長き旅路にて臨むもの   作:【風車之愚者】

2 / 92
星を落とす罪人

 □彼の罪

 

 かつて、人を殺しかけたことがある。

 

 浮気を問い詰められて逆上した父が包丁を持ち出してきたときのこと。

 母と妹を守るため、彼は間に割って入った。

 

 なまじ武道を齧っていたから、どうにかなると自分を過信していたのだろう。

 包丁を取り上げて押さえつけようとしたのだが、取っ組み合いになり。

 気がついたときには、父の腹に包丁が刺さっていた。

 

 幸いにも父は一命を取り留めた。正当防衛が認められた彼は罪に問われることもなかった。

 

 だが、家族は傷つき、バラバラになった。

 噂が噂を呼び、住んでいた街から逃げ出した。

 

 彼は自分を責めた。

 父を追い詰めたのは自分の何気ない一言だと。

 家族を壊したのは自分の過信が原因なのだと。

 これ以上傷つきたくなくて、傷つけたくなくて。

 現実から目を背けた。

 

 

 ◇

 

 

 数年経って、ようやく心の傷が癒え始めた頃。

 叔母の勧めにより、彼は<Infinite Dendrogram>をプレイし始めた。

 発売から一年遅れてのスタートだったが、だからこそというべきか、それが従来のゲームと一線を画していることは始める前から知っていた。

 

 が、大人気とはいえ所詮はゲーム。

 喋る猫からチュートリアルを受け、目的がない完全なる自由というものに少々戸惑いつつ、彼はキャラクターメイキングを済ませると……彼はひよ蒟蒻としてレジェンダリアに降り立った。

 

 結論から言うと、彼は完全に舐めていた。

 大樹アムニールが寄り添う秘境の花園、レジェンダリア。

 街に行き交う人々を見て、言葉を交わした彼は理解した。

 この世界に生きるのは自分と同じ人間だ、と。

 

 剣士ギルドの訓練でティアンと相対したとき、彼は恐怖で動けなくなり、その場で吐いてしまった。

 モンスターなら平気だったが、どうしても人間に刃を向けることはできなかった。

 

 なのに初めてフィールドに出たら人攫い、そして悪名高いPKと戦うことになり。

 無力な少女が囚われていて、彼女を助けるためには戦うしかなくて。

 誰も傷つけず、理不尽に抗う力を望んだ。

 だからだろうか、孵化した<エンブリオ>は彼におあつらえむきな(なまくら)だった。

 おかげで後々苦労する羽目になるのだが、それはさておき。

 

 このとき既に、彼は<Infinite Dendrogram>を『もう一つの世界』だと思っていた。

 

 

 ◇

 

 

 ある日、彼は<アクシデントサークル>に巻き込まれて<厳冬山脈>へと飛ばされた。

 地竜と怪鳥が争う極寒の未到地域を、下級職の彼が踏破できるはずもなく。

 地竜に襲われ、よもやこれまでとデスペナルティを覚悟したとき。

 

 彼を助けた人物こそ【征伐王(キング・オブ・オーダー)】オリビアだった。

 

 オリビアはエルフ種の血を引くティアンであり、かつてとある巨大国家に仕えた騎士だったらしい。

 かの【地竜王】事件の折、仲間と共に大軍を率いて<厳冬山脈>に攻め込んだ軍勢の生き残りで、今はこの地で隠遁生活を過ごしていた。

 もちろん、出会ってすぐにその過去を知ったわけではない。

 オリビアはかなり偏屈な老婆だった。

 彼女はずいぶん後になるまで名乗らなかったし、ひよ蒟蒻が持つ情報の多くは彼女ではなく、彼女が所持する煌玉獣からもたらされたものだ。

 

 頼る者がいないひよ蒟蒻は一晩中頼み込んで、ようやくオリビアの助力を勝ち取った。

 なし崩しに師弟関係となり、なぜか諸々の雑用を押し付けられたけれども。

 過酷な環境下でひよ蒟蒻は彼女の教えを受けた。

 下級職の身で純竜と戦うことになったり。

 怪鳥種の巣に単独で置き去りにされたり。

 模擬戦でこてんぱんにされたり。

 スパルタな修行を通してひよ蒟蒻とオリビアは互いを知り、教え導かれる良き師弟となっていった。

 

 この頃の彼は、<Infinite Dendrogram>を『いつもの日常』だと考えていた。

 

 

 ◇

 

 

 そんな日々が終わりを迎えたのは、ひよ蒟蒻がオリビアに出会ってから<Infinite Dendrogram>で二ヶ月が経った頃だった。

 

 ひよ蒟蒻はオリビアが所有する煌玉獣の片割れ、【 榛之魔術師(ヘイゼル・マジシャン)】……ヘイゼルに付いて、<厳冬山脈>の麓にある小さな人里へ買い出しに向かった。

 いつも通りに素材と食材を物々交換して、いつも通り帰路に着く。

 

「今日はたくさんおまけしてもらえたな」

『油断してはなりませんリトルマスター。タダより高いものはない、という言葉をご存知ですか?』

「何十年も取引続けてるんだから好意は素直に受け取りましょうよヘイゼルさん」

『冗談ですよ。会話の切れ味はまだまだマスターに及びませんね』

「いや無茶言うな、い……!?」

 

 そのとき、大地が揺れた。

 立て続けに地響きが起きて両手に抱えた食料品を取り落としてしまう。

 転ばないようにバランスを取りながら、ひよ蒟蒻は周囲を見渡す。

 

「……なんだよ、あれ」

 

 空を見上げれば、そこには満天の星々が瞬いていた。

 否、燃え盛るそれは天体にあらず。

 宇宙(ソラ)から飛来するは流れ星。

 かつて星だったもの、芥となった隕石なれば。

 だが……大質量の落下がもたらすエネルギーは、大地を抉ってなお余りある。

 

「流星群……? でも」

 

 当然の疑問が胸に湧く。

 自然現象で、民家を越す(・・・・・)大きさの隕石が()二百(・・)と降り注ぐものなのか?

 

『リトルマスター、こちらを』

 

 ひよ蒟蒻は手渡された望遠鏡を覗き込む。

 そして、流星が落ちる中、天空を泳ぐそれを視認した。

 星の大海より来る、岩石のような球形の胴体。

 無数に生える首と顎、その数はおよそ百。

 落ちゆく隕石より上空にて、憤怒に吼える竜を。

 

「【隕鉄竜星 アーステラー】…… <UBM>!?」

『対象の脅威度、古代伝説級最上位と推定。周囲に他の生体反応なし。今、あれを討伐しうるのは』

「師匠……!」

 

 望遠鏡の《遠視》で、ひよ蒟蒻は空に飛び上がる騎影を確認した。

 機械仕掛けの鷲頭馬(ヒポグリフ)に跨り、馬上槍を構えたオリビアが竜に向かって飛翔する。

 けれど【アーステラー】の威容はこの距離でも息が詰まるほどだ。いくらオリビアといえど単独で太刀打ちできるのだろうか。

 

『私はマスターの援護に向かいます。リトルマスターはどうなさいますか?』

 

 素早く銃器で武装したヘイゼルが問う。

 ひよ蒟蒻は迷った。

 本当ならすぐにでも頷いて走り出したいのに、胸に引っかかる何かが足を踏み出すことを躊躇わせる。

 

『無理に、とは言いませんが』

「……いえ。武器を貸してください。俺も行きます」

『かしこまりました。少々手荒になりますが、抱えさせていただきますよ』

 

 

 ◇

 

 

 撃つ、撃つ、撃つ。

 

 近接戦闘型のひよ蒟蒻は、自前の手段では空中の【アーステラー】に攻撃を当てることができない。

 ゆえにヘイゼルが生産したランチャーを肩に担いで、固定ダメージ弾を撃ち続ける。

 しかし。

 

「くそったれ、当たらない!」

『いえ、これは「届いていない」が正確かと』

 

 無数の弾丸を上空へと撃った。

 固定ダメージ弾だけではなく貫通弾や拡散弾に火炎弾、闇属性を付与した対生物弾も含めて、消費した弾はゆうに一千を超える。

 けれど、いずれも竜の体表を削ることすらできない。

 センススキルの有無による命中率、とは無関係に。

 【アーステラー】とひよ蒟蒻たちの間には不可視の壁が立ちはだかっているかのよう。

 

 <UBM>は例外なく特異の固有スキルや高い戦闘力を有する。

 【アーステラー】の特性は『固体の操作・変形』を司る三大属性の一つ、地属性。

 中でも固体操作の一部である重力……より詳細な区分をするなら、引力と斥力を自在に操るスキルを持つ。

 地上より放たれる弾丸を防いでいるのは斥力の力場を生み出す【アーステラー】の固有スキル、《白渦》。

 空間系のスキル以外で突破することはおよそ不可能な最強の盾である。

 

 さらに、降り注ぐ隕石が地上の生物を押し潰し、不毛の山々をさらに焼き尽くす。

 今もまた、隕石の影にひよ蒟蒻は足を止め、

 

「ぼけっと立ってるんじゃないよ」

 

 騎士の一槍が天降石を砕くのを見る。

 これまで、ひよ蒟蒻とヘイゼルが巻き込まれるであろう隕石のすべてをオリビアが打ち砕いていた。

 攻防の間で一息吐くように、オリビアはひよ蒟蒻たちの前に降り立つ。

 

「す、すみません」

「お前の謝罪は聞き飽きたよ。で? 何しに来たんだい。ろくに戦えもしないひよっこが」

「……それは」

 

 わかっていた。

 いつかのように、自分の力を無条件に過信できるほど子どもではなくて。

 平凡であることを知り大人になった。

 だから、ここで戦うことが間違いだと知っている。

 仮初の肉体を形作る(レベル)が足りない。

 力の低さを補う天性の技量もない。

 きっと足手纏いにしかならない。

 

 でも。

 

 村が燃えていた。

 無辜の民が泣いていた。

 いつも通りの日常を生きていた、これからも平凡な日々を過ごせるはずの人々が。

 楽しげに笑う村人たちの顔を思い浮かべる。

 彼らには彼らの幸せがあって、本来ならそれは今日壊されるはずのないもので。

 

 誰かが傷つくのはごめんだ。

 自分のような不幸を、彼らには味わってほしくない。

 だって、そんな結末は寝覚めが悪い。

 

 そして何より。

 この世界で出会った、大切な人たち。

 居心地の良い温かな場所。

 それを守りたいと願うから。

 誰かに任せるのではなく、自分自身の手で。

 

 これが迷いに迷って導き出した、優柔不断な彼の結論。

 

「俺にできることをしに来ました」

「ハッ、もしそんなものがあるとしたら、今すぐここから離れることくらいだろうね」

『おや。まんざらでもない様子ですが』

「少し黙りな」

 

 オリビアとヘイゼルは軽口を交わし合う。災害級の強敵を目の前にして平然としていられるのは、彼女たちが戦い慣れしている証拠だった。

 

「対竜種拘束用弩弓用意。ひよっこも手伝うんだよ」

『イエス、マイマスター』

「え、何をする気ですか師匠」

「そんなの『竜退治』に決まってるさね」

 

 槍を掲げた老兵は声高らかに“征伐”を謳う。

 

「今から、あのデカブツを叩き落とす(・・・・・)のさ」

 

 オリビアは宙に舞い上がり空を目指す。

 彼女を目掛けて隕石がありえない軌道で襲い掛かるが、尽くを打ち砕いて一直線に上昇していく。

 高く、高く。暴竜を越えて、その上に陣取る。

 そして、上昇の勢いを保ったまま反転した。

 高度を速度に変えたオリビアは落下による突撃(チャージ)を敢行する。

 そのままでは斥力の力場に阻まれ、木っ端微塵になるであろう。

 怒りと衝動を原動力とし、理性に欠ける【アーステラー】であっても愚行と判断する無謀な一手。

 故に、対応が遅れた。

 

「《パージ・パニッシュメント》」

 

 それこそは鎮圧特化型超級職【征伐王】の奥義。

 本来の効果はスキルレベルに比例した数の敵を磔にして身動きを封じるというもの。

 だが、その対象を絞った場合はアクティブスキルの使用を制限することができるようになる。

 

 スキルの発動と継続ができなくなったことで……【アーステラー】の身を守る斥力場は霧散する。

 無防備な胴体に捨て身の一撃が突き刺さったことで、【アーステラー】は地に堕ちた。

 

『今です』

「はい!」

 

 追撃にヒヒイロカネで編まれた鎖が弩弓から撃たれ、竜の巨体をしかと縫い止める。

 拘束から逃れようともがく【アーステラー】。もちろん長くは保たないだろうが、さしもの古代伝説級<UBM>とて神話級金属を即座に破壊できるほどのSTRは有していないようだった。

 

 仕掛け時だとオリビアは槍を繰り出し、ヘイゼルは無数の銃火器を展開して砲撃を浴びせる。

 ひよ蒟蒻もよりダメージが見込める特殊弾を装填して射撃に移り、

 

「……?」

 

 【アーステラー】と目が合った。

 憤怒と報復で塗り固められた瞳が彼を映し、賢しげな輝きを放つ。

 

 直後に起こった出来事は、まるでひよ蒟蒻の理解が追いつかないものだった。

 

 気がつけば自分は宙を舞っていて。

 同じく吹き飛ばされたヘイゼルが視界の端に。

 鎖を振り解いた【アーステラー】、それがもたげる百の首のうち、巧妙に隠されていたひときわおおきな顎門が晒されており。

 それは、オリビアの半身を喰い千切っていた。

 

「し、しょう?」

 

 ひよ蒟蒻を狙った攻撃を彼女が庇ったのだ、とわかるまでにしばらくの時間を要した。

 勝ち誇り、嘲笑う百の咆哮。

 この場で生き残っている者はオリビアの敗北と、【アーステラー】の勝利を確信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただ一人を除いて。

 

「――――《撃竜咆(ドラグカノン)》」

 

 竜の顎門に突き込まれた撃鉄式馬上槍(特典武具)の矛先から噴き出した業火が、岩石のごとき竜の甲殻を白熱させる。

 それはさながら小さな太陽。

 鱗を溶かし、肉を焼き、竜は苦悶の叫びを上げる。

 当然ながら至近距離で炎を浴びたオリビアも無事では済まない。

 血で濡れていない箇所などなく、全身に火傷を負った重傷でありながら、彼女は槍を支えにして立ち上がる。

 

「あたしの体は高いからね。まだ物足りないなら、その命貰っていくよ」

 

 およそ死に体の人間から放たれるとは思えない気迫。

 幾千の死地を潜り抜けてきた英雄の、命を賭す覚悟に押されたか。

 それとも受けたダメージが致命傷だと判断したのか。

 【アーステラー】は憎々しげにオリビアを睨みつけると、そのまま上空へと飛び去った。

 それを見届けたオリビアは地面に倒れ伏す。

 

「師匠ッ!」

 

 駆け寄ったひよ蒟蒻はオリビアを抱き起こし、ありったけのポーションを振りかける。

 けれども左の手足と臓器の約半分を失い、流血と火傷が激しい状態では焼け石に水だ。

 

「どうして俺を庇ったりしたんですか! 俺は…… <マスター>は死んでも生き返るのに!」

「バカだね。弟子を見殺しにする師匠がいるかい」

 

 返り討ちにしてやるつもりがしくじっちまったよ、と女傑は笑う。

 

「ヘイゼルさん! 回復アイテムを!」

『【快癒万能霊薬】はあります。しかしこの傷では、もう』

「何か方法はないんですか!? このままだと師匠が!」

『……残念ですが』

「そんなっ……俺の、俺のせいで」

 

 まるでいつかの焼き直し。

 今度は自分のせいで人が死ぬ。

 自分が弱いから。

 自分がでしゃばったから。

 やはり間違いだった。誤りだった。過ちだった。

 今、目の前でオリビアが倒れているのは自分が原因だ。

 

「……なさい……ごめん、なさい……!」

 

 自分が彼女を殺すのだ。

 

「ぎゃあぎゃあ泣き喚くんじゃないよ。男だろう」

 

 声は小さいけれど、いつものような喝。

 その言葉でひよ蒟蒻は我に帰る。

 

「とりあえず、やつもしばらくは悪さできないはずだが……次に出くわしたら余計なことを考えずに逃げな。他の<マスター>とやらに擦りつけてもいい、どうせ死なないんだろう?」

「そんなの、できるわけ」

「じゃあ自力で超級職にでも就くんだね。ちょうど今からひとつ席が空く。ロストジョブ扱いだろうから、他に就くやつもいない」

 

 オリビアは懐からアイテムボックスを取り出す。

 

「【征伐王】の就職条件、それとあたしの私物がまとめてある。好きに使うといい」

「……受け取れません。俺には資格がない」

「野ざらしにするよか百倍マシさ。いらなきゃ売っ払いな。もう必要のないものだ」

「ッ……ごめんなさい師匠……俺は」

 

 ぐしゃぐしゃになった顔に、弱々しい手が添えられる。

 もはや指を動かす力も残っていないのか。

 溢れる涙を拭うことさえままならない。

 

「もう謝るな。自分を責めるのもなしだ。いいかい、誰にだって大切な人が一人はいるもんだ。その人の幸せを望むことは罪か? その人のために何かをしたいと思うのは間違っているのか? ……いいや、違うね」

 

 オリビアは師として、最後の教えを弟子に授ける。

 

「誇れ、ひよ蒟蒻。誰かを守りたいと思うその気持ちは、決して、間違いなんかじゃない。それを貫けるだけの強さをこれから手に入れていけばいいだけの話さ」

 

 告げるべきことは告げたと、息を吐くオリビアから命が失われていく。

 もとより気力だけで保たせていたようなもの。

 限界が来れば生命は終わる。

 

「ヘイゼル、後のことは任せた」

『ええ。皆様によろしくとお伝えください』

 

 最後に軽く笑った、その瞳が再び開くことはなかった。

 

 

 ◇

 

 

 それから、ひよ蒟蒻は各地を巡った。

 多くの出会いがあり、戦いがあった。

 

 黒い薔薇との共闘。

 大地にありて不撓不屈の巨人を倒し、懐郷の進撃を押し留めた。

 

 存在しないはずの闘技場。

 ひとつの頂きに至った剣士を下し、果てなき決闘に終わりを告げた。

 

 吹雪に晒された廃砦。

 幾重もの防壁に護られた氷の城を攻め落とし、凍てついた魂を解放した。

 

 光の裏に影落とす街。

 理想郷を夢見た魔術師の企みを暴き、淡い幻想を打ち砕いた。

 

 見渡す限りの大草原。

 かつて英雄を背に乗せた駿馬の試練を受け、ただひたすらに地平を駆けた。

 

 闇夜を切り裂く稲妻。

 民に仇なす魔性に堕ちた義賊を介錯し、末期の祈りを聞き届けた。

 

 海洋巡る蒸気船。

 深海より射貫く尖角と衝突し、知恵と力の限りを尽くして勝利した。

 

 暗い森の奥深く。

 嫉妬深い魔女の呪いを解くため、狂気を振り撒く暗殺者に引導を渡した。

 

 ――そして再び、宇宙から竜が襲来した。

 

 

 ◇

 

 

 ひよ蒟蒻は一人、何もない砂漠に立っていた。

 透き通るような蒼穹、照りつける日差し。

 どこまでも続く地平線。

 唯一存在するのは前方、砂塵の向こう側で揺れる影だけだ。

 

【先代【征伐王】が率いる軍勢を制圧せよ】

【成功すれば、次代の【征伐王】の座を与える】

【失敗すれば、次に試練を受けられるのは一か月後である】

 

 無機質に響くアナウンス。

 それが意味するところは二つ。

 これからひよ蒟蒻が挑むのは【征伐王】の転職クエストであるということ。

 その試練を課す者は……もう二度と会えないと思っていた人物であるということ。

 瞳が潤むことは止められず、一筋の雫が頬を流れる。

 

「来たね。ひよっこ」

「ええ。お久しぶりです師匠」

 

 突風が吹き、砂塵が晴れる。

 立ち並ぶ亡国に仕えた歴戦の強者たち。

 先頭にはかつて彼らを率いた軍勢の長。

 ひよ蒟蒻の師、オリビアが白毛の馬に跨っていた。

 記憶より明らかに若々しいのは、肉体の全盛期をモデルにした再現体だからだろう。

 ただ、中身はひよ蒟蒻の知る彼女であった。

 

「どうも時間の感覚が曖昧でね、久しぶりもクソもない。だが……お前はずいぶんとマシな顔をするようになったじゃないか」

「色々ありまして。師匠のおかげでもあるんですけどね」

「なんだい、気色悪いね」

 

 歩みを進め、オリビアの前に立つ。

 

「また【アーステラー】が来ました。俺はやつを倒します」

「敵討ちのつもりかい?」

「いいえ。……いや、それもあるか。でも最初に思ったのは違う理由です。俺はもう誰も死なせたくないし、誰かが悲しむ姿を見るのは嫌だ。だから、そのために【征伐王】は貰っていきますよ」

「ハッ、簡単に言ってくれる……そういや前に来たやつもそうだったね。どこで調べたかは知らないが、あたしたちを『【地竜王】に敗れた負け犬』だとか言って。まあ、口ほどにもなかったけどね」

 

 オリビアは後方に振り返り、槍を掲げた。

 

「我らは敗北者として後世の歴史に名を刻まれた。だが、我らの戦いは恥じるべきものだったか!?」

 

『『『『『否! 否! 否!』』』』』

 

「そうだとも! いいかいお前たち! 今回の敵はあたしの弟子だ! 先達として、戦士として、格の違いを見せつけてやりなッ!」

 

『『『『『おおおおおおおおおッ!』』』』』

 

 大気を震わす鬨の声こそ開戦の狼煙。

 千を超える軍勢は波濤のごとく波打ち、一つの生き物のように動き出す。

 

「ちょっ、師匠? 煽りすぎでは」

「あの竜を倒すならこれくらいこなしてもらわないとね。覚悟しなひよっこ、【征伐王】の座は安くないんだよ」

「ああもう、やってやりますよ! 俺だって強くなったんだからこれくらい」

「ちなみに隊長格の五人はあたしと同じ超級職だからね」

「そんなのありですか!?」

 

 

 ◇

 

 

 かくして。

 【征伐王】となったひよ蒟蒻は単身、<厳冬山脈> に再来した竜に挑んだ。

 超級職、<エンブリオ>、特典武具、仲間から受けた支援、戦闘技術、それらすべてを駆使する死闘。

 結果として、彼は【アーステラー】を討伐した。

 ……相討ちという形ではあったけれど。

 大きな被害を出すこともなく、彼自身を除けば誰一人として命を落とさずに。

 多くの幸運に助けられたのは事実だ。

 それでも彼は成し遂げた。それだけの力を得た。

 

 始めたばかりの彼と、今の彼で行動にそれほど大きな違いはない。

 変わったのは精神面。

 ほんの少し迷いを晴らし、自らが犯した罪の背負い方を変えた。

 今のひよ蒟蒻にとって、<Infinite Dendrogram>は『師匠の眠る場所』であり、『贖罪のために生きる世界』だった。

 

 これからも、それはきっと変わらない。




余談というか今回の蛇足。

【征伐王】
二次オリジョブ。鎮圧特化型超級職。
言ってみれば制圧型の【殲滅王】。
HPとENDが上がり易く、次にSTRが上がり易い。
敵陣に侵攻して多数の相手を捩じ伏せることに長けた超級職で、奥義を含めた固有スキルは三つのみ。
転職クエストは先代【征伐王】が率いる軍勢の制圧。
某征服王の「王の軍勢」のイメージで、先代と結びつきの深い人物が再現体として呼び出される。

(U・ω・U)<オリビアが前の挑戦者について言及したとき、ひよ蒟蒻は結構動揺してた

(U・ω・U)<「え、他にも転職条件を満たしてる人がいるの?」みたいな感じで

(Є・◇・)<そりゃビックリしますって

(U・ω・U)<ちなみにその人は老齢のティアンで今後登場はしないはず


オリビア
先代【征伐王】。
長命種であるエルフの血を引く。
かつて【地竜王】事件の折に滅亡した国家に仕えていた。
彼女も含めた超級職六人は兵を率いて侵攻、【竜王】率いる地竜種の万を超える軍勢の前に壊滅した。
一人だけ生き残ったオリビアは<厳冬山脈>で隠遁生活を送っていた。


【隕鉄竜星 アーステラー】
種族:ドラゴン
主な能力:引力操作・斥力操作
最終到達レベル:71
討伐MVP:【征伐王】ひよ蒟蒻
発生:認定型
備考:古代伝説級<UBM>。宇宙を回遊する百頭竜。外見は隕石に触手のような首がいくつも生えている感じ。執念深く、一度敵と認識した相手は必ず追い詰める。
五百年前に不可侵領域でとある<UBM>と衝突し、それを追って地上までやって来た。その時は当時の【剣王】に撃退され、<Infinite Dendrogram>のサービス開始までずっと傷を癒していた。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。