冥人、古き異国の刺客と雪原にて邂逅す 作:片栗粉
黒々と渦巻く雲の中から現れた、禍々しき黒龍の姿のような其れは、不気味に海面の水を巻き上げながら、ゆっくりと陸へ近づいてゆく。
「竜巻だと……!」
サイードが声を上げた。仁が「あれは、一体なんだ」と彼を見上げた。
「風が強く巻き上がるとあのような事が起きるのだが……あんな大きなものは見た事が無い……」
世界各地を見て来たサイードは竜巻という事象を知っていたが、他の三人は大風を遥かに凌ぐあのようなもの、未だかつて見た事が無い。黒いうねりに触れた岬の松が根ごと吹き飛ばされてゆくのを呆然と見つめていた。
正に、天の怒りを体現したかのような、恐ろしい光景であった。
「あれが、【鏡】の力なのか……?」
「ねえ、あ、あれ……村に向かってない?」
ゆなが口を開いた。仁がハッとして泉の村の方を見る。異変に気付いた人々が海岸沿いに集まっている。
竜巻はゆっくりとではあるが、村の方へじりじりと向かっているようであった。
「ゆな、堅二、村の者達を崖下の洞窟へ逃がしてくれ! あのままでは皆巻き込まれてしまう」
わかった。とゆなが力強く頷く。堅二が荷車の中から鎧や大刀の入った木箱を仁の前に置いた。
二人はあの野営から奪われていた仁の装具一式を取り戻していたのだ。
「境井さま、蒙古の野営から取り戻した装具や武具はこの中にありますんで」
「すまぬ。二人とも。サイード、恐らく奴はあの岬の先の小島にいる筈だ」
城岳山の試練の間で【鏡】の片割れを手にしたとき、仁の脳裏に映し出されたのは、もう一方の鏡が封じられる光景であった。
巫女姿の女子数人と狩衣姿の男が供物と祝詞を捧げ、鏡の片割れを手に岩戸の中へ消えていくのを仁は間近で見つめていた。まるで、自分がその場にいるかのような奇妙な体験であった。
「わかった。先に行くぞ」
仁は素早く鎧や武具を身に着ける。サイードが別の馬に跨り、岬へ向けて馬を走らせて行った。
「仁!」
愛馬に跨った仁の背にゆなの声がかかる。肩越しに振り返れば、凛とした鳶色の瞳が仁を見つめていた。
「気を付けて」
「ああ」
今度こそ仁は乗騎の馬腹を蹴る。心得たと嘶きをひとつくれて、力強く馬蹄が地を蹴立てて駆け出した。
──────
岬に向かってひたすらに馬を走らせる。海の方を見れば、竜巻はどんどん黒く、大きくなりつつあり、雲からは幾筋もの稲妻が走ってまるでこの世の終わりのような様相を呈している。
およそ二十間先に、サイードの馬影が見えた。
それに追いつくように馬腹を蹴る。恐ろしい雷鳴が鳴り響く。大風のような強風にたまらず顔に手をかざしながら、叫んだ。
「サイード! あの岬だ! 」
岬の先、小島の上で雷が迸り、黒雲が生まれ出でている。異様な光景であった。
あそこに、恐らくサヴァンがいる。
サイードが仁の声に振り返った。松の並木の間から数騎の敵が駆けてくるのが見えて、仁は咄嗟に背にした弓を手に矢をつがえていた。
「伏せろ!」
一度に二本の矢をつがえ、放つ。既にサイードはその身を馬体に伏せていた。
見事に二本の矢は迫りくる騎兵二人の首に突き立ち、ぐしゃりと雪原の上に落馬した。
さらに二騎。前から猛然と迫りくる騎兵に気づいたサイードが太腿に仕込んでいた苦無状の小刀を取り出して、鋭い勢いで放った。一直線にそれは騎兵の一人の左眼を射抜き、たまらず兵がもんどりうって馬から落ちた。
もう一騎の兵が槍を振り上げてサイードの首を獲らんと向かい来る。それを見ても彼は馬の足を緩めず、そのままの勢いで騎兵に向かって突進していった。騎兵の槍の穂先がサイードの胸辺りに向けられる。
仁も騎兵も、次の瞬間にはサイードが串刺しになる姿を思い描いたが、それはすぐに打ち破られた。
白い影が鞍の上からひらりと跳躍し、槍の穂先が空を切る。驚いたことにサイードが向かってくる馬目掛けて飛び移ったのだ。左手首の鋭い仕込み刃が呆気に取られていた兵の喉を一片の慈悲も無く切り裂いた。
だらりと力の抜けた兵の骸を馬の背から落とし、サイードはそのまま馬を替えて走り出した。そこで、仁が隣に追いついた。
「相も変わらず、軽業のような動きだな」
「お前の弓も見事な腕だ……傷は平気か?」
「大事ない。ゆこう。終わらせなければ」
二人は更に馬の足を速めた。
二騎の駿馬が、雷鳴轟き黒雲渦巻く空の下を駆け抜けてゆく。この忌まわしい災禍を終わらせるために。
──────
幾人かの敵を退けて、二人は漸く岬の先端へ辿り着いた。
風がさらに強くなり、流石に馬では進むことは困難になってきたので、馬を林の中へ逃がし、徒歩(かち)で進むことにした。
巨大な竜巻の方を見やれば、あらゆるものを削り取り、村の方へ向かっている。
急がねば、泉の村が消し飛ぶだろう。
焦燥を滲ませながら、仁はひたすらに足を進める。
「仁!! 伏せろ!」
サイードの声にハッと我に返った時、既にその身体は己よりも大きな体躯に覆いかぶさられて地面にべったりと臥せっていた。
空気を切り裂くような音が頭上に響いて、仁は己に覆いかぶさる男が何に恐れているのかを理解した。
「サイード! 無事か!?」
「ああ……。何とか。だが今回ばかりは一筋縄ではいかないようだ」
前方を見やる。浅黒い肌、長い白髪を細く編み込みにした矮躯の老爺が、人好きのする笑みを浮かべてこちらを見つめている。だがその笑みは凍りつく程に冷徹で、この世の全てを嘲笑しているようにも見えた。
大陸のものと思われる黒い異装は異様に袖が長く、手先が見えない。
並々ならぬ遣い手と察した仁がいち早く太刀を抜き放つ。すると老爺の後ろから全く同じ姿の老爺が現れ出た。
二人の老爺が鏡映しかのように構える。無手であった。
暗具か何かを隠し持っているのか、泰然としたその構えが不気味だった。
「双子か」
サイードが忌々しそうに呟き、腰の湾刀を抜く。風がより強く吹き荒ぶ。
「気を付けろ仁。奴ら、暗器遣いだ」
「承知」
轟、と陣風と共に、傍に生えていた松の太い枝が、めきめきと悲鳴を上げながら折れて吹き飛んだ。
サイードと仁がその場を飛び退ったのは、ほぼ同時であった。
きらりと何かが横切り、風で飛んできた松の枝が細切れになったのを眼にして、仁は戦慄した。
人の頭位の大きさの円状の刃が触れるもの全てを切り裂いてゆき、老爺の枯れ木のような指にくるくると収まった。
見た事の無い異国の武具に仁の眉根が険しくなる。
「チャクラムか。デリーのアサシンが使っていた事があったな。最も、かなり改良されているようだが」
サイードが言いながら湾刀を構えた。
チャクラム。円月輪とも呼び、穴の開いた円形の金属板の外側に鋭い刃が取り付けられた武具だ。インド圏の僧侶が護身として編み出したカラリパヤット(インド武術)の一種であり、投擲武器としては珍しく、斬ることを目的とした武具である。
今度は左の老爺が素早く右手を動かした。三つの丸い刃が二人目掛けて襲い来る。
「くっ」
仁が太刀で防ごうとしたが、薄く丸い刃はするりと太刀を避け、仁の左の肩口を浅く裂く。
生き物のように飛び来るこの武具は、強風の中も相まって動きがまるで読めない。
仁の黒い鎧が刃によって傷だらけになってゆく。一瞬でも気を抜けば頸が飛ぶであろう。無闇に前へ出ても前後左右どこから刃が飛来するかもわからず、未知の敵を前に流石の仁も歯噛みした。
また、双子の老爺は、驚くほどに俊敏で動きに無駄が無かった。チャクラムの刃を辛うじて搔い潜ったサイードが斬りかかるも、ひらりと避けられ、重い掌底の一撃を頬桁に喰らってしまった。
「くそっ、爺さんの癖に良い一撃していやがる」
常に冷静沈着なサイードが珍しく口汚くぼやきながら、血の混じった唾を吐き棄てる。
相変わらず二人の老爺は不気味な笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
「まだ行けるか。サイード」
顔や腕の至る所に浅い切り傷を作った仁が老爺を睨み付けながら傍らの男に言った。
「勿論だ」という答えに、仁は小さく頷いた。
「あの丸い刃をどうにかせぬことには……一太刀でも届けば勝てるのだが」
「……私が何とかしよう。君は奴に一撃を入れる事に専念してくれ」
その言葉が終わらぬうちに、稲妻が眩い光を放ち、黒龍の鳴き声のような雷鳴が轟く。
それを合図に、サイードと仁は同時に駆け出した。