「ハチドリとトマスとライナ、ミオとユミコの逃飛行」 作:藤沢 南
「おい、あいつらに別れは済んだか。」
操縦桿を握りながら、ライナ・ベックはミオ・セイラに一瞥をくれた。
「うん、…。ライナ、傷痛むでしょう。操縦、かわるよ」
ミオはライナの背中に手を置いて、操縦を交代した。もう、清顕をはじめとするワルキューレの飛空機の姿は一機も見えない。ミオがライナと操縦を交代したのは、ライナの傷がさすがに深く、キリアイに解毒剤をもらったぐらいですぐに回復、とはいかなかったからだ。ミオに操縦を代わってもらった後、ライナは飛空艇の床に備え付けの毛布を敷いて、死んだように眠っていた。
ハチドリのノーズアートを描いた飛空艇は安定軌道に入り、2人の若い男女と後部座席に老いた女性を乗せて、単調な空の青色を背景に穏やかにのんびりと飛び続けていた。
そして空の色に紅が混じり始め、やがて夜のとばりが降りてきた。
ミオは肩の開いたドレス姿のままだったので、少々肌寒さも感じていた。
安定軌道に入っていたので、少しの間、ミオは操縦桿から手を離して携帯食をかじる。両腕を擦ると、後ろからコートをかけられた。
「ライナ」
ミオはコートをかけてくれたライナの手に触れた。温かい手だった。
ミオは体の冷えもなくそのまま夜まで操縦し続け、その日の夜更過ぎにライナと交代した。
「ミオ、頼みがある。」
ライナのくるまっていた毛布に足を突っ込もうとしていたミオが振り返る。
「通信、開いてくれ」
ミオはぎょっと目を見開く。あてもなく飛んでいたから、ここがどこかわからない。首都が崩壊したとはいえ、まだウラノスの領空、もしくはセントヴォルトの領空だとしたら、通信をキャッチされてしまうかもしれない。そんな彼女の驚きを、ライナは容易く見透かす。
「すまない、言葉が足りなかったな。これから俺たちの次の居場所を探すんだよ。ラジオ放送の電波だけ受信できるようにしてくれればいい。ウラノス語もセントヴォルト語もない放送の電波が強くなったら、そこへとりあえず降りてみよう。」
「了解」
ミオは通信機器をいじって、ラジオ電波だけをキャッチできるようにした。しばらくすると、抑揚の乏しい、そして優雅な響きを持つ言葉が流れてきた。
♩こちらハルモンディア放送です ウラノス政府崩壊に伴う臨時ニュースです♩
「ふふ、ハルモンディア語か。懐かしいな。」ライナが呟く。パトリオティス訓練の際に仕込まれた言語だった。
ミオは多少ハルモンディア語がわかるようだ。その言語のニュースに耳を傾けて、そして深い眠りについた。
ライナは操縦桿に手を置き、そのニュースに聞きいる。戦争終結のニュースは世界中を駆け巡っており、囚われの身だったニナ・ヴィエントが安全に脱出したこと、国王デミストリは怪我を負っており、すぐに捕らえられて、取り調べがはじまるまで病院に入れられたということ…次から次へとその後の動勢を知らせるニュースが舞い込んできていた。その合間にワルキューレ、草薙隊、その他オーディンを飛び立ったあまたの飛空士の戦死者の名前が何度となく繰り返され、今回のプレアデス奇襲の勇者たちは一日中その名前を全世界に向けて放送されていた。
♩〜なお、イラストリアリ教皇と、外務尚書省次官ゼノン・カヴァディスはレジスタンスに捕らえられた模様。また、レジスタンスは今回の戦争他世界各地の戦争を煽って巨額の利益を得ていたイーサン・セイラ容疑者の身柄を確保したとのことです♩
「ふふっ」ライナは満足そうに笑みを浮かべた。
「ミオ、ゼノンは捕まったぜ。お前の代わりに豚箱行きだ」
その声が彼女の耳に届いた時、ミオは寝息を立てていた。彼はイーサン・セイラの名前はあえて口にしなかった。
「イラストリアリも、運命に負けたんだな…。せっかく、俺が、情けをかけてやったのに。」ライナは鼻で笑い、そして、窓の外の漆黒の空を見上げた。
ライナの脳裏に、一筋の感慨が走っていった。そして、心の奥底から、本物の自分、トマス=ベロアが顔を出す。飛空艇の窓に映る彼の顔には、ここ数年間誰にも見せたことのない穏やかな青年の顔が映っていた。
父上、母上…トマスは、やりました。彼の目から、一筋の雫が落ちていく。後部座席にいる母親は、ミオが眠る前から深い眠りについていた。
『なんだ、ガラでもない。』
トマスの意識の中から、ライナがおどけて顔を出す。
『いとしのミオに笑われるぜ。あいつ、結構気が強いからな、泣き虫の男には容赦ねぇぞ。』
「そうだな。」トマスは袖口で涙を拭き、操縦桿を握り直した。ライナの軽い笑顔は消えていた。