──どうして?
勘でもない。見た夢と同じだった。そんな筈はないと自分に言い聞かせるけど、同じだったんだ。
暫くするとママが一人で戻って来た。オレはベッドで不貞腐れ、ママに顔を背けたままだ。
「レイモンド、本当にごめんなさい。あなたを傷付けるつもりは無かったの。ただ──、あなたに彼との事を知ってほしかったの」
無視だ。オレは何も応えない。
「勝手なママでごめんね、明日の朝、サンディエゴに帰るわ。今夜はホテルへ泊まるから」
また電話するから。ママはそう言ってアパートメントから出て行った。
──良いのか?
何が。
──止めなくて良いのか?
必要無い。
──後悔しないか?
しねぇよ。
──本当に?
自問自答しながらもオレは動かなかった。それよりも先の対策を考える。どうやったらあのおっさんとママが離れるだろうとか、あのしょぼくれたおっさんには粗が見つかる筈だから叩いてそれを出してやるだとか色々、だ。
ああ、胸騒ぎは治らない。
翌朝、オレは昼過ぎに起きた。一瞬寝過ごしたと思って飛び起きたが、そういえば今日は仕事が久しぶりの休みの日だった。焦らせんなよ。
洗面台で顔を洗い、ソファに深く座ってテレビを付ける。緊急のニュース速報だ。よくあるニュースだろうと聴き流し、無造作に置かれてたスマートフォンを手に取った。……ママからの着信が朝に数件。録音されたメッセージが2件ぐらいあった。
『レイモンド、おはよう。まだ、怒ってる? あのね、ママ……、ああ、会ってちゃんと話すべきだったわ。ごめんなさい。もう直ぐしたらサンディエゴ行きの飛行機に乗るの。じゃあ、また』
1件目──。
『寝てるの? 体に気を付けて、仕事頑張ってね。ママはいつも応援してるから。それじゃあ、家に着いたら連絡するわ。レイモンド、愛してる』
2件目が終わり、深い溜息をついて時計に目をやる。時間的にまだ空の上だなと、スマートフォンをテーブルの上に軽く放り投げたオレは、冷蔵庫からオレンジュースを取り出してコップに注ぐ。何やらあったのか、窓の外から聴こえてくるパトカーのサイレンがうるさい。
──まあ、気にする事は無いな。
どうせ交通違反か、酷くて強盗くらいかだろ。オレンジュースを一口飲みながら再びテレビへと向いたオレは、リモコンで小さくしていた音量を上げる。
《現場近くに来ております。見えますか? あの煙を。サンフランシスコ発、サンディエゴ行きの256便の無残な姿を!》
カメラが映し出していたのは、ベーカーズフィールドの農地。そこに飛行機が墜落、機体は半分に離れ、後ろは原型もなく、先頭部分が炎上している衝撃的な映像だった。
《墜落の衝撃から、乗客乗員220名はほぼ絶命とみられています!》
その映像を見て、オレの手からコップが離れ落ちた。
──ママ!
床にぶち撒けられたオレンジュースなんてどうでも良い。オレは再度スマートフォンを取ってママに電話をかけるけど、電源が入ってないようだ。
──嘘だ、嘘だろ。こんな、頼む、出ろ、出てくれ!
お願いだから。手を震わして何度もかけるけど、ママは出なかった。
「そんな、ちょ、え、どういう事なんっ、だよ!」
テレビはずっと飛行機事故を伝え、合間にアジア地域で謎の疫病によるパンデミックが発生したと報道された。その感染者は凶暴化し、人を襲う。アメリカでも同じ症状の人間が数名出たらしい。
「……はは、まだ夢見てんのか?」
笑った。笑うしかなかった。だっておかしいからだ。何で、何で夢の中の出来事と同じ事が起こってんだ。違う違う、こんなのありえないだろ。だからこれは現実じゃない。全部含めて夢だって思い込もうとした。
きっとママは飛行機に乗り遅れたに違いない。もう少し、もう少しだけ待てば、絶対ママから連絡が来るんだ。自分に言い聞かせながら、オレはベッドに潜り込む。スマートフォンを握り締める様に持つ手の震えは、なかなか止まってくれなかった。
──夢だ。これも夢。
醒める事なく眠れずに夜、そして朝を迎え、外はパトカー以外にも色々騒がしい。テレビは飛行機事故の話題を減らし、疫病、パンデミックの話で一杯になった。
感染者を収容する施設はまともに機能されず、アメリカで感染者が多いニューヨークの街中では、人が喰い殺される無残な状況を撮影していたカメラクルーが襲われて安否不明。暴徒がここぞとばかりに暴れて荒れ放題になり、この事態を重く見た政府が全州に避難勧告を出した。
避難先は夢の中にもあった、国家緊急事態対応機構の【NERO】とかいう謎の奴等が基地や避難所やベースキャンプを設置し、そこへの避難を呼びかけられる。
いつまで経っても連絡の取れないママの安否を気にしつつ、じわじわと押し寄せる恐怖に身を縮こませてオレは、テレビの前から暫く動こうとしなかった。
《……アメリカ国民の皆さん、そして世界中の人々へ、無事と幸運を祈ります》
今のは、アメリカ大統領による声明の最後。ホワイトハウスを捨て、どうせどこかのシェルターの中でだろうと思う。
飛行機事故から一週間と少し。パンデミックは素早い速さで世界中に広がった。テレビの中継なんて二日前からやらなくなって、風に揺れる星条旗の映像がひたすら繰り返されている。 東の都市部はほぼ壊滅、ネットの情報では西もそろそろらしい。
4日前に仕事場の会社から着信があったけど、出る気にはならなかった。だってこんな状況じゃ、とてもじゃないけど仕事なんて無理だろ。
ママからの連絡は未だ無い。テーブルの上にそのまま置いていたメッセージカードが目に入り、デンバーに住む祖父母に電話をかける。繋がらない。きっとママと同様、何処かに避難しているんだと信じたい。
ここまでの展開は夢と同じだ。
──遂にかよ。
殆ど引き篭もっていたせいで食料が底をつきそうだ。何か食べ物を手に入れないといけないと思いつつも、外へ出るのは物凄く恐ろしかった。
──ゆ、夢ではどうだったっけ?
ここまで夢と同じだった事もあって、おかしいと自分でも思いながらも、試しに先の出来事を照らし合わせようとした。
ええと、確か夢ではこの後、直ぐに食料を求めて外へ向かうんだ。だけどアパートメントを出たところの角で感染者と遭遇し、慌てて引き返してこの部屋に戻るんだ。
──出たくない。
恐怖か食欲か、どちらかを選ばなければ。……悩む。
「ば、ばかじゃねーの? 夢だろ? 一緒な筈なもんか」
冷静に考えて急に馬鹿らしくなる。オレは意を決して外へ出た。
──酷いな。
アパートメントの建物からそっと顔を覗かせたオレは、街の光景に唖然とした。車に荷物を積んで必死に脱出をしようとする家族。親と離れ、パニックで泣き喚く子供の姿。暴徒の襲来によって店は強奪され、燃やされ、店主は頭を撃ち抜かれて絶命。道端に倒れて動かない人。
──地獄か。いや、まだだ、まだこんなもんじゃねえ。
夢ではこれからが悲惨なんだ。どうか、どうか夢と違ってくれ。心の中でそう願いながら恐る恐る角を曲がる。
「ッウソだろ!?」
曲がり角でバッタリと2名の感染者と遭遇した。髪の毛は疎に抜け落ちていて、白濁した眼がもうフリーカーのそれだ。
「うわああ!」
逃げようとしたけど、腰が抜けかけて足がもつれる。
──何でだよ!
早くアパートメントの自分の部屋に戻らなきゃ駄目だ。感染者はオレを追いかけて来る。早く、早く。ああ、最悪だ。
上階にある部屋を目指そうとして、階段で躓いて転けた。上手く走れなかったからだ。
「ひっい、嫌だああ!」
転けたせいで遅れ、追って来た感染者の一人に掴まれそうになった。必死になって物凄く抵抗したら、暴れたオレの足が腹に当たったのか、怯んだように後方へ倒れて、雪崩れみたいに階段を転げていった。
──死にたくない。こんな所で!
もう直ぐオレの部屋だ。目的の階まで上がり、部屋へ続く供用廊下を駆け走る。よし、よし、あと少し。
着いた。鍵を開けないと。急いでデニムのポケットに手を突っ込むが、──無い。
「え、え、どこだ?」
焦る。落ち着け。マジかよ。全部のポケットを調べても部屋の鍵が無い。
──まさか、落とした?
転けた時に落としたのか。最悪だ。戻らなきゃ、部屋に入れない。蹴破るにも頑丈過ぎて無理だ。
──どうする?
取りに戻るべきか考える。それか、このアパートメントにまだ残っているであろう住人に助けを求めるべきか。……いや、オレなら絶対ドアを開けない。なら取りに戻らなきゃならない。幸いな事に、下の住人が感染者に襲われている叫び声がする。
──今のうちだ!
オレは極力足音を立てずに階段場所へと向かった。焦るな、焦るなオレ。震える身体で一歩ずつ進む。緊張で唾を飲み込むこの音が聴こえそうで嫌だ。
──あった!
よし、良かった。鍵は階段の手前で落ちていた。オレはその鍵を手に取る。
──ん?
まだ部屋にも戻ってないのに、オレは何故か気が抜けていた。もう大丈夫だと安心してしまっていたからだ。だから不意に思い出す。
──夢と、同じじゃない?
夢では鍵を落とさなかった。何故か。転けるのは同じで、鍵をポケットに入れていたのも同じなのに。考える時間は秒だけど、オレは記憶を振り返る。
──あ!
思い出した。オレは試していたんだ。あの時、外に出る時、鍵を締めてポケットに入れる時、右側じゃなく、わざと左のポケットに鍵を入れた事を。
馬鹿じゃねーの。オレは可笑しくて笑った。何で一々気にしなきゃならないんだよ。夢と少し違った行動を取っただけだから。別に、気にする必要は無い。はは、本当、傑作だ。
──さ、部屋に戻ろう。
オレは階段を背に戻ろうとした。上がって来ていた感染者にも気付かずに。一瞬だったと感じる。背後から羽交い締めされ、驚いて足を滑らせ、後ろに引っ張られる様に階段から一緒に落ち、階段を転げて首の骨が折れる音がした。
「……うぐっ」
階段下の最後、地面に落ちきる時に頭から着地。全てが暗転。何も無い。
──は?
死んだのかよ、オレ。呆気なさが半端ない。何で、何で。死にたくないのに。オレは闇の中でもがいた。──すると、誰かの声が耳に入ってくる。
「レイモンド、レイモンド」
──誰だ。オレを呼んでんのは。
「レイモンド、レイモンド」
誰だ、誰だ、誰、またもオレは呼ばれた。
「レイモンド」
おい、助けてくれ。おい、おい、誰か。オレは叫んだ。
「死にたくない!!」
手を伸ばして飛び起きた。ベッドで。オレの部屋で。
「大丈夫、レイモンド?」
ママだ。心配そうにこっちを見つめるママの姿だ。
「ま、──ママ?」
一体、これは何なんだ。
Continued....?