冥人、古き異国の刺客と雪原にて邂逅す   作:片栗粉

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前触れ

 鳶の鳴き声のような鋭い音が遠くに響き、厩の影に隠れていたゆなは顔を上げた。

 

「さぁて。始めるかい」

 

 その手には小刀と麻縄の火口が握られていて、手際よく厩に繋がれた馬達の繋木を外してゆく。厩の隅に積み重ねられた飼い葉に火口を落として火をつけた。

 

「ほら、さっさと逃げないと蒸し焼きになっちまうよ」

 

 騒然とする馬達を外に逃がし、そのまま裏からそっと出る。あと二つの厩で同じようにそれを繰り返す。

 乾燥した飼い葉は火の回りがはやく、それでいてよく燃える。たちまち辺りは白い煙が充満して、馬達は勢いよく逃げ出し、兵達は混乱し始めた。

 それに乗じて、悠々と野営地を後にする。森の中で不安げに待っていた堅二がゆなを見てほっと胸を撫で下ろしたように息をついた。

 

「随分騒がしくなっちまったけど、境井様は大丈夫なのか?」

「馬共も逃げ出して、火も出てんだ。蒙古共はてんやわんやさ。後はあの男が上手くやるだろうさ。仁も結構しぶといからね。平気だよ」

 

 それに、あたしらの冥人さまがそう簡単にくたばるもんか。

 ゆなは自分に言い聞かせるように、強く拳を握りしめた。

 

 ─────

 

「少し我慢してくれ」

 

 サイードは仁を筵で包んで肩に担いだ。牢を出て、土蔵の出入り口の気配を探る。誰もいない。焦げ臭いにおいが鼻をつく。兵士達の慌ただしい足音や声も響いている。陽動は上手くいったようだ。

 騒然とする野営地の中を滑るように移動する。出来るだけ他の兵士に見咎められないように、人混みに紛れながら。

 遥か後ろの方で『捕虜が逃げた!』と叫んだ声が聞こえたが、既にサイードの手は仁の愛馬の手綱を握っていた。

 

「行くぞ!」

 

 仁を前に乗せて、サイードが後ろから抱えるようにして馬に跨る。勢いよく馬腹を蹴れば、甲高い嘶きを一つくれて、猛然と走り出す。ここまでくれば、もう変装の必要は無かった。

 立ちはだかろうとしていた剛兵の頭を、脱いだ兜を勢いそのままに叩きつける。

 ガン、と小気味よい音と共に兵はもんどりうって倒れ込んだ。

 その五間半ほど前の建屋の屋根の上で、弓兵達が並び、矢をつがえようとしている。だが、サイードは眼もくれずに真っ直ぐに馬を走らせる。矢の雨が二人に降り注ぐ、事はなかった。

 びん、という音と共に一斉に弓兵の弓弦が弾けて、切れた。

 恐らくは、あの女盗賊が事前に仕掛けていたのだろう。サイードは彼女の機転に感謝した。

 浮足立つ兵士の群れと煙の中を、二人が乗った馬が突っ切る様に走り抜ける。

 兵が二人、門の前へ慌てて出てきた。馬防柵を閉めようとしている。だがサイードは速度を緩めない。更に馬の尻に鞭をひとつくれて、猛然と柵へ向かって突き進む。

 

「跳べ!!」

 

 鋭い嘶きと共に、力強い脚が馬体を中空へ送る。そのまま馬防柵を飛び越えて、森の中へと消えていった。

 

 

 

 ふいごのように荒く息を吐く風に、サイードは労わる様にその鬣を撫ぜた。ときおり心配そうに黒い瞳が振り返る姿に、仁との強い絆が窺えた。

 

「お前の主人は無事だ。よかったな」

 

 そう声を掛けながら、張りのある首筋を叩いてやると、安心したように鼻を鳴らした。

 

「……かたじけない」

 

 掠れた声で仁が言った。衰弱はしているが、手当てをすれば問題ないだろう。

 

「それは私より君の仲間に言うといい。彼らがいなければ容易くはなかった。それに酷く心配していたぞ」

「左様か……ああ、そうだな」

 

 静かに仁が笑う気配があった。早く彼等を安心させなければ、とサイードは堅二とゆなが待つ高台へ馬首を向けた。

 

「仁!」

「境井さま!」

 

 二人の姿が見えると、彼等は血相を変えて仁に駆け寄ってきた。

 

「すまぬ、二人とも。手間を掛けさせた」

 

 いつになく悄然とした仁の姿と、その言葉にゆなが笑った。

 

「何言ってんのさ。冥人さまは民を救うけど、あたしらだってやるときゃ、やれんのさ」

「そうですよ境井さま。いつだってあっしらを助けて下さったじゃないですか。受けた御恩にゃ、報いなきゃ」

 

 さあ、手当てしましょう。と堅二がゆなとゆっくりと仁を馬から降ろす。

「全く、酷いケガじゃないか。武士だからって我慢するのも大概にしなよ」と呆れたようにゆなが言うのに、

 仁は少しだけ眉を下げて笑った。

 

 そのやり取りを馬上から微笑ましそうに見つめていたサイードの表情が、ある一点を見つめて凍り付いたのを見て、仁が訝し気にその方向に顔を向ける。

 それを見て、仁の表情が一変した。

 

「あれは、なんだ……」

 

 遠くに見える泉の岬をぐるりと囲むように黒雲が空を覆い、そしてそこから黒い龍のようなうねりが何本も降りてゆく。

 それはゆっくりと収束し、巨大な竜巻へと変貌していった。

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