冥人、古き異国の刺客と雪原にて邂逅す 作:片栗粉
『小賢しい真似を!』
真白い煙の中でイライジャが獣のように吠えるのを尻目に、仁は思い切り前に踏み出して、地を滑るように騎士の懐に飛び込んだ。この狭い場所では太刀を抜いても振り抜けない。出口には騎士が仁王立ち。
まずは此処から出なければ、あの巨大な鉄球か鬼のような膂力の腕で頭を砕かれるだろう。仁の決断は素早かった。
巨大な鉄球が唸りを上げて頭の直ぐ上を飛んでいくのを感じながら、鎖の下を潜り抜ける。坑道の中は風が無く煙が流れづらい。それは幸いだった。
煙の中、紙一重でイライジャの一撃をかわし、仁は背後を取った。しかし、イライジャは背に分厚い盾を背負っていて斬りかかる事すら出来ない。兜の隙間を狙えば倒せるだろうが、上背の差がありすぎて、此処からは無理そうだった。
(然らば、一度離れよう)
呼吸を整え、気配を消す。煙の中でケダモノのように吼え激昂するのが聞こえていた。
『子ネズミちゃぁあああん? 今度はかくれんぼかぁあ?』
ずしり、ずしり、と鬼の足音が聞こえる。見つかれば直ぐにあの鉄球が飛んでくるだろう。好機を待たねば勝機はない。だが、手持ちの武具では心許なかった。
毒針は持っていたが、あの分厚い鎧に阻まれるのは間違いない。何か手を打たねば。
『そこかぁ!?』
恐ろしい唸り声と、何かが砕かれる音が坑道内に響き渡る。痺れを切らしたイライジャが所かまわず鉄球を振り回しているのだ。坑道の壁が砕けて穴が空く。木箱やら荷車が粉砕されてゆく。
「獣か彼奴はっ……!」
身を隠していた壁の一部が粉砕した。危うくあの恐ろしい獣に見つかる寸での所で別の壁の陰に隠れる事が出来たが、背筋に冷たい汗が流れる。あの重い鉄の球が振り回されている限り近づけない。
ぶぉん、と凄まじい音を立てて重い鉄球が振り回されている。硬い坑道の壁もものともせずにあらゆるものを破壊してゆく。
(何か、手はないか)
辺りを見回す。灯りは点けられない。眼は大分闇に慣れたが、この狭さでは太刀も振り切れぬ。
坑道の奥へ視線を向ける。いくつかの大きな樽が目に入った。
樽へ近づき、蓋を外す。ざらついた砂のようなものを指に感じた。匂いを嗅げば硫黄が混じった独特の臭気。
(これは……)
周りを見る。丁度坑道は行き止まりのようであった。遠くでは相変わらず獣の如き咆哮が聞こえる。
仁は意を決したように樽の中の砂を握りしめた。
「おい! 化け物! 俺は此処だ!」
凛とした大音声が坑道内に響き渡る。破壊音と足音がピタリと止んだ。仁がゆっくりと破壊された石壁の陰から歩み出る。
相手との距離はおよそ三間半。鉄鎖が届くか届かないかの距離。
『そこかぁ……クソネズミ野郎……』
がしゃり、と巨躯を怒らせた騎士が一歩踏み出す。じり、と同じく後ろに退がり、距離を取る。イライジャが低く下卑た笑いを漏らした。
『どうした? 恐れをなしたか? 子ネズミ。手足を潰して飼い殺してやってもいいぞ?』
舌なめずりをするような声に怒りが湧く。だがここで激情に駆られては相手の思う壺だ。奥歯を噛み締めて男を睨みつける。
『さあ、お前の悲鳴はどんな風に奏でられるのかな!』
山のような巨躯が突進してくる。巨体の割に素早い動きで内心舌打ちした。直線の突進なので避けるのは容易だったが、すぐに二撃目の鉄球が一面を薙ぎ払いに来るのを地面を這うようにして避ける。頭の上で唸りを上げて壁を破壊する鉄球。だがぞっとするような低い笑い声が背後から聞こえていたのに気づかなかった。
『甘い!』
伸びていた鎖がじゃらりと生き物のようにくるりと弧を描き、仁の首に蛇のように巻き付いた。辛うじて左手を差し込み、首の骨を折られることは防いだが、そのままぐわんと強く引き寄せられ投げられる。そのまま五間近く飛ばされ、硬い壁に叩きつけられた。
背骨が軋み、衝撃で息が止まる。
『俺のフレイルは特注でな。鎖は普通のものより五倍長く重い』
首の骨を折らなかったのは大したものだな。とイライジャが獣のような唸り声で嗤った。
背の激痛を堪えて咳をしながら身を起こす。どこも折れてはいないのは幸いだった。
じゃり、じゃり。
男がこちらへ向かってくる。仁は立ち上がり、真っ直ぐに睨み付けた。
碌な武器も武装も無い圧倒的な不利だと言うのに立ち向かってくる矮躯の異国の男にイライジャは面白そうに手を叩いた。
『いい眼をしているな。鬼ごっこはおしまいか? ネズミちゃん』
「ああ。そうだ。貴様の命もな」
『何?』
仁がイライジャの背後を指差した。そこは先程の行き止まりの坑道。しかし真っ暗で男には何も見えない。ハッと騎士が呆れた笑いを漏らしたとき、カチ、という音が響き渡った。
イライジャが異音に前を向く。あの黒い異教徒の姿はない。代わりに赤い火花が凄まじい速さで蛇のように鎧の足元を潜り抜け、坑道の奥へ続いていった。
『くそ……』
その言葉は最後まで紡がれることはなかった。代わりに、視界が灼かれるほどの光と轟音、衝撃が坑道を揺るがした。
仁は凄まじい轟音を背に必死に走った。あの量の火薬が爆発すれば間違いなく崩落は免れまい。あの樽の中の火薬を少しずつ撒いて導火線の代わりにし、巧くあの場におびき出すのは成功した。あの男が所かまわず壊しまくるものだから、横穴から逃げるのも容易だった。
「まずい!」
上から落ちてくる瓦礫や落ちている破片を避けながら走る、奔る。息がふいごの様に荒くなるが、叱咤して足を動かす。恐ろしい轟音と灼熱がうなじをちりちりと焼き焦がす。あと少し。冷たい空気を頬に感じた。
「おおお!」
無意識に声を上げながら、外へ飛び出した。熱と衝撃が背に走る。
そのまま吹っ飛ばされるようにして地に転がり、身体を横に丸め頭を低く伏せた。
ドン、と地面が揺れ、先程飛び出した坑道の入り口から火柱と煙が噴き出し、砂ぼこりと火薬の臭いが辺りに充満した。
仁は辺りに危険が無い事を確認すると、身体を起こす。心身ともに疲弊しきっていた。
「ごほ、ごほ……もう二度と坑道など入らんぞ……」
煤だらけの身体を叩きながら、仁は珍しく独りぼやいた。