坂元リョーマ…使徒戦で臆せずシンジの隣に並び、その背中を押す。バスケを愛するシンジのクラスメイト。陽キャ。
碇シンジ…主人公。使徒戦の恐怖の中、リョーマが共に戦ってくれたことを嬉しく感じている。自分に価値はないと閉塞的。
葛城ミサト…シンジの上司であり保護者。シンジが命令を無視したことを重く受け止めている。
坂元リンタロウ…リョーマの義父。官房長官を務める国の要人。年中忙しく、最近家に帰っていないことを申し訳なく思っている。
目が覚めると、そこは夕日が差す電車の中だった。ついさっきまで視界に溢れるほど人がいたというのに、今はどこを見渡しても一人もいない。
線路のつなぎ目を走る音が鳴り、車両を小刻みに揺らす。
夕日に背にした人影がこちらを見つめる。中世ヨーロッパを思わせる奇抜な風貌をした男だ。でも悪い気はしなかった。幼い頃によく読んでいた絵本の人物に似ていた。
影は肘を膝に乗せたまま、一向に喋る様子がない。当然だ。ここは現実ではないのだから。
今、夢を見てるんだ。夢を見て、ミサトさんから逃げて現実からも逃げてる。僕はまた中途半端に投げ出している。
初号機を回収した後、シンジはミサトから叱責を受けていた。命令を無視したことをミサトは厳しく言及する。
「自分の意思で勝ちました。何がいけないんですか。」
従順に返事を返すだけだったが感情の籠った声で訴える。
「より安全でより確実な作戦で使徒を倒すのが私の仕事だからよ。あのまま使徒を倒せず4人とも死んでしまう危険もあったわ。その危険を考慮しての命令よ。」
リョーマ君は認めてくれたのに。
ズボンの布にシンジの指が深く入り込んでいく。彼の手の甲には薄っすらと血管が浮かび上がり、腕の筋も固まっているのが見える。
ミサトさんも父さんと同じなんだ。パイロットとしての僕しか必要としていない。
「分かってますよ。命令を聞けばいいんですよね。」
「アンタね!いい加減な気持ちでエヴァに乗ってたら死ぬわよ!」
ミサトは強い言葉で叱るが、シンジが動じた様子は見えない。
「いいですよ。死んだって平気です。」
僕が死んで悲しむ人なんて誰もいない。父さんもミサトさんも僕のことはどうでもいいんだ。
「命令すればまた乗りますよ。どうせ僕しかいないんだ。」
そう。僕はミサトさんに反抗して家出している。そして電車の中で眠ってしまったんだ。
「逃げ出してもいいんじゃないか、シンジ。」
目の前の座席に座った幻影は甘い言葉を囁く。
「逃げたらダメなんだ。逃げたら僕は嫌われた僕のままなんだ。」
「だからエヴァに乗るんだな。それで、エヴァに乗ってシンジはどう変わりたいんだ?」
幻影の問いかけにシンジは答えることができない。
僕はエヴァに乗って、どんな自分になりたいんだろう。言われるがまま乗っていただけで、どうなりたいかなんて考えたこともなかった。
「いきなり呼ばれて考える時間もなかった。気付けただけで一歩前進だ。」
自覚のなかったシンジに幻影は否定も説教もしなかった。夢の中で自分を肯定する彼に顔を歪める。
「どうして僕を責めないの?」
卑屈なシンジは空想世界の英雄の行動に疑問を持ってしまう。しかし、幻影が姿勢を崩すことは全くない。
笑い声が聞こえる。彼の笑い声だ。聞いているこちらを安心させるような温かい声。
「裏切られるのが怖いか?」
「父さんみたいに捨てられるんじゃないかって怖いんだ。人を信じてもまた傷付くかもってどこかで考えている。誰かを信じることが怖いんだ。」
まるで罪を告白するようにぼそりと呟く。
夢の中の彼になら自分の気持ちを白状してもいいと思った。現実と違って、自分を嫌うこともない。
「俺が人を裏切るような人間に見えるか?」
幻影は愉快そうな笑い声を上げ、シンジを挑発するような声で問いかける。
「そんなことはないよ!あなたは誰かを裏切ったりする人じゃない!」
「だろう?だから俺を信じてくれ。お前の期待に応えよう。」
自信満々な視線を向けられ、シンジはどきりとする。気付くと彼は男でも見惚れるほど良い顔でシンジに笑いかけていた。
しかし彼の姿がだんだんと朧気になっていく。
ああ、もう目が覚めるんだ。まだここにいてもいいのに。
「でも自分を本当に変えられるのは君だけだ。俺はそのきっかけに過ぎない。だから頑張れよ、シンジ。」
彼の声が車両内に響く。臆病で歩みを止めているシンジに前に進めと励ますように聞こえた。
僕に頑張る価値なんて。
その声にシンジは否定することしか出来なかった。
「僕はあなたに期待されるような人間じゃないんだ。」
夢から目覚めたシンジは夢の中の幻影に謝るように独り言を喋る。
「ん?誰に向かって言っているんだ。」
先程も聞いた声がした。まさかと思いつつ、下に向いた顔を勢いよく上げる。
「今までどこ行ってたんだ。みんな心配してるぞ?」
シンジを覗き込むリョーマの顔が眼前に迫っていた。電車の中だということも忘れ、情けない声を出してしまう。
周囲の冷ややかな目線が二人の元へ集まる。
リョーマは苦笑しながら受け流し、シンジは赤面しながら小さく頭を下げた。
「どうしてここに?」
意外な存在にシンジは放心しながら尋ねる。
「やっと運動が許されてな。体育館を借りてバスケしてたんだよ。」
興奮し上擦った声で訳を話すリョーマ。その輝く顔をシンジは胸が痛む思いで眺める。トウジが言っていた意味をやっと理解できたからだった。
本当にバスケが好きなんだ。それなのに僕はリョーマ君を怪我させてしまった。
シンジの目線は地面の方へ落ちていく。自責の念に堪え切れず、彼の笑顔を無意識に避けていた。
「シンジはどこで降りるんだ?」
俯くシンジを気にする様子もなく、リョーマは広告の紙に目を向けている。
「出来るだけ遠くに行こうって思ってるんだ。だから、どこで降りるか考えてない。」
「行き先ないなら俺ん家に来るか?」
リョーマのさりげない発言にシンジは再び顔を上げる。ほんの数日前に顔を合わせたくらいの自分に彼は何を言っているんだろうかと耳を疑う気持ちだった。
「ん?なんだよ。狐に包まれた顔をして。」
「いや。そんなに話したこともないのに誘われたから。」
「共に戦った仲じゃないか。他に理由が必要か?」
「えっと、それはそうかもだけど。」
シンジはその勢いに流されつつあった。リョーマのような人間は初めてだったからだ。保護者役であるミサトも明るく接するものの、深く踏み込むことはなかった。
遠慮なんて知らないとばかりに彼はシンジの領域へ踏み込んでくる。
「なら迷うことない。今日は俺ん家に来い。」
優柔不断なシンジに止めを刺す。
ここまで言われて断る方が逆に失礼か。
「じゃあ、お言葉に甘えて。」
結局リョーマの誘いに乗ることにした。
でも悪い気はしなかった。彼なら大丈夫だと根拠のない信頼感があった。むしろ、不思議と親近感すら覚えている。
なにせ彼はあの場で唯一自分の味方をしてくれた人間なのだから。
きっと彼がクラスで人気な理由はこの親しみやすさだろうとシンジは勝手に納得した。
駅を降り、リョーマの道案内のままに歩いているとシンジの前に摩天楼が現れる。その高さに驚き、目を点にして空を仰いでいると、リョーマは全く気に止めず入口の方へ向かっていく。
「リョーマ君の家ってここ?」
そうだな。リョーマは平然とした様子で答える。
実はリョーマ君ってどこか裕福な家の御曹司だったりして。
全く顔色を変えない姿にシンジは淡い期待感を抱く。
「シンジ、置いていくぞ。」
「あ、ごめん。すぐに行くよ。」
高級な敷石が敷かれた床を恐る恐る踏みながら、悠然と開口部の扉の先へ進むリョーマの後を急いで追いかける。
うわぁ、広いな。
自動で開く扉を抜けると高く広々とした天井がシンジを待っていた。
初めて目にする豪華な光景に面食らいつつも、何とかリョーマと一緒にエレベーターに乗り込む。
「凄い所に住んでたんだね。ビックリしちゃった。」
「親父は政治家だからな。」
リョーマは淡白に答える。
「シンジ、夢を見たことはあるか?」
「夢?時々見るけど。」
突拍子のない話に戸惑いを見せるが、リョーマはそんなシンジの方を見ずに言葉を続ける。
「俺はいつも少年の夢を見る。決まって同じ夢で、どうしてその夢を見るか不思議だった。」
先の見えない話にどう返すのが正解なのかシンジは分からない。口を閉じ、冷めた表情で語るリョーマの様子を窺っていた。
「シンジに会って、少しだけ理由が分かった。」
「僕?」
リョーマの言葉をすぐには理解できず、反芻する。しかし、眉を曲げ真剣な面持ちで考えるシンジを見て、リョーマはおかしそうに笑い声をあげる。
「そのうちシンジも分かる。俺の直感だ、間違いないぜ。」
「ええと、どうだろう?」
根拠のない回答にまたもやシンジは困惑する。しかし彼は余程自分を信じているようだった。
シンジが疑問の意を唱えているのに、リョーマは今も力強い眼差しで見返す。
すごくカッコいいな。
自信のないシンジの目にはリョーマの姿が眩しく見える。
「でもリョーマ君が言うんだ。きっと分かるかもね。」
シンジの言葉にリョーマは絶対さ、と首を縦に振るだけだった。
エレベーターの扉が開き、長い廊下を歩く。
「ここが俺ん家。」
これまた高級感あふれるドアに手をかけ、リョーマは先に入るように促す。
お邪魔します。シンジはそろりそろりとその玄関へ足を踏み入れる。
綺麗だな。まるでモデルハウスに来たみたいだ。
「マキさん、ただいま。」
「おかえりなさーい。おっ、今日はご友人も一緒ですか。」
丁寧に掃除された廊下に感心していると、奥のドアから眼鏡をかけた女性が出てくる。
「そう。今日ここに泊まるから急で悪いんだけど、もう一人分用意してくれる。」
「勿論ですとも。若の言うことは絶対ですから。」
女性は茶化すようにリョーマの頼みを引き受ける。様子を見るに彼女はこの家の家政婦のようだ。
「碇シンジです。今日はよろしくお願いします。」
「よろしくね。私のことはマリでいいよ。」
「は、はい。マリさん。」
丁寧なお辞儀を返され、シンジはどぎまぎしてしまう。
どうぞお寛ぎください。マリは棒立ちするシンジの背中を押し、無理やりリビングへと歩かせる。
「シンジ、緊張しすぎだ。生まれたばかりの小鹿みたいだぜ。」
「こんなすごい家に住んでいると思ってなかったからまだ心の準備ができてなくて。」
そういうものか。リョーマは複雑そうな笑みを浮かべ、当たり障りのない返事を返す。
反応が鈍い。そう感じたシンジはリョーマに何かあったのかと尋ねようとする。
「私は夕食の準備をしているから、若とわんこ君はお風呂に入ってくださいな。」
「わんこくん?」
しかし丁度良いタイミングでマリが間に割って入ってくる。
「そうだな。シンジ、先に入ったら。もう随分と湯に浸かってないだろ。」
「いや、流石に悪いよ。」
甘えすぎているとシンジは遠慮する。
「君、すごく汗臭いって気付いている?」
鼻を摘まんだマリが顔の前で手を振り、不快な表情を顕わにする。
「え!?そんなに!」
シンジも慌てて自分の制服に鼻を近づける。
うっ。確かに臭いかも。
臭いに気付けなかった自分も恥ずかしいが、それ以上に少しも嫌そうな顔をしなかったリョーマに申し訳なさを感じた。
「早く体を洗ってサッパリしてこい。」
「うん。そうするよ。」
大笑いするリョーマに言われ、シンジはすごすごと風呂場へ足を運んだ。
風呂から上がったシンジは居間で暇をつぶしていた。
初めは準備の手伝いでもしようと思っていたのだが、客はもてなされるのが仕事だとマリから追い出された。
することもないので目についた本棚から雑誌を取り出す。
彼の家にはゲームや漫画といった娯楽の類はあまり置いておらず、代わりに雑誌や専門誌が豊富に揃えられていた。
バスケの雑誌、多いなぁ。しかも英語で書かれている。
初めて目にする英単語の多さに舌を巻きながら、筋金入りのバスケ好きなのだとシンジは改めて実感する。
雑誌を棚に戻し、今度は飾ってある写真を手にする。微笑む中年の男女と真ん中で大きくピークサインをする男の子が写っていた。
男の子はバスケのユニフォームを着ており、背景には大きな体育館がある。大会の時に撮った写真なのだとシンジは察することができた。
まだまだ小さいな。今のリョーマ君とは大違いだ。
無邪気に笑っている少年に目を細め、彼にも幼い頃があったのだと感慨に浸る。
「この頃の若、かわいいからね。見入っちゃうのも仕方ない。」
「うわ!いつの間にいたんですか!」
知らぬ間に背後からマリも写真を眺めていた。集中していたシンジは驚くあまり、手に持った写真を落としそうになる。
「おっと危ない。」
シンジよりも早く反応したマリが空中で拾い上げる。
「すみません。写真を落としてしまって。」
「次からは気を付けなよ。それより、夕食も出来たし若ももうすぐ上がるから席に座って待っててください。」
何事もなかったかのように去るマリをシンジは意外に感じた。
怒ったりしないんだ。僕が客だからか。
「はい、分かりました。」
少し遅れて返事をすると、シンジは料理の並んだテーブルへ歩き、マリと一緒にリョーマを待つのだった。
夕食を済ませたシンジとリョーマは居間で寛いでいた。
「あの写真に写っている人達って、リョーマ君とご両親だよね。」
「ああ、そうだけど。」
「やっぱり。リョーマ君が小さすぎて別人に見えたよ。」
「5年以上前の写真だからな。丁度俺がバスケを始めたくらいだ。」
リョーマの話を聞き、シンジの中の疑問がますます大きくなる。一体どうして昔の写真をあそこまで大切に飾っているのだろうと。
「最近の写真は置いてないんだ。何か理由があるの?」
「親父もだけど、お袋もまた忙しい人だったからな。昔から写真を撮る機会が全くなかった。あれはその少ない写真の中の一つ。」
今までページを捲っていたリョーマの手がぴたりと動かなくなる。
彼の変化をシンジは瞬き一つせず、凝視していた。
「あの写真はリョーマ君にとって大切な思い出なんだ。」
リョーマは目を点にしてシンジの方へ振り向く。そして、数秒間見つめた後、確かにシンジの言う通りだとその言葉を肯定した。
「今思えば、もっと撮っておけばよかった。」
リョーマの瞳には幾つもの活字が写っているのに、彼の視線は果てしなく遠いどこかを追っていた。懐かしい声色でもはや掴めない今を語っていた。
いつも前を向いているような彼でも自分と同じように後ろを振り返る時があると分かった瞬間だった。
「僕はリョーマ君のことが羨ましいよ。」
それでもシンジはリョーマと自分は根本的に違うのだと感じた。
「父さんが捨てて、家族の写真なんて一つも残ってないんだ。母さんの顔ももう思い出せないかも。」
彼にとってはもう過ぎ去ったことなのだ。彼は事実を受け止め、現実の中で生きている。
僕とは真逆の存在だ。母さんが死んで、父さんがいなくなって、僕はそれから逃避行を続けている。
だから、僕はリョーマ君に憧れるのかもしれない。
「あの写真にはどんな思い出があるか教えてほしい。」
もう一度シンジの顔を見て、リョーマは口角を上げゆっくりと頷く。
「あの日は初めて試合に参加した日だった。俺はまだスタメンじゃなかったけど、二人はわざわざ足を運んでくれた。」
かつての記憶を噛み締めるようにリョーマは話し始める。
シンジは時折相槌を打ち、リョーマの思い出話に耳を傾ける。
母さんか。母さんは僕に何か残してくれたのかな。
今は亡き母にシンジは想いを馳せる。しかし、蓋がされたようにシンジの脳内に浮かぶのはぼんやりとした情景だけだった。
穏やかに語るリョーマを見て、シンジは母を忘れようとしている自分に気が付く。
僕はまだ自分に向き合うことも出来ていなかったんだ。
そして、少しでも母の存在を忘却した自分のことがとても許せなくなった。
「リョーマ君。僕はミサトさんの元へ帰ろうと思う。」
リョーマの話を聞き終えたシンジの目の色が変わっていた。電車で会った時の陰鬱な色は瞳から消えていた。
シンジの変貌にリョーマも目を見張る。案外心変わりが早かったな。そう言うと今度はとても嬉しそうに笑った。
「じゃ、ミサトさんに電話しないと。シンジのことを心配しているぜ。」
いつの間にかソファーから立ち上がっていたリョーマがシンジの手を引く。
「電話まで借りるなんて!近くの公衆電話から自分で掛けるよ!」
「風呂を借りて、夕食までご馳走になったんだ。電話の一つくらいで遠慮するなって。」
もう十分お世話になったとシンジは断るのだが、リョーマが引く様子は全くなかった。むしろ豪快に笑い飛ばしていた。
やっぱり押しが強いとシンジが諦めるのにそう時間はかからなかった。
電話を掛けると、数秒も待たずして電話口からミサトの声がした。
「もしもしミサトさん。シンジです。」
「シンジ君!?あなた、今までどこほっつき歩いていたの!こっちはどれだけ心配したと思っているの!」
耳の奥がキンキンと痛くなるような怒声が聞こえる。しかし、シンジの顔は少しも歪んでいなかった。
「ごめんなさい。何も言わずに勝手に家出していました。」
ミサトの言葉を素直に受け取ることができていた。そんな自分がいることにシンジは驚きつつも不思議と納得ができた。
シンジの謝罪を噛み締めるようにミサトの深く息を吐く音がした。
「自分で反省できているみたいね。思ったより大丈夫そうで安心したわ。」
あっさりとミサトの怒りの矛は収まった。延々と説教を聞かされる覚悟だったシンジは意外そうに彼女の話に聞く。
「でも家出した罰は受けてもらうわよ。ゴミ出しにトイレ掃除、洗濯物、毎日やってもらうわ。」
「じゃんけんで決めた意味、全くないじゃないですか。」
「あら、もっときつい罰にしてもいいのよ。」
「い、いえ、さっきので十分です。」
弱みを上手く利用されたな。
電話口の向こうで楽しそうに笑っているミサトの姿がシンジの頭の中で想像される。
「今から迎えに行くわ。シンジ君、自分がどこにいるか分かる?」
「実は友達の家から電話していて、えーと。」
シンジは隣に立つリョーマを流し目で見る。彼もシンジが助けを求めているのに気付き、どうしたんだと尋ねた。
そして話を聞くと快くシンジと変わり、ミサトに事情を説明する。
リョーマ君ってこんな流暢に敬語が使えるんだ。
学校でのフランクな喋り方のリョーマしか知らないシンジには電話越しにミサトと話す彼の姿がとても奇異に映った。
「シンジ、葛城さんから話があるってよ。」
リョーマはミサトとの話を終えると、再びシンジへ電話を渡す。
「シンジ君、あなたがこの街に残る決断をしてくれて嬉しいわ。だから最後に聞いておきたいことがあるの。」
重みのある声で尋ねられる。シンジもミサトの言わんとしていることが分かり、唾を飲み込んだ。
「エヴァに乗っても、あなたに良いことなんてないわ。また辛いことや逃げ出したいことがある。それでもエヴァに乗る覚悟があるの?」
どうだろう、僕に覚悟なんて立派なものはあるんだろうか。
夢の中で問われたことを思い出す。
今の僕は宙ぶらりんだ。ほとんど何もないのと一緒だ。夢とか目標とか、そんなものを僕はとうの昔に捨て去ってしまった。
「僕にエヴァに乗る覚悟が出来ているか、正直分かりません。エヴァに乗る理由はないし、この街のこともよく知らない。」
電話口からは何も聞こえてこない。きっとミサトがシンジの言葉を待っているのだろう。
シンジはそこで一呼吸置いた。
「今日、僕がエヴァに乗る意味はあるって知ったんです。だからもう少し頑張ってみます。」
でも、憧れはあるんだ。君みたいになりたいって。眩しすぎて、とても僕が成れるとは思えないけど。
隣に立つリョーマをチラリと眺める。
あれ?リョーマ君の顔ってどこか見覚えがあるような。
その瞬間、シンジは自分でも分からない変な既視感を覚えた。どんな名前かどんな顔かも浮かんでこないが、誰かにすごく似ている感覚があった。
「シンジ、どこ見ているんだ?」
いつの間にか思考の海に沈みそうになっていた。シンジはリョーマに話を振られ、ふと我に返る。
「ご、ごめん。気にしないで。」
多分彼のことをずっと眺めていたのだろう。それを本人に指摘されたと思うと途端に恥ずかしくなり、シンジは上手く言い訳することができなかった。
それからミサトと待ちあう場所を確認し、シンジは電話を終える。
「じゃあ、僕もそろそろ帰るよ。今日はありがとう。急にお邪魔したのにすごく良くしてもらった。」
「お礼を言うならマキさんだ。俺は何もしてない。でも力になれたなら嬉しいぜ。」
リョーマは目の前に手を差し出す。シンジも応じるように手を出し、彼の大きな手を握った。
「今日は本当にありがとう。また明日、リョーマ君。」
「おう。またな、シンジ」
リョーマと別れを告げ、扉を開けると廊下を涼しげな風が吹き通った。
シンジは頬を緩め、いつもより大股でまた歩を進める。そして、エレベーターを無視し階段を軽い足取りで降りていった。
一段、二段と時々大きく飛び降り、その長い階段を駆けていく。コンクリートの踏む音が周囲で響きながら、シンジに合わせてリズムよく鳴る。
すっかり静まった夜の住宅街で少年の跳ねた靴音が踊っていた。
夜の顔へと変じた街の一角に初老の男、リンタロウはいた。
「マリ君。リョーマの様子はどうだったかね。」
「リハビリも終わって、嬉しそうにバスケをして帰ってきましたよ。つまり、問題なしです。」
「そうか。相変わらず強い子だ。」
マリの報告に機嫌を良くしたリンタロウはグラスに注がれた酒を一口嗜む。
「ただ三番目の少年を家に招きました。どうも家出したところにご子息が声を掛けたようです。」
「ほう、それでリョーマはどうしたのかね。」
「昔話でもしてサードを立ち直らせましたよ。結果的にサードもこの街に残る判断をしました。彼、相当ご子息のことを信頼しているみたいです。」
「レイという少女に続き、今度はゲンドウの息子か。全く運命というのは皮肉に溢れ、数奇なものだ。」
グラスが傾けられ、半透明の液体が鈍く紫色に光る。リンタロウは笑みを零しながら、その光景を眺めていた。
「しかし何故このような遠回りを課したのだろうか。私は彼の目的が一向に理解できない。君なら知っているのかね、マリ君。」
「さあ、私にはさっぱりです。知っているのは神様くらいでしょう。」
マリの言葉を聞き、喉を鳴らすようにして笑う。
「救世主も困ったことをする。」
「いいえ、リリンの救世主には成れませんよ。あの子は彼らの英雄ですから。」
「そうかね。私には彼の方がよっぽど人類を救う気があるように思えるよ。」
電話を切り、手に持ったグラスを凝るようにして見つめる。浮かべていた微笑をふと消すと、リンタロウはグラスに残ったワインを飲み干した。
多分数ヶ月に一話ペースで投稿していくと思います。非常にスローペースで申し訳ありませんが、その分満足できるような内容にできるよう努めます。
補足
マキさん…新劇場版で登場した真希波・マリ・イラストリアス、その人。ゲスト出演のノリで出したのでこの二次創作では表立った活躍はない(はず)。パイロットじゃないので普通に年を取っている。坂本家の家政婦は表の顔である。
リョーマの昔話…リョーマがまだ誰にも話したことのない思い出話(本編に関係ないので飛ばして結構です。)
バスケを始めたきっかけは些細なことだった。
ある日、友達に勧められ近くのクラブチームの体験に行った。すぐにボールの扱いを覚え、気付いたら友達に混ざってクラブの練習に加わっていた。
すっかり疲れ、休憩していると母が慌てた様子で体育館を訪れた。
両親にバスケの体験のことを話していなかったから、帰ってこない息子のことを心配し、仕事も放りだして来たんだろう。
幼い俺には初めての出来事だった。遊びに連れていくことはあっても、仕事で忙しい二人が迎えに来ることはなかった。だから、どういう理由でも迎えに来たのがとても嬉しかった。
母がくたびれている様子にも気付かず、無邪気に母の手を取った。
すると母は楽しかった?と問いかけた。正直に言えば楽しいのか分からなかったけど、凄い楽しかったと嘘を吐いた。
淡い期待だった。クラブで練習すれば、もしかしたら母が今日みたいに来てくれるかもしれないって思っていた。
母は明日も行きたい?と優しく尋ねた。当然、うんと頷き、繋いだ手を強く握り締めた。また一緒に帰りたいと言うと、母は困り果てたように笑っていた。
お父さんに相談してみましょうか。あの時、母が言ってくれた言葉だ。今を思い出してみると、多分騙された振りをしたんだと思う。
でも、母の優しさを察することもなく、歓喜の声を上げていた。母と過ごせる時間が増えることしか頭になかった。母の気が引けるのなら理由は何でもよかったのだろう。
それからクラブに入って、俺はバスケを始めた。
バスケを本格的に好きになるのはもう少し後の話。そう、初めての公式試合。両親が試合観戦に来てくれた日だ。