PERSONA5 The BlackJack   作:柴猫侍

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Ⅺ.霧

 走る。走る。走る。

 風よりも早く。あの地平線に映る野を超え山を越え。

 美少女怪盗を筆頭とする一台のレンタルカーは、のどかな田園風景が続く道の上、けたたましいエンジン音を轟かせながら突き進んでいた。

 

「仲間の窮地……遅れる訳にはいきません! 飛ばします!」

「うおおおおッ!?」

「春! 十分飛ばしてるから、それ以上はやめてぇー!」

 

 車内から悲鳴が上がるも、道路を駆け抜けていく車の速度が衰えることはない。

 法定速度を超えているか否かで言えば当然アウトだが、それでもハンドルを握るスピード狂となったお嬢様を止められぬ差し迫った事情があった。

 こうして地獄のドライブに相乗りとなった面々は、それぞれ血相を青くしながらも、何とか死なずに目的地へと辿り着くこととなる。

 

 そこに立っていたのは一人の女性。

 

「やあ、怪盗団の諸君……って、随分とお早い到着だったね。私が想定していたより一時間ほど早いんだが……」

 

 手首の腕時計を一瞥した久音が苦笑を浮かべる。

 

「はい! なんたってソフィアが選んだ経路ですので!」

「……成程」

 

 朗らか笑みを湛えて応えるのは、唯一グロッキーになっていない春である。

 今回、都心から怪盗団の面子を運んできたのは彼女だ。一大事とは言え、電車や新幹線を使わず、わざわざ車を利用するとはどういう理由(わけ)か――ソフィアからの提案とはいえ、やや怪訝に思っていた久音も実際の光景を見ては納得せざるを得ないだろう。

 顔を青くする杏と祐介や、『うっぷ!』と戻しそうになる竜司と双葉が、車内から這いずり出てくる。

 

そんな中、春以外で辛うじて話せる余裕のある真が久音に問いかけた。

 

「着いて早々ですみません、首尾の方は?」

「今のところ彼らの反応は健在だ。少なくともやられてはいないことは確かだろう」

「そうですか……」

 

 真の表情に浮かび上がる僅かな安堵と拭えぬ不安。

 基本的には現実とイセカイ間での連絡ができない以上、久音のようにソフィアを通じて安否を確認できるだけ御の字と言ったところだ。

 しかし、怪盗団の頭脳を担う真だからこそ、様々な状況を想定してしまう――それこそ彼らの命に関わるような状況も、だ。

 

「あ゛~ッ、とにかくよ! 早いところジェイルに続く入り口に案内してくれよ!」

 

 が、ここで陰気な空気を変える男こそ、怪盗団が切り込み隊長の竜司だ。

 『話は道すがら聞くとしてよ!』と急かす彼のせっかちさに呆れつつも、全員が同意見だと言わんばかりの眼差しを久音へ向ける。

 一致団結した彼らの意志は神にも屈しない。

 それを知る久音だからこそ、余計な口は挟まずに踵を返した。

 

「分かった。すぐにでも案内しよう」

「よろしく頼む。新入りの歓迎会もできないようでは怪盗団の名折れだからな」

「いや、もっと心配するとこあるだろ。おイナリ」

「ま! 変に焦るよりは私たちらしいでしょ?」

 

 双葉のツッコミを受ける祐介。

 そんな彼らに噴き出した杏が、いざ久音の背中に追いかけようと視線を上げた――その時だ。

 

「え……? 何、この霧……」

 

 視界の先に広がる霧。

 光すらも阻む白い靄は、その奥に何が佇んでいるのかさえ覆い隠しているかのようだ。

 ただならぬ気配に身構える面々。その中で久音だけは、何かを察した様子でポケットから端末を取り出す。

 演じる仮面を脱ぎ捨てた彼女の感情表現が拙いとは言え、その一挙手一投足から感情を推し量るくらいのことならばできる。

 

 不穏な気配の匂い。

 どうか外れてくれと願う怪盗団の一方で、久音の瞳はおおきく見開かれた。

 

「これは……そんな馬鹿な!?」

「どうしたんですか、一ノ瀬さん!」

「四人の……反応が消えた」

「え……」

「それだけじゃない」

 

 一つ目の内容だけでも絶句するには十分過ぎる。

 だが、それに勝るとも劣らない現実が映し出される画面を、久音は目を凝らして睨みつけていた。彼女の端末は、ソフィアと同期することによりジェイルの地図を映し出している。

 しかし、これはそんなレベルの話ではない。

 

「町そのものの反応が……消滅した?」

 

 

 

 

 

 

 二体の刈り取るものは、覚醒を果たした瑛を含む四人を前に敗れ去った。

 時を同じくし、瑛のシャドウを依り代としていた人々の悪意もまた、心の海の中へと還っていく。

 

「これで……終わったの? はっ……」

「ジャック!」

「だ、大丈夫……ちょっと力が抜けただけだから」

 

 張り詰めた糸が切れるように膝が折れた瑛を、寸前のところで蓮が抱き留める。

 封じ込めていた記憶。それでも尚奮起して激闘を繰り広げた強敵。そしてもう一人の自分を受け入れて覚醒した力。

 これらが立て続けに巻き起こったというのだから、彼女が満身創痍になってしまうのも無理はない話だ。事実、この手合いには慣れた蓮やモルガナでさえ、表情に疲労の色が窺える。

 

「でも、これで元通りになるんだよね?」

「ああ、よくやったな」

 

 ジェイルの(キング)が瑛自身だったとは言え、彼女のシャドウはこうして仮面(ペルソナ)へと生まれ変わった。

 徒にネガイを奪う存在が居なくなった以上、ネガイはあるべき持ち主の下へ還り、歪んだ現実は本来の姿を取り戻すことになるだろう。

 

 それを聞いた瑛はふにゃりと緩んだ笑顔を咲かせる。

 

「あはは! それだけ聞いたら安心した……あ~あ、なんだかお腹が空いてきちゃったな!」

「帰ったら祝勝会だ」

「ハッハッハ~! 遠路はるばる来てくれたアイツらにゃ悪いが、今回はワガハイたちに華を持たせてもらおうぜ」

「私は皆が来てくれるだけで嬉しいぞ」

 

 と、和やかな雰囲気が漂う中、

 

「あっ……ネガイが……」

 

 ふと空を見上げた瑛が、霧散していくネガイを捉えた。

 巨大な塊を形成していた宝石は、さながら流れ星のように四方八方へ飛び散っていく。認知世界のどこかを彷徨うシャドウの下へ向かっているのだろう。

 眩い煌きが尾を引く光景は、傍目からすれば美しいものだ。

 しかし、実際に彼女が想い抱く感想はと言えば、得も言われぬ寂寞感。

 

 その理由に見当をつけた瑛は、目を伏せてキュッと唇を噛み締めた。

 確かに自分の影を蝕み、王へと持ち上げたのはどす黒い悪意だったかもしれない。

 だが、それが全て唾棄されるべき感情だったとは思えなかったからだ。イジメを憎む心、親友の無事を願う心、義憤のままに力を振るおうとする心――見方を変えれば正義と捉えられる思いもあった。

 いや、だからこそ正義なのかもしれない。

 心の底から願った思いだからこそ、過ぎては消えていく尊くも儚い輝きを放つのだろう。

 

 あの中には、自分を守ろうとしたネガイも込められている。

 そう受け取った瑛は、そのまま手を組むや、祈るように瞼を閉じた。

 

「ジャック?」

「……もう大丈夫。お願いしたから」

「お願い?」

「皆のネガイにね、『幸せになりますように』って」

 

 現実の流れ星と同じように。

 

「届くといいな」

「きっと届くさ」

「うん……ジョーカーが言うと、不思議とそんな気がする」

 

 身を賭してまで庇おうとしてくれた蓮に対し、瑛は全幅と言っても過言ではない程度に信頼を置くようになっていた。

 これもまた彼を怪盗団のリーダーたらしめる才能だろう。

 モルガナもうんうんと首を振りつつも、その様子はどこか忙しない。

 

「オラ! いつまでも駄弁ってないで現実に帰ろうぜ!」

「どうしたのモナちゃん? そんなに急いで……」

「別に急いじゃねーよっ!」

「きっとパンサーに会うのが楽しみなんだ」

「ギクッ!」

「パンサー? ……あぁ、確か杏ちゃんって子だっけ?! モナちゃんが好きな女の子。そう言われると私も本物の“アン殿”に会ってみたくなってきたなぁ~!」

「べ、べべべ別にアン殿に会いたくてウズウズしてるとは言ってねーぞ!」

 

 ソフィアに考えを見透かされるモルガナだが、愛しの杏への情熱が冷める気配は見受けられない。一刻でも早く杏に会いたいという思いを表すかの如く、尻尾はビンビンに伸びきっている。

 

「仕方ない。モナが会いたがってるから早く帰ろう」

「そうだね。モナちゃんが会いたがってるから」

「だな。仕方のないモナだ」

「だぁー! なんでワガハイの我儘で帰る流れになってるんだ!? オマエら、そんな態度じゃワガハイに乗せてってやらねえぞぉー!」

 

 モルガナカーへの乗車権を盾に抗議するモルガナ。しかし、哀しいことに露ほどの効果も見受けられない。

 三者から向けられる微笑ましいものを見る瞳――モルガナにとって、これ以上の辱めはなかった。

 

「ったく……いつから全員こんな小生意気になったんだか……んっ?」

 

 トボトボと帰路につくモルガナであったが、彼の髭が微細な震動を捉えた。

 

「これは……不味い! 全員乗り込め!」

 

 咄嗟に車へと変化するモルガナ。

 態度が急変する彼へ呆気に取られる瑛であったが、真剣な声色を聞き取った蓮が彼女の手を引き、車の中へ飛び乗った。

 続けてソフィアも器用に荷台から乗り込む。

 全員の搭乗を確認するや、車は土煙を上げて爆走を始めた。レンガの地面にもきっちりとタイヤの跡が残るほどの速度。ハンドルを切る蓮の真横で、シートベルトを着ける間もなかった瑛は上下左右へ激しく揺れる車内で悲鳴を上げていた。

 

「んひぃぃぃいいい!!? なになになになに、この急なアトラクション!!? 痛っ、頭ぶつけたァ!!?」

「くっ……ソフィア! 後ろの様子は!?」

 

 ミラーで後方確認する余裕もない蓮がソフィアに問いかける。

 一方、レンズのように均整が取れた瞳は、迫りくる物体を確かに捉えていた。

 

「あれは……()だ。霧がこちらに向かってくる!」

「霧? でも、ここまだイセカイだよ!?」

 

 ソフィアが告げる存在に耳を疑う瑛が振り返るが、言われた通り、数メートル先も見えなくなるような濃霧が監獄のあちこちから滲み出し、爆走する四人の後を追いかけてきていた。

 イセカイの崩壊か? と蓮の脳裏に過る考えも、次の瞬間には切り捨てられる。

 パレスならば兎も角、ここはジェイルだ。統治する王が居なくなったとしても崩壊が始まらないことは経験済みである。

 だからこそ、今回の事態は異常だと理解できた。

 

「うわぁ!? ジョーカー、霧がもうすぐそこまで来てるよ!! もっとトばせない!?」

「アクセルはベタ踏みだ! これ以上は……!」

「頑張れ、モナ! ここが踏ん張りどころだぞ!」

『分かってるっつーの! クソッ、追いつかれ……う、うおあああ!!?』

「きゃあああ!!」

 

 そして、この“霧”こそが異変の元凶であると思い至ったところで、四人は白い霧の中――その奥に広がる暗い闇の中へと飲み込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 暗い闇の中に光が見える。

 どことなく冷たい印象を与える深い青色。だが、この時ばかりは人の手の及ばぬ海底に差し込む一条の陽光を思わせる温かさを覚えた。

 

 体に伝わる熱に、意識が覚醒した。

 深い眠りから叩き起こされたような頭痛こそ覚えているが、幸いなことに体に痛みは感じない。

 

「ここは……どこ?」

 

 初めて来る場所に瑛が首を傾げた。

 寝覚めの視界と朦朧とした意識では、自分がどこに居るのかさえままならない。

 しばし、頭を抱えて呼吸を整える。少しばかり頭痛が止んだところで思考を巡らせれば、途端に記憶が鮮明に呼び起こされた。

 

「そうだ! ジョーカー!? モナちゃん!? ソフィー!? どこぉー!?」

 

 意識が落ちる直前――迫りくる霧に呑み込まれた時、共に居た仲間の名前を叫ぶ。

 すると、直後に大音量で声が反響するものだから、依然として鈍痛に苛まれたままの頭を抱える羽目になる。

 

「うっ……ここは一体……あれ?」

 

 見慣れた、と言っては語弊が生まれる。

 割と()()()()()な部屋に閉じ込められていると分かり、瑛の頬には一筋の汗が伝う。

 

「ろ、牢屋……?」

 

 まさか自分(シャドウであるが)の悪行がバレて御用になったのでは? と悪い妄想が脳裏に過るが、怪盗服のままである姿に気づく。

 仮面もそのまま。少なくとも現実世界でないことは確かだ。

 となればイセカイ――自分のジェイルに無数に存在した牢獄にでも投げ込まれた可能性が最も高い。

 

 しかし、それはないだろう。

 理屈ではない。

 直感が、自分が閉じ込められている牢獄がジェイルでないと訴えているのだ。

 

 と、自分でも分からない確信を抱く瑛は、不意に聞こえてくる靴音を耳にし、弾かれたように振り向く。

 

「貴方は……?」

 

 檻の前に佇むのは、何とも愛らしい見た目の少女であった。

 白銀の長髪、蝶々の髪飾り、金色の双眸、深い青を基調としたワンピースなど、見れば見る程に人形とでも見間違う整った美しさだ。

 

「ようこそ、ベルベットルームへ」

「ベルベット……ルーム?」

「申し遅れました。私、ベルベットルームの主の付き人を務めております、ラヴェンツァと申します。以後、お見知りおきを……」

「こ、これはご丁寧にドウモ……あ、あのっ!」

「貴方が捜しておられる方々は、既に客室へ案内しております。どうぞこちらへ。それと鍵は最初からかかっておりません」

「え……? あっ、ホントだ!?」

 

 なんで私気づかなかったの!? と紅潮する頬を覆い隠すも、興味がないのか、あるいは単に流してくれているのか、ラヴェンツァと名乗った少女は小さな歩幅で道案内を始める。

 自分のジェイルとはまた違った雰囲気の牢獄だ。

 向こうがおどろおどろしい雰囲気に満ちていたのに対し、こちらは幻想的な印象さえ感じられる。それどころか得も言われぬ安心感さえ覚えてくるではないか。

 瑛は、この温もりに身近な人間の顔が脳裏に過ったところで、意を決して問いかける。

 

「あの……ラヴェンツァさん?」

「どうされましたか?」

「その、ベルベットルーム……でしたっけ? ここもイセカイなんですよね?」

「現実の世界ではないという意味では間違いありません。ですが、単なるイセカイかと言われますと、それは違います」

 

 一際眩い光が差し込む扉の前で立ち止まるラヴェンツァが、聞き返すタイミングを見失い茫然とする瑛へ、中へ入るよう手で促す。

 

「ここは精神と物質の狭間に存在する空間……どうぞ奥へ。我が主がお待ちしております」

 

 

 

 

 

「ようこそ、我がベルベットルームへ」

 

 

 

 

 

 円形の部屋の中央にポツンと置かれる机。

 そこに肘をかけていたのは、正しく異様な人間であった。長い鼻や細長い手足など、普通の人間から見れば不自然と感じる特徴を有した老人が、目を見開き、歯を剥き出しにしながらも口は開かないという器用な喋り方で語り掛けてきた。しかも、見た目に反して不自然なまでに甲高い声だ。

 ふと過る“悪魔”の言葉。

 口にこそ出しはしなかったが、彼の特徴はそう言い表す他なかった。

 

 仮に一人で来ようものなら、目の前の存在に慄く他なかっただろう。

 しかし、ラヴェンツァが告げていた通り招かれていた客人に気づき、瑛は何よりもまず駆け出した。

 

「皆!」

「ジャック! 無事でよかった……ここまで案内してくれてありがとう、ラヴェンツァ」

「いえ、私は自分の役目を全うしたまでです。マイ・トリックスター」

 

 瑛の無事の安堵を見せる蓮の礼に、ラヴェンツァは恭しく頭を下げる。

 何とも奇妙な関係性をやり取りだ。

 だが、安否が判明した三人が揃って『イゴール』を名乗る男の前に並ぶものだから、自然と瑛もその列に並ぶ。

 

「あの~……これはどういう集まりで?」

「それを今からお話するところでした」

 

 イゴールは並び立つ四人を一瞥し、クツクツと喉を鳴らす。

 

「こちらにお目見えになるのが初めてなのは、そちらのお二方ですかな? こうして大勢をお相手するのも久方ぶり……いやはや、その折は誠にありがとうございました」

「だからこそだ。事の重大だってのはひしひし伝わってくるぜ」

 

 どことなく背筋が伸びているモルガナが口を開いた。

 が、“その折”を知らないソフィアは首を傾げる。

 

「前に大勢来たのはいつの事だ?」

「世界が滅びかけた時だ」

「え……?」

 

 蓮の言葉に瑛は耳を疑った。

 思わず懐疑的な眼差しを送ってしまったが、どうにも嘘を言っているようには見えない顔だ。

 

「世界が滅びかけた時って……それじゃあ町は!?」

「順を追ってお話しましょう」

 

 最悪の事態を想像した瑛をイゴールが落ち着いた声色で遮る。

 

「貴方たちをベルベットルームへお呼びした理由……それこそまさしく現実世界の危機に直結しているのです。あの霧は御覧になりましたかな?」

「ああ。……あれが元凶なのか?」

「恐らくは」

 

 断言できない。すなわち、イゴールでさえ正体を掴めない相手に、蓮とモルガナの表情が険しくなる。

 

「あれは暗き闇の深淵……心の海より生じたものでしょう。人々の熱狂に沸かされた欲望が、王という拠り所を失いあのような形に……すなわちあれは『世界』そのものであり、異界への門……いや、鍵と言うべきでしょうか。一つ一つは小さな欲望の寄せ集めとは言え、その力が計り知れないことは、貴方自身もよくご存じの筈だ」

「人間の欲望が認知世界を創り出したと?」

 

 イゴールは頷き、続ける。

 

「時に人の関心は己が手に握る一つの道具へと寄せるようになりました……それは気安く語らう友人を生み出す一方で、存在しない虚像を生み出したのです」

 

 確かに情報機器が発達し、容易く人と人が繋がる時代になった。

 SNSでは出会ったこともない人間の言葉や生活を覗き見し、時には画面越しで言葉のやり取りをするようにもなっただろう。

 ただし、人との繋がりが容易になった一方、ネットの海に流れる心無い言葉を目の当たりにする機会や、匿名だからと過激な発言を発信する機会も増えた。

 それが本人に届くこともあれば、届かないことも勿論ある。

 しかし、人の目――特に母数の多い第三者に触れる以上、生じた悪感情は心の海を漂うようになる。ここまではいい。

 

 問題なのは、悪感情の行き場。

 正確に言えば、悪感情の矛先となる存在が居ない事実である。

 不快感や嫌悪感から生じた悪感情は、間違いなく実在する人間により生み出されたもの。ただ、ネットというフィルターを通している分、人々は目にしたこともないような人物を想像するようになる。

 

 やがて、それはネット上の偶像という“空虚”を生み出すようになった。

 人々に認知される非実在的存在。奇しくも認知する人の母数が多いことから、心の海――普遍的無意識の中には不透明で不明瞭、そして不確かな空虚が漂うに至っていた。

 

 それが今、ある時を境に意志を持った。

 

「これまで辛うじて心の海近くに漂っていた“空虚”……しかしながら、ある時大勢の人間が画面の奥に心を奪われる事件が起こった。貴方はよくご存じでしょう?」

「EMMAか」

「左様。彼の悪神にも劣らぬ力を得た電脳の神の登場に、認知世界は大きく揺らいだ。そして神が打ち倒された後、信ずる神の喪失に穿たれた心の空虚へ、彼の霧は居座ったのです……」

 

 ソフィアの方へ目を遣る蓮。

 表情を取り繕ってこそいるが、やはり親子なのだろう。久音と同じように感情表現が乏しそうに見えて案外分かりやすい。今回の事件のきっかけを生み出したEMMA――そのプロトタイプである己にも責任の一端があるのでないかと考えているようだった。

 となれば、少々お門違いだ。

 確かに彼女自身は過去の久音に見限られ、その後にEMMAが生み出された経緯こそあるが、どこを見ても彼女が責任を感じて然るべきことはない。

 

 しかし、少しずつ事件の全貌が見えてきたのは事実。

 ソフィア自身が黙して耳を傾けている以上、蓮は不必要に言葉を投げかけず、静かに次の言葉を待った。

 

「此度の相手は少々厄介でしょう。彼の霧は、人々の心に立ち込める靄より生じた存在……一にして全であり、全にして一である有様は、最早『世界』の仮面(ペルソナ)と言っても過言ではありません」

「『世界』……か」

 

 蓮が、その言葉を繰り返す。

 “愚者”の終着点。最終にして最上の結末であり、絆の涯に得られる無尽の力。

 それを育まれた絆などではなく、不定形の虚像を呪う心から生み出されたと考えると怖気を覚えるようだ。

 

 

「そんな相手……一体どうやって戦えばいいの……?!」

 

 瑛はようやく対峙していた黒幕の強大さを呑み込んだのか、慄いたように震えた声で紡いだ。

 確かに自分は恐怖を乗り越え、過去の自分と向き合い、新たな自分へと生まれ変わった。

 しかし、それはあくまで一個人に起こった事象でしかない。

 到底『世界』を変え得るだけの力はないのではないか――とすれば、なんと自分は無力なのだろう。

 

 だが、それで折れた訳でもなかった。

 聳え立つ壁の大きさを知っても尚、どうにかして乗り越えようと、どうしようもない程に心が燻っている。

 

「立ち向かう術は一つ、歩み続けることです」

「え……?」

「人ならば誰しもが持ち得る力。それこそが、此度の難局を打ち破る道標となりましょう」

 

 そんな少女の背中をイゴールが押す。

 

「ペルソナ使いだからと言って、それは選ばれた存在でも、『世界』を変えられるのでもありません。死の恐怖を乗り越えることも、隠された真実に目を向けることも、降りかかる不条理に抗うことも、全てはきっかけに過ぎないのです……必要なのは()()()()()()()()。それが何にも勝る人の強さ。永い旅路を辿るに必要な心構えです」

「前向き……ふふっ、あはは、あはははは! なーんだ、そんな簡単なことでいいんだ!」

 

 穏やかに諭すイゴール。

 すると真摯な面持ちで聞いていた瑛が、堪え切れなくなったように噴き出した。

 

 そうだ、今更だ。

 絶望が立ちはだかろうと、『世界』が影に満ち満ちようと、それで自分たちの道が終わる訳ではない。

 道を阻まれたのならば切り開くだけ。

 新たな自分に生まれ変わった瑛にとって、それはストンと胸に落ちるような核心を突いた答えだった。

 

「フンッ……願ってもない」

 

 一方、蓮は仮面に手をかけ、不敵に笑う。

 

「もう一度『世界』を頂戴してみせる。一度も二度も大差はない」

「……それでこそ我がトリックスターです」

 

 全人類に対する挑発に等しい宣戦布告に、待ち受けていたと言わんばかりの微笑みをラヴェンツァが浮かべ、手にしていた本を開く。

 ペルソナ全書――そう記された書物の中には、優に百を超える仮面が記されている。

 無論、蓮のアルセーヌや、ついさっき誕生したばかりのジル。ありとあらゆるペルソナの名が連なる中、ラヴェンツァが目に止めたのは竪琴を奏でる奏者と漆黒の衣を纏った偉丈夫だった。

 

「かつて『世界』を手にした者たちは、立ちはだかる苦難を前に、その絆より生まれる無尽の力を用い、世界を滅ぼさんとする絶望を打ち払ってきました」

「ある者は死の答えにたどり着き、ある者は霧の中に隠された真実を見つけた……そして貴方は、反逆の御旗のもとに集った仲間と共に自由を勝ち取った」

「その掛け替えのない未来を取り戻せると……私たちは信じております」

「『希望』……『神官』……そして『慈善』。新たなアルカナと育んだ『世界』は、より強固な絆へと昇華しているはず。細やかではございますが、貴方方の行く旅路に幸多からんことを願っております」

 

 

 

 

 

――貴方方は、最高の客人なのだから。

 

 

 

 

 

 最上級の賛辞を背に、四人はベルベットルームを後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

『――ィー。ソフィー、聞こえていたら返事をしてくれ!』

「! 一ノ瀬か。私だ」

 

 ベルベットルームを発つや、ソフィアに組み込まれた通信機器から通信が入る。

 切羽詰まった声。余程自分たちを心配してくれているのだろうと一種の安堵を覚えながら、ソフィアは応答してみせた。

 すると、驚くような息遣いが響いてから一拍置かれる。

 

『やっと連絡が繋がった……良かった。全員無事かい?』

「勿論だ。それよりも厄介なことになった」

『ああ、こっちからも想像はつく』

 

 互いに神妙な声色だ。

 そこへ口火を切ったのは蓮である。

 

「とりあえず外の状況を知りたい」

『ジョーカーくん……済まない。後から来た怪盗団の諸君を案内する手筈だったんだが……どうやら町とそれ以外が霧で断絶されているようだ。それで……』

「イセカイに入って侵入できない、か?」

『ッ……! 何か掴めたのかい?』

「ああ、実は――」

 

 イゴールとの会話で得られた情報を久音と共有する。

 内容が内容だ。顔こそ窺えないものの、余りにも壮大で荒唐無稽にも聞こえる話に、彼女の呻き声がはっきりと聞こえてくるようだった。

 だが、彼女もまた事情を知る人間の一人。この呻き声も、あくまで相手の強大さ故の苦慮によるもの。

 

『成程……そんなことになっていたとは』

「ああ。俺たちはこれから元凶を倒しに行ってくる」

『待ってくれ。いくら君たちでも戦力が心許ない。私とナビくんでどうにかするから、全員が揃うのを待ってからの方が……』

「済まないが猶予がない。どうやら現実とイセカイの融合が始まっている。このまま侵食を許してしまえば取返しが付かなくなる」

『それは……しかし』

 

「信じてくれ、一ノ瀬」

 

 四人を案ずるが故に引き留めていた久音であったが、ジッと口を結んでいたソフィアが言い放つ。

 

『……ずるいよ、ソフィー。そんなことを言われたら、送り出さずには居られないだろう』

「ごめんなさい」

『いいや、いいんだ。君は私の子供で……大切な友人だ。君が望むなら、私は君を送り出す。そう……決めていたからね』

「一ノ瀬……」

『だから約束してくれ。無事に帰ってくると』

「……了解だ!」

 

 母娘であり友人。

 奇妙な間柄ではあるが、互いに信頼し合っている事実は歪められない真実だ。

きっと見えない声の向こうでは困ったような笑みを浮かべているのだろう。そんな久音の姿を想像したソフィアは、せめてもと元気いっぱいに応答してみせた。

 

『おおい、ジョーカー!! 聞こえてっか!?』

「スカルか」

『悪ィ、今すぐそっちに行きてえけど無理みたいだ……すぐに追いかけっからくたばったりしてんじゃねえぞ!!』

 

 そして、今や今やと待っていた怪盗団の面々も口を開き始めた。

 

『んもう! 言いたいことあるのはあんただけじゃないっつの! ジョーカー、モナ、ソフィー、それにジャック……顔も見たことのない貴方に任せるのは正直気が引ける。でも、これだけは忘れないで。私たちが付いてるってこと!』

「パンサー!」

『霧、か……やはり人の心は不可思議だ。虚妄とは言え、一つの世界までをも生み出してしまうのだから。だが、お前達には造作もないだろう? 世界を盗み出すぐらいの芸当はな』

「フォックス!」

『いい? 絶対に無理はしないこと。撤退も立派な戦略なんだからね……だから怪我だけはしないでよね? それからまた皆で一緒に旅に出かけるんだから』

「クイーン……」

『ま、わたしは皆が勝つって分かり切ってるけどな! ……んでも、わたしゃ自分が参加してナンボな性質だからな。待ってろ、このわたしがパパっと皆を連れてってやる! もしも負けたら……そうじろうの家で皿洗いだ! いいな!?』

「ナビ……」

『ごめんなさい、皆……折角来たのに何もできなくて。本当に無理だけはしなくていいんだよ? ……って言っても、私の知ってる貴方たちは行っちゃうよね。だからこれだけは言わせて……貴方たちの勝利を信じています!』

「ノワール……!」

 

 送られる激励の言葉に、四人は体の芯から奮い立つような感覚を覚えた。

 力が満ちていく。これは錯覚などでは決してない。四人の勝利を信じる仲間の心が、少なからず彼らに力を与えたのだ。

 

「皆、ありがとう」

「フーンだッ! ワガハイらがパパっと解決してきてやる! その目にしかと焼きつけろよォ!」

「素直じゃない奴だ、モナ」

「そこがモナちゃん可愛いところなんだけどね」

 

 分かる~、と女子陣からの声が上がれば、モルガナが赤面しつつ抗議する。

 と、瑛が怪盗団女子と距離を縮める一方で、久音が『最後に』と付け加えてきた。

 

『ジョーカーくん』

「一ノ瀬?」

『この前話していた件についてだが……――』

「――!? 本当か?」

『ああ、間違いない』

「恩に着る。これで敵の居場所に見当がついた」

『本当かい?』

「ああ」

 

 全ての黒幕が居座る根城。

 その場所が推測できたと断言する蓮に、空気が一変する。

 誰もが四人の無事を、勝利を、必ず帰ってくるようにという願いを胸に、見送る態勢に入っていた。

 

 世界の命運は、まさしく自分たちが担っている。

 

 こんな時、勇者ならばどうするだろうか?

 ここまで辿り着いた遥かなる旅路に思いを馳せるだろう。

 こんな時、英雄ならばどうするだろうか?

 臆する者達を奮い立たせる言葉で場を沸かせるだろう。

 

 だが、怪盗はそのどれとも違う。

 

「さぁ……ショータイムだ!!」

 

 大胆不敵に宣戦布告。

 なぜならば、自分たちは『世界』を救うのではない。

 『世界』を――奪う側なのだから。

 

 

 

 

 

 

「――実はね、ジョーカーとモナちゃんの二人に黙ってたことがあるの……」

「なんだと?」

「その……二人に酔っ払った人から助けてもらった後、公園に行ったよね。実はあの時モナちゃんの声、聞こえてたんだ」

「ナンダトッ!?」

 

 目的地へ向かうモルガナカーの中、神妙な面持ちの瑛が語る衝撃的な事実。

 同時に浮かび上がる一つの疑問。

 

「それじゃあジャックはあの頃にはもうイセカイに行ったことがあるのか!?」

「イセカイには……ごめん、覚えてないの。私もあの時は幻聴だとばかり思ってたから言いそびれちゃって……」

「そう、か……いや、助かったぜ。少なくとも今回の敵は、その時期にゃオマエと接触していたってことだ。それだけでも話してくれた価値はある」

「モナちゃん……ありがとう!」

 

 励ましの言葉にはにかむ瑛。

 一方、ハンドルを握る蓮の座席の背もたれに、背後からソフィアが腕を回した。

 

「ジョーカー、今の話はどうなんだ? 一ノ瀬から聞いた話……敵の居場所に見当がついたと言ってたな。それと合わせてみたら……」

「ああ。尚更確信を得られた」

「……私も、一人だけ心当たりがあるの」

 

 迷わずハンドルを切る蓮。その隣に座る瑛は、車が突き進む道のりも併せ、これから向かう先――そして出会うであろう人物に当たりをつけていた。

 

「私は……ううん、()()()()()()()()()シャドウが(キング)にさせられてたなら、それは過去の私を知ってる人しかありえない」

 

 傷害事件を起こし、転校せざるを得なかった瑛。

 そうした彼女の経歴を知る者は、遠く離れたこの地では限られてくる。

 

 

 

「――ですよね、(はざま)先生」

 

 

 

 辿り着いた場所。

 週末には一家団欒の光景に溢れかえるスーパーマーケット――正確には言えば、その中にひっそりと佇むクリニックが、虚像の皮を捨て去っていた。

 在ったのはガラス張りの扉などではなく、中世を彷彿とさせる堅牢な鉄の扉。大仰な装飾と奇怪な紋様が描かれている扉は、余りにも異質であった。

 

 そして、その扉の前に佇む男は、不気味な薄ら笑いを浮かべていた。

 

『……よくここまで辿り着いたね。まさか君までもやって来るとは正直驚きだ、福田くん』

「いつからですか?」

『いつから……とは?』

「私に目をつけ、ジェイルの(キング)に仕立てあげ、この町を欲望で歪めようとしたことです!」

 

 怒気を孕んだ声がキンキンと響き渡る。

 が、男は薄気味悪い笑みをそのままに淡々と答える。

 

『ずっと昔から……と言えば、君はどれくらいの時間を想像する?』

「え……?」

『君と出会った時から? この男が認知訶学などという学問に触れてから? それとも認知訶学という学問がこの世に生を受けてから? ……どれも違う』

「キサマ……何者だ!?」

 

 モルガナの剣呑な声が飛ぶ。

 

 それは男の様子が、現実世界で出会った心療内科医である姿とは明らかにかけ離れているからだ。いや、そもそも目の前の男が本物であるか定かではなくなる口振りをするからであった。

 金色の瞳を見る限りシャドウであることだけは分かるが、それ以上のことはどうしても憶測になってしまう。

 

 だからこそ、全てを明らかにすべく蓮が告げる。

 

「正体を表せ」

『――いいだろう。この男の体も用済みだ』

「!」

 

 刹那、丈の体が崩れ落ちる。

 するや、彼の体から浮かび上がる“霧”が形を成していく。

 

 人間よりも小さく、布を被ったような姿。

 しかし、定まった輪郭がないのだろうか。一度瞬きすれば、また違った姿を晒す存在は極めて不安定であった。

 

『我が名は、命永らえしもの……『ウムル・アト=タウィル』。この門の番人である』

「門だと? 一体何の門だ」

『……ところで君たちは、夢は見ているか?』

「……なに?」

『夢や願望……小さなものから大いなる野望に至るまで、遍く命は望みを抱いている。欲望が命を生み、欲望が命を繋ぎ、欲望が命に意義を与える。欲望とはすなわち、命そのものさ』

「何が言いたい」

『この先には、全ての欲望を叶えられる力がある』

「大した妄言だな。そんなものに付き合っている暇はない」

『妄言と望むのもまた欲望だ……いいだろう。僕はあくまで化身であり番人。この門を潜るに相応しい旅人とその一行よ、世界の真理を見に行ってくるといい』

 

 そう言って、ウムル・アト=タウィルは白銀の鍵を取り出し、門の鍵穴に差し込んだ。

 悲鳴染みた金属の軋む音を奏で開かれる扉。中からは一寸先も見えない濃霧が満ち満ちており、とてもではないが先へ進めるようには見えない。

 

――進まざるを得ない。そんな威風を、奥から感じる。

 

 しかし、瑛が向かう先は門よりも前にあった。

 

「間先生!」

『死んではいない。彼もまた一人の夢追い人……その知識と記憶から体を借りたが、悪いようにはしていない』

「……本当?」

『僕は命にとって敵ではない。純然な味方でもないが、与えられた役割を超える真似はしない』

「……」

 

 半信半疑といった眼差しを送る。

 だが、現に丈のシャドウの息がある以上、しつこく追及しても無意味だと悟ったのだろう。倒れた丈を近くに寝かせ、瑛は先に門の前に待機していた三人の下へ並ぶ。

 

「ごめんね、待たせて」

「気にするな、ジャック」

「ああ。……フタバの母親と同じで利用された人間だったか、アイツも」

「一つ、やることが増えたな」

 

 気さくに応えるソフィアの傍ら、憐れんだ瞳を浮かべるモルガナと拳を鳴らす蓮。久音と善吉の調査から、若葉と同じ研究機関に所属していた経歴を有していた丈であるが、彼もまた利用されていた側の人間に過ぎなかったのである。

 義憤に燃える蓮に、思わずモルガナも『オマエ、そんなに血の気が多かったか……?』と呆れるが、緊張を緩めるには十分なやり取りだった。

 

 万全を期した四人が、門の前に並び立つ。

 

「……行くぞ」

 

 そして、足を踏み入れた。

 

 空間に(ひし)めく霧、霧、霧……。

 

 じっとりと肌に張り付く不快感は、虚像へと吐き捨てられた人の悪意を表しているかのようだ。

 そのような空間を延々と歩いていれば、一つの門にたどり着いた。

 先程よりも大きく、荘厳ながらも不気味な門。圧巻され、次には絶句するような果てしなさを兼ね備えている。

 

 しかし、それは出入りするものではなく、中に居る何者かを閉じ込める為にあるのだろう――四人は自然とそう思い至った。

 

 次の瞬間だ。

 どこからともなく差し込む光が霧を照らし、無数の虹を浮かび上がらせる。

 虹は次々に霧を抉り取り、球体と化し、最後には幾百もの虹の球体が合わさった塊が出来上がっていた。

 

『――汝、何者だ』

 

 重く、鈍く響く声。

 圧し掛かる重圧に、思わず閉口せざるを得なくなりかけたが、ここで口火を切るのは蓮であった。

 

「お前に用があって来た者だ」

『願望を叶えに赴いた旅人か……今や世界は我の力により、表裏なく一体となろうという道の半ば。誰しもが自分の影を知られまいと怯える世界はなくなり、全てが影を受け入れられる時が来ようとしている。ままならぬ現実は消え去り、己が望むままに塗り替えられる世界だ……良かろう。手始めに汝だ、言ってみせよ』

「そうか」

 

 蓮は、隣に並び立つ仲間の表情を見遣る。

 誰もが決意に満ちた瞳を浮かべ、そのまま浮遊する『世界』を睨みつけた。

 

「俺たちがお前に望むのはただ一つ」

 

 蓮は、そんな彼らの心を代弁するように、

 

 

 

 

 

「――失せろ」

 

 

 

 

 

 取り出したハンドガンの銃口を突きつけた。

 

『……良かろう。ならば、我の仮面……屈して手に入れてみせよ』

「ッ……なに、この揺れ!?」

「チィ!! ま、ただ願いを聞いて叶えるたぁ端っから思ってなかったがな!!」

 

 突如、霧に満ちた世界が地響きと共に開かれていく。

 霧は門の中へと吸い込まれるようにして消え行き、残ったのはひたすらに広大な闇ばかり。宇宙に放り出された浮遊感を覚える四人は、直後に轟音を鳴らす扉を見遣った。

 

『我は影……全なる影……』

 

 幾条も重なる封をかけていた鎖が、何度も何度も歪む扉にとうとう耐え切れなくなり、次々に引き千切れていく。

 

『無名の霧より生まれし、無限を体現するもの……』

「ジョーカー! 出てくるぞ!」

「ああ――()()()()()()

 

 完全に封が解かれた。

 巨大な門を奥から開くのは、無数の触手と恐ろしい口を携えた怪物。見る者の根源的恐怖を呼び起こす外見を備えた、人知を超越した存在――否、“空虚”であった。

 

 

 

 

 

 

    

      

 

 

 

 

 

 

 『世界』そのものが、顕現した。

 

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