冥人、古き異国の刺客と雪原にて邂逅す 作:片栗粉
仁が坑道の出入り口の前で煤だらけで咳き込んでいると、異変を聞きつけた蒙古の兵達がやにわに騒ぎ始めたようで、辺りは騒然としていた。
「ここは立ち去るが吉というものだな……」
声がこちらへ来る前に、ひらりと身を翻そうとした時。
「ヴォオオォオオオォオ!」
「なっ!?」
鼓膜を破らんばかりの鬼の咆哮が、崩れ落ちた筈の坑道から轟いた。
がしゃり、がしゃりと重々しい足音がゆっくりと此方に向かってくる。
こめかみにじわりと汗が滲んだ。
『殺ス……コろス……殺スうゥウうううう!!』
煙と砂塵と共に現れたそれは、最早人と云えるものではなかった。
鬼だ。見境なく戦い屠る戦鬼の姿であった。
銀色に輝いていた鎧は全身焼け焦げて、所々が拉げており、兜が半分割れて酷い火傷を負った顔が晒されている。
それでも動けるのが信じられなかった。
焼け爛れた赤い顔の中で、唯一白い目玉がぎょろりとこちらに向いた。
「鬼かあやつはっ!」
素早く間合いを取ろうと飛び退く。だがその足は何かに絡めとられ、もんどりうって倒れる。
じゅう、と脚に焼けるような痛みが走った。
「鎖……!」
爆風の熱で焼けたフレイルの鎖が仁の脚に絡みつき、着物ごと肌を焼く。
『殺してやル。貴様……焼き殺しテやる……」
顔を顰めながら、其れに手をかけようとして、身体が宙に浮いた。
イライジャがその怪力で鎖を操り、仁を空高く放ったのだ。
体勢を崩した仁は、そのまま地面へと叩きつけられる……筈であった。
『ナにィ!?』
鍵縄が焼け焦げた騎士の鎧に放たれる。肩当にかかった鍵縄をしかと引き寄せ、地に叩きつけられる寸前、イライジャを支点にしてぐるりと円を描くようにして、其の巨躯の肩の上へひらりと飛び乗った。鎖と縄で絡めとられた騎士は身動きが出来ず、獣のような唸り声を上げて身悶える。太刀と脇差を抜く。白刃が、夜明けの空に煌めいた。
「これで、終わりだ」
両手を交差させ、二つの刃で挟むようにして、渾身の力で振り抜いた。
ぞぶり、と肉と骨を断つ鈍い感触がしたと思ったら、大きな兜首が血をまき散らしながら地面に落ちた。
遅れて、首のない身体がどう、と重い音をたてて斃れ伏した。
その弾みで仁も地面に投げ出される。心の臓が戦太鼓の様に鳴り、息は走り切った馬の如く荒くなっていた。
「もう、蘇ってくれるなよ……」
太刀と脇差を納め、首の無い巨躯の騎士を見やると心底疲れたように呟いた。
ひと心地つけると思ったのも束の間、足元に矢が刺さる。今度こそ兵達が追いすがってくる。
一つ二つだった松明の明かりは十数に増えていて、犬の吠え声も聞こえてきた。
「くそっ……」
流石にあの化け物と戦って直ぐに、あの人数を相手に出来る気力は残ってはいない。だが、逃げようにも退路は塞がれていた。
(どうする……)
万事休すかと思われたその時、高い馬の嘶きが聞こえた。
「仁!」
遠くから、馬が二頭地を蹴立てて駆けてくる。片方は己の愛馬、そしてもう一頭には白い異国の装束姿。
「サイードか!」
駆け抜け様、サイードは馬上から小型の弩で正確に兵の首や眼を射抜いてゆく。その腕前はあの石川も舌を巻くほどかもしれない。
「乗れ!」
こちらに全力で駆け抜けてくる愛馬に息を合わせ、飛び乗る。馬腹を蹴り、全速力で鉱山から離れる。振り返れば、黒い犬共が追いかけてきていたが、諦めたのかどんどん小さくなってゆく。
「助かったぞ、サイード」
「気にするな。あのイライジャを倒したんだ。大したもんだ」
隣を駆けるサイードに眼を向けると、彼の後ろに見覚えのある姿が乗っていた。
「まさか、琵琶法師殿?」
すると後ろにいた袈裟姿の法師は、弱弱しい笑みを向けて言った。
「お、おお……境井さま。お久しゅう御座いまする。いきなり蒙古の兵に連れて行かれ、囚われていた所をこの御仁に救われました」
「囚われただと?」
法師は頷いた。サイードが手綱を繰り岩を飛び越えた為にひい!と法師がサイードに抱き着いた。
「い、急ぎ、お伝えせねばならぬ事がございます。この地に伝わる最も古き傳承を」
「古き傳承だと?」
「こ、此処では話す事もままなりませぬ。早く何処か静かな場所へお願いしまする」
二騎の乗騎は、芒の原を駆け抜けて、竹林の中へ消えていった。
――――――
泉の村の近くの隠れ家に着いて火を起こすと、ようやくひと心地着いたと三人は安堵した。
脚絆を脱いだ仁を座らせて、サイードはイライジャにやられた足の傷を診ていた。鎖の形に焼かれた火傷が痛々しい。じくじくとした痛みに、僅かに顔を歪ませた。
「酷い火傷だが、問題はない。ただ暫くかかるな」
革袋から素焼きの小さな器を出して、サイードが言った。
「それは?」
「軟膏だ。駱駝の瘤の脂と薬草を煎じたものだ。切り傷火傷何にでも効く」
「らくだ?」
「この国にはいないのか。砂漠を千里歩く馬に似た動物だ。我等の生活は駱駝無くしては成り立たん」
「ほう……」
容赦なく軟膏を傷に塗られ、顔を顰める。丁寧に布を巻いてゆき、「終わったぞ」と声がかかる。
「すまぬ。礼を言う」
「いいさ。兄弟は助け合うものだ」
「俺に兄弟はおらんぞ」
「そうじゃない」
するとずっと竈の前で二人を見つめていた法師が不思議そうに首を傾げた。
「境井さま……貴方様は異国語を話せるので……?」
「む……そうか。法師にはそう聞こえるのだな」
仁はサイードの事や何故言葉が解るのかという事や、今この対馬で何が起きているかを法師に説明した。
「成程……人ならざるもの……さながら神具ですな」
「左様。人智を越えておる。あのような物を彼奴等に渡してはならん」
法師は少しだけ考える仕草をして、琵琶を手に取った。
「これよりお話しする傳承は、秘匿中の秘。口伝でさえ限られた者しか知りませぬ」
まだこの地が神代の頃。
対馬と大陸の間の海は凄まじき大風が吹き荒れ、あらゆるものを飲み込み、船すらも通れぬものであった。
困り果てた民達は神々に供物と祈りを捧げ、とある鏡を賜ると、大風はぴたりと止んで、穏やかな海へと変わった。
しかし、その鏡は恐ろしい大風も、龍神すらも自在に操れるため、努々使い方には気をつけよと神々は申した後に消えた。
民は八人の【神具の防人】を選び、未来永劫鏡を守らせる事にした。
そして、対馬に新羅の賊船が現れた時、防人達は鏡を使った。
すると瞬く間に龍神が現れて、新羅の賊船数百を喰い散らし、消えた。
恐ろしい力を目の当たりにした防人達は、いつか来る脅威の時まで、鏡を封印する事にした。
それは八人の防人と、導き手の法師しか知らぬ雪深き頂の先に。
いつかその時が来たる時、導き手が防人に道を示すであろう。
「……その導き手が、わたくしで御座います」
静かな法師の言葉に、仁は驚きに眼を見開いた。
「そして、その防人の末裔が、境井さま。貴方に御座います」
「何だと……」
仁は茫然と法師を見た。父からは何も知らされてはいなかった。境井家に関わる文書をすべて読んでいたが、そのような事は一欠片すら書いていなかった。
「このお役目は影のお役目。決して表に出してはならぬもの。御父上も、時が来たらお教えするつもりだったかも知れませぬ」
しかし、八人の防人の末裔は戦で悉く絶え、今や境井家のみとなっていた。
「……法師、俺は、何をすべきなのだ……」
沈痛な面持ちで問う仁に、法師はべん、と琵琶を鳴らした。
「鏡をお探しなされ。悪しき者共より先に。そして防人の役目を全うするのです」
仁は後ろのサイードを振り返った。彼も深緑色の瞳で、仁を見つめた。
己が進むべき道は、既に決まっていた。