季節は既に春を過ぎ、初夏に差し掛かった。
生徒はようやく学校生活に慣れ始め、グループを作って人間関係の基盤が出来上がる頃である。
「突然ですが、今日はクラスの皆さんに紹介したい方が居ます」
一学年Cクラスの朝礼にて、女魔族の担任であるリーシャは緊張した面持ちで教壇に立っていた。
「こんな時期に転校生!?」
「先生!男ですか?女ですか?」
「カッコいい人だったらいいなぁ」
「可愛い女子だったら大歓迎だ!」
勝手極まりない憶測や願望が教室中を飛び交っていく。紹介したい人と聞いて生徒が最初に思い浮かべるのは勿論『転校生』である。
「み、皆さん落ち着いて下さい。違います、転校生ではありません。新しくこのクラスに教育実習生の方がいらっしゃいます。お待たせするわけにもいかないので、早速お入り下さい!」
教室のドアがガラリと開くと、スーツ姿の若い男が現れた。
ツヤのある紺色の短髪に碧眼、まるで人形の様に整った顔立ち。そして特筆すべきは、ソフィアとよく似た頭の角と尻尾。
物腰柔らかな印象を受けるその男が教壇に立つと、クラスの女子ーー主に女魔族から黄色い声が上がった。
「本日から教育実習生としてCクラスに赴任する事になった、メレク=アーク=ロイセスだ。短い間ではあるが、皆と楽しい時間を過ごしたいと思っている。宜しく頼む」
そう言ったメレクが微笑むと、教師であるリーシャを含めた女性陣がさらに騒ぎ出す。その後我に帰ったリーシャが「ごほん」と一息ついて話し出す。
「すみません、紹介が遅れてしまいました。魔族の生徒は知っているとは思いますが、この方は刧魔界の現魔王レイン=アーク=ロイセス様の嫡子であります、メレク王子でございます。ガイア界の視察を兼ね、この学園の教育現場を是非間近でご覧になりたいとの事で、お越しいただくこととなりました」
メレクは魔王の息子ということもあり、魔族からの知名度はソフィアと並びトップクラス。そのルックスも相まって、人類の女性の中にも顔を赤くする者がいた。対する男子生徒は『可愛い女子の転校生』と言う希望が消え去り、お通夜状態であった。
そんな中伊織は机に頬杖をつき、教室の騒ぎを他人事のように眺めていた。すると隣の席の女子が彼女に話しかける。
「ねぇねぇ伊織ちゃん!!!あの人めっちゃカッコよくない!?」
「あー、うん。カッコいいよね」
「そうだよねそうだよね!私このクラスで本当に良かったと心から思うよ!」
「そ、それは良かったね」
興奮する友達に対して、伊織は素っ気無く返答した。
(確かに顔はかなり良いと思うけど、なーんか胡散臭いんだよね。でも皆騒ぎまくってるし、そう感じるのは私だけなのかなぁ。ソフィアさん達はどうなんだろう………あれ?)
伊織がソフィアの様子を確認すると、彼女は騒ぐどころかメロウと共に気難しい表情をしていた。チコは何が起きているか分からないと言った顔でキョトンとしていた。
「賑やかなクラスですね、リーシャ先生」
「申し訳ありませんメレク様。すぐに静かにさせますので」
「構いませんよ。それと、教育実習生である私にとって先生は先輩に当たるのですから、この学園では『様』は要りません」
「ええと、流石にそれは………」
「まぁ、それは追々という事にしましょう。それと、今回の訪問にはもう一つ目的がありますから」
メレクは壇上から降り、ある生徒の席へ向かう。
刧魔界の元王女であるソフィアの元へ。
「久しぶりだね、『ソフィ』」
「………本当に来たのね」
「当たり前さ。ガイア界に来て、一番に君の顔を見たかった。私の婚約者である君のね」
メレクはそう言いながらソフィアの頬に手を伸ばす。しかし、彼女はそれを片手で払い除けた。
「気安く触らないで頂戴。それに、私は婚約なんて認めてないわよ」
「ハハハ、ソフィは素直じゃないなぁ。まぁ、それが君の可愛いところなんだけどね」
そしてメレクはその後ろの席にいるメロウに視線を移す。
「君も久しぶりだね、メロウ。二年前にアクリ家に挨拶しに行った時以来かな?」
「こちらこそご無沙汰しております、メレク様。お変わり無い様で何よりで御座います」
「相変わらず君は硬いなぁ。短い付き合いじゃ無いんだし、もう少し気楽にしてくれても良いのに」
「王子に対して失礼があってはなりませんので」
「そうかい。ついでにそこのペッ………チコも元気そうだな」
「うん、チコ、げんき」
この一連の会話を、クラス全員が大人しく聞いていた。事情を知る魔族達は少し気まずい表情で、人類や獣人等は『婚約者』というワードに驚いていた。
「そうだソフィ。今日の昼休みに時間を貰えないかな?二人きりで話したい事があるんだ」
「私はあまり貴方と話したく無いのだけど」
「そう言わないでくれ。大事な話だ」
メレクは真剣な表情でソフィアを見つめる。
「ーーはぁ、仕方ないわね。わざわざ刧魔界からガイア界まで出向いてきたのだから、話の一つぐらいは聞いてあげるわ」
「それで十分だ。ありがとう、ソフィ」
そうしてソフィアと約束を取り付けたメレクは再び壇上へ戻る。
「突然内輪話をして申し訳ない。とにかく、これから私は暫くこの学園に世話になる。教員として直接授業を行う機会は少ないだろうが、教育実習を通して、異文化交流を含め様々な事を学ばせて貰いたいと思っている。改めて、これからよろしく頼む」
クラスの皆が盛大な拍手で彼を迎える中、ソフィアは両腕を組み、伊織は頬杖をついたままだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
Cクラスにメレクが来たその日の昼休み、食堂で昼食を済ませた敬、パーフィル、クルルの三人は教室へ向かっていた。その道中、
「そういえば敬、Cクラスに教育実習生が来たという話を聞きました?」
「そうなのか?初耳だな。Cクラスって事は伊織とソフィアのクラスか。こんな時期に来る事なんてあるんだな」
「私も驚きましたわ。しかもその当人はなんと、刧魔界魔王の息子、つまりは王子という話ですわ!」
「何だと?」
その言葉に敬は歩みを止める。
刧魔界魔王の息子、それは紛れもなくソフィアの話にあったメレクの事である。
「ふふっ、流石の敬も驚きを隠せない様ですわね。更にその王子はソフィアと婚約関係にあるらしいですわ!彼女に婚約者がいたなんて、初めて聞いたときはひっくり返りそうになりましたわ」
「そうか、教育実習生として来たのか………」
「もしかしてご存知でしたの?」
「あぁ、ソフィアから少し話は聞いていた」
「そうでしたの?つまらないですわ。敬の心底驚いた顔を拝めると思っていましたのに」
そんな話をしながら再度歩き始めると、中庭の周囲に多くの人だかりができていた。
「凄い人の数ですわね、何かあったのかしら」
「人がいっぱいだね敬くん。酔いそうだよ」
「酔うかどうかは別として、尋常じゃない騒ぎだな。ちょっと見てみるか」
そうして敬が中庭に近づいたそこには、不安げな表情の見知った顔があった。
「ファウラ?」
「敬、お前も来たのか」
中庭をナワバリとする獣人グループのリーダー、ファウラであった。また、ギャレオやバキ等その他の獣人も多く集まっていた。
しかしファウラを含めた彼らは一向に中庭に入ろうとせず、険しい表情で立ちすくんでいるだけである。
「これだけの騒ぎがあったら流石にな。何かあったのか?」
「あぁ、見てみろ」
敬はファウラの指差す先に視線を移す。
「あれは………」
広い中庭の中央、大樹の近くに簡易的に丸い机と椅子が建てられていた。そこにはソフィアと、彼女に向かい合う様に座る紺色の髪の男。そして椅子に座るソフィアの後ろにはメロウとチコが立っていた。その異様な光景を中庭の外から多くの人が見守っていたのだ。
「もしかして、あの男は?」
「お前も噂で聞いてる筈だ。ソフィアの婚約者、メレクって奴だそうだ」
「あいつがそうなのか。というか、ここはファウラ達のナワバリだろ?ほっといて良いのかよ」
「良い訳あるかよ!だが、それでもあいつらに近づけねぇんだ。足が前に進まないんだ。他の皆も、同じだろうさ」
ファウラの言葉を聞いた敬が周囲を見渡していると、ギャレオとバキが敬に気づき慌てて駆け寄った。
「獅子堂さん!来てくれたんですか!」
「ヤバいっす!大変なことになってるっす!」
二人は敬に縋るように話しだす。
「そうだ!獅子堂さんなら!」
「獅子堂さん!なんとかしてくれないっすか!?」
「いや、流石に俺もあそこに飛び込むのは無理。気まずすぎる」
中庭ではソフィアと彼女の婚約者であるメレクが、何やら真剣な表情で話し合っている。その雰囲気はどう見ても談笑には程遠い。その真っ只中に単騎で突っ込んで、『お前ら、そこで何してる!』なんて言える勇気は彼に無かった。
「で、でも、このままじゃナワバリが!」
「やめないか、二人共」
敬を説得しようとするギャレオとバキを止めたのはファウラだった。
「ナワバリはナワバリを主張する者が自分達で守るものだ。ナワバリを守る理由のない敬に頼るのは筋違いだ。みっともない真似するんじゃねぇよ」
「す、すみません姉御………」
「とは言っても、それを言うあたしがビビってるんじゃ説得力が無いな。あの二人を見てると、自然と毛が逆立ってくるんだよ。別に殺気を向けられている訳でもないのに、あいつらに近づくなって、心が、体が、全力で訴えかけてきやがる」
彼女の言葉の通り、ファウラや他の獣人の尻尾の毛が逆立ち、普段の何倍ものサイズになっていた。本能でソフィア達の危険性を察知しているのだ。
「あの〜、敬?お話の途中申し訳無いですが、そろそろこの方に紹介して下さらないかしら?」
すると、突然敬の後ろからパーフィルとクルルが現れた。
「おっと、ずっと放置して悪かったな」
「なんだ、敬の友達か?」
「まぁ、そんな感じだ」
「友達なんて生優しい物じゃないよ。私達は同じ目的を背負った運命共同体だよ」
「おいクルル、余計な事を言うな。話が拗れる」
「そうですわ。敬は私のライバルであり、乗り越えなくてはならない壁なのですわ!」
「パーフィルまで………」
「お、おう、なんだか騒がしい奴らだな」
突然の運命共同体宣言、ライバル宣言に若干顔が引き攣るファウラ。
「取り敢えず紹介するよ。こっちの天使はパーフィル、そしてこっちは機械帝国出身のクルルだ」
「パーフィルとクルルか。あたしはファウラだ。見ての通り、大自然郷出身の獣人だ。にしても、天使は羽が生えているから解るが、そっちのクルルは機械帝国出身、つまりは機械って事だろ?あたしには機械に見えないけどな」
ファウラはクルルの周囲を一周し、彼女の顔をまじまじと見つめる。その様子にクルルは全く動じる事は無かった。
「私が機械であろうと無かろうと、意志を持ち、その意志を入れる器さえ有れば、定義としては生命体の範疇なんだよ。『生きる』と言う事の概念によっては左右されるけどね」
「んん?悪いな、そう言う難しい事はよくわから無いんだ。まぁいいや、二人共これから宜しくな」
ファウラは二人に手を差し出し、握手を交わす。
「こちらこそ宜しくお願いしますわ。確か貴方、対抗戦で敬と一騎討ちしてましたわよね」
「結局負けちまったけどな」
「いえ。その意気や良し、ですわ。是非見習いたいものですわね」
そうしてファウラと敬の友人(?)が親交を深めていた所に、更に近づく一人の影。
「兄さん!!!」
そこに現れたのは伊織であった。
「伊織、どうしてここに?」
「中庭で騒ぎが起きてるから、また兄さんが何かしたんじゃないかって心配になって来たのよ」
「お前、俺を何だと思ってんの?」
「………」
「そこで黙るな。頼むから」
「と、とにかく、兄さんが原因じゃないみたいで良かった」
伊織は中庭に目を向けると「あぁ、やっぱり」と納得の声を漏らした。そして敬の周りを取り囲む女生徒達に目を向ける。
「で、兄さん。この人達は?」
敬は伊織にパーフィル、クルル、そしてファウラの三人を紹介した。
「へぇ、兄さんに友達が。しかも女の子ばっっっかり。へぇ〜」
三人の紹介を聞いた伊織は目を若干細め、ニヤニヤしながら敬に詰め寄る。
「何だよ」
「なーんでもなーい」
そしてクルッと三人の方に向き直ると、ペコリと頭を下げた。
「パーフィルさん、クルルさん、ファウラさん、兄さんと仲良くしてくれてありがとう。兄さんが色々面倒をかけてしまうかもしれないけど、よろしくお願いします」
「あら、敬の妹だからどんな方かと思っていましたけど、とても誠実な方ではありませんの!気に入りましたわ、貴方とは仲良くできそうですわ!」
「敬くんの妹………新メンバーに相応しい」
「あはは、どっちかと言うとあたし達の方が迷惑掛けてんだけどなぁ」
『おい!終わったみたいだぞ!』
『やべぇこっち来る!ずらかるぞ!』
突然、何処からかそんな声が聞こえてきた。
敬が中庭に視線を移すと、話が終わったのかソフィアとメレクは席を立っていた。それと同時に中庭を取り囲んでいた野次馬が一斉に離れていく。
「どうやら終わったみたいですわね」
「そうだな。俺達も早く教室に戻ろう」
そうして敬が踵を返したその時、
「敬、貴方も見に来ていたのね」
「ゲ」
背後からソフィアの声に捕まってしまった。
ソフィアはさっきまで婚約者と話していたにも関わらず、躊躇う事なく
「『ゲ』とは何よ。失礼ね」
「お前、わざとやってんのか?」
「何のことかしら」
「協力しないって言っただろ」
「あら、『お友達』に話しかける事の何が悪いのかしら。さっきまで貴方はそこの彼女達と仲良くお話していたくせに」
ソフィアはパーフィル、クルル、ファウラの三人をチラリと見遣る。
「お前とは事情が違うんだよ。下手な誤解を産むと不味いんだ。もう一度説明が必要か?」
「まさか、私だけ友達では無いって言うのかしら。それは、とても悲しい事だわ」
ソフィアの表情が途轍もない速度で曇っていく。
それも、今にも泣き出しそうな程に。
更には教室に戻り切れていなかった野次馬達が『何だ何だ』と集まり、敬達を取り囲み始める。
「おいおい、やめろって!まるで俺が泣かせてるみたいじゃないか!」
「だって実際そうじゃない。仲間はずれは誰だって寂しいわ………」
ついにソフィアの目から涙が一雫、溢れ落ちる。
「初めて貴方と遊んだ後、お友達になった筈なのだけど、あれは嘘だったと言うのね?一人で勝手に勘違いして、勝手に舞い上がって。なんて馬鹿な女なの?私は」
「やめろ、やめろやめろ泣かないでくれ!お、おい伊織、何とか言ってくれ!」
敬は最も信頼できる肉親である伊織に助けを求めた。しかし、
「兄さん、例えソフィアさんであっても、女の子を泣かせる男ってどうかと思うよ」
「いおりぃぃぃぃ!!」
現実は非情であった。
「ぱ、パーフィル!」
「恋を司る天使にとって、女を泣かせるのは男の甲斐性に含まれませんの。とっとと仲直りしなさいな」
「クルル!」
「仲直りしたらメンバーに誘ってね、敬くん」
「ファウラ!」
「あたしはノーコメントだ」
そんな事をしている間にも、ソフィアの嗚咽が大きくなっていく。
「あぁぁぁぁ!わかった!わかったから!友達でいい!友達でいいから!!!」
「ほ、本当?」
「あぁ!だから泣き止んでくれ!頼むから!」
「貴方に………いつでも話しかけてもいいの?」
「いいから!話しかけてもいいから!」
「そう。わかったわ」
敬が友達認証したその瞬間、泣いていた筈のソフィアの声のトーンが元に戻る。
「ーーーーーおい、ソフィアさん?」
「メロウ。録音できた?」
「はい、出来ております」
メロウが胸ポケットから四角い機械を取り出し、ボタンを押す。
『あぁぁぁぁ!わかった!わかったから!友達でいい!友達でいいから!』
『ほ、本当?』
『あぁ!だから泣き止んでくれ!頼むから!』
『貴方に………いつでも話しかけてもいいの?』
『いいから!話しかけてもいいから!』
中庭にソフィアの泣き声と、敬の叫び声が木霊する。
「言質、頂いたわよ」
「お、お前、まさか」
「あと、目が乾いて仕方なかったから、使い過ぎてしまったわ。代わりにこれを捨てておいてくれない?」
ソフィアが敬に向かって何かを放り投げる。
「これは、目薬!」
「うふふ。これで何時如何なる時でも、例え誰かさんに勘違いされても、気兼ねなく貴方とお話し出来るわね。嬉しいわ」
『キーンコーンカーンコーン』
「あら、昼休みが終わってしまったわ。貴方も急いだ方がいいんじゃない?私の大事な『お友達』の獅子堂敬君」
ソフィアはそう言い残すと、メロウとチコを連れて颯爽と去っていった。
「は、ハハハハハハハ。やりやがった。あいつ、やりやがった!俺が女性経験無い事見越して、泣き落としやがったぁぁぁ!!!」
人類最強の男の弱点は、女の涙であった。