冥人、古き異国の刺客と雪原にて邂逅す 作:片栗粉
二人が疾風の如く駆け出す。サイードが先行し、仁がその後ろへぴたりとついた。背の高い白い背が、山猫の如くしなやかに駆けてゆく。ぞわり、と後頭部の辺りから嫌な殺気を感じ、仁は咄嗟に脇差を抜き放った。ぎん、と刃同士が噛み合う音がして、丸い刃が生き物のように飛んでいくの視界の端で捉えた。その刃に繋がっていた蜘蛛の糸のような物も共に。
「サイード、あの武具は糸で操っておるようだ! 」
「判った」
絡繰はわかった。後はあの双子の老爺の息の合った攻め手をどのようにして防ぐかだ。
一呼吸後、二人は申し合わせたかのように散開し、左右に分かれた。轟風吹き荒ぶ草叢や木々の間を駆け抜ける。
その後ろを、まるで猛禽の如く丸く鋭い刃が迫りくるのを、サイードと仁は地を駆け抜け時には転がりながらそれを避ける。
一際大きな落雷が辺りに響き、一瞬だけ辺りが真白い光に包まれる。
それを合図に、二人の気配がぱたりと消え、老爺達は豊かな白い眉の下の鋭い眼光を油断なく巡らせていた。
「無駄な事を」
「我らの戦輪から逃れると思うてか」
老爺達は更に八つの戦輪を取り出し、投げ放つ。同時に十六の刃が弧を描いて辺り構わず切り裂いてゆく。
風で騒めく繁みの中を走りながら仁が鉤縄を投げ放ち、石灯籠に鉤がかかる。縄を思い切り引き、繫みの中から黒い鎧姿が飛び出した。低い位置に鉤縄がかかっている為、弧を描きながら地を滑るように疾駆する。それを八つの戦輪が追うが、あまりに低い位置と急な角度での動きに付いてこられない。
仁が二振りの苦無を投擲した。手練れの老爺達は余裕の笑みを浮かべてそれを避ける。だが、その柄に括り付けられていたものが弾けたのを見て顔色が変わった。
ばしゅ、と辺りが白い光に包まれる。サイードの勧めで、苦無の柄に閃光玉を括り付けておいたのだ。それはほんの一瞬ではあるが、老人たちの視界を灼いた。
「ぐぅ!」
呻き声と共に二人が同時に後退る。
ひょう、と別の場所から飛んできた戦輪が仁を追っていた戦輪の糸を切り裂いてゆく。風に煽られた八つの刃が地に墜ちた。
身体が浮くほどの強風が吹き抜け、その風を背に思い切り地を蹴り縄を放す。その勢いで太刀を抜き、老爺の頸目掛けて振り抜く。
それと同時に、強風に騒めく枝葉の中からサイードが飛び出してきた。獲物を捕らえる猛禽の爪のような刃がもう片割れの老爺に迫る。
雷の轟きとともに、二振りの刃が、二人の老爺の頸を切り裂いた。
そのままの勢いで、ごろごろと仁とサイードは地面に転がり、断崖のぎりぎりで止まった。
「ふう、危なかったな」
未だに首から血を噴き出す二つの骸を見て、サイードが事も無げに言った。その白い装束は自身の血と泥に酷くまみれていたが。
「全く。ひどい姿だ」
己も傷だらけの身を起こしながら仁がサイードを睨んだ。
「一つ二つ拝借して正解だったな」
てのひら大の戦輪をくるくると指に遊ばせてサイードが笑った。掌底を受けたあの刹那の間に素早く掠め盗ったのだ。
「手癖が悪いぞ」
「アサシンは如何なる状況下でも確実に対象を仕留める。どんな手段を使ってもな」
「だが、助けられた。礼を言う」
「こちらこそ。しかしまだ親玉が残っているぞ」
岬の先の小島に眼を向ければ、異様に黒い雲がその上に渦巻いている。巨大な竜巻はゆっくりとだが、浜や崖を削り取りながら集落へ進んでいる。立ち止まっている時間は無かった。
「行こう。終わらせねば」
仁は腰に佩いた太刀を強く握ると、この災禍の元凶を絶つ為駆け出した。
「あそこだ!」
仁が声を上げた。
黒雲と共に強風が渦巻いている。その中心に、金糸の髪を後ろに撫で付け、異国の鎧に深紅の外套を靡かせた男が、黄金色に輝く鏡を掲げていた。半円だった鏡は、既に完全な円を取り戻している。
触れるもの全てを斬り付けるような暴風に、近づくことすらできない。
「サヴァン!」
サイードの声にサヴァンがこちらを振り返り、狂気じみた笑みを浮かべた。
「来たか。異端者共」
黄金色の光を放つ鏡を掲げたサヴァンの周りを守るかのように恐ろしい暴風が吹き荒れる。大の男でも身体が浮き上がりそうなほどだった。
「想像以上の力だ……まさに天を意のままに操る神の御業、神の威光! これがあれば、世界ですら手中に出来るだろう! その足掛かりとしてこの異教の地を神の嵐で地均しせねばならんな」
「戯言を! そうはさせん!」
苦無を投げ放つが、暴風の障壁に阻まれてしまった。仁がぎり、と奥歯を噛み締める。
鏡が大量の羽虫が羽搏く様な奇妙な音を上げると、もう一本の竜巻が空から生まれ出でようとしていた。
「まずいぞサイード! 近づけぬ!」
このままでは恐ろしい嵐と竜巻に対馬の地は蹂躙し尽くされてしまうであろう。仁の表情に焦りの色が浮かんだ。傍らのサイードが白い装束をはためかせながら、仁を見た。
鳶色と翡翠が入り混じったような不思議な色の瞳は奇妙なほどに穏やかで、まるで森奥の泉の如き静けさであった。
大丈夫だ。兄弟。
そうサイードの唇が動いた。ゆっくりと左腕が上がり、人差し指と中指が、真っ直ぐに荒れ狂う風の中、高笑いを上げている男に向けられた。
右手が左手首にかかる。かちり、と何かの金具が音を立てた時。
だん、とてつはうが何倍にも凝縮され弾けたような乾いた破裂音が響き渡った。
金属を引掻く様な耳障りな音が仁の鼓膜を震わせて、思わず耳を塞ぐ、サヴァンの手から光輝く破片が散らばり、零れ落ちるのが見えた。
それと同時に、吹き荒れていた暴風が溶けるかのようにふい、と弱まった。考える前に身体が動いていた。
電光石火の如き動きで、未だ己に何が起こったか分かっていない様子の男へ向かって跳ぶ。鯉口を切り抜き放たれた刃が、大上段から振り下ろされる。
黒い陣風がサヴァン目掛けて牙を剥く。
男が剣を抜いたが、既に遅い。
太刀が鋼の鎧ごと袈裟懸けに男を斬り裂き、鮮血が花弁のように舞った。
仁よりも二回りも大きい体躯がぐらりと傾いだが、倒れぬ。血走った眼を憎悪に染め、仁を睨みつける。
「この……塵共がァ……!」
凄まじき執念に駆られた騎士は尚も剣を振り上げる。その姿はまさに羅刹そのものだ。
しかし、その剣は振り下ろされることはなかった。
背後からふわりと舞い降りた白き鷹の鋭い爪が、狂気に駆られた騎士の首筋に突き立った。
サイードが突き立てた仕込み刃を静かに抜く。
騎士が地に頽れた。澄んだ音を立てて剣が共に落ち、もう何も映す事の無い瞳が虚ろに晴れ行く空を見上げていた。
硬い掌がその瞼にかかり、白き異国の刺客は静かに呟いた。
「眠れ。安らかに」
龍神の怒りを体現したような空模様が嘘のように穏やかになり、雲間から光が差し込み海は穏やかな様相を取り戻していた。
「あの武具は、何だ。雷のような光と音が、鏡を貫いたように見えたが……」
仁は太刀に付いた血を拭いながら、サヴァンの骸を検めていたサイードに問いかけた。
左手首から放たれた、雷が落ちたかのような轟音がサヴァンが掲げていた鏡を砕いたのを確かに見た。蒙古のものでも、日ノ本の武具でもないそれは、弓よりも弩よりも凄まじき威力と射程を備えていた。
「……知らない方がいい。あれは、我が祖父アルタイルが【エデンの果実】の智慧を基に創り出した物。まだこの世にあってはならない業だ。まぁ、あの一発だけでもう壊れてしまったがな」
神妙な表情でサイードは左手首の仕掛けに触れると、それを外し海に放り投げた。それは後に、とある国の難破船より日ノ本に伝来し、この国の戦の在り方を大きく変える兵器となる事は、まだ誰も知らない。
「【鏡】は、完全に破壊されたのか……」
地に散らばった鏡の欠片を見て、仁が言った。未だ仄かに光を帯びているようにも見える。恐ろしき力だった。天の気を自在に操れるそれは、確かに神の如き力だ。人が使うには、あまりにも強大すぎた。
「判らん。だが、今の我々の知識では計り知れない力を持っている。欠片を合わせたら元の機能を取り戻したという例もある」
「斯様に恐ろしき物が、この對馬にあっては……」
欠片は丁度六つ。全て海に棄ててしまおう、と仁が言うと、サイードが首を振った。
「海に棄てても、いつか何者かが手にするだろう。誰も知らない場所に封じるんだ。そして鍵は、君が本当に信頼する者に託せ」
「お主が持って行かぬのか。探しておったのだろう」
「君達はあの力を奴らのように悪用したりしないだろう。それは私が身を以て知った。だから、この遺物の封印は君に託したい」
サイードが鏡の破片を腰の革袋に入れて、仁に手渡した。まだこの国は騎士団の勢力下では無い。この地に隠した方が、遥かに安全だとサイードは判断していた。
それは、彼にとっても大きな賭けであった。
「承った。だがサイード、お主はこれからどうする」
その問いに、彼は蒼い海の果てを見透かすような、鋭い視線を向けた。
「大都へ行く。やらねばならぬ事があるからな……仁、君のお陰だ。君が、いや君達がいなければ成し遂げられなかっただろう。心から感謝する」
愚直なほどに真摯な言葉に、仁は照れくさそうに小さく笑い、礼を返した。
雲一つない蒼空と穏やかな海の狭間で、僅かな時であったが、古き異国の刺客と冥人は互いの視線を交わした。
言葉は無い。だが、確かに通じていた。短い時であったが、数多の闘いを共にくぐり抜けた盟友の、これから身を投じるであろう闘いへの武運長久を祈った。
そして、もう会う事は無いであろうという事も互いに感じ取っていた。
「仁!」
「境井様! 」
後ろから聞き慣れた声が聞こえる。振り返れば、崖下からゆなと堅二が手を振っていた。仁も己の無事を知らせるように片手を上げる。
さあ、と爽やかな海風と共に、甲高い鷹の鳴き声が辺りに響いた。
視線を戻せば、既に彼は消えていた。まるで最初からその場にいなかったかのように。
唯一彼が居た証は、手の中の革袋と、遺物の欠片のみである。
仁は男が居た場所を見ながら苦笑した。
「立つ鳥跡を濁さずと言うが、全く忙しない奴だ」
同じ空の元に生きていれば、いつかまた、共に戦う事もあるかもしれぬ。
仁は口笛を吹き愛馬を呼んだ。馬蹄の音が近づいてくる。如何なる時も忠実な芦毛の乗騎は、主の無事を喜ぶかのように鼻を鳴らした。
首筋を優しく叩きながら、愛馬に跨る。
「さあ、行くか。風よ」
馬腹を蹴る。力強い嘶きと共に突き抜けるような蒼空の下を駆けだした。
冥人、古き異国の刺客と雪原にて邂逅す【完】
……DNAシーケンス解析開始。
……解析対象:サイード・イブン・ラ・アハド。
……解析範囲:一二七六年から一二八一年。
……該当有。遺伝記憶のダウンロード開始。
……ダウンロード完了。遺伝記憶情報の投影開始。
吸い込まれるような満点の星空を頂く、大都の皇城。その最も厳重に警備されている筈のその場所に白装束の男は静かに佇んでいた。
贅の限りを尽くされた居室に備え付けられている豪奢な寝台に、女が横たわっていた。
若くは無いが手入れされた肌や髪、身に着けた装飾品が、その者が高貴な身分の人間だと物語っている。
しかし、その身体はぴくりとも動くことはなく、寝台の絹の敷布は首筋から流れた夥しき血でじわじわと赤黒く染まっていた。
寝台の傍でじっと佇んでいた男が衣擦れ音一つさせずに動いた。その手には鷹の羽。
すい、と男が手にした羽で女の亡骸に付いた傷を撫ぜる。羽の先端が赤く染まった。
「闇に生き、光に奉仕する。其は我ら也」
低く呟かれた言葉は誰にも聞かれることはなかった。そして、男は宵闇の中へ溶けるように消えていった。
一二八一年。クビライ・ハーンの第一皇太后、チャブイ・ハーンは謎の死を遂げる。その死の仔細は公にされる事は無く、病による崩御という事で処理され、その莫大な遺産は、次男チンキムの夫人が相続した。
そして同時期。日本。
海を覆い尽くすほどの大船団が、遠目からでも見えた。
あれから七年だ。島を蹂躙し、民を苦しめ、暴虐の限りを尽くした忌まわしき蒙古が、今一度攻め入ってきたのだ。
境井仁は、かつて生死を彷徨った小茂田の浜で、船団の灯りを見つめながら、怒りに手綱を握る掌を握りしめた。
「各々方、宜しいか」
厳かな、それでいて静かな怒りを滲ませた声音が響く。その後ろには、七年前の襲来を共に戦った五人の盟友達。
彼等は新たな【防人】であった。
【鏡】は六つに割れても尚、その力が失われることはなく、仁は島の方々に鏡の破片を封じる事にした。その鍵は最も信の置ける者達に託された。それが、新たな【防人】である。
「我が命に代えても、この對馬の地は踏ませはせぬ」
懐から、古き異国の刺客から託された古の遺物を取り出した。
「この一度だけだ。對馬を守るため、力を貸してもらうぞ」
仁が馬上で右手を掲げた。その手の中の、完全なる円を取り戻した【鏡】が、金色の光を放つ。
風が騒めき始める。黒雲が船団の上空に渦を巻き、怒りに荒ぶる黒い龍が、恐ろしい唸りを上げて蒙古の大船団に牙を剥いた。
補遺:一二八一年の弘安の役に起きたと言われる、大規模な台風による蒙古軍への壊滅的な損害は信憑性に欠けるものであるが、PoE#78(piece of Eden)の存在がこの記憶情報から現在の日本国■■県■■市■■(北緯■■度■■分)で確認された事により、それが現実味を帯びたものに変わったのは事実である。
早急に調査チームを派遣し、当該地域にカバーストーリーの流布による情報統制、観光客を含む一般人の立ち入り制限を行うべきと考える。
なお、サイード・イブン・ラ・アハドが殺害したチャブイ・ハーン(騎士名レオ)についてはこの記録を含め、全ての記録を抹消するものとする。
長くなりましたが、アサクリ×ツシマクロスオーバー話はこれにて終わりとなります。
お付き合いいただきありがとうございました。
この話は、後々加筆修正して本にしようかなと思っています。
重ね重ねありがとうございました。