長き旅路にて臨むもの   作:【風車之愚者】

46 / 110
幕間

 □■ 地球・オランダ

 

 唐突な視界の暗転、そして断絶。

 半ば無理やりに意識を引き戻された少女はベッドの上で目を覚ました。

 

「ここ、は」

 

 白で統一された清潔感あふれる部屋。

 薬品と消毒液の匂いが鼻につく。

 一切の穢れを持ち込ませない、しかし拭いようがないほどに死の気配と隣り合わせの場所。

 少女はまとう病衣を見下ろして状況を把握する。

 

 ヘッドギア型のハードは探すとすぐに見つかった。

 横になった少女の手が届かない位置で、一人の看護師が腕に抱えている。

 他に白衣を着た医師が数人、ベッドの横に備え付けられた機器の数値と少女を交互に見て何かを話している。

 

「……そういうこと」

 

 少女は自らの胸部をなぞる。

 正確には体内のバイタルサイン計測用マイクロチップを、不本意に埋められた拘束具を。

 憎々しげに歯軋りした少女は彼らを睨みつけた。

 

「それを返して」

 

 少女が険しい声を上げた途端、機器に表示された数値が跳ね上がって警告音を立てる。

 医師の制止や看護師の宥めには耳を貸さず、点滴の管を引き抜いて、少女はベッドから立ち上がる。

 

「私が死んで困るのはあなたたちでしょう。お父様に顔向けができないものね」

 

 よろめいた少女を看護師は支えようとする。

 が、しかし。少女はその手を振り払う。

 

「ご苦労なことだわ。どうせ治せもしないくせに、私の希望より……お父様の、指示を聞いて……生かし続けて……」

 

 声は震え、息切れと発汗、目眩に襲われながらも少女はハードを奪い返す。

 ハード側面のディスプレイに再ログイン可能までの時間は表示されていない。

 つまりデスペナルティになったわけではなく、少女はすぐにでもログインできるということだ。

 

 以前から何度か似たやり取りはあった。

 少女がデスペナルティになって現実世界に戻った瞬間、興奮からバイタルが危険域に届いたとき。

 診察のために看護師が無理やりハードを外したとき。

 その度に少女は反抗したが、一時は聞き入れられても、永続的に改善することはなかった。

 

 だが、プレイ中のバイタル変化で強制切断をされたのは初めてだった。

 現実の肉体に影響が出た理由は少女の知ったことではないが、原因は分かっている。

 

(早く、向こうに戻らないと……!)

 

 正攻法での論破は不可能だ。

 彼らは生死の境を彷徨い苦しむ少女の懇願も聞き入れない、父親の操り人形である。

 彼らに対して少女が切れるカードは一枚。

 

「次にハードを外したら今度は舌を噛み切る。いい? 分かったら出ていって」

 

 少女の剣幕に押されて医師たちは退出する。

 もっとも、彼らはこれ以上少女を興奮させないために引いただけ。少女も分かっているが、ひとまず邪魔が入らなければそれでいい。

 

 少女はそのままハードを被ろうとして、はたとその動きを止めた。

 困惑と苛立ちが収まり、思考に冷静さが戻ったことで直前の出来事が鮮明に思い起こされる。

 

 振り払われた手。拒絶の言葉。罪悪感に歪む表情。

 これまでと同じ、何度も繰り返された見限り。

 付き合ってられないと迷惑そうに、ふざけるなと怒りを込めて、そして理解ができないと恐れをなして。

 

 分かっていた。

 恋知らぬ乙女のように、ただ心地よい夢に沈んでいられるほど子どもではなくて。

 無慈悲な現実を知り悲嘆に暮れた。

 だから、自分が壊れた破綻者であることは知っている。

 誰も自分を理解してはくれない。

 誰も自分に寄り添ってはくれない。

 きっと、本当の意味で自分を思ってくれる人などいやしないのだと。

 

 でも。

 

 心中を迫っても殺してくれない人。

 絶体絶命の窮地に立っても死を厭う人。

 どれだけ縋っても首を縦に振らない人。

 

 彼と初めて会ったときのことを思い出す。

 彼には忘れてしまったと答えたが、あの日のことは忘れようはずもない。

 

 ティアンの盗賊を返り討ちにした少女を見た彼は……鬼の形相で剣を取った。

 侯爵家の孫娘を誘拐した人攫いの一味。

 彼にとっても敵であり、紛うことなき生粋の悪人。

 人だって何人も殺害しているだろう。捕まれば死罪か、牢獄で一生を終えることになる。

 だが、彼は盗賊を庇った。

 

『目の前で人が死ぬ光景を見たくない』

 

 おかしな人、そう思った。

 罪を償わせるために、あるいは私刑ではなく法の裁きを受けるべきだというのなら納得できる。

 生粋の最善論者が争いは無意味だと叫ぶのも、くだらないと感じるけれど理解はする。

 

 けれど彼は本当に単純に、自分の目が届く場所で人が死ぬことを嫌がっているだけのように見えた。

 真剣を突きつけて少女を止めようと……場合によっては少女を殺すことも視野に入れていたのだろうか?

 おそらく違うだろうけれど。

 

 彼は善人でありながら/少女と同じく

 折れた針金のように/根っこの部分が歪んでいて

 

 彼は「普通」ではなかった。

 当時、彼のレベルは一桁。

 少女とは天と地ほどかけ離れた差があり、彼に勝算は皆無だった。

 しかし、彼は孵化した<エンブリオ>で少女に膝をつかせるという戦果を勝ち取った。

 

 彼は「普通」だった。

 誰も死なず、解放した人質に感謝される彼は賞賛に戸惑う只人だった。

 少女に対して嫌悪と罪悪感と親切が入り混じった言葉を投げかける、人の良い青年だった。

 

 少女は彼に興味を抱いた。

 何度か言葉を交わし、剣を交え、あるいは共に戦ううちに……これまで出会った人間とはどこか異なることに気がついた。

 「普通」は数回少女と接すると相手は離れていく。そうでなくても最低限の関わりしか持たないようにする。

 

 だが、彼は違った。

 何度彼女と接しても、会話しても、触れても、少女が死を語れば必ず目の前に現れた。

 

 だから勘違いをしてしまいそうになるのだ。

 彼なら自分を理解してくれるのではないかと思った。

 そばにいてくれるのなら、どれだけ素晴らしいことだろうかと夢を見た。

 

 胸の高鳴りに気づいたとき、少女は自分で自分のことが分からなくなっていた。

 まるで自分が「普通」の少女になってしまったかのように世界の色彩は変化した。

 日に日に思いは募り積もる。

 どうしようもない感情の奔流に振り回される毎日。

 

『あの人に(あい)してもらえるなら、それ以外の全てを投げ打っても構わない』

 

 この感情は何なのか。

 困惑する少女は、どうやらこれは「普通」の人が言うところの恋なのではないかと考えた。

 

 だからデートをした。

 参考にした数多の創作物のような、好意を持った二人が互いを知るための営みで……この感情が恋である(・・・・・・・・・)ことを証明できると思ったから。

 

 でも、困惑しながらも彼が付き合ってくれたのは、彼の優しさによるものに過ぎなかった。

 人の生死を口にすれば彼は断れない。

 根が善人であるがゆえに、デートが始まってからの彼は今日を無事に終わらせようと四苦八苦していた。

 そうした気合いはほとんどが空回りしていたし、まったくもって的外れな部分ばかりだったけれど。

 彼の気遣い自体は気分の悪いものではない。

 むしろ少女を満足させるものだった。

 

 ただそれは、決して恋ではない(・・・・・・・・)

 

 致命的だったのはパルフェの言葉。

 

『ステラちゃんからお花ですー。見てください、きれいな赤い薔薇の花ですねー』

 

 それを聞いた少女は――何も感じなかった。

 

 「普通」なら、少女が彼に恋をしているのなら、彼に異性の影が見えた時点で嫉妬が湧き上がるはずなのだ。

 彼が異性について語るのを聞けば、胸が締め付けられるような痛みを感じ、心がざわつくはずなのだ。

 彼が異性との関係を否定する言葉に、安堵を覚えてしかるべきなのだ。

 よりにもよって自分が一番好きな花を彼に贈る泥棒猫に怒りを感じるべきなのだ。

 それがないということは……少女の胸に占めるこの感情は恋とは異なるのではないか。

 

(恋ではないなら、何?)

 

 愛? 違う。

 少女にとっての愛とは死を齎すもの、死を与えてくれる者に抱く感情である。

 彼はむしろ対極に位置する存在だ。

 だからこそ、殺してくれないことにやきもきする。彼の剣が身を穿ち、鮮血と共に命がこぼれ落ちていく甘美な瞬間を待ち遠しく思う。

 

(わからないけれど……私にはこれしかない。あの人に見捨てられてしまったら、私にはもう何も残らない)

 

 これほど少女の心を熱く狂わせる相手は二人といない。

 もう他の相手では十分に満たされない。

 彼が運命の相手ではないなんて認めない。

 そう自分に言い聞かせる。

 

 ゆえに少女は仮面をかぶる。

 揺れる心を隠すように。

 “無理心中”の狂気を騙る(ロールプレイを)

 

 他のもっと冴えたやり方を、少女は知らないから。

 

 

 ◇◆

 

 

 少女はR・I・P(リップ)として再び<Infinite Dendrogram>に降り立った。

 ログイン地点は直前までいた洋菓子店だ。

 しかしと言うべきか、やはりと言うべきか……店内に彼女が求める者の姿は見当たらない。

 厨房を行き来する店主パルフェと、現れたリップに視線を向けた店員カクタスのほか、人の姿はなかった。

 

『ひよ蒟蒻くんをお探しかい? 彼は行ってしまったよ。盛大に君を振ってね』

 

 ノイズ混じりの嘲笑。それもリップにだけ聞こえるように音量を抑えたもの。

 ちょうど向かい合わせの椅子に座るモノの揶揄に、彼女は眉を顰める。

 

 それは冒険者ギルドの女職員だった。

 しかし聞こえる声は男性のもの。

 少し観察すれば口元や表情が動いておらず、それどころか、まるで人形のように全身が微動だにしないことに違和感を覚えるだろう。

 

『まあ座りたまえよお嬢さん。ああ、こうした方が分かりやすいかな?』

 

 軽快な口調からわずかに遅れて、職員は偽装のアクセサリーを外す代わりに半透明のバイザーを装備する。

 同時にリップは《看破》で【機械人形・諜報兵型-44910】という製造番号(・・・・)を確認した。

 

「《分身人形(エイリアス)》……あなたですのね、グリオマンP」

『はあい。だーいせいかーい』

 

 人形に内蔵した通信機器から拍手が響く。

 

『いやはや楽しく観させてもらったよ。ひよ蒟蒻くんに置いていかれたときの君、捨てられた子犬みたいな表情だったからねえ! ねえ今どんな気持ち?』

「答える必要がありまして?」

『おいおいそりゃないぜ! 今日のセッティングをしたのはこの僕だってこと忘れてない?』

 

 グリオマンPは大げさに嘆いて人形に指を立てさせる。

 

『彼にメールを送って、待ち合わせ場所にちょびっとトラブルを配置。ここまでは君の注文通りだけど。少し物足りないと思ってねえ』

「ゴブリンはあなたの仕業でしたか」

『Nein、今回は僕も無関係だとも。起こると知ってはいたけどね』

「では、どうして教えてくださらなかったのです?」

『だって聞かれなかったし』

 

 そっちの落ち度だから僕は悪くないよ? と暗に述べるグリオマンPに合わせて人形は直角に首を傾げる。

 相手の神経を逆撫でする口調は意図的なもの。挑発に乗ってなるものかとリップはあえて無反応を決め込む。

 

『……なんか落ち着いてるねえ。憂さ晴らしにキルされてもおかしくないと思ってたけど』

 

 通信機の向こうで思考するグリオマンP。手持ち無沙汰になった人形はテーブルに並ぶ大量の洋菓子を次々とアイテムボックスに収納している。

 

 それを尻目にリップは横を通り過ぎる。

 店を出て向かうは外。目的はひとつだ。

 

『置いていくなんてひどいじゃないか』

「ついて来ないでもらえますか」

 

 後ろの人形には見向きもせず、リップは西門を目指す。

 ゴブリンに襲われているのは街の東側。だからあえて反対の方角を選んだ。

 そのため通りにゴブリンの姿はなく、避難する人々と彼らを誘導する騎士団が立っていた。

 

 リップは人の列に沿って身を任せる。

 けれど、侯爵邸の目の前まで来たところでその流れは堰き止められた。

 

『おやおや、前が詰まってるね。いったい何事……あー、こりゃダメだ』

 

 侯爵邸の門前には一匹の鬼が陣取っていた。

 頭上に【マサクゥル・ウォー・オーガ】と冠するその鬼は逃げてきた人々を屋敷諸共に轢き潰そうと暴れている。

 戦鬼を食い止めようと数名が奮戦しているが、側から見ても決定打に欠けていた。

 足元には戦鬼に挑んで敗れた<マスター>のドロップアイテムが散らばっている。

 

 それは小鬼の皇帝の謀だった。

 一箇所に避難したところをまとめて潰す。

 何人たりとも逃がさないという意思表示。

 ティアンが襲われていないのは戦鬼が戦闘中であり、騎士団が盾になっているからでしかない。

 プリコットの住民、その悉くを殺す悪鬼として【マサクゥル・ウォー・オーガ】は君臨する。

 

『戦力的に倒すだけなら可能なんだろうけど。その場合は被害が出るだろうねえ。その辺の人たちとか、お屋敷の中にいる人たちとか』

 

 前には鏖殺の鬼。後ろには小鬼の大軍。

 どちらにせよティアンにとっては死と同義だ。

 

『まあ君には関係ない話……あれ、どこ行った』

 

 グリオマンPが意識を逸らした一瞬に、リップは人形を置いて歩を進めていた。

 立ち止まる人の壁を押しのけて戦鬼の前に立つ。

 

 戦鬼からしてみれば、無防備に進み出たリップは考えなしの間抜けか、己を犠牲にしてわずかでも隙を作ろうとする蛮勇の生贄にしか見えない。

 どちらにせよ戦鬼には関係のないこと。

 

 戦鬼は唸り声すら発さずに剛腕を振り下ろした。

 ……そして。

 

「――《■■■■■■■■■■■(カローン)》」

 

 あっけなく事切れた。

 

 女を一人押し潰したという事実を認識して間もなく。

 何が起きたのかを理解しないまま。

 戦鬼は物言わぬ骸と化した。

 

「嗚呼、やはり物足りませんわ」

 

 血溜まりにはリップが一人。

 鬼の遺骸を軽く弄ぶと、彼女は再び西を目指す。

 立ち去る彼女に声を掛ける人はいない。

 あまりにも唐突に、それでいて強烈な光景に唖然としていたからだ。

 

 逆に、その光景を見慣れている『人ではないもの』は平然とリップの後に続く。

 

『らしくないねえ。そういうのは君じゃなくて彼のお家芸だろうに。それともあれかい、しおらしくも彼のことを理解しようとしたのかな?』

「違いますわ。だって、あれでは通れないでしょう」

 

 道を塞ぐ障害物と同じことだ。

 単純に邪魔だったから片付けた。

 迂回するよりも倒す方が手っ取り早いというだけの話。

 

「わたくしの邪魔をするなら容赦は致しません」

 

 主に人形、そしてグリオマンPに向けられた言葉は鬼気迫るものであり。

 

(これ完全に吹っ切れてるやーつ。ひよ蒟蒻くん、今日という今日は年貢の納め時かもしれないね)

 

 この時点でグリオマンPが今回の件から手を引くことを決めるほどだった。

 

『で、何する気だい? 邪魔しないから教えておくれ』

「簡単なことですわ。あの人が事件を見過ごせないというのなら、わたくしが事件を起こせばよいのです」

 

 最初からこうすれば良かった。

 きっと、いつものように彼は現れる。

 必ずリップの元に来てくれるから。

 

 悪いのは先に約束を破った彼の方だ。

 もとより躊躇いはないけれど、今日は特別な日。

 できるなら「普通」の夢を見ていたかったという気持ちは少しある。

 けれど、彼が目の前からいなくなってしまうくらいなら「普通」なんて投げ捨てよう。

 

「《アウェイキング・アンデッド》」

 

 

 ◇◆

 

 

 地平の彼方に陽が沈む。

 夕焼けの紅が尾を引く黄昏時。

 しからば夜がやって来る。

 

 人よ眠れ。生者は静まれ。

 此れよりは人でないものが蔓延ろう。

 

 死したるものが闊歩する。

 忘れ去られたものが牙を剥く。

 

 其は醜悪なる悪鬼。

 

 其は朽ち果てた屍。

 

 其は物言わぬ骸。

 

 其は怨念纏いし霊魂。

 

 地の底より蘇る亡者たち。

 彼らは主人の号令にて集う。

 それはさながら死者の行進(デス・パレード)

 

 死霊の先触れに恐れをなして。

 腐肉と白骨から目を逸らして。

 震え惑えよ生者ども。

 

 不死の軍勢、此処にあり。

 

 彼らを率いる者の名は――【屍将軍】R・I・P。

 

To be continued

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。