冥人、古き異国の刺客と雪原にて邂逅す 作:片栗粉
「父上……」
茫然と呟かれたその言葉に、傍らのサイードが驚いてこちらを見た。
「何だと?」
「あの鹿角の兜……出立ち、構え……間違いない。亡くなられた時のままだ……」
兜と面貌の間は昏い闇のようで、その相貌は窺い知れない。だが、そこにいる武者は紛れもなく、目の前で命を奪われた父、境井正であった。
狼狽する仁の肩に、大きな力強い掌が置かれる。
「気をしっかり持て。あれはお前の父では無く幻だ。目に見えるだけが真実では無い。心を研ぎ澄ませろ」
その言葉に、仁は大きく息を吸い、吐いた。そしてゆっくりと足を踏み出した。
「サイード、助太刀無用だ。ここは、俺がやらねばならぬ」
低く、決意の滲んだ声にサイードが頷く。何も言わない異国のもののふに目だけで礼を言い、太刀を抜き放った。
白い武者は幽鬼の如き佇まいで、じっと仁だけを見つめているようだ。白い具足からはゆらゆらと陽炎めいたものが立ち込めていて、それが現世のもので無い事をはっきりと現しているかのようであった。
ゆっくりと武者の前へ向かう。太刀を構えると、向こうも同じく構えた。それは、まさに鏡写の如く。
白く光る蓮の群れの中で、二人の武者が相対する。
あらゆる感情を押し殺し、仁は唯一言のみ、放った。
「──参る」
二振りの白刃が、白い花畑の上で火花を散らした。
(重い……!)
父、もとい幻影の武者の一撃は重く、ビリビリと骨まで響く程で、肋骨が折れた身体では一撃をいなす度に太刀を取り落としそうになる。
そして、恐ろしい程に速い斬撃であった。
だが、その太刀筋は、幼い頃に見た父のものに間違いはなかった。
(俺が、臆病だったばかりに)
歯を食いしばり、柄を握りしめて太刀を振り下ろす。なんなく止められ、そのまま二合、三合と撃ち合う。
鍔迫り合いになり、ぎりぎりと刃が噛み合った。
(父上)
あらゆる感情の奔流を斬撃に乗せて、放つ。
そうしなければ、今にも叫んでしまいそうで。
だが、父を救えなかった負い目が、知らずのうちに太刀筋を鈍らせていた。
鍔迫り合いは不意に武者が身を引いた事で解かれた。まるで風を相手しているかの如くの身のこなしに、仁の体勢が僅かに傾ぐ。
「ぐぅ……!」
武者が刃を平らにし、切っ先を真っ直ぐに向けて太刀を引いたのに気づいたが、既に遅かった。
次の瞬間、疾風の如き突きが、顔面目掛け襲ってきた。
ぞわりと背筋に感じた殺気で間一髪頭を傾けて避けたが、浅く頬を裂いたのか、じくじくと血が流れ始める。
疾い。咄嗟に避けていなければ、眼窩を貫通し頭蓋を突き抜けていただろう。
よろけながら、間合いを取る。呼吸の度、胸に鋭い痛みが走る。
丹田に力を込め、八相に構える。
かつて、伯父から聞いたことがあった。
父である境井正には、無敗の技があったと。
『眼に見えぬ程に速い二段構えの突き。あまりの凄まじき技ゆえ、刀競べでは、家中の腕利きもその技を防げる者はおらなんだ』
懐かしき言葉を噛み締めるよう反芻する。
すう、と息を吸った。ぴん、と今にも切りつけそうに大気が張りつめていた。
白い蓮花が薄い水面の上でゆらりゆらりと遊んでいる。
武者の切っ先が陽炎の如くゆらめいた。突きの構え。
来る。
水の上を滑るように音もなく、稲光の如く。次いで、白刃が恐ろしき勢いで眉間目掛け迫っていた。
初太刀を太刀で防げば、次撃は防げぬ。
ならば、と思い切り身体を沈ませて、前に踏み込む。そのまま胴を抜こうと太刀を横薙ぎにした、筈であった。
「なっ……!?」
鎧の左の肩当に、武者の切っ先が刺さっていた。遅れて激痛が走る。熱くどろりとしたものが腕を伝うのを感じた。
ぽたり、ぽたりと白い水面に紅い華が咲き始める。
右手で太刀を振り、身体を離す。水面が揺れ、血の華と白蓮が千々と乱れる。
想像以上に、疾い。それはまさに稲妻であった。
「仁!?」
「浅手だ、大事ない……」
思わず前に乗り出したサイードに手出し無用と首を振る。
左肩だったのは不幸中の幸いであった。傷は浅くはないが、まだ、あと一撃ならば。
武者が悠々と太刀を構えた。
仁も同じく構える。幽鬼の武者と、父と同じ、突きの構え。
全てを見た。感じた。後は、死力を尽くすのみ。
不思議と、心は鏡面の泉のように凪いでいた。例え幻影であっても、父と向き合っている様な気がした。
サイードが、そのあまりに幻想的な光景に息を飲んだ。
それは全く同時だった。
水面が揺れ、白い華が散る。二振りの白刃が、真っ直ぐに、稲妻の如く交錯する。
初撃の突きから、素早く引き、次撃を間髪入れずに繰り出す。それが、父、境井正の秘技。
二人の武者がぶつかり合う。水面に激しく波紋が広がり、白い花が波打つ。
仁の太刀は、武者の胴鎧の中心を貫いていた。
一人分の荒い息が、辺りに響く。
「父上……」
ぽつり、と仁が呟いた。先程の鬼気迫る勢いはなく、寄る辺をなくした迷い子のように、頼りなげであった。
武者の身体が、はらはらと花弁が散るように崩れ落ち始める。
その時、仁の脳裏に光と共に幼い頃の光景が広がった。
──手を貸さぬか……。
違う。あれは、そうだ。俺はあの時、恐ろしゅうてならなかった。何もできず、父を見殺しにした己をずっと罰する存在を求めていた。
──仁、来てはならぬ。逃げよ。
ああ。そうだ。本当は────―。
「お許しください、父上」
その言葉を告げた時、仁の中で止まっていた刻が、ようやく動いたような気がした。
ぽたり、と血ではない透明な滴が、水面に一つ落ち、小さな波紋を作った。
武者の幻影の最後の一片が散った。また一度、仁の頭の中に声が響く。
──護り手よ。相応しき心を示せ。
試練は終わった。後には、やはり朽ちた骸が蓮の花の中に鎮座しているのみだ。
ほう、と息をついた。視線を下に向けると、きらりと水底に何かが光った。
「何だ……?」
水の中に手を入れ、それを取る。手のひら大のそれは、不思議な黄金色の光を放っていた。
「これが、【鏡】か……だが欠けておる」
半月状になった鏡は、今なおゆらゆらと不思議な光を放っていたが、やがてそれは消えてしまった。
裏を返せば、何か書かれた札が貼り付いていた。
【人が得るには恐ろしき力にて、三の柱で此処に封ず。片割れは、鏡を向けた先より……】
途中から文字は朽ちて読めなかった。
不意に視界が揺らぎ、ふらりと身体が傾いだ。肩の傷は思ったより酷い。見れば水面に細い血の川が出来ていた。
サイードが心配そうに仁の傍へ行き、身体を支える。
「平気か? やっぱり浅手じゃなかったな 」
冗談ぽく片眼を瞑るサイードに、ふ、と仁の表情が緩んだ。
「そうだな。試練は終えたが、手に入れた鏡は片割れだった」
「一歩前進した。あとはその片割れを探せばいい」
「簡単に言いおって」
「万事全て上手くいくとは限らないものだ。この世界は」
「全くだな」
ぼろぼろになった仁を同じく傷だらけのサイードが支えて歩く。二人とも満身創痍であった。
鳥居を抜ける瞬間、仁の耳に、懐かしい声が聞こえた気がした。
────強うなったな。仁。
仁は目頭が熱くなったのを堪えるように、静かに眼を瞑った。
父の死と向き合うエピソードは一番書きたかった所でした。読んでくださってありがとうございました。もう少し続きます。