冥人、古き異国の刺客と雪原にて邂逅す   作:片栗粉

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 ひょう、と鵺が不気味な鳴き声を発したと同時に、その巨体から想像もできない速さで動いた。

 サイードと仁が両側の壁へ跳ぶ。鈍い音を立てて硬い岩床が抉れる。鵺の前足の爪だろう。くっきり三本線が岩肌に刻まれていた。それも束の間、鵺はふしゅう、と息を吐くと飛び上がり、天井の暗がりへ消えてしまった。

 

「何という威力だ……おい仁、あの化物は何だ」

 

 焦りを滲ませたサイードの声が暗がりに響く。周りをぐるりと囲む、青白い光を灯した篝火台のお陰で足元には不自由しないが、高い天井までは灯りが届かない。

 

「あれは、鵺(ぬえ)だ。乳母から聞いた昔話では、かつて源頼政公が退治したという化け物らしいが、まさか本当に存在していたとは……」

「その化け物を退治した方法を是非とも教えてほしいな……。できれば今すぐにっ!」

 

 殺気が上から降ってきて、二人同時に転がって避ける。ぎりり、と巨大な爪が岩肌を引掻く耳障りな音に顔を顰める。

 だがすぐに暗闇に消える異形に、仁は埒が明かぬと歯噛みした。足音も無く、猫の如き素早く動き、岩肌を切り裂く程の爪で襲い来る。正に伝承どおりの化け物であった。

 

(確か、頼政公は弓で退治したとあったな)

「仁! 伏せろ!」

 

 サイードの声にはっと我に返る。ふぉ、と冷たい風が首筋に感じ、前に躓くようにして伏せた。どう、と冷や汗が全身から噴き出る。刹那遅ければ、己の頸ごとあの鋭い爪に持っていかれていたであろう。

 鵺は天井と言わず、周りの岩壁を縦横無尽に駆け回っているようだ。サイードが小型の弩を撃ってはいたが、まるで当たらない。

 

「この速さじゃ、矢は当たらん! 降りた時を狙うしかない!」

「降りた時ね、中々難しいぞそれは!」

 

 ひょおう、ひょぉう、と鵺の鳴き声が暗闇から聞こえてきた。まるで嘲笑っているかのようだ。

 サイードは抜いていた腰の長剣を納め、何やら思いついたように腰の道具袋を漁っている。

 

「どうしたのだ!」

「ちょっと試してみたい事がある! 悪いが少しの間奴を引き付けてくれ!」

 

 サイードの言葉に、仁はままよ、と中央に躍り出て、太刀を構えた。すぐに巨大な影と共に殺気が襲い来る。

 右からの凄まじい一撃を辛うじて刃でいなす。全身に力を込めていなければ、太刀ごと飛ばされてしまいそうだった。

 しかし、もう一撃が死角から迫っているのに仁は気が付かなかった。

 

「ぐっ!」

 

 脇腹に、暴れ牛がぶつかってきたのかと思うほどの衝撃を感じ、三間半ほど飛ばされた。嫌な音が肋から響き、肋骨が折れたのだと悟った。したたかに打ち付けた背と胸の激痛に霞む視界に目を凝らしながら前を見れば、巨大な蛇の頭が、ちろりちろりと舌を突き出してこちらを向いていた。ぬかった、鵺の尾だ。と気づいた時には、虎の爪が倒れた仁めがけて振り下ろされようとしていた。

 太刀で受けようと咄嗟に腕を上げようとした時であった。

 ばがん、という凄まじい音と火花、そして眩い光が鵺の顔面に炸裂した。

 

 ひぃぎぎぎぎあぁ! と耳障りな絶叫が暗闇を震わせる。もう一度、鵺の顔面に火の玉が飛んできて、盛大に炸裂する。たまらず鵺は仁の上から飛びのき、よろよろと足元をふらつかせた。

 

「今だ!」

 

 その声に仁は起き上がり、ふらつく鵺の頭目掛けて全身全霊の力を込めて太刀を突き出した。

 切っ先が、鵺の眉間にぞぶりと沈むと、鵺はびくりと大きく身体を震わせたあと、どう、と斃れ伏した。その衝撃で、仁も後ろに倒れそうになったが、力強い腕がそれを支えた。

 

「平気か?」

「ああ、何とか。お主の助太刀があと少し遅かったら、俺はあの腹の中だ」

「悪かった。あの図体に効くようありったけの火薬を仕込んでいたからな。お前のも少し拝借した」

 

 その言葉に、仁は慌てて懐を覗いた。確かに火薬の数が減っていた。意外に手癖の悪い奴だ、と苦笑する。

 

「全く、いつの間に。ともあれ助かったぞ……」

 

 ──護り手よ。相応しき力を示せ。

 

 不意に、あの頭の中を掻き回されるような声が響いて、思わず目を瞠る。

 いきなり黙り込んだ仁を不審に思ったのか、サイードが心配そうに覗き込む。

 

「傷が痛むのか」

 

 その言葉に、いや、と頭を振った。あの声はサイードには聞こえていないようだ。

 

「肋骨が折れたようだ。大事ない」

「大事じゃないか。一度戻ろう。布を巻いてやる」

「すまぬ」

 

 仁はサイードに支えられながら、少しふらついた足取りで元来た鳥居をくぐる。肩越しに振り返れば、鵺の屍は忽然と消えていて、その代わりに黒い枯れ木のような人の骸がぽつんと座していた。首を傾げながらも一歩踏み出せば、いつの間にか先程の広間へ戻っていた。

 サイードから離れ、ゆっくりと腰を下ろす。鎧を外し、諸肌脱ぎになる。サイードが松明の灯りを近づけて来たので、胸の辺りが良く見えるようになった。

 鵺の尾に打たれた場所は赤黒い痣となっていて、息をする度に痛んだ。鎧が無ければ脊髄まで砕けていただろう。

 道具袋からさらしを取り出して、胴回りにきつく巻く。

 

「……鎧が無ければ死んでおったな」

「良い鎧だ。腕の良い者が作ったんだな」

 

 サイードがさらしを巻くのを手伝いながら、黒く光る冥人の胴鎧を見つめて言った。

 

「友の作だ。何度もこの鎧に助けられた」

 

 仁は傷だらけの胴鎧を懐かしむかのように撫ぜながら、ふと寂しげに微笑んだ。

 その表情に何かを察したサイードは、そうか、とだけ呟いた。

 

 ────―

 

 手当てを終えると、仁は己の腕の動きを確かめるように太刀を振るった。少し痛むが、障りはないであろう。

 

「平気か?」

「ああ。お主のお陰だ」

 

 礼を述べると、サイードは照れくさそうに笑った。短い付き合いではあるが、この異国のもののふは、思ったよりも表情豊かなようだ。

 

「一つは片づけた。あとは二つか」

 

 どちらに行く? と聞かれ、仁は迷わず真ん中の鳥居へ進む。その後ろを、サイードが迷いが無い奴だと言わんばかりに苦笑しながら、後についていった。

 

 鳥居をくぐり抜けた瞬間、えもいわれぬ臭いが鼻をつき、二人は思わず腕で鼻と口を覆っていた。

 嫌というほど嗅ぎ慣れたそれは、死の臭い。肉が腐り落ち、朽ちゆく臭いに満ちている。

 辺りは鵺の時よりも大分昏い。周りを囲む篝火台には紫の炎が妖しく揺らめいている。

 

「酷い臭いだ」

 

 思わず零れたサイードの呟きに、仁は無言で同意した。一歩踏み出すごとに、パキリ、ぺキリと小枝を踏み割るような音が響いていて、時折こつり、と何かにぶつかるので足元に目をやると、仁はぎょっとしたように足を止めた。

 ころりと転がる白い髑髏。そして周りには夥しい骨がうず高く積まれていた。

 

「何なんだ、これは」

 

 一層強くなる腐敗臭に仁は顔を顰める。だが、その答えは、向こうからやってきた。

 

 るぅぁああぁああ……あァあぃいい……。

 

 全身を総毛立たせるような、気味の悪い声が辺りに響く。老婆のような、若い女が喉を潰されたような嗄れ声。

 それは灯りの届かない骨の山の向こうより響いている。それと同時に、じゃり、じゃりと何かを引きずる音。

 

「……来るぞ」

 

 仁は息を整えながら、太刀を抜いた。サイードも同じく、曲刀を構える。

 

 じゃらり、じゃり。ばきり、ぺきり。

 じわりと脂汗が額に滲む。何か大きなものが、這いずるようにして此方に来る。悍ましき何かが。

 腐臭が一際強くなり、大きな影が、髑髏の山から覗いた。

 

 るぁあああ、ぁあ、ゔううぃいいいあぁ。

 

「化け物め……」

 

 どちらともつかぬ声が、恐れとともに吐き捨てられる。

 それは、血で汚れた布を巻き付けられた、巨大な女の頭だった。その下には、屍人のような色の異様に膨れた腹。それから八本の長く異形の手足が伸びていて、それぞれに冷たい鐡の手枷が着けられていた。

 

「やるしかあるまい」

「ああ」

 

 二人は異形の化け物を睨み付けながら、太刀の切っ先を向けた。




まだ続きます
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