「何ニヤニヤしてますの?気持ち悪いですわよ」
ファウラと約束をした日の翌朝、着席した敬に見習い天使の冷ややかな言葉が降り注ぐ。
「パーフィル、俺の事か?」
「他に誰がいますの。口角上がりっぱなしですわ」
「まじで?自覚無かったわ」
敬はペタペタと自分の頬を触る。
さっきまで彼の頭の中にあったのは昨日の約束の事ばかりであった。どうやら自分が思っていた以上に楽しみだったらしい。
「でしょうね。何かいい事でもありましたの?珍しく気持ちがふわついてますわよ?」
「ちょっとな」
「その含みのある言い方は何ですの?まぁ、朝っぱらから辛気臭い顔を見せられるよりはよっぽどマシですわ」
そういえば、と敬が今朝の事を思い返す。
一緒に登校する伊織とソフィアの口喧嘩もあまり聞こえてなかったし、廊下を歩いてて陰口叩かれるのも全く気にならなかった。
「あれ?もしかして俺って、相当チョロい!?」
「敬くん、もしかして人類滅亡計画に進展がーー」
「ある訳ないだろ」
「あいたっ」
敬は右隣のクルルの脳天にチョップを入れる。
「おはよう変わりのチョップとはご挨拶だよ」
「お前が変な事言うからだろ?人類滅亡計画に加担する気はねぇよ」
「甘いね敬くん。アドバイスした時点で既に片棒を担いでいるよ」
そんな感じで敬がホームルーム前の談義に花を咲かせていると、
「すみません!獅子堂さんはいますか?」
教室のドアから敬を呼ぶ声がした。
振り返ってみれば、そこに居たのは昨日一悶着あった獣人のギャレオとバキだった。
「あら敬、お友達ですの?」
「違う。ちょっと訳ありでな」
「新メンバーかな?やるね、敬くん」
「お前は何でもかんでもそれに結びつけるのやめような」
敬は二人を置いてドアへと向かう。
ギャレオは頭に包帯を巻き、顔に何箇所かガーゼを貼っていた。
そして何故かバキも体をあちこち包帯巻きにされ、顔が一部腫れ上がっていた。
「朝早くに失礼します。自分、ギャレオと言います。要件は昨日の事です。目を覚ましたあと姉御とバキから話を聞きました。相手の言い分を聞かずに怒りに任せて殴りかかり、折角の昼飯を足蹴にするなんて、自分のやった事を今思い出しても恥ずかしい限りです。本当に、すんませんでした!」
「すいませんでした!」
二人はビシッと気をつけし、深々と頭を下げた。
突然の出来事に教室がざわめき始める。
「わ、わかった。わかったから頭を上げてくれ!こんな所皆に見られたら敵わねぇよ!」
「はっ!俺はまた相手の立場も考えずに!すんませんでした!」
「すいませんでした!」
「だぁぁぁぁ!二人ともちょっと来い!!!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
敬は二人を階段の踊り場に連れ出した。
「ええと?つまり俺に謝りに来た、って事でいいんだよな?」
「はい。己の未熟さを痛感し、謝らずにはいられませんでした」
「同じく、自分もっす」
「………」
獣人は遺伝子レベルで刻まれた性格として喧嘩っ早いところがある。
昨日敬が獣人に関して軽く調べてみた所、彼らは強い者こそが正義である、という価値観を持っている事が分かった。
たとえ相手が年下だろうと、一度拳を交えて負けたら敬うべき対象となり得るのだ。
それを考慮すれば敬に強気に出ていたギャレオがここまで萎縮する理由もわかる。
ただ人間の敬からすれば「変わり身早すぎだろ」と違和感を覚えてしまうのだ。
価値観の違いとは何とも面倒臭いものである。
「それはお互い様だ。俺だってナワバリと知らずに勝手に踏み込み、獣人にとってのナワバリの大切さを考えずに最初から退こうとしなかった。お互いの価値観のズレが産んだ事故みたいなもんだ」
「獅子堂さん……」
「ま、初対面の相手に対する言葉遣いは考えたほうがいいかもな」
「はい、返す言葉もありません……」
すると『キーンコーンカーンコーン』と始業のチャイムが鳴った。
「時間だ、この話はもうここまでにしよう」
「許してもらえるんですか?」
「許す許さないじゃない。喧嘩両成敗だ、いいな?」
ギャレオとバキはお互いに見合い、頷いた。
「わかりました!獅子堂さん、ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
二人は再び頭を下げ、その場から立ち去ろうとした。そんな二人を「ちょっと待って」と敬は呼び止める。
「なんでしょうか?」
「最後に。ギャレオは俺がぶっ飛ばしたけど、バキに手を出した覚えはないんだ。何で怪我してるんだ?」
「それはその、あの後姉御にーー」
「わかった、皆まで言うな」
その後、遅れて教室に戻った敬の頭上に大天使の雷が落ちたそうな。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その日の昼休み、敬はファウラとの約束通り中庭へと向かった。既に待たせていると思い中央の木の下へ向かうも周囲に人影はなかった。
「約束の場所はここの筈だよな?」
「来たか、敬」
声のした方を見れば、木の上に登ったファウラが敬を見下ろしていた。その手には白い包みが二つ握られており、香ばしい匂いが周囲に漂っている。
「気配を消すのが上手いな。気づかなかった」
「あっはは。自然に身を隠し、気配を消すのは獣人の十八番(おはこ)だ」
ケラケラと笑うファウラからは、昨日のような怯えは感じられなかった。
「ひとつ変なこと聞いていいか?」
「何だ?」
「ファウラは、俺の事が怖いか?」
「………」
ファウラは少し考え込んだ後、木の上からサッと飛び降りて敬の前に立った。そして更に近づき彼の顔をゼロ距離で覗き込む。
「ファ、ファウラ?」
「うん。やっぱりな」
数度鼻をヒクヒクさせた後、ファウラは体をゆっくりと離す。
「怖いか怖くないか、と聞かれれば怖いさ。ただ、お前が悪い奴じゃないって事は匂いでわかる」
「匂い?」
「そうだ。獣人は人間より何千倍も匂いに敏感で、五感の殆どを嗅覚が占めてるんだ。敬からは……力強くて、優しい匂いがする」
「それってどんな匂いなんだ?」
「言葉では説明できねーよ。そう感じるって、それだけだ」
そう言うファウラはと包みを一つ敬に手渡す。
「これがこの前のお詫びだ。受け取ってくれ」
敬が受け取った包みを開くと、中には分厚いカツが挟まれたサンドイッチが入っていた。
「良い匂いだな。カツサンドか?」
「御名答。特製ソースの香辛料が強めだから、人間は好みが分かれるかも知れないけどな」
「大自然郷の料理は何度か食べた事あるから多分大丈夫だ。それじゃあ遠慮なく、いただきます!」
敬はカツサンドに思い切りかぶりついた。
「!!!!!!!!!!!!!!」
「ど、どうだ?」
「………まい」
「敬?」
「うまーーーーーーーーーい!!!!」
「うおっ!どうした!?」
「どうしたもこうしたもない!めちゃくちゃ美味いぞこれ!」
「そ、そうか?」
「ああ!冷えているのにジューシーさを失わないカツと、絶妙なスパイスが良く合っている!店で出されても違和感無いレベルだ!」
「そんなにか?喜んで貰えたなら、なによりだ」
敬のあまりの勢いに気圧されたファウラは後退るも、褒められて嬉しいのか顔を赤らめて尻尾をブンブンと振っていた。
「正直毎日食べたいぐらいだ!」
「毎日!?」
「あ、いや違う。毎日作ってこいって言ってるわけじゃない。それぐらい美味いって事だ」
その後再度木の上に登ったファウラと一緒にカツサンドを食べた。
どうやら獣人は他人に食事をしている所をあまり見られたくないらしい。そのため幹に背を預けながら頭上のファウラとたわいも無い話をしていた。
「そういや、今朝バキとギャレオが直接謝りに来たんだ」
「そうなのか?」
「そうなのかって、ファウラが謝るように言ったんじゃないのかよ」
「あたしは何も言ってないぞ?でもそうか、あいつらちゃんと謝罪しに行ったんだな」
ファウラは「うんうん」と満足したように頷く。
「そうだ敬、ここのナワバリについて話しておきたい事があったんだ。あの事件の後群れで話し合ったんだが、特例として敬がナワバリに入る事を黙認する方針になった」
「え、俺ファウラの群れの一員になんの?」
「あたしが敬を気に入ったから、客人として迎え入れたいんだ」
「気にいられるような事をした覚えは全く無いんだが」
「何をしたとかじゃ無い。お前の心が気に入ったんだ。ソフィアとタメ張れる程の力を持ちながら、力に溺れずに優しい心を持っている。それは中々できる事じゃ無い」
ファウラは敬を真剣に見つめる。
「まぁとにかくだ。カツサンドを気に入ってもらえたようで良かったよ。機会があれば………また作ってこなくも無い」
「マジか!?ありがとう!」
「お、おう、そこまでか。流石に照れるな」
そうして敬はファウラと別れた。
教室に戻る道中、彼はファウラに言われた事を思い出していた。
『敬からは、力強くて、優しい匂いがする』
『力に溺れずに優しい心を持っている』
「力に溺れない、か。別に最初からそうだったわけじゃ無いさ。元を辿れば俺だって、ソフィアと何も変わらない化け物だ」