冥人、古き異国の刺客と雪原にて邂逅す 作:片栗粉
男の口から発せられたのは、蒙古のものではない不思議な響きをもつ異国の言葉だった。仁は未だ微動だにしない白装束の男を睨み付けた。
蒙古兵と同じくらい上背があるが、太過ぎず、しなやかで鍛えられた筋骨。その佇まいはまるで駿馬のようだ。
「おぬし、何者だ」
男は答えない。日ノ本の言葉が分からぬのだろうか。だがその静謐でいて鋭い殺気は、今まで出会った何者よりも不気味で不可解なものであった。
ざあ、と一際強い風が吹いた。雪が舞い上がり、男の姿が雪煙に覆われ、強い風に仁が思わず腕を顔に翳した時であった。
「何だと……」
瞬き一つか二つの間だ。雪煙が晴れたその向こうには、男の姿は消えていた。まるで最初からそこにいなかったかのようだ。
すぐに近づき検めてみたが、足跡一つ残ってはいなかった。
「物の怪か、あるいは化生の類か……?」
しかし、敵意は感じなかった。何かを探しているようにも見えたが……。
答えの出る事はない仁の呟きは、轟々と鳴る海風に乗って消えていった。
上県の海辺で、あの不可思議な異装の男に出会ってから半月が経とうとしていた。いつものように、蒙古の残党や、野盗共を退けるうちに、奇妙な噂が広がっていた。
「白い鬼だと?」
佐護の近くにある集落に立ち寄った時だった。物売りの男が「旦那、こんな噂をご存じで?」と話しかけてきた。
「へえ。何でも、琴の集落から来た男が言ってたんですがね。琴の近くの砦に居座ってた蒙古共に悩まされてたんですが、真夜中に見た事のない白装束の鬼が天狗のように森の中から飛んで現れたそうですよ。そして翌朝見に行ったらみーんなおっ死んでたらしくて、こりゃあ鬼か天狗の仕業じゃねえかと噂になっているんです」
「天狗か……その砦の場所は解るか?」
「確か、琴の集落から南と東の間を……」
物売りは丁寧に場所を教えてくれた。仁は「礼を言う」と物売りに心ばかりの礼を持たせて、愛馬の轡を取った。
「ここが、その砦か……」
愛馬を駆って丸半日かけてたどり着いたのは、既に誰もいなくなり、打ち棄てられた砦であった。門のすぐ前の馬の死骸にカラスたちが群がっていて、もはや誰もいないという事を如実に示している。だが、何があるか分からない。念のために少し遠い場所に馬首を向けた。
「風よ、此処で待っておれ。すぐに戻る」
直ぐ近くの森の中で馬を降り、砦の中へ入っていった。
砦の中は死の匂いに満ちていた。至る所に死体が横たわっている。
「太刀を抜いておらぬ」
物見櫓の下で倒れていた兵の身体を検める。寒さのせいか、まだ腐ってはいないのは僥倖だった。
青白い死体の首を横に向ける。刀で斬った傷ではない、小さな刺し傷。茶色く変色した大量の血が鎧に付いていた。
兵の殆どは、剣を抜く間もなく倒れたように見え、そのほぼ全ての首に深い刺し傷が付いていた。
「手練れだな……」
仁は呟いた。矢を射られたような形跡もない。綺麗なものだ。恐らくは、この二十人近い蒙古兵の殆どを一撃で葬り去ったのだろう。闇夜に乗じて、一切の音もたてずに。まるで冥人だ。
あの海辺で出逢った男を思い出す。太刀が抜けなくなった時、背後から襲って来た重装兵を一撃で倒した。あの左手。鋭い刃が突き出していて、薬指が欠けていた。
「一体何者だ……?」
その時、ひょうと風を切る音が聞こえ、仁は咄嗟に身を屈めた。すぐさま頭の直ぐ上を矢が飛んでいった。
門の方から、野太い犬の吠え声が聞こえる。増援か、と舌打ちをした。
数騎の蒙古兵は騎馬を駆り、猛烈な勢いで仁に向かって来た。太刀を抜き、構える。
雄たけびを上げ、蒙古兵が槍を振り上げる。まずは馬の脚を断とうと腰を落とした時であった。
「────!!」
騎馬兵の前の地面が爆発と共に突然燃え上がった。馬が棒立ちになった所を、すぐさま刺突で兵を落馬させる。
仁には何が起きたか分からなかったが、すぐにその理由が解った。二本目の火矢が崖の上から真っ直ぐにゲルの側の壺を破壊したのだ。壺は破片と共に茶色い液体をぶちまけ、勢いよく燃え上がった。油が入っているのだろう。仁は直ぐに矢をつがえ、同じような壺に向けて火矢を放った。忽ち砦の中は炎に包まれる。仁は脱出路を探すために黒煙の中目を凝らす。すると、白い装束の背が煙の中からゆらりと現れて、こちらへ来いとでも言うかのように振り返った。仁はその背を追いかけ、砦から脱出した。
『おのれアサシン!』
遥か後ろで、いつもは侍、と叫ぶ兵たちがしきりに【あさしん】と叫んでいる。
(全く、何と身軽な男だ!)
普段から崖や木々を登っている自分でも驚嘆する程の身のこなしであった。まるで天狗が飛ぶように木々から木々へと飛び跳ねてゆく白い背中を必死で追いかけながら、仁はこの異装の男が何者なのか、考えていた。