冥人、古き異国の刺客と雪原にて邂逅す 作:片栗粉
「何処へ行くのか見当はついているのか」
琵琶法師と別れ、二人は雪のちらつく浜を馬の背に揺られながら進んでいた。
隣の栗毛馬に跨ったサイードが仁を見て問いかけた。
「法師殿は【雪深き頂】と申していた。そのような場所は、この上県では一つしかない」
城岳の山は対馬で一番高い山であり、険しい崖で囲まれた天然の要害だ。害あるものを防ぎ、大事な宝物を隠すのにはうってつけの場所だろう。
仁は遥か遠くに見える真白い頂を見上げた。鉛色の雲が渦巻いて、山頂を覆い隠している。
城岳山。其処に行けば、何か分かるかも知れない。
「ふむ、雪山なら、それ相応の備えをしなければならないな」
「この近くに集落がある。そこで必要なものを購おう」
二人は、途中の集落で少しばかりの食料と酒を購う事にした。城岳山は険しく、厳しい。万全な備えをしていかねば、雪の中で命を落としかねない。
「では、行って参る」
「ああ。頼んだ。俺はこの辺で待っているから」
自分が行けば百姓達を驚かせてしまうだろうとサイードは集落の外で待つ事になった。
民達は仁を見て「境井様、お久しゅう御座います」と頭を下げる。もう家も棄て、武士でもないと言うのに、彼等は敬愛の眼差しで仁を見つめ、接してくれる。全てを失った今、其れだけが拠り所であり、救いだった。
「少しばかり、食い物を購いたい。あと酒を」
「承知いたしました。少しお待ちを」
百姓に銭を渡すと、小屋から風呂敷包みを持ってきた。渡した銭よりも大分多いように見えた。
「どうぞ。お持ちくださいませ」
「こんなに……良いのか?」
戸惑う仁に、百姓は頷くと「境井様には沢山の御恩がありますから。これでも少のうございますよ」と笑った。
「有難く頂戴しよう」
「蒙古の戦船が居なくなって、漁にも出られるようになりました。本当に、境井様のお陰です」
彼等の気遣いは、今の仁には有難かった。礼を言って包みを受け取った。
(俺がやってきた事は、無駄ではなかった)
仁は大きく膨らんだ包みを手にすると、サイードの元へ戻っていった。
「む、何やら騒がしいな」
サイードが待っている筈の村外れから賑やかな声が聞こえる。
と言っても、諍いのような物ではなく、童の高いきゃあきゃあとした笑い声が聞こえてくる。
「サイード、待たせてすまぬ……」
その光景を見て、仁は目を丸くした。サイードが、幼い女童を肩に乗せて柿を取っているではないか。しかも、村の童たちに囲まれながら。彼等は怖がっている素振りすら見せず、むしろ面白そうに笑っている。
しきりに女童がどの柿を取ればよいか教えているのに、言葉の分からぬ異国の男は首を傾げながら見当違いの方向へ手を伸ばし、鈴の音のような幼い声がそれを叱る。それがどうにも可笑しくて、久しぶりに仁は腹を抱えて笑った。
「あ! さかいさまだ!」
「さかいさま!」
「おお、お主か。家族は皆、息災か」
「うん!おっ母の傷も良くなって動けるようになった!」
声を上げた童の一人が仁に駆け寄ってくる。仁は笑みを浮かべて童の頭を撫ぜた。以前この童の母御と姉が蒙古に連れ去られそうになった時、仁が救った事があった。
「お主ら、あの男が怖くなかったのか?」
彼は仲間だが、自分達とは顔かたちも、言葉も、装束も違う異国の人間だ。蒙古の事もあり、怖がっても無理はないはずであるが。
「怖くないよ。蒙古と違って怖い声も出さないしさ。それにさっき庄太の奴が柿の木から落ちた時、あの人が助けてくれたんだ。凄いんだよ!天狗様みたいにびゅーん!って跳んだんだ!」
興奮したようにきらきらとした目でそう話す童に、仁はそうか、それはすごいな。と笑った。
そうしていると、柿を取り終えたサイードが戻ってきた。両手一杯に橙色の果実を抱えて、困ったような表情をしている男に「大収穫ではないか」と、もう一度仁は声を上げて笑った。
「童たちに好かれているようだ」
いつまでも手を振る童たちに馬上から手を振り返しているサイードを見て言った。
「子供の相手は苦手だ」
「何故だ?」
「あの純粋な瞳に自分がどう映っているのか、ふと不安になるんだ」
ぽつり、とそう呟いたサイードの言葉に、仁は押し黙った。
武士としての誉れを捨て、友を、父を失い、冥人として血塗られた修羅の道を往く己は、彼等にどう映っているのだろうか。
「行くか」
「ああ」
二人は馬腹を蹴ると、城岳山を目指して走り出した。
―――――――
城岳山の麓は、既に真っ黒な雲が空を覆い隠し、風が強くなってきていた。
「まずいな……これは吹雪が来るぞ」
「ああ。だが奴らが来る前に行かねばならぬ。進むぞ」
仁の言葉にサイードは頷き、馬を朽ち果てた納屋の陰に繋いだ。城岳山は雪深いのもあるが、橋は朽ち果てており、切り立った断崖も多い。一度だけ焔の剣を得る為に山頂の道場へ訪れた事があったが、厳しい寒さと険しい山道に仁ですら難儀した。常人では山頂にたどり着ける者さえ少ないであろう城岳山だが、サイードの身のこなしは並の武士や猟師に比べ遥かに秀でていた。的確な場所を選んで事もなく岩壁を登るサイードを見て、仁は感嘆のため息を吐いた。
「まるで天狗だな。流石にお主の様には速く登れぬ」
二人は、少しだけ拓けた足場に辿り着いた。険しい崖を登り通しだった為白い息が上がっていたが、サイードはけろりとしている。この身も凍るような寒さにも大して堪えていないようだ。
先程の仁の言葉を聞いたサイードがふ、と笑った。
「我が師である叔父は、もっと速かった。まるで隼のように速く、静かに動く。祖父アルタイルよりも、素早かったと聞いた」
「父御は……」
「俺が幼い頃に死んだ。教団の裏切者に陥れられてな」
「存ぜぬこととはいえ、すまなかった」
「いいんだ。叔父のダリムが我が師であり、我が父だったから」
「父……か」
胸の中に苦い寂寥がじわりと広がる。サイードは素晴らしい戦人だ。武士ではないが、己の信念と行くべき道を真っ直ぐに見据えている。父御も、このような息子を持って大層誇らしいだろう。
臆病な自分は、終ぞ父の恩に報いる事が出来なかった。
そして、伯父であり、父である志村にも。
この城岳の山からは、あの懐かしき城は見えない。
轟々と昏い空の下で吹雪く真白い雪が渦巻くのみであった。
「仁?」
じっと遠くを見つめていた仁を、サイードが訝し気に見つめた。
「……いや、先を急ごう」
仁は彼の不思議な色の眼から逃がれるように、次の断崖を登り始めた。