長き旅路にて臨むもの 作:【風車之愚者】
□■2044年12月 黄河帝国・龍都
「あれは何だ?」
闘技場に現れた
開催直前のレース競技に飛び込みで参加した挑戦者。
通路から姿を見せたソレは悠々と歩みを進める。
他の参加者が既にスタートラインについている中、意にも介さず、ゆっくりとコースを一周する。
それはまるで己を観衆に知らしめるようであり。
私を見ろ、とソレは高らかに胸を張る。
「馬……? いや、だが」
核心を持てない一人の呟き。
ざわめきが客席に伝播する。
分からない。目の前に立つソレがどのような存在であるのか、理解が及ばない。
なぜなら、ソレはレース競技の根底を揺るがすものであったからだ。
ソレは一匹(?)だった。
ソレは二足歩行をしていた。
ソレはどこからどう見ても……馬のかぶりものをした、ただの
騎乗用のテイムモンスターは連れておらず、スタートラインに立った今も騎獣を出す気配がない。
他の参加者が従えるモンスターと並び、念入りに柔軟体操をしている。
「まさか……自分が走るつもりなのか」
「馬鹿言え。そんなの反則だろう」
「人馬種ならありでは」
「冗談を。あれの足が四本に見えますか? もしそうならば、医師にかかることをお勧めしますよ」
皆が口々に騒ぎ立てる中、ソレは顔を上げると、ぐるりと観客席を一望した。
マイク代わりのアクセサリーを装備して、ソレは会場全体に語りかける。
『皆さん、はじめまして』
ソレは流暢に人の言葉を話す。
『恐らく、あなた方は驚かれていると思います。私は何者なのか。なぜ一人で、モンスターにも乗らないのか。ふざけているのか、と……今はあえて何も言いません』
ふるふると首を振り、握りしめた拳を胸に。
『まずは私の走りを見てください。そして、この名前を覚えてくれると嬉しい』
四面楚歌の舞台に臆することなく、ソレは高らかに名乗りを上げた。
『――クラウンシーク。全てのレースで頂点に立つ馬の名前です』
◇◆
時を遡ること暫し。
「な、な……なんですとーーー!?」
黄河帝国が都、龍都に建つ闘技場の受付で、一人の女性が膝から崩れ落ちた。
レベルカンスト帯のダンジョンから産出される装備を身につけており、それなりに腕が立つことは窺える。
一風変わった特徴として、彼女の頭頂部には哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属の家畜動物を思わせる獣耳、臀部には尻尾が生えており、今はどちらも力なく垂れていた。
「受付嬢さん、レースに出られないとはどうしてですか! 納得のいく説明をお願いします!」
「そう申されましても……本日のレース競技はモンスターや煌玉馬などに騎乗することが前提でして。参加者一人で走るというのは、ジョブの力量差もありますから、競技全体のバランスが崩れてしまいかねないのです」
「ぐうの音もでない正論。そりゃそうでしょうとも」
くっ、と悔しそうに歯軋りをする女性。
ちなみに、かれこれ三十分は問答を繰り広げている。
受付嬢は「この人、いい加減諦めてくれないだろうか」と笑顔の裏で困り果てていた。
女性が出走を希望するレース競技は、闘技場で開催される種目の一種だ。
グランバロアを除く七大国家の闘技場には『内部でのダメージ等をなかったことにする』結界施設が存在する。
これを用いた決闘が盛んに行われている国として、決闘都市ギデオンを有するアルター王国や、【龍帝】が決闘ランキング一位の座に君臨する黄河帝国がある(ちなみに天地は野良試合を好む修羅ばかりのため例外とする)。
特に、黄河帝国では皇族たる【龍帝】が民草に慕われており、決闘を観戦する者は他国と比較しても多い。
“龍”を崇める黄河のティアンにとって、決闘は【龍帝】を目にすることのできる数少ない機会である。ある種の儀礼的な側面を併せ持っていると言えるかもしれない。
また、多くの<マスター>にとって、【龍帝】は運営が設定した最強クラスのエンドコンテンツという認識だ。いつか攻略してやろうと考える挑戦者は後を絶たない。例えば決闘一位の栄光をオーナーに捧げようとする姫サークランのメンバーなんかもいるだろう。そうでなくとも、強者の戦闘は観戦するだけで胸が躍るものだ。
そのおまけと言っては身も蓋もないが、他のランカー同士の決闘や、一対一の決闘以外の競技も、人々は娯楽として楽しむ傾向にある。
中でもレース競技はメジャーな種目だ。
肥沃な大地が広がる黄河には、強靭なモンスターが数多く生息している。
他国では珍しい亜竜級以上の馬系モンスターを育成する騎馬民族が暮らしていたりと、土壌は整っており。
参加者が騎乗するオーソドックスなレースや、モンスター単体を競わせる脚比べなど、賭博兼遊興として日夜執り行われているのだ。
ただし、どのレース競技も人間が一人で走ることは想定されていない。
AGI系のジョブを極めれば亜音速をゆうに超える世界。超級職になれば超音速に至る。テイムモンスターとのパワーバランスを図るためにも区別は必須である。
……そもそも、それはもう徒競走であるからして。
「くうっ! デビュー戦を鮮烈に飾ろうと、レベル上げしかしてこなかったのが裏目に出ましたか。事前にリサーチをしておけば……」
どちらにせよ無理なものは無理だろう、受付嬢はそう思ったが口には出さない。
「レース競技がご希望でしたら、従魔をご用意されてはいかがでしょう?」
「それは……駄目です。それだと意味がない」
一転して、女性は真剣な表情を浮かべる。
「私には夢がある。例えゲームの中に過ぎないとしても。この世界で、この名前を天下に轟かすという夢が」
思い出すのは苦い現実。
かつて、一体となってターフを駆けた駿馬がいた。
あの美しい鹿毛の牡馬はもういない。
女性は胸に手をやり、決意を漲らせる。
「だから他の馬には乗れない。最強の称号を、あの子に捧げるために掴むんだ」
「――素晴らしい」
乾いた拍手の音が響いた。
「強い信念、熱い思い。不合理と理解していながら、それでも茨の道を突き進む覚悟。そして不可能と断じられてなお退かない気迫を持ち合わせている」
受付のそばに中背の男性が立っていた。土埃で汚れたビジネススーツを着ており、全体的にくたびれた印象は拭えない。左手には“笛吹き”の紋章が刻まれている。
「なにより、世界にその名を轟かす……いい夢だ。年甲斐もなく感動した。ぜひ協力させてほしい」
男性は興奮しているのか、やや早口で言葉を紡いだ。勢いに任せて女性の手を取り、しかと握りしめる。
呆気に取られた女性はしばらく固まっていた。
その様子に気づかず、男性は躊躇いなく距離を詰めて《看破》を使用する。
「俺は
「はあ……ええと、どうと言われましても」
「そうだな。ひねらずにシークが良さそうだ。やっぱりシンプルイズベスト。単純な方が記憶にも残る。それに声に出して呼びやすい」
藤原は会話を自己完結させて、受付嬢に話しかける。
「次のレースには棄権者がいたはずだ。その空き枠に彼女を登録してください」
「は、はい? しかし」
「大丈夫。問題があるようなら出走枠、いや、レースごと買取りましょう。これで足りますか」
「っ……かしこまりました。すぐに手配します」
その際に藤原が提示した金額を見て、受付嬢は顔色を変えた。
今までの時間は何だったのかと思うほどあっさりと、クラウンシークの出走登録が完了する。
「十分後にレースが始まります。選手の方は控室でお待ちください」
「ありがとうございます。では行こうかシーク」
付き添いの藤原と共に控室に案内され。
注意事項等の説明を受けて。
あれよあれよという間に、クラウンシークはレースの準備を整えた。
控室はそれなりの広さがあった。
選手一人一人に個室が与えられるのだろう。
直前に、テイムモンスターのコンディションを確認する者がいるからかもしれない。
とはいえ、無名の飛び込み選手に割り振られる部屋にしては内装が豪華である。
(流石は黄河帝国。豊かな国力を見せつけてくる)
「いえ。そうではなくて」
クラウンシークは正気を取り戻した。
「藤原さん……あなたは魔法使いですか? そして、なぜ一緒に控室まで?」
「今、俺は君の後見人みたいな扱いだからな。コネで出走するのは嫌だったか」
「正直に言って不服ではあるのですが、やはり仕方ないと考える自分がいて、感謝の気持ちはあってですね」
口ごもるクラウンシークを見て、藤原は苦笑した。
「それでいい。特別扱いに慣れたらいけない。でも、本当にやりたいことを通すにはコネでも何でも、使えるものを使った方がいいときもある」
「ですが、私たちは初対面です。ここまでしてもらう義理はありません……その、本当にありがたいですよ? ただ、なぜだろうと考えてしまうのです」
現実世界で例えるなら、道端で知らない人に数十万円の札束を手渡された感覚である。
これを無償の善意と考えるほどクラウンシークは子供ではない。僅かに恐怖と疑念を感じて問いかける。
藤原は少し考えて、訥々と答えた。
「なぜ、か。そうだな……さっきも言ったけど、シークの言葉に感動したんだ」
「はあ。感動ですか」
「普通なら、ゲームの中で何をしても『所詮はゲームだろ』って言われると思う。成功を自慢したら、馬鹿にされて、笑われる」
漠然とした思いをかき集めて、組み合わせて、ようやく形になったような言葉だった。
「でも君は言っただろう。“この世界で、名前を天下に轟かす”……それを聞いてね、嬉しかったんだよ。ああ、俺と同じことを考えている人間がいるんだなって」
「藤原さんも、何かをなさるのですか? 経済界の王になるとか」
「俺は何もできないよ。一人、支えてあげたい人がいるだけなんだ。その子と君を、つい重ねてしまった。だからこれは自己満足だ。シークは『物好きな人だな、私ラッキー』と考えてくれたらいい」
そう語る藤原の表情は優しげだった。
心の底から、その人のために何かをしたいという思いが言葉の節々から滲み出ている。
クラウンシークは乙女の直感で、その相手が女性であると察した。そして微笑ましさと、嬉しさと、羨ましさで胸が満たされるのを感じた。
「まあ、その人にとって、俺が必要かは分からないけどな」
(ううむ、何か藤原さんに恩返しをできないものか。とはいえ私、差し上げられるものがありません。……んー、自己満足になりますが)
「藤原さん。ちょっとした昔話をしてもいいですか」
前置きをして、クラウンシークは己の過去をかいつまんで話すことにした。
◇◆
私、リアルではジョッキーをやっていまして。
隠すようなことではありません。それに調べたらすぐに分かってしまうので……。
私はそれなりに結果を残していました。だからですかね、将来を期待された競走馬の騎手に任命されたんです。
その子はとても気性が荒い馬でした。
ただ、私の言うことは素直に聞いてくれた。
それどころか、指示を出さなくても私の考えを理解しているみたいで。
心が通じ合っているのかもって浮かれましたね。
実際、レースでは負けなしでしたから。
三冠を達成するどころか、国内外のタイトルをすべて掻っ攫えるのでは、というくらいの勢いです。
『唯一抜きん出て』とか言いますけど、あの子の方が……すみません、流石に盛りました。でもそれくらい強かったんです。
ただ、まあ。
結果から言うと駄目でした。
初めての重賞で足の骨を折ってしまった。私が焦ったせいで、コーナーを曲がり切れなかった。
あの子は競走馬としての道を絶たれた。馬の世界では稀にあることですけど、当事者にしたらごめんなさいで済む話ではありません。
それはもう大騒ぎになりましたね。
馬主さんに殴られ、マスコミに叩かれ、同僚、厩務員、調教師の皆さんからは非難の嵐です。
で、仕事をもらえなくなりました。干されました。
だけど。そんなことはどうでもよかった。
それより、あの子がもうレースを走れなくなったことが何よりも辛かったんです。
私は生きてます。ご飯を食べれて、やりたいことをできています。
でも、あの子は?
あんなに伸び伸びと走っていたのに。並いる強敵をぐんぐんと抜いて、圧巻の走りを見せつけていたのに。
二度とあの舞台で走ることはできない。手に入れるはずだった冠を、あの子が得ることはもう無いのです。
私はそれが悔しかった。
あの子の方が強いのに、速いのに。
ターフで表彰されるのは別の馬だった。
そんなときでした。
――<Infinite Dendrogram>は新世界とあなただけの
これだ、と思いました。
もうあの子は走れない。それでも、ゲームの世界であの子が最強だと知らしめることはできる。
……分かっています。ただの自己満足です。
何でもよかったのかもしれません。
苛立ちとか、無気力を紛らわせることができたら。
こうして、私はデンドロを始めました。
もう一つの世界で――あの子の名前を背負って。
◇◆
「……と、こんな感じで。ですから、何と言いますか」
クラウンシークは言葉を探す。
気恥ずかしさを誤魔化すように視線を動かして。
「私は考えなしに突っ走って、失敗しました。でも藤原さんのお陰でレースに出ることができます。これは本当にありがたいことで……って、私の話はもういいです」
うめきながら悩むが、相応しい言葉を見つける前に、思いは隙間から溢れて散ってしまう。
結局、藤原に何かを返すことはできない。
多少落ち込みながらクラウンシークは頭を下げる。
「……すみません。何を言いたいのか自分でも分からなくなりました」
「大丈夫だ。決して愉快な話じゃないだろうに、話してくれてありがとう」
お互いに頭を下げて、妙な雰囲気になったとき。
歓声が建物全体を揺らした。
拡声した音声で、レース参加者の名前を読み上げる放送がかすかに聞こえる。
「……もうレースが始まるな。行けシーク。そして勝ってこい。この世界に、
「もちろんですとも。藤原さんも観ていってください」
◇◆
スタートラインに横一列で並ぶ参加者たち。
クラウンシークはアキレス腱を伸ばして、最後のウォーミングアップを終える。
すると、隣の参加者に声をかけられた。獅子型のガードナーに騎乗した青年である。
「なあ、そこの馬ヘッドさんよ」
「……おや。もしかして私のことですかね」
「もしかしなくてもお前しかいないわ。何だその妙ちきりんな装備。見たことないぞ」
「パーティーグッズ、ご存じありません? 鈍器みたいな名前のお店で売ってますよ。ヒヒン」
かぶりものの口をパクパクと動かすと、青年は狂人を見る目でクラウンシークを見下ろした。
「ふざけてられるのも今のうちだぞ。今日のレースはカンストばっかりだからな。それに、お前の空き枠は元々“綺羅星”って凖<超級>が出るはずだったんだ」
「ほう。その人、強いのですか?」
「もちのロンよ。ま、本気を出したことないんだろうけどな。今日だって勝ちが決まってるレースだから棄権したんだろうよ。興行にならないって」
「それは楽しみですね。相手が強ければ強いほど、勝ったときの歓声は大きいです」
大言壮語とも受け取れる発言に、青年は絶句する。
「……なあ。さっきのあれ、本気なのか?」
「はい。私は勝ちますよ。どんな相手だろうと、レースという土俵であるならば」
――クラウンシークは、最強の馬なのですから。
内心で呟いた瞬間、レースの火蓋が切られる。
同時に、参加者が一斉に駆け出した。
「は!?」
それは獅子に乗る青年の叫び。
会話に意識を向けていてスタートダッシュを切れなかった彼は、慌てて獅子に鞭を打って……スタート位置に立ち尽くすクラウンシークを思わず振り返った。
それは会場にいる全員の内心を代弁した声だ。
異例の飛び入り参加、しかも自信満々に勝利宣言をしたソレが、まさか出遅れるとは思うまい。
だが、案ずることなかれ。
「……Wake up,
これはルーティーン。
スイッチを入れて、競技用に意識を切り替える。
「《サラブラッド》、セカンドギア」
クラウンシークの全身が脈動する。
立ち昇るエフェクトは赤い蒸気の如く。
励起状態の筋組織に血流が回り、クラウンシークの肉体は一段階上の位階に到達する。
そして、力を溜めた脚を……爆発させる。
殿を追い越す。後続集団に並ぶ。
頭一つ抜け出す。先頭を捕捉する。
まさにごぼう抜き。会場は言葉も無く、共に走る競技者ですら驚きに目を見張る。
超加速を果たした彼女はすぐに遅れを取り戻す。
(前へ、前へ、前へ!)
闘技場を駆け抜ける様は、さながら赤い流星だった。
◇◆
(実のところ、シークのあれは黒に近いグレー。反則スレスレの裏技みたいなものだ)
観客席では一人、藤原だけが冷静だった。
眼下で快進撃を披露する馬耳の女性。
ただの上級職、そして騎乗していない一人の力とは思えない速度の疾走だ。
登録時に彼女のビルドを聞いていなければ、藤原も意味が分からなかっただろう。
(<エンブリオ>とジョブのシナジー、か)
名前やスキル等の詳細こそ明かされていなかったが、大枠のギミックは事前情報で把握できた。
(
フュージョンは肉体を置換するのではなく、肉体の全て、または一部と融合するカテゴリーだ。
アームズ系列に付いた場合、翼や多腕などの異形に変ずる形状になる。
そしてガードナー系列では<マスター>と融合していないと極端に弱体化するという特性がある。分離したままではスキルの発動すら覚束ない。
(あの馬耳と尻尾だな。常時融合状態にある。話を聞いた限り、恐らく特性は『馬属性の付与』だろう。……字面に起こすと間抜けだな)
馬としてのクラウンシークという名を轟かせたいという願いから生まれたオンリーワン。
融合状態のクラウンシークは人間であり、馬でもある。
両者の能力を併せ持つ、まったく新しい存在であるということだ。
(<エンブリオ>のバフに加えて、二種類のジョブスキル……《疾走》と《騎乗》を併用している)
走者系統のセンススキル《疾走》は走ることの適性が上がり、スタミナや移動速度が向上する。
加えて、騎兵系統の《騎乗》はモンスターを乗りこなすだけでなく、その身体性能を一〇〇%を超えて発揮させる効果があると知られている。
一見すると互換性がないように思えるが、《騎乗》は汎用スキルだ。メインジョブが走者系統でも使用可能。
(《騎乗》を自分の肉体に適用する、というのは初耳だ。<エンブリオ>だからこそのバグか。だけど条件はイーブンだ。他の参加者も、ガードナーに騎乗することは認められているから)
その点、クラウンシークは競技のレギュレーションにおいても限りなく黒に近いグレーだ。
ガードナーと走っている、そんな屁理屈を掲げることができなくもない。押し通せるかは別として。
それでも、あの走りを見れば誰もが胸を躍らせる。文句を言う者はそういないだろうと藤原は予想する。
「……おお」
藤原の隣に座る人物も、身を乗り出してレースを観戦している。
彼女のことは一方的に知っていた。
「君でも見惚れるか。“綺羅星”」
「おじさん、誰っす? 私のファンっすか?」
「いいや違う。俺の推しは一人だけだ」
「そうっすか……安心したっす。どうか、私がいることは内緒でお願いするっす」
“綺羅星” テルグム・クッレレ。
闘技場の常連でありながら、しばしばレースや決闘に穴を開ける問題児だ。
今日もサボりなのか、変装して観客に紛れている。
「そういえば以前、君は自分と互角に戦えるライバルが欲しいと言っていたな」
「うげ、何で知ってるんすか。それボツにしたインタビューでしか話してないっすよ……」
「職業病だよ。気になる人物はチェックする癖がある」
「記者っすか? そうじゃなきゃ不審者確定っす」
藤原は意図的に難聴を発揮してスルーする。
年下の女性相手に疑いの目を向けられてめげないのは、労働で培われた鋼の精神があるおかげだった。
「君の目から見て、シークはどうだ?」
「ちょっとはできるっすね。でも……」
「でも?」
「足の速さだけで、レースの勝敗は決まらないっすよ」
クラウンシークのビルドは穴がある。
それに対処しなければ勝利は夢のまた夢だ、と。
テルグムが告げたとき、状況が動いた。
◇◆
レースは中盤に差し掛かる。
圧倒的な速度で先頭に躍り出たクラウンシークは、そのまま後続と距離を引き離すかと思われたが、現実はそれほど単純ではなかった。
突如、コース前方に泥沼が生じる。
「うわっ、とっと」
クラウンシークは速度を落として迂回。
リードを失い、先頭を譲ることになる。同時に集団に飲まれ、前と左右を囲まれてしまう。
(ブロックですか。いえ、それだけではない)
クラウンシークは踏み締めるコースの感触に違和感を抱いた。雨が降った直後のように地面がぬかるんでいる。
泥に足を取られて踏ん張ることができず、クラウンシークの速度が低下する。
(さっきの泥沼といい、あからさまな妨害です。犯人は……決まっています。他の参加者ですね)
左右の地竜に騎乗する参加者の仕業であるとクラウンシークは見抜いた。継続的に地属性魔法を詠唱して、足元を泥状に変質させている。
ブロックはクラウンシークが走るコースを限定するため。自分は魔法の範囲外に、厄介な競争相手を物理的に封じるための作戦だ。
(私につきっきりでは彼らも勝てない。自分の勝利を投げ捨てて、強者の足を引っ張る……誰かに雇われた妨害要員でしょうか。リアルでもいましたね)
クラウンシークはため息を吐いた。
(ですが関係ありません)
そして、ギアを一段階引き上げる。
「《サラブラッド》、サードギア!」
勢いを増した血流が循環して、クラウンシークの全身に酸素を届ける。
爆発的な脚力で加速し、動揺したブロックが崩れた瞬間を狙って、無理やりに囲いを突破した。
相手が巨体の地竜であったことがプラスに働いた。クラウンシークは小柄であるため、わずかな隙間でも身体をねじ込むことができる。
「このまま……ッ」
開けた視界に広がる、岩石の針山。
コースに乱立する石柱は明らかに魔法の産物であり、障害として参加者全員を足止めする。
「それもありなのですか!?」
「お前、注意事項を聞いてないのか! 直接攻撃しない限り、どんな妨害行為も認められる!」
「なんですとぉ!」
獅子に掴まり石柱を飛び越える青年に、クラウンシークは文句のひとつでもぶつけたい気持ちになる。
とはいえそれは筋違い。注意事項を頭に入れないクラウンシークが悪いのであり、怒りは魔法を使った相手にぶつけるべきだ。
(この世界のレースがこうも過酷なものだとは。ええい、郷に入っては郷に従え!)
迂回できる石柱は回り込み、大幅なタイムロスになるものは垂直に跳ぶ。高さが足りずに超えられないパターンでは柱の側面を蹴って二段跳躍。
どうにか難所を越えたクラウンシークだが、一秒の遅れで大きな差が生まれてしまう。余計なスタミナを消費してペース配分も狂わされた。
同じような妨害は、クラウンシークには不可能だ。
彼女のビルドは走ることに特化したもの。
他の参加者は走行と妨害で役割を分担することもできようが、クラウンシークは物理攻撃以外、他者に干渉する手段が存在しない。
(あ、いえ。ひとつだけありますね)
勘案したクラウンシークは秘策を思いつく。
直接攻撃をせず、今の彼女に可能な妨害。
(膝を痛めそうですから一度だけ……ここ!)
加速して前方集団を捉えたクラウンシークは、思い切りコースを踏み締めた。
全力のストンプが地面を揺らし、大地を割る。
振動の余波が他の参加者を巻き込み、数名の騎獣を行動不能に追い込む。
その中には獅子と青年の姿もあった。
「うおおおおお前えええええ!?」
「はーっはっはっは! 卑怯とは言わせません!」
順位を追い上げて後半戦。
クラウンシークは先頭を走る騎馬に狙いを定める。
相手も後続が迫っていることに気づいていた。振り向いた騎手は苦々しげな表情を浮かべる。
「くそっ、今日は勝てる試合だってのに!」
「今日は? いつもは違うのですか?」
「話す余裕があるのかよ……そうさ。最近は“綺羅星”が変にやる気を出して、俺たちは負け続きだ。今まで適当なレースしかしなかったくせによ」
「……なるほど。妨害要員を雇ったのもあなたですね」
「やつが出ないなら無意味かと思ったが、そうでもなかったな。お前みたいなのが現れやがる!」
あと少しで最終コーナーに差し掛かる。
もはや後続は追いつけまい。
先頭の騎手と、クラウンシークの一騎討ちを呈する。
ハナを競り合う激しいぶつかり合い。
お互いの力量に不足なし。全力を出し切って、勝利の女神がどちらに微笑むかという伯仲した接戦だ。
自ずと会場は興奮と熱気に包まれる。二騎に釣られて、観客のボルテージは際限なく上昇していく。
「やるじゃねえか馬ヘッド!」
「そちらこそ!」
クラウンシークが相手をかわす。
ほんのわずかに前に出る。
そして――クラウンシークの足元が隆起した。
「……ッ!?」
一センチあるかないかの凹凸。取るに足らない段差だが、高速で走る騎馬にとっては致命的だ。
クラウンシークは最終コーナー直前でバランスを崩す。
「馬ヘッド!? ……おいお前ら! ここまで来たら小細工は抜きだろうが!? 男の真剣勝負に水を差すのか!」
(ええ……それ、あなたが言います? そもそも私は女ですよ。失礼ですね)
後続からの地属性魔法による妨害。
魔法の使い手に激怒する騎手。
やけにゆっくりと、目の前に近づく地面。
思考加速の状態を、さらに引き延ばしているような感覚にクラウンシークは覚えがあった。
(
現実感のない映像が駆け抜ける。
焦って鞭を打つ自分。それに応えて加速した結果、スピードを制御できずに転倒した相棒。
衝撃と激痛、意識が暗転する寸前に聞こえた観客の悲鳴と……最期のいななき。
(もしやこれ、走馬灯というやつなのでは?)
馬だけに、と冗談を言えるくらいには落ち着いている。
(私としたことが、同じ失敗をしてどうしますか)
もう二度と過ちは繰り返さない。
自分が泥を塗り、未来を閉ざした競走馬の名誉を挽回するために、彼女は今を生きている。
ここで負けるわけにはいかないのだ。
(……見ていてください。そして許してくれるのなら、不甲斐ない私に力を貸してください)
戦友にして相棒の魂を胸に。
クラウンシークは一歩を踏み出す。
「――《
宣言する【熱血馬魂 チートゥマ】の必殺スキル。
その効果は、全能力のリミッター解除である。
(《サラブラッド》、フォースギアです!)
噴き上がる赤煙はまさに“
人馬一体の化身が、今、唸りを上げた。
血流の加速によって引き上げた身体能力を用いて、クラウンシークは駆動する。
つんのめって倒れた身体は水平に近い。
前に右足を出して、前傾姿勢を支える。百八十度に股を開くのは、柔軟な関節があって初めて成せる技だ。
全身の筋肉とバネを伝う力に逆らわず、クラウンシークは身体を起こすことを諦めて、さらに前へ。
全力以上の踏み込みで加速する。
勢いで馬のかぶりものがすっぽ抜けたが、気にしてなどいられない。
「曲、が、れええええええええええ!」
転倒寸前で地面を擦る。
遠心力を一身に受け、急旋回で曲線を描く。
――コーナーを越えた。
残るは直線、ラストスパートで駆け抜けるだけ。
「おおおおおおおおおおおおおお!!!」
剥き出しの咆哮。引き攣った笑み。
見るに堪えない、死に物狂いの疾走だ。
最強の走りからは程遠い。だが……、
クラウンシークが一番にゴールを駆け抜けたとき。
客席から大歓声が上がった。
燃え尽きたようにふらふらと数歩。
そして立ち止まったクラウンシークは、目の前の光景とかつてのそれを重ねて顔を綻ばせる。
潤んだ目元を拭い、誇らしげに胸を張った彼女は、人差し指を天に向けて突き上げた。
パフォーマンスの意味を理解した観客は一人を除いていなかったであろう。
しかし、人々は喝采する。爆発した歓声はいつまでも、いつまでもこだまする。
彼女の走りは、観るものを等しく沸き立たせる熱を帯びていたのだ。
同じ名前を持つ相棒と同じように。
◇◆
「……すごいっすね」
「まだ胸がドキドキしてるっす。先輩と【ビアンカ】を追いかけたときくらいに、興奮が止まらないっす」
「あの人。あんなに生き生きとして、嬉しそう……」
「いいな……ずるいっす。私も、あんなふうに……全力を出し切りたいっす」
「決闘はピンキリで冷めるっすけど……レースなら。あの人が相手なら、大丈夫っすかね?」
「
余談というか今回の蛇足。
(U・ω・U)<番外編なのに筆が乗った(当社比1.8倍)
(U・ω・U)<上手い人なら作品ひとつ書ける内容を詰め込む作者の悪癖よ
シーク
(U・ω・U)<異世界のウマソウルをその身に宿すチート=ウマ
(U・ω・U)<リミッター有りだとギアはサードまでしか上がらない
Q. どうして《乗馬》を使わないの?
A.
(U・ω・U)<彼女が黄河所属で、騎士系統の大半は王国のジョブだからです
(U・ω・U)<もちろん《騎乗》よりも効果は高い
“綺羅星”
(U・ω・U)<以前、とある騎士と<UBM>相手に三つ巴のデッドヒートを繰り広げてから
(U・ω・U)<全力を出し切る喜びに飢えているとか
(Є・◇・)<へ、へえー……
藤原
(U・ω・U)<また出てくると思います
獅子の兄ちゃん
(U・ω・U)<モブだけど彼の<エンブリオ>は『ユーウェイン』と決めている