波の奏でる音楽は耳に心地よく、肌に涼やかだ。早く愛する家族の元へと帰らなければと思いながら、覇気を使えるようになってからもこの船に残ってしまっている。
その理由は、この船があまりにも暖かくて優しかったからであり、同時に多分、私が恋をしているからかな。……浮かれていられる筈もないのに。
「離れ難いわ……」
「なら、このまま残ってても良いぞ。ネムなら、誰もが大歓迎だろう」
声に出してしまっていた呟きを拾った白髭の親父様……親父様は、そう言って笑う。けれど、私が下船の意を固めているのは分かっているようで苦笑を浮かべるとひょいっと抱き上げて、寂しくなるななんて言ってくれる。
「……早く、大きくなりたいわ」
「どうした?」
「私のハジメテは親父様にって決めてるの」
「馬鹿か。壊れるぞ」
そう言ってグラララララと笑う親父様に、他の人にされそうになったら舌噛むわと言えば少しだけ案じるような色がその瞳に宿った。それは、親父様の残酷な優しさ。
言われなくても知ってるのよ。私を娘として、下手したら孫としてしか見てないんだって事くらい。
「……本当に、親父様を好きよ。家族の事が無ければ、きっと私はここから離れられない」
「ネム、どうしても話す気にならねェのか。そもそも帰らなくても、こうして金を送っていればどうにかなるんじゃねェのか」
「無理よ。それでは大切な者を喪ってしまうもの」
1歩間違えればナミだって殺されていたと言うのが、過去編を何度も見た私の感想。それに、本来なら死ぬ運命になっているベルメールさんのそれを変えるには、お金だけでは不安だもの。
ここにいれば、ジンベエさんと会う事もあるのかと思っていたけど、どうやらジンベエさんと親父様が会うようになったのはベルメールさんが死んだ後の時間軸らしいと気付けば、いつまでもこうしている事は出来ない。でも……ここで別れればきっともう、会う事はない。
それが少しではなく寂しく思えて、私はそっと親父様に抱き着くとその頬に口付ける。優しくて、強くて、暖かくて、それでいて凶悪なこの人の本質はただの、寂しがり屋だった。
近くにいれば知ってしまう。知ってしまえば、愛しくなる。
だから、離れるしかない。可愛いって思った時点で、私の負けなのよね。
「愛してるわ。だから……さようなら」
「兄貴や姉貴達には、良いのか」
「うん。私が別れ難いのは親父様だけだもの」
「んな事言ってると、泣かれるぞ」
そう言って笑ってくれた親父様に、本当に恋をしていたと言うのは多分誰にも気付かれてはいない。父親を慕う娘としてしか、誰も見てはいないだろう。
いつも軽口を叩く末娘を、皆は適当に笑ってくれていただけ。それを分かっていていつもの調子で愛を囁く私は、臆病者ね。
親父様の腕から離れて船の紐を解いていたら、親父様が静かな声で言った。それは、酷く甘い声で。
「ネム、何かあれば呼べ。何処へでも俺達白髭海賊団は駆けつける」
「……親父様?」
「ネムは、俺の大切な娘だ。忘れるな」
真剣なその眼差しから逃げたくて、でも逃げたくなくて、矛盾する心に揺さぶられながら、私は真実がお巫山戯に聞こえるように言葉を紡ぐ。嘘はついてないのよ、いつだって私は本気だもの。
でも、気付いてだって貰えないと知ってる。そして、知られたら優しいこの人は、私の想いを簡単に切り捨てると言う事も。
「嫌よ、娘なんて。……恋人とか、妻になりたいわ」
「おいおい、本気か?なら、もう少し大人になったら考えてやろう」
「私が早熟なのは知ってるでしょ。いつか、親父様を名前で呼んでみたいわね」
クスッと笑って言えば、親父様は真剣な顔で私を見て、言った。それはもしかしたら子供だからって笑い飛ばしてはいけないと、親父様が感じたからなのかも知れないけど。
「ネム……15歳になったらその手の言葉は気軽に言うなよ」
「親父様にしか言わないわ。……私、1生分の恋をしたと思ってるし、私の愛情は全て〝家族〟に向けられてるのよ。もしも叶うなら、私が皆を……愛してるって事だけ信じてくれたら嬉しい」
もう、会えないと分かっている。だから、心からの笑顔を見せて別れようと思う。
幼い子供の戯言として、幼い子供の笑顔だけ残して、私は記憶の中でだけでも生きていたいから。だから、涙は見せない。
「お世話になりました。ありがとう」
さようなら。愛するもう1つの家族。
そう思ったのに。親父様の言葉が私の動きを止める。
「ネム、年に1度は会いに来い。来なければ、迎えに行く」
「親父様……東の海から新世界までなんて気軽には移動できないの分かるでしょ!?」
「なら、ここに残れば良いじゃねェか」
「出来ないわよ!私は、皆の事も大切だけど、島に残して来た家族の為に存在してるんだから!」
思わず叫ぶように言葉を口にしていたと気付いたのは、親父様の真剣な眼差しに射抜かれたから。しまったと思った時には遅くて、その腕に捕えられてしまえば下手に動く事さえ出来ない。
抵抗すれば、力加減を少し間違えただけで親父様の本意ではなくても私の体は文字通り砕けてしまうから。そうなれば、傷付くのは親父様だと分かっていて、抵抗なんてできる筈も無い。
「ネム、お前ェ1人で何抱えてやがる」
「親父様……」
「実家に何か問題が起きると、ネムは〝知ってる〟んだな?」
「それ、は……」
言葉に詰まる私に、親父様は困ったような顔をしてから、仕方ねェなと呟いた。なんだろうと思った時、親父様が触れる程度ではあったけれど、唇にキスをして来て……。
何が起きたのか分からずにその顔を見詰めると、ニヤリと親父様は笑った。その顔が可愛いと思った時点で私に勝ち目は無い。
初めから私の負け戦。そんなのは、戦う前から分かりきってる事なのに……どうして予想を裏切って私を切り捨てないの……?
「ネムの事は、もう少し子供でいさせてやるつもりだったが……環境が子供でいる事を許さねェってんなら、俺もネムを大人として扱ってやる」
「え?」
「俺はネムを喪うつもりはねェぞ」
真剣な眼差しに、大人でも尋常じゃない体格と実力の差がある事を思えば、大人として扱うってどうするつもりなんだろうと思う。指先だけで私なんて簡単に殺せるのだから、殴るとかは無いだろうけど。
「俺を案じて病を治し、俺を慕い、家族を護るお前ェを俺は……幼いから娘として見て来た。だが、大人だってんなら、女として見てやるから……年に1度は顔見せろ。そう約束出来ねェなら、俺の部屋に閉じ込めるぞ」
「おや「ニューゲート」」
遮られた声に、言葉に、私は首を傾げる。何を言っているのか分からなくて。
「ネム、名前で呼んで見たかったんだろ?ニューゲートだ。今からはそう呼べ」
「ニューゲート、さん?」
「……今は、それでいい。それで、約束するか?」
「……えぇ、約束するわ。ただし、双子岬まで来てね」
「……そう来たか。まぁ、良いだろう。何時にする?七夕か?」
揶揄うようなその言葉に、私は小さく笑ってからニューゲートさんの誕生日にと言って笑う。そうすれば、会えたなら私からの贈り物を渡せるしと言うのもあったけど、表向きは別な言葉を……。
「私に会えるなんて、最高の誕生日プレゼントでしょ?」
「その強気な所も可愛いぜ」
「ふふ、ありがとう」
そう言って私は他の家族には黙ったまま、モビーを後にした。そうして島に、家族の元へ帰った私は、泣きながら飛び付いてきたナミやノジコに謝罪する日々が暫く続いた事だけここにお伝えしておく。
ベルメールさんには、大きくなったわねと笑って貰えたけど、ナミの成長速度が早いのか私の成長速度が遅いのか、身長まで同じになっている現実に地味に打ちのめされていたりする。ただ、そんな私とナミを見た皆は声を揃えて双子のようだと言うから、それはそれで嬉しいんだけどね。
穏やかな時は、けれども長くは続かなかった。私からの仕送りは、何かあった時の為として使わなかったらしい。
その為にベルメールさんは私の知る生活環境と、余り変わらない生活をしていたらしいと知った。それを本当の意味で理解した時には、あの悲劇の……運命の日と同じような会話が始まっていた。
「ほォらナミ出来たよ!ベルメールブランドのオートクチュール!」
「またノジコのお下がり!?」
「仕方ないじゃない。ナミのが小さいんだから!」
「私も新しい服着たい!」
「私のだって古着だよ!」
「ハイハイ、二人共待った!今度作ってあげるから。どんなのが着たいか絵を描いて。安い布買ってきたのよ」
宥める為に言葉を口にしたら2人は私を見て、少し黙った。それからノジコはネムが作るの?って嫌そうにする。
それに続くように、ナミは言う。頭に血が登りすぎて居たんだろうと分かる言葉を。
それによりベルメールさんが手を上げれば、泣きながら飛び出すナミ。それを見てノジコが涙をたたえているのを、何処か遠い所から静観しているような気持ちで眺めてしまっていた。
ベルメールさんからの言葉を受けて、ノジコは笑顔でナミを迎えに飛び出した。それの直後にベルメールさんは、お肉等を取りに動き出している。
私は、この流れを知っている。だとするならば……。
ニューゲートの元からここに帰るまでの間に、私は新聞を読めない期間があった。その間に、海峡のジンベエが王下七武海に加入したのだろう。
そうと分かれば私はこの場を離れられない。ベルメールさんを、守れるのは私だけだわ。
「……2人にはお揃いのワンピースでも作ろうかしらね」
「自分の分も作りなさいよ?」
「うーん、それなら4人でお揃いにする為にTシャツにする?」
「あ、それは良いかも知れないわね。私は食事作ってるから、ネムは服をお願いね」
「はーい」
口先でそんな事を言いながら、作ってあげられない事を私は理解していたし、覚悟していた。ベルメールさんが作っているのは、明らかにフランス料理だ。
鴨肉に蜜柑ソースを使うのは、フランス料理の王道だものね。ヤシの木が生えるような地域で、食事はフランス料理ってなんだか違和感だけど、ベルメールさんの料理は本当に美味しいので何でもいい。
「そのメニューなら、私ワイン呑みたい」
「こらネム、子供が何を言ってるのかな?」
そう言いながらもベルメールさんもシンク下にあるお酒を物色してたんだから、考えは同じだったと思うんだけどな。そう思ってベルメールさんを見たら、視線が絡んでしまい、次の瞬間どちらからともなく笑い出していた。
服を作る為の型紙が完成した時、ベルメールさんに手招かれて近付くと味見をと言われて蜜柑ソースを1口貰う。……うん、流石はベルメールさん、安定の美味しさね。
「うん、美味しい」
「……ネムって、言葉がお上品よね。美味いとか言わないし」
「ナミとの違いを演出しようかと」
「妙な事考えなくて宜しい!」
そんな事言って笑うベルメールさんを、喪うつもりなんて私には無い。ナミを連れ去られて、苦痛を味あわせるつもりも、ノジコを独りにするつもりもないのよ。
後は鴨肉が焼けてくれたらオムライスを作れば完成なんて笑うベルメールさんを見て、私はそっと武器に手を伸ばす。大勢の気配が近付いているのに気が付いたから。