冥人、古き異国の刺客と雪原にて邂逅す 作:片栗粉
竹林に入った所で砦からずっと走り続けていた男が唐突に止まった。散々木の上を跳び回り、雪の上を走っていた筈なのに、驚くほど呼吸に乱れがない。
仁は早鐘を打つ心の臓とふいごのように荒くなった呼吸を鎮めながら、内心舌を巻く思いであった。
(何という身のこなしだ。ついて行くのがやっとであったぞ)
男は仁に背中を向けたまま微動だにしない。
しかし見れば見るほどに変わった装束だ。
分厚く頑丈そうな白い布頭巾はどのように織っているのかすら見当もつかない。
その背に背負った弩弓は自分が知るものより大分小さい。どういう絡繰りなのであろうか。あらゆる疑問が湧き出て尽きる事がない。
業を煮やして声をかけようとすると、男が振り向いた。相変わらず頭巾が男の顔に影を落としている。男がゆっくりと右手を動かしたのを見て思わず柄頭に手をやったが、その右手は武器を手にする事は無かった。そのまま人差し指が口元に行き「シィ」と息を吐く音。静かにしろと言う事らしい。
依然考えが読めぬ異装の男の傍若ぶりに仁は少しばかり腹が立ったが、敵陣から救ってくれた恩人だと己に言い聞かせる。
さわさわと笹が風に擦れる音が二人の男の間に響く。
微かに馬の嘶きと馬蹄が雪を踏みしめるが聞こえた。男も同じようにそれに気づいたようで、二人は身を低くして音のした方を覗き込んだ。
丘の向こうから芒の原を横切るようにしてこちらへ来る鎧に身を包んだ蒙古の兵が数人。
そして、見た事もない銀色の甲冑姿の騎馬武者が一人。深い水桶を逆さまにしたような形の兜から手甲、すね当てに至るまで鈍い鋼色だ。
その上に直垂に似た白い衣を羽織り、赤い血のような赤い十字の意匠が拵えてあった。
今まで対峙してきた蒙古兵とは明らかに違う。
(何者だ……?)
隣を見れば既に男はいない。
芒の原に眼を向ければ、兵士の近くの芒が不自然に揺れていた。この数瞬であそこまで移動したのかと呆れと共に畏怖すら湧き上がる。
茂みの動きに注視しながら、自らも芒の原へ向かおうとした時であった。
「──────!」
叫び声と共に、馬の異常な鳴き声が聞こえた。声の方へ眼を向ける。
白い旋風が、兵士たちの間を通り抜けざまに赤い飛沫で雪原を彩る。まるで舞を舞っているかのように、素早く無駄がない動き。
的確に鎧の隙間を狙い、苦無のようなものを一度に数的投げて仕留めている。見事な腕前だ。
銀色の騎馬武者の側にいた蒙古兵がぐらりと傾ぎ、その背を踏み台にして騎馬武者めがけて男が跳躍した。その左手が兜の眼にあたる部分に触れた時、白と銀の塊は、共に芒の野の中に消えていった。
そして、白い幽鬼がゆらりと立ち上がった。手に何かを持っている。
大した手並みだ。助太刀など要らなかったなと男の下へ向かおうとした、その時だった。
「避けよ!」
男の後ろに、血まみれの蒙古兵が何かを投げようとしていたのが目に入った。素早く矢を番え、射る。ひょう、と芒の原を切り裂き矢が兵の喉元に突き刺さった。
ほっとしたのも束の間、男がいきなりがくりと膝をついた。慌てて声をかける。
「如何した! おい!」
男は生きていた。肩を短刀が掠ったのだろう。血が滲んでいた。だがこれしきの傷だけでこの強靭なもののふが膝をつくだろうか。
仁は素早く弓を仕舞い、男の様子を見るために声をかけた。
「触れるぞ。 おぬしを救いたいのだ」
怪我をしていないほうの肩にそっと触れてから、頭巾をゆっくりと後ろに外す。僧のような短い髪は見た事のない鳶色だ。その眼は深い翡翠色だったが、焦点が合わず、瞳孔が拓いていた。息は浅く速い。蒙古とも日ノ本の民とも違う彫りの深い顔立ちにはびっしりと汗が浮かんでいた。
「曼殊沙華の毒か……」
曼殊沙華は附子とは違い、死ぬ事はないが人を錯乱させる作用がある。だが解毒せねば命にもかかわる。
仁はピィー、と甲高い口笛を吹いた。男の脇に頭を入れて、肩に寄り掛からせる。身の丈は己より頭二つほど大きいか。完全に意識を失っていないのが救いだった。
遠くから馬蹄が近づき、ほっと息をつく。数多の死地を共にくぐり抜けた最も頼りになる友だ。
「風よ。頼むぞ」
男を乗せて自らも鞍に跨る。芦毛の乗騎は一声嘶くと、芒の雪原を一陣の風のように駆け抜けていった。