「ん、うーん」
対抗戦の翌朝、敬は自室のベッドでゆっくりと目を覚ました。カーテンの隙間から陽の光が差し込み、小鳥の囀りが聞こえる。
「あれ、今何時だ?」
寝ぼけて視界が悪いため、敬は両手をバタバタさせながら目覚まし時計を探す。
「あった。ええと……………は?」
時計の短針が『8』を指している。
敬は目をゴシゴシと擦り、再度時計を確認する。
やっぱり短針は『8』を指していた。
「遅刻だぁぁぁぁぁぁ!!!!」
敬は勢いよくベッドから跳ね起き、寝癖も直さずに制服に着替えて部屋を飛び出した。
食堂へ向かうと、すでに寮長が食器を片付けていた。
「あら?獅子堂くん、もしかして今起きたの?」
「紗月さん!朝食は!?」
「もう片付けちゃったわ。ごめんなさい」
「そんな………」
敬は膝から崩れ落ちた。
朝飯抜きが確定してしまったのだ。
「というか、朝食取る暇あるの?もう遅刻するわよ?」
「そ、そうだ!!!すみません紗月さん!行ってきます!」
「はーい、気をつけてね」
彼を見送った紗月は作業に戻り、そして一人呟いた。
「そういえば、今日は妹さんやソフィアさん達も見なかったわね。偶然かしら?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
敬は毎朝伊織とソフィア一行を連れて登校していたが、今日は敬一人。遅刻の危機である。
陸路で急ぐと周りの建物を破壊してしまうと判断し、敬は空路で登校する事にした。
能力で周囲の気流を操作して自身の体を浮かせ、校舎に向かって一直線に飛んでいく。
(なんで伊織は起こしてくれなかったんだ!?ってのは言い掛かりが過ぎるか。どんな理由があろうと寝坊した俺が悪いな)
しばらくすると登校する生徒達がちらほらと見え始める。間に合った事に安堵した敬は校舎の屋上にふわりと降り立ち、急いで教室へ向かった。席についたのはホームルームが始まる3分前だった。
「あら珍しい。遅刻ギリギリですわよ?敬」
後ろの席のパーフィルが、チョンチョンと敬の背中を指で刺す。
「おはよう。寝坊したんだ、焦ったよ」
「対抗戦が終わって気が緩んでいるのではなくて?先生の雷が落ちても知らないですわよ」
「ミリエル先生怒ったら怖いもんな。気をつけるよ」
パーフィルが言った『雷が落ちる』は比喩ではなく、ミリエルは怒ると本当に電撃を放つ。
授業中に居眠りをすれば電気を纏ったチョークが飛んでくる事もある。敬は電子運動のベクトルを操作して感電を避けられるが、まともに受ければ種族関係なく悶絶する『死なない程度』の威力になっている。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
午前の授業が終わり、昼食の時間となった。敬はいつも購買でパンを買って済ませるのだが、クルルとパーフィルと食堂へ向かい、戦利品の無料券を使う事にした。
クルルは山盛りのカレーを注文し、ここぞとばかりに頬張っていた。
「ちょっとクルル、そんなに急いで食べると喉につっかえますわよ?」
「もぐもぐ……本当に敬くん様様だよ。万年資金不足の私にはこの一皿が生命線だよ」
「お前、本当にお金なかったのな。と言うかクルルは機械帝国出身だろ?機械生命体に食事って必要なのか?」
「生命も機械も全て、活動を維持する為にエネルギーを必要とする。当たり前の事だよ、敬くん」
そう言うとクルルは再びカレーを掻き込む。
妙にはぐらかされた気がした敬だったが、これ以上は突っ込まなかった。すると、
「あ、そうそう。ちょっと気になっていたのですけど、妹さんの方は大丈夫ですの?」
突然箸を止めて敬に問いかけるパーフィル。
「妹?」
「そうですわ。対抗戦でボールに当たった後、青い顔をして外野で膝を抱えていましたわよね?」
「あ、あ〜その事か。今日は朝から一度も会ってないから分からないんだよな」
「そうですの?着弾時に爆発を起こしていましたし、どこか怪我をしているのでは?」
「伊織が怪我………ねぇ。一応連絡してみるよ。というか、なんで俺の妹って知ってるんだ?面識あったか?」
「いつも一緒に登校しているではありませんの。過去に何度か見かけていたのですわ」
「なるほど、それで覚えていたのか」
「そうですわ。ちなみに、妹さんはどんな能力を持っているんですの?Neo'sに遺伝が影響するかは知りませんけど、貴方の妹ともなればとんでもない能力だったりするのかしら?」
「そうでもないさ。伊織の能力は自然治癒能力の超強化だ。切り傷や打撲、最悪骨折してもその場で治るんだ」
「あらそうなの?じゃあ怪我の心配はないようですわね。良かったですわ」
そして昼食を済ませて一行は食堂を後にした。
敬は途中で二人と別れ、伊織に電話を掛けてみる事にしたのだが、
『お掛けになった電話は、電波の届かない場所にあるか』
「うーむ、出ないな」
二、三度掛け直しても電話に出なかった。
その後一年Cクラスに向かったが、やはり彼女の姿は無かった。仕方なくそのクラスにいた女生徒に話を聞いてみると、今日は欠席しているとの事だった。
「ちなみに休んだ理由はわかるか?」
「今日は無断欠席みたいです。ちょっと心配で………」
「そうか、わかった。引き止めて悪かったな」
(伊織が無断欠席か。あとで部屋に行ってみるか)
敬は放課後の予定を固めつつ、Aクラスに戻るのであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
【放課後】
敬は寮長に事情を伝え、同伴の元で伊織の部屋に向かうこととなった。
「すみません紗月さん。付き合ってもらっちゃって」
「いいのよ、規則なんだから。実は今朝食堂で見なかったのよね。ご飯食べてるのかしら」
「そうなんですか?何か持ってくるべきだったかな……」
「軽い間食ぐらいなら作ってあげるわよ。着いたわ」
敬が部屋のインターホンを押すと、
『はい』
少し覇気の無い伊織の声がスピーカーから聞こえてきた。
「俺だ。今日学校休んだらしいが大丈夫か?」
『おに、兄さん?もしかしてお見舞いにきたの?兄さん一人?』
「紗月さんも一緒だ」
「伊織ちゃん、中に入ってもいいかしら?」
『あ、ええーと、そうですね………』
伊織は紗月の声を聞いた途端にバツが悪そうな声を上げる。そして10秒程沈黙した後、
『紗月さん、すみません。入るのは一旦兄さんだけにしてもらえませんか?』
「構わないけど、どうして?」
『それは事情があると言いますか、とにかく少し兄さんと二人きりで話をしたら大丈夫なので』
「そう?わかったわ。それじゃあお兄さんにお任せしようかしら」
「え、いいんですか?そんなあっさり」
「確かに伊織ちゃんの事は心配だけど、兄妹(きょうだい)にしか話せない事もあるでしょう。そのかわり、話が終わったら顔ぐらいは見せてもらいますからね?」
『はい、ありがとうございます。兄さん、鍵は空いてるから、入ってきて』
紗月には一旦寮長室に戻ってもらい、敬は伊織の部屋に入る。
シンプルな1Kの間取りの廊下を抜けると、浮かない表情で伊織はベッドに腰掛けていた。
ふと側にあるテーブルに目を向けると、その上には割れた陶器のコップの破片が散乱していた。
「また制御できなくなったのか?」
「うん。昨日の対抗戦がトリガーになったみたい」
伊織はそっと立ち上がると、コップの破片を一欠片拾って軽く握り込む。その手を開くと破片はサラサラとした粉に変わってしまった。
「触っただけでコップとかフライパンをダメにしちゃうし、ジャンプするだけで床が抜けそうになるし、迂闊に動けないの。ほんっとゴリラみたい。この能力大嫌いよ」
ネオスS級第七位、獅子堂伊織。
能力名、身体活性【オーバードライブ】。
人間が本来持つ能力を生物学における理論上の限界を超えて発揮できる様になる『強化系能力者』に分類され、伊織はその頂点に君臨している。
伊織は筋力と肉体強度、そして自然治癒能力が劇的に強化されている。
拳を振れば10tトラックが回転しながら宙を舞い、対戦車ミサイルの直撃を無傷でやり過ごし、腕や足の部位欠損程度なら数秒あれば完全再生。Neo’s研究の第一人者である水瀬からの評価は『歩く重装戦車』である。
ただ伊織はこの能力を『女の子らしくない』と心底嫌っており、血の滲むような努力の末に無能力者と同レベルまで力を抑える事が出来る様になった。学園では本来の能力を隠し、自然治癒能力の強化のみを公表している。
そして稀に力を長い間抑え続けると何らかのきっかけにより暴発し、制御できなくなってしまう事がある。今回はメロウとの口喧嘩でリミッターが外れてしまったのだ。
「治るまでどれくらいかかりそうなんだ?」
「多分今が峠を越えたぐらい。明日には登校できると思う」
「そうか。着替えや風呂は自分でできるか?」
「出来るわよ!!!じ、時間をかければ。お兄ちゃんのエッチ」
「手伝うつもりはないぞ!?俺はお前の心配をしてだな!?」
「冗談よ。ありがと」
すると、何処からともなく『キュルル』と可愛らしい音が部屋に響いた。
「飯食ってないのか?」
「実は朝から食べてないの」
「やっぱりか。紗月さんが簡単な食事を作ってくれるらしいから、頼んでおくわ」
「本当!?夕食の時間過ぎちゃったから、今日はお腹空かせたまま寝るつもりだったの………」
そして数分話した後、あまり紗月を待たせる訳にはいかない敬は素早く伊織の部屋を片付け、
「紗月さんには風邪だって伝えとくよ。部屋に来たら今も少し体調が悪いって事にしといて、ベッドから出ないようにな。くれぐれも怪我させないように」
そう言って伊織の部屋を後にした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
十数分後、紗月が土鍋にお粥を盛って部屋にやってきた。
「伊織ちゃん、風邪だって聞いたわよ?体調は大丈夫?」
「はい、明日には登校できると思います。心配かけてしまってすみません」
「いいのよ。寮生の管理は私の仕事だから。お粥は好きな時に食べて頂戴?何かあったら内線で呼んでね?」
そう言い残し紗月が部屋を出たのを確認すると、お腹をすかせていた伊織は即座に机の側に移動して蓮華を手に取った。しかし、
バキッ!!!
「あ」
唯一の食事手段である蓮華は手の中で真っ二つに折れてしまった。
「最悪。どうやって食べろって言うのよ………」
そして、食事にありつこうとする伊織の長い夜が始まるのだった。