長き旅路にて臨むもの 作:【風車之愚者】
□【吟遊詩人】サラ
野外劇場はお客さんで埋め尽くされていた。
十分な広さを持つはずの客席は満員で、それでもまだお客さんはいるものだから、音だけでも聴こうと劇場の周りで立ち見をする人が出ているようだ。
もしかしたら、シャルロッテさんのオペラを観るために船の乗客全員が押しかけているのかもしれない。
わたしは舞台の正面から少しずれた最上列の席で、会場全体を見下ろしながら圧倒された気分になる。
右も左もおめかしした大人ばかり。開演を待ち侘びる人たちの緊張がこっちにまで伝わる。
それに、ちゃんとしたドレスは慣れてないから、着心地が気になってしょうがないというか……。
『
ドレスは薄い翡翠色の生地のものを選んだ。
ジェイドの鱗とお揃いの色。少し肩が出ていて、大人っぽい雰囲気で、背伸びをした感じになる服だ。
褒めてくれるのはうれしいけど、でも今はそうじゃないんだよジェイド!
「近くに知ってる人いないかな」
レッドさんとウルは関係者席。舞台が一番よく見える正面・中くらいの列あたりにいるはずだ。
ショーシさんはホールから野外劇場に移動するまでは一緒だったけど、入場したら別行動になってしまった。どうやら予約した席の位置が離れていたらしい。
そういえば別れる直前、ショーシさんがどこか悲しい顔をしていたのが気がかりだ。声をかけようとしたら人の波に遮られて、いつの間にか姿を消していた。
「舞台を観るとは言ってたから、どこかにいるはず……」
『
この人数だと目で探すのは一苦労だ。
大声で呼びかけるというのは、ほかのお客さんの迷惑になっちゃうからなしとして。
あ、オペラが終わったらだいじょうぶか。みんなで感想をお話できたら楽しいだろう。
緊張と期待でそわそわしていると、舞台の開演を知らせるアナウンスが入った。
『本日はご来場いただき誠にありがとうございます。開演に先立ちまして、ご来場のお客様にお願い申し上げます。客席内での飲食、喫煙、会話はご遠慮ください。音や光を伴う魔法の使用は他のお客様のご迷惑となりますので固くお断りいたします。また、当艦は堅牢な設計となっております。モンスターが出現した場合、ただちにはお席を離れず、落ち着いて係員の指示をお待ちください。皆様のご理解・ご協力をよろしくお願いいたします。……まもなく開演でございます。“プリマドンナ”――【
この司会の声、どこかで聞いたことがあるような。
マイク越しで少し聞き取りづらいけど……うーん、ハウリングが混ざってよくわからない。
『……Rr?』
「どうしたのジェイド?」
『
ぶるりと体を震わせたジェイドは、わたしの膝の上で、翼を小さく折りたたむ。
目と耳を閉じて頭を隠す。まるでこれから起きることを見たくないというように。
わたしもなんだかいやな予感がして……だけど席を立つ前に、舞台の幕が上がる。
壇上に立つのはきれいな女の人。
隣には燕尾服を着た仮面の悪魔。
二人は揃ってお辞儀をすると、歌を語り出す。
それは現実にあるひとつの作品を、この世界向けに描き直した物語だった。
売れない歌手が悪魔と契約して人気者になるお話。
悪魔は美しい声と大きな舞台を与える。その代わり、自分のために歌を歌ってくれと歌手に頼む。
だけど、次第に悪魔のことが怖くなった歌手は悪魔から逃げ出そうと考えて……。
登場人物は二人だけ。おたがいの歌のかけ合いで、テンポよくストーリーは進む。
シャルロッテさんの歌は力強いけど繊細で、なんというか、気持ちを色にして声に乗せているようだった。
場面ごとに切り替わる歌手の思いを読み取って、そこに自分の気持ちを足して、音楽の形にしている。
シャルロッテさんが
演じてるんじゃなくて、そのもの。どうしようもなく惹かれる理由はそこにあると思った。
悪魔の狂気は重く、低く。
楽団の伴奏はときに激しく、ときに静かに。
それらは目立たず、主旋律を支えて深みを出す。
わたしは直前に感じたいやな感じをぜんぶ忘れて、ぼーっと劇に聞き入っていた。
そして、いよいよクライマックス。
歌手が追いかけてきた悪魔と向き合い、深く息を吸い込んだところで……いきなり照明が消えた。
シャルロッテさんは気にせず歌おうとするけど、不自然なタイミングで舞台の幕が下りる。
「あれ……? どうしたんだろう」
みんなおんなじ気持ちなのか、不安と心配をささやいてざわついている。席を立とうとする人もいた。
わたしがジェイドを抱きしめて、その体温で不安をごまかしていると。
再び、会場全体にアナウンスが響いた。
『大変失礼いたしました。ご安心ください。これより始まりますは第二幕。歌姫のステージでございます。どうか皆様、そのままでお待ちください』
司会の人は冷静で、誰よりも落ち着いている。
どう見てもトラブルだよね。大勢のお客さんがいて、役者はシャルロッテさんという大物だ。スタッフは内心で慌てているはずなのに、アナウンスには焦りがない。
まるで……ぜんぶ予定通りだとでもいうように。
◆◆◆
■???
人が出払った野外劇場の控室に一組の男女がいた。
本来、関係者の招待無しでは立ち入れない場所だ。
二人は関係者かというと……当然、警備員に詰問を受ける部外者である。
なにせ歌劇の公演中。演者とスタッフは揃って舞台に掛かり切りなのだから。
「どこに行ってたんだ、マイン。心配したぞ」
「……」
控室と周囲に人気はない。
男女以外の人間は存在しない。では、警備員は?
「いや、無事でいてくれたならそれでいい。君が一人で出歩いて、買い物までしたのは正直驚いてるが……」
「…………」
答えを知っているのは男と、女と、彼らの眼前で飛び跳ねる数匹のヒキガエルのみである。
「とにかく支度だ。その野暮なパーカーを脱いでくれ」
男は女の服に手をかける。
虚ろな視線を彷徨わせるだけだった女は、その動作に反応して身を引いた。
「マイン……?」
「いや……嫌だ」
いつになく明晰な言葉と、瞳に灯る意思に、男は違和感と既視の双方をおぼえる。
こちらの世界では一度たりとて目にしたことがないもの。しかし、あちらの世界では何度も、恋焦がれるほど瞼に焼きつけたものだ。それが意味することは、即ち。
「……!? まさか君、正気を? いつから?」
「そんなの、自分じゃ分からない。今の私が本物なのか、狂って逃げてる途中の夢なのかも。あなたに分からないなら……誰にも判断できないよ。藤原マネージャー」
かつての担当が口にした呼び名で、間違いなく、女は正常に戻ったと男は理解する。
抜け殻のようだった女が、ついぞ情緒が定まらなかった人が、この局面で覚醒した。
「――奇跡だ」
男、藤原永満の頬に涙が伝う。
「よかった……よかった、本当に……っ! 一生このままかと、もう駄目かと思った……何度も、何度も諦めかけた! この日を、どれだけ夢に見たことか!」
崩れ落ちた藤原は女に縋りつく。
実在を確かめるように、手を離したら消え去ってしまうのではないかと疑い、決して手を解かない。
「ずっと考えていた……どうすれば、君を救うことができるのか。俺ができることは何もなくて、それでも必死に考えた! やれることはすべてやった!」
「……知ってる。ぼんやりと、だけど。あなたが私にしてくれたことは、覚えているから」
女は藤原の頭を抱いた。
啜り泣く彼に、感謝と申し訳なさを感じて。
どれだけ苦労をかけたろう。
どれだけ心配したのだろう。
どれだけ……罪を、重ねたのだろう。
藤原の行動は女を思ってのこと。決して許される行為ではないが、女に彼を責める権利はない。
朧げながらも加担してきた女は同罪だ。共に、罪を償わなければならない立場にある。
ここで女はある思いを抱いた。
過去の罪は消えない。だが、これからの罪は別。
藤原にはもう理由がない。女は救われている。他ならぬ女自身がそう感じている。
今なら、言えるのではないか?
これ以上過ちを犯す必要はない。
これからは、未来に目を向けようと。
藤原も、きっと聞き届けてくれるはず。
そう期待した。
「だから。もうこんなことは……」
女は期待して、
「ああ――俺のしてきた事は、間違いじゃなかった!」
――その期待を裏切られた。
「…………え?」
「
藤原は
本心から、女を信頼して期待していた。
「この世界は、まだ君を知らない。いや……君を覚えている<マスター>はいるだろうが、心配いらない。今度は屑どもの罵詈雑言からも君を守ってみせる。君は、もう一度アイドルになれる!」
「……」
熱狂的なまでの視線を向けられて、もはや藤原の説得は不可能だと女は悟る。
藤原の期待が伝わるから。どんな時も女を思い、女を信じた唯一のファンの熱い願いを受け取ったから。
(この人を狂わせたのは、私だ)
「……そう、だね。準備するよ。
故に、これまでと変わらない。
心を殺す。期待された役割を羽織る。
望まれたものを、望まれるように。
何度、困難から逃げ出そうとも……崇められた偶像としての責任からは逃れられない。
女は全身を隠すパーカーとスウェットから、瞬時に装備を切り替える。
昔と変わらない勝負服。女のアバターは現実と寸分違わずに造られている。女の身長体重、一切合切を管理していた藤原に用意できないものはない。
化粧を施し、髪を整えるのは藤原の役目。手伝える人員がいないからだ。それにしても随分と器用になったものだと女は思う。頑固な一面は変わらないとも。
身支度を終えた女は、最後に深呼吸をする。
「いつもの」
「分かった。そういえば、このルーティーンはいつから取り入れたんだ? ……緊張をほぐすためだから、メジャーデビューの頃か?」
「……」
(それよりずっと昔。後夜祭のステージで、あなたが考えてくれたやつだよ)
口には出さない。出したところで意味がない。
女は無言で手のひらを突き出す。
藤原は指で、手のひらに円を描いた。
その円、欠けたところのない満月を女は飲み込む。
「……
これはスイッチ。
女の意識を、アイドルに切り替えるための。
こうやって自分を騙し続けていたから、女は生き延びられた。余計に苦しむことになった。
夢と現実の境界は曖昧になってしまった。
……今や、全ては些事。
「いくよ」
■■■■■は――完全無欠のアイドルなのだから。
◇◇◇
□【吟遊詩人】サラ
三度目のアナウンスは突然だった。
『皆様、大変長らくお待たせいたしました。第二幕、開演でございます。……世界よ、刮目しろ』
放送が切れた瞬間、事件は起きる。
幕が下りたままの舞台。その裏側から、ものすごい大音量の音楽が流れてきたんだ。
ポップで明るい、だけどちょっぴりダークネスなアイドルソングが機材を通して劇場に響き渡る。
「こ、このイントロはぁ!?」
隣の席に座る男の人が立ち上がった。
両手を耳に当てて、一音も聞き逃さないようにと意識を集中している。
「知っている……某はしかと覚えている、心に刻まれている、魂が震えているでござるぅ! 忘れられようはずもない! こぉれこそはぁ! 某を形作る五大栄養素のひとぉぉつぅッ! 地下アイドル時代は知られざる無名、しかぁして、メジャーデビューを果たして一息にスターダムを駆け上がりぃ、世界にその名を轟かせた、伝説の超衛星級アイドルぅ! の、デビュぅぅぅぅシンッグルぅぅぅぅ! でござるからしてぇ!」
男の人の叫びがきっかけになったのか。
ぐんと膨れ上がった音波が直撃して、シャルロッテさんのいた舞台は木っ端みじんに吹き飛んでしまう。
壊れた舞台を乗り越えて、現れたのは制服に似てるアイドル衣装を着た女の人。
わたしは彼女のことを知っていた。
「ショーシさん……!?」
なんで、そんなところに?
わたしがびっくりしている間に、ショーシさんは片手でマイクを持って、もう片方の手で銃の形を作る。
そして人差し指の銃口を劇場の出入り口に向けた。
『《スカイ・ブーム》』
魔法、だろうか? 見えない衝撃波で扉が壊れる。
いくつかある出入り口をぜんぶ通れなくしてから、ショーシさんは客席に笑いかけた。
それは、さっきフードに隠れて笑っていた人とは思えないくらい、別人のように魅力的で。
だけどなんだか、ひび割れているように感じた。
『みんな〜! はじめまして!』
ショーシさんはひらひらと手を振る。
『ごめん、驚いたよね? でも大丈夫。そんなこと気にならないくらい、マインがあなたを楽しませるから! ちゃんとそこで見ていてね〜!』
マイクを構えたショーシさんは、流れる音楽に合わせて歌い出す。リズムに乗ってステップを踏みながら。
『ねえどうして♪ わたしを好きにならないの〜♪』
甘い歌詞の恋の歌。耳に入ってくるメロディは、鼓膜から溶けていくような感じがしてクラクラする。
客席とは離れているはずなのに、ときどき、ショーシさんとばっちり視線が交わる。気のせいじゃない、今の絶対わたしを見てたよね。
なにもかも、シャルロッテさんの歌とは正反対だ。
聞き惚れる歌と、目に魅せる歌。
耳慣れないオペラと、よく耳にするラブソング。
古典的な芸術と、現代のサブカルチャー。
静かに鑑賞する舞台と、声援を送るステージ。
これはどっちがいいとかじゃなくて、両方すごい素晴らしいもので。
『
「でも、だから余計に……、……!?」
ぺしりとジェイドに叩かれて、わたしはようやく我に帰る。いけない。完全にぼーっとしてた。
そして、周りを見て言葉を失う。それくらい……客席の様子はさっきまでと別物に変化していた。
お客さんはみんな、見下ろす限りわたし以外の全員が、手のひらサイズのヒキガエルになっていた。
どのカエルもショーシさんに釘づけで、ゲコゲコと楽しそうに声援を送っている。
つぶれた鳴き声から伝わるのは
「っ、この人たち、無理やり……!」
ゾッと背筋が冷たくなるのを感じた。
見た目は楽しそうだけど、このヒキカエルたちは心を残したまま、操られているとわかったから。
わたしはもう一度、ショーシさんを見た。
ショーシさんの目もわたしを捉える。
声は届かない距離だけど、わたしはたしかに彼女の声と、瞳に込められた言葉を受け取った。
『――《
――【
To be continued
余談というか今回の蛇足。
(U・ω・U)<双姫絶唱
マイン&藤原
(U・ω・U)<マインは芸名
(U・ω・U)<本名は望月彰子
(U・ω・U)<この世をば……ですね
(U・ω・U)<列車の<エンブリオ>と
(U・ω・U)<音(振動)の魔法職
(U・ω・U)<タイムリーに原作とネタかぶりした二人でもある
某
(U・ω・U)<休暇中につき友情出演
(U・ω・U)<知っているのかオタクぅ!