PERSONA5 The BlackJack   作:柴猫侍

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Ⅻ.Life Will Change

 

───ぐろぐろぐろぐろ……。

 

 そう形容する他ない渦巻く音が、闇を震わせている。

 

「来るぞ、オマエたち……!」

 

 蠢動する混沌を前にするモルガナが注意を促す。

 敵は彼の悪神・ヤルダバオトや、偽神・デミウルゴスに匹敵する力を持っているとみて間違いない。

 数多もの窮地を潜り抜けてきたモルガナでさえ、その仮面の奥の緊張を隠し切れてはいない様子だ。

 

「言われなくても、準備オーケーだ!」

 

 対して、ソフィアは緊張をおくびにも出してはいない。

 それは彼女が心を持たないAIだからなどではない───心を持つが故に、自身を勇気づけている願いや想いがあると知っているから、恐怖に挫けることなく面と向かえていた。

 

「俺達は一人じゃない。みんなの心は傍にある」

 

 銃を構える蓮が続いて言い放った。

 彼の仮面(ペルソナ)は、紡いできた絆の軌跡。“世界”そのものと呼ぶべきヨグ=ソトースとは相反する素養を持つ彼だからこそ、遠く離れた仲間の力を感じ取ることができる。

 

 だからこそ、負ける未来は存在しない───ではない。

 勝つ未来しか、頂いていくつもりはない。

 

「うん。分かってるよ、ジョーカー」

 

 蓮の言葉に呼応するように、仮面の手をかける瑛から蒼炎が立ち上る。

 

「私もようやく見つけられたの。本当の……強さの在り方を!」

 

 燃え上がる闘志は、やがて人の形を成す。

 純白のコートを靡かせる殺戮の天使は、これから血に染まるメスを握り、鋭い眼光を以て窮極の邪神をねめつけた。

 

「貴方が捨てられた心の寄せ集めって言うなら……私が頂いていくから! そこには捨てちゃいけないものも、きっとあるはずから!」

 

 自分がそうだったから、と。

 真っすぐな視線を向けられた邪神は、虹色に輝く光球を歪ませる。

 

『───ならば、抗え』

 

 試すような声色。

 刹那、闇に嵐が巻き起こった。立つことすらままならなくなる程の向かい風は、反逆の意志を見せる四人を一蹴せんと吹き荒ぶ。

 暴風を前に細められる四人の双眸。

 その狭まった視界の中、強大な闇の声が、胎動のように腹の底へ震えて響く。

 

『抗い、勝ち取ってみせろ』

 

───仮面(ペルソナ)を宿す、人の児よ。

 

 瞬間、耳を劈く轟音が吹き荒れた。

 

「全員下がれ! ゾロぉ!」

 

 弾かれるように飛び跳ねたモルガナが、己が半身を呼び出す。

 モルガナがカトラスを構えたように、ゾロもまた右手に握るレイピアの切っ先を突き出す。

 羽織るマントを靡かせる“ガルダイン”は、迫りくる暴風を相殺せんと迸った。

 

「ぐ、ぅううおッ!」

 

『───知恵の実を食べた人間は、その瞬間より旅人となった……』

 

「!」

 

 モルガナは格上の攻撃に何とか拮抗してみせるが、ぐるり、と悍ましい虹色の光球を裏返してみせた邪神が言葉を紡ぐ。

 するや、光球が一つ弾けた。と同時に、暴風が一層苛烈さを増してモルガナを襲う。

 悲鳴を上げる間もなく、小さな体躯が暴風で浮き上がった。

 

「モナ!」

『カードが示す旅路を辿り、未来に淡い希望を託し……絶望へ塗り替えられ』

「ジョーカー! あいつの様子が変わったぞ! なんだか、さっきよりも強い力を感じる……」

「なに?」

 

 モルガナの援護へ回ろうとした蓮へ、異変に気付いたソフィアが注意を促す。

 振り向く蓮が眼にしたもの───それは無数に伸びる触手の一つが、吐き出すように暗く彩られた言葉を紡ぐ様相だった。

 

『そう……、とあるアルカナがこう示した』

「ッ……、フツヌシ!」

『混迷と裏切り……理想と現実の剥離が無気力を生み出すと……』

 

 先の暴風を上回る嵐が迫りくる。

 幾重にも重なる真空の刃は、無数の円を描きながら四人を切り刻まんとしていた。

 対する蓮は、顕現させた剣神の剣を意のままに操り、迫る真空刃を一つ残らず叩き切る。

 

 危ないところだった、と半開きになった口で声にならない言葉を紡ぐ蓮。

 シャボン玉のような光球が裏返ったかと思えば、それまでとはまるで違う力の波動がこちらを襲ったのだから。

 

「まさか……」

『そのアルカナは示した……』

「私に任せろ! パンドラ!」

 

 今度はソフィアが前へ躍り出る。

 無数の泡が光り輝いた光景を前に、禁断の名を冠するペルソナも負けじと光を産み落とし、幾条もの光線を解き放つ。

 

『悲観より止まぬ疑心暗鬼……それから逃れるには孤立しかないと』

「光がっ……、こっちに!?」

 

 しかし、射線上の万物を焼き焦がさんとする“マハコウガオン”の光を受け、虹色の泡は閃光を乱反射させるように撒き散らした。

 

 降り注ぐ光の雨は、ソフィアの覚悟をそっくりそのまま敵意となって返ってくる。

 即座に防御体勢を取ろうとするソフィアであるが、攻撃直後で硬直した体では間に合わない。

 

 そこへ割って入る蓮は、宿す仮面を入れ替える。

 

「キュベレ!」

 

 燦々と放たれる光を食らっても尚、死と再生を司る女神は微動だにしない。

 浴びせられる祝福の光の悉くを無力化し、女神は闇に消え入る。

 

「無事か、ソフィー?」

「済まない、迂闊だった。だが、やっぱりあいつの力は変だ……」

「同感だ。奴の力は俺と……」

 

 覚える違和感───否、既視感と言うべきか。

 答えが確信に迫る中、また一つ、邪神を取り巻く泡の一つが弾け飛んだ。

 

『そのアルカナは示した……』

「また……来る!」

『生が持つ輝き……それに焼き焦がされる嫉妬と挫折を……』

「マザーハーロット!」

 

 業火が龍となって襲い掛かる。

 紅蓮に燃え盛る炎は、息をするだけでも肺が焼けそうな熱風を伴っていた。

 

 それを凍てつく冷気で相殺するのは、女帝のアルカナを宿す大淫婦。複数の獣の首から冷気を吐き出しては、次から次へと吐き出される炎を鎮圧する。

 その間、吹き飛ばされたモルガナを介抱していた瑛が『そんな……』と愕然を露わにしていた。

 

「シャドウって、こんなにたくさんの攻撃が使えるものなの……!?」

「いや、違うな。あいつが特別なんだ……こいつは厄介な相手だぜ」

 

 痛む体に目を細めるモルガナは、次々に手札を変えるヨグ=ソトースに、同様に手札を変えて対抗する蓮の姿を重ねる。

 

「嫌な予感はしていたんだがな。……あいつは、()()()()()()()()()()()()()()()!」

「ど、どういうこと?」

「複数のペルソナを扱える能力だ! ただ、あのバケモノは一人で全部をこなせちまうらしい!」

 

 『休んでる暇はねーぜ!』と気合で飛び起きたモルガナは、そのまま前線で戦う二人に加勢する。

 流石に二人で戦線を維持するには手数が足りない。その窮状を表しているかの如く、二人の手が回らぬ場所にあった触手が紅蓮の炎を収束させていた。

 

「させねえぞ! コイツを喰らいやがれェ!」

 

 炎の収束が限界を迎える寸前、正確無比な疾風が火球を貫いた。

 刹那、風に煽られた火球は爆散し、それを収束させていた触手は爆炎の巻き添えを喰らって灰になる。

 

「どんなモンだァ!」

『そのアルカナは示した……』

「今度は……雷撃か!」

『あらゆるものと毅然と向き合ったところで、罷り通る横暴は留まらぬと……』

 

 触手の一つがモルガナに照準を定める。

 剥き出しになった口腔からは今にも弾けそうな雷が、連続した破裂音を轟かせている。

 

 炸裂は一瞬。

 臨界点に到達したエネルギーは、モルガナの反応を置き去りにし、稲光を迸らせた。喰らえばただでは済まない一撃を前に、モルガナは微動だにしない。

 

───動く必要がなかったからだ。

 

「オーディン!」

 

 隻眼の皇帝が、雷槍を地に穿つ。

 モルガナを射ようとした雷撃を粉砕したオーディンは、そのまま槍を投擲し、たった今仲間を狙った触手を貫いた。

 狙った標的を外さない魔槍は、目的を達して主の下へと返ってくる。

 それを手にするや、オーディンはまたもや槍先に電光を集め、“真理の雷”を猛威を振るう触手へと叩き込む。

 

 だが、一本触手を消し炭にしたところで、混沌より生まれ出ずる影はまた新たな触手を生み出すばかりだ。

 キリがない……と辟易する一方、蓮は一つ得心がいったと言わんばかりに眉を顰めた。

 

「アルカナに対応した力……それが邪神(やつ)の神髄か」

 

 アルカナシフト。

 名付けるならば、それが相応しい。

 

「ラヴェンツァの語っていた肩書に違わぬ力だ」

「だが、似たような力ならオマエが負ける道理はないぜ! そうだろ? ジョーカー!」

「フンッ……」

 

 当然だ。

 そう言わんばかりの気炎を燃え滾らせ、蓮が鼻を鳴らし、仮面に手をかける。敵がいくら手札をコロコロ変えるならば、自分もまた持ちえる複数の手札を行使するのみだ。

 それもただの手札ではない。ヨグ=ソトースが“世界”を寄せ集めた手札と例えるならば、こちらは選りすぐりの絆より生まれた至高の逸品ばかり。数で劣ると言えど、湧き上がる無尽の力は有象無象に勝るとも劣らない。

 

「活路は必ずある……見極めてやる!」

『そのアルカナは示した……』

「来い!」

『己を導く存在……それこそが己を束縛する正体だと……』

 

 紅蓮の爆炎が青く彩られる。

 幻想的にも見える色合い。しかし、それに秘められた暴力を見逃さなかった蓮は、迫る核熱の波濤を前に黄金の龍を顕現させた。

 

「捻じ曲げろ、コウリュウ!」

 

 四神の長たる龍は、金色の鱗から燐光を振り撒きながらけたたましい咆哮を上げた。

 景色が歪んだのは、その直後。コウリュウの解き放つ念動波は、四人を狙う核熱を霧散させて無力化してみせる。

 

 そのままコウリュウは昇りゆく。

 続けてゾロとパンドラも駆け上り、がら空きとなった邪神の懐を目指す。

 

 しかし、それを許すような相手ではない。

 泡が弾け、混沌の深淵が生まれる。底の見えぬ扉の奥からは、無数の帯が飛び出してくるではないか。

 目にも止まらぬ速さ、尚且つ逃げ場を塞ぐかの如く多角的に迫る帯。

 当然抵抗する三体であったが、数の暴力を前に奮戦虚しく帯に捕えられてしまう。

 

「いけない!」

『そのアルカナは示した……』

「切り刻んで、ジル!」

『他者と心を通じ合わせようとも空回る……その失意と空虚を……』

 

 拘束した三体目掛け、刃のようにしなる帯が突き進む。

 それらを蹴散らすべく飛翔するジルは、華麗なナイフ捌きで三体を捕える帯を切り裂く。続けてこちらを切り裂かんと突進する帯を紙一重で躱す、そのすれ違い様にも刃を奔らせる。

 

 そうして帯は、地に足をつける瑛の眼前へと迫った。

 が、次の瞬間に帯は二股に分かれ、ちょうど瑛を避けるようにして刃たり得る強度を失う。

 

「やるな、ジャック!」

「なんてことないよ! それより、今のうちに態勢を!」

「ああ! ……イシュタル!」

 

 妖艶な美貌を有す愛と美の女神が、癒しの光を仲間へ振りまく。

 “メディアラハン”は拘束によって負ったダメージを完全に回復し、四人を万全な体力にしてみせた。

 

 これで振り出しに戻った───と言いたいところではあるが、蓮の表情はどこか芳しくない様子だ。

 

(打開策を見出すのが先か、こちらの気力が尽きるのが先か……)

 

 懸念を抱くのは蓮だけではない。

 歴戦のモルガナや、AIのソフィアも早い時点で脳裏に過っていた。体力は今のように回復すればいいが、ペルソナを発動する気力や精神力といった心の力の回復は容易ではない。

 無限に等しい手札に対し、逐一迎撃するだけではじり貧だ。多少のリスクを冒してでも勝負に出なければならないと、自身の勘が訴えかけている。

 

 短い思考の中、蓮は冷静に状況を進める。

 同時に、いつも盤面を適宜整理してくれる天才ハッカーへの感謝の念を抱く。いつも存分に力を揮えるのは、彼女のサポートがあってこそだと身に染みるようだった。

 

(双葉だけじゃない。杏は相手の目を欺き、祐介は冷静に勝利の絵図を描いた)

 

 抜き身のハンドガンを構えたまま駆け出し、迫りくる触手を紙一重のところで回避する。

 直接攻撃してくる触手は回避で潜り抜け、遠く離れた場所から狙いを澄ませる相手に対しては弾丸を叩き込む。

 脳があるかも定かではないが、間もなく撃ち抜かれた先端がだらりと項垂れる。

 好機、とワイヤーを射出する蓮は、仕留めた触手を足場にしつつ、猛威を振るうヨグ=ソトースへ肉迫していく。

 

「上からジョーカーが攻めてく! オレたちは下から行くぞ!」

「了解だ!」

「うん! 気をつけてね、ジョーカー!」

 

 下からは暗に自身の意図を組んだモルガナが先導となり、触手を蹴散らしながら突き進んでいく。

 そんな彼らに微笑みを向け、蓮は薙ぎ払うように襲い掛かってきた触手の一本を飛び越えた。

 

(モルガナは反逆の使者として俺を導いてくれた。あいつが居なければ、世界は悪神の掌の上で踊らされたままだった)

 

 二撃目。

 今度は足場との隙間を見逃さず、スライディングして薙ぎ払いを潜り抜けた。

 

 しかし、狙っていたかのようなタイミングで左右から無数の触腕が迫る。

 いちいち狙撃していては間に合わない───手札を一つ明かそうと仮面に手をかけた蓮であったが、真下で光が輝くや、影の触腕は幾条もの光線に焼き落された。

 

 ふと視線を向ければ、してやったりと笑みを浮かべるソフィアが目に映る。

 そのまま得物を自由自在に操る彼女は、縦横無尽に駆け巡り、迫る魔の手を一つ残らず叩き切った。

 

 目を見張る獅子奮迅な活躍ぶりには、見ている方も否応なしに勢いづけられるようだ。

 

(ソフィアも自分の意志で立ち上がった。あの偽神を討てたのも、ソフィアの強い心があってこそだった)

 

 仮面の裏に、思い出の場面が一つ、また一つと過っていく。

 

(真は怪盗団の頭脳として支えてくれた。春も辛い中懸命に頑張ってくれた)

 

 今となっては懐かしい。が、鮮明に焼き付いた記憶は当時の熱意を呼び起こす。

 そうして燃え滾る心が、力となって仮面に流れ込んでいく。発露する反逆の意志は蒼炎を伴って燃え上がり、殺到する触手を解き放つ覇気で硬直させる。

 

(竜司は……どんな時でも真っ先に切り込んで、俺達に活路を見出させてくれた!)

 

 硬直が解かれ、再び突撃してくる触手を曖昧なビジョンが多腕を振るって蹴散らす。

 

「シュウ!」

『そのアルカナは示した……』

「蹴散らせ!!」

『目的に視野を奪われ、暴走し、無知を晒す……人が命を得たからこそ垣間見える愚かさを……』

 

 無数の触手が、唸り声のような音を響かせる。

 が、それらは蓮に届く寸前、一度に放たれた斬撃と打撃に阻まれて霧散した。

 現れ出でたのは、複数の腕に武器を携える戦の神。邪神の魔の手すらも『下らん』と鼻で笑った牛頭は、徐に腕を突き出した。

 グオン、と空間が軋む不快な音と共に、強力な念動波がヨグ=ソトースの触手の動きを止める。

 

 そうして邪神が無防備を晒すも束の間、下から迫っていた三人が仮面の内を曝け出す。

 

「ゾロ!」

「パンドラ!」

「ジル!」

 

 気炎を吐くような声と共に、疾風の槍、祝福の光、呪怨の刃が得体のしれない混沌のど真ん中へ突き刺さる。

 ぐるぐると渦を巻いて混ざり合ったエネルギーは、あれよあれよという間に形を留めることをできなくなって爆散した。無尽の影を生み出していた渦も、三人の一斉攻撃を受けた影響か、心なしか震えている。

 

「どんなモンだ!」

 

 一矢報いたモルガナが叫ぶ。

 黒煙の奥に佇む敵影は未だ見えないが、この暗澹たる闇が存在している以上、健在であることには違いない。いつでも動けるように身構える三人であるが、ふとした瞬間にソフィアのガラス玉に似た双眸が見開かれた。

 

「……『痛い』?」

「ソフィー、どこか痛むの?」

「いや、声が……」

 

 困惑したソフィアの言葉は要領を得ず、傷を負ったかと心配する瑛も何が起きたのか図りかねていた。

 

 彼女は『声』と言った。

 言われるがまま耳を澄ませてみる。だが、耳は爆発の余韻である耳鳴りしか拾えない。とても声と言われるような音は聞こえてこなかった。

 

───いや、違う。

 

 ハッと面を上げる瑛は、ゆっくりと晴れていく黒煙から垣間見える“影”に眼を向けた。

 

「貴方……()、なの?」

『───』

 

 言葉は無い。

 代わりに、獰猛な悪意が牙を剥き出しにする。続けて吐き散らされるのは、空気と液体を逆流させるような不快な音。

 

『そのアルカナは示した……。何もかもが不確か故に、正しき答えを他者に依存する自我の脆さを……』

 

 グポロッ、と悪意が形を伴って生れ落ちる。

 鋭利な刃先を携えた舌は、極太な触手のやや大振りな動きとは反対に、俊敏で不規則な軌道を描いてきた。

 歯噛みする瑛は、即座に抵抗する姿勢を見せたモルガナとソフィアに続き、手に持ったナイフを滑らせて漆黒の槍をいなす。一撃一撃が速く、重い。ナイフから伝わる振動で手が痺れ、少しでも油断すれば武器を手放してしまいそうだ。

 

「くっ! 激、し……!」

「射殺せ、メタトロン!」

 

 痺れで腕に力が入らなくなり、槍先が頬を掠めるようになった頃、ヨグ=ソトースの頭上に飛び上がった蓮が仮面の内を曝け出す。

 刹那、祝福の光とも違う苛烈で清廉な後光が降り注ぎ、暴力で三人を叩きのめそうとしていた凶刃を天に召した。

 

 影の御手は塵となって消える。

 体という概念が存在するかも定かではないものの、攻撃に回す大部分が消失し、放心したように邪神の動きは緩やかになった。

 

「今だ! このチャンスを逃す手はねーぜ!」

『そのアルカナは示した……』

「どいたどいたァー! ワガハイの通り道を阻もうなんざ、百年早いっつーの!」

『己を解き明かそうとする行いこそ、これ以上ない悲観の目覚めであることを……』

 

 新たに生み出された複数の触手が絡み合う。

 そうして描かれた輪の中央からは、目を見張るばかりの巨大な拳が顕現する。

 

 しかし、突撃するモルガナの足取りに怯えは見えない。

 望むところだと言わんばかりに吼えたかと思えば、背後に佇むもう一人の自分が風を切って拳を突き出した。

 

 ボヨヨ~ン、と響く気の抜けた音。

 だが、タイミングよく放たれた拳は、一回りも二回りも巨大な拳と拮抗するどころか、当たり所が良かったのかそっくりそのまま弾き返した。

 まさしくラッキー……いや、“ミラクルパンチ”だ。怪盗団の招き猫は、ここぞという時に奇跡を引き寄せる。

 

「凄い、モナちゃん!」

「私も負けていられないな!」

 

 勢いづくソフィアが闇を滑り、両手のヨーヨーを振り回す。

 綺麗な円が描かれるや、眩い閃光が辺りを照らす。それらは触手を穿ち、明確に触手から戦意を削いだ。“マハラクンダ”の光を受けた敵は、どことなく及び腰な様子が伺えるようだった。

 

 そこへ瑛が滑り込む。

 位置取りは相手の真下。ともすれば、敵の総攻撃に遭いかねない危険な場所だ。

 現に懐へ潜り込まれた危機感を刺激された邪神は、混沌より生み出す触手や触腕を一斉に彼女目掛けて走らせる。

 

『そのアルカナは示した……』

「ジルゥーッ!」

『流れ落つ命運……解放という名の失墜が訪れることを……』

 

 数多の切っ先を向けられようと、死への恐怖を欺く反逆者は魂の声を轟かせていた。

 刹那、生まれ変わった自分を祝福する眩い光と、押し殺していたドス黒い感情の闇───相反する二つの心が渦を巻いて混ざり……顕現する。

 

『クフ、フ、アハハハハハッ、ハァー!! 斬殺!! 斬殺!! 斬殺!! 気に入らないものはみんな刻んであげるの!! さぁ……大量虐殺の時間(ショータイム)よ!!』

 

 歪な三日月を湛える殺戮の天使は、笑いながら紫電を走らせた。

 握りしめる刃物だけではない。全身から垂れている包帯もまた、一つの自我を盛った生命のように蠢き、純白を真紅に染める鮮血を求めて牙を剥く。

 

 ザンッ、と一閃。

 宙を舞う羽根は───否、無数のナイフは、喰らい掛かる悪意の喉笛を掻き切った。

 それでも悪意は尽きる気配がない。ならばと瑛も奮い立ち、湧き上がる闘志の蒼炎より刃となって、暴虐の流れを絶ち切らんとする。

 

 ゾバッ。

 ゾバッ。

 ゾバッ、ババババババババババ───バァッ!

 

 剣閃は格子の如く折り重なり、舞い散る影の破片が近寄ることも許さない。

 まさしく、一切合切を絶つ殺戮ショー。

 繰り広げられた一幕の主役はと言えば、可憐で、それでいて過激な微笑を浮かべながら、ナイフを伝う鮮血を振り落とし、こう呟いた。

 

 

 

「───マス・ディストラクション───」

 

 

 

 喝采のような音を立て、宙に舞っていた血飛沫が地面を打つ。

 

「こ、怖ぇ~……!」

 

 思わずモルガナが呟く。

 つい先日までただの女子高生だとは思えない身のこなしだった。いくら稀代の殺人鬼を降魔させているとは言え、神業に等しい剣舞には唖然とするしかないだろう。

 

「けど、そろそろ攻め時だ! 新入りのお膳立て、ムダにする訳ねーよなッ!?」

 

 調子のいい声が響く。

 それを聞き届けるのは、当然この男だ。

 

「フンッ……オンギョウキ! ラクシュミ!」

 

 闇に紛れて近づく鬼の一閃が混沌に消え入るように叩き込まれた。

 続けて、華麗に踊りながら迫りゆく女神が、すれ違い様に極寒の冷気を浴びせて消えていく。

 

 畳みかける連続攻撃。

 朧げな形を保っていた混沌は、そのビジョンに誤魔化し切れない歪を生じさせる。

 

(効いている───行ける!)

 

『───辛い』

 

「ッ!?」

 

 不意に聞こえる声。

 ノイズがかかり鮮明とは言い難かったが、それでも辛うじて言葉と認識できる音声が脳内に直接響いてきた。

 

 予期せぬ幻聴に、蓮は顔を顰める。

 だが、同様の事象は三人にも起こったようだ。攻勢に傾いていた四人の足取りに、一瞬ながら乱れが生まれた。

 

「なんだ、この声は……」

 

『どうして、私がこんな……。悪いのは私じゃないのに』

『ねえ、本当に学校に行かなきゃダメ? 楽しくないよぅ……』

『なんで分かってくれないの! そうやって、いっつも反対してばっかり!』

 

「ッ、また……」

 

 邪神という影がブレる度、実にありふれた不平不満がちくりと胸を刺す。

 しかし、ただの台詞ならばこうはならない。これが()()()()()()()()()()()()だと直感的に分かってしまった。

 

『また模試の判定悪かった……志望校、別にしようかな』

『なんで思った通りにならないんだろ……』

『適当にやればいいよ。あとは誰かがやってくれるだろうし……』

 

「……」

 

『あーあ。今日も何してんだろ、俺……いや、()()()()()()()()

『でも、努力したところで結果が出るとは限らないし……』

『全部思い通りになってくれれば、こんなに悩む必要もないのに』

 

 鬱屈とした声が止む気配はない。

 延々と、延々と四人の脳内に響き渡れば、燃え滾っていたはずの戦意に少しずつ燻りが見え始める。

 

「クッ……耳を貸すな! おそらくは精神に作用する攻撃だ! 真面に取り合ったら、こっちが引き込まれるぞ!」

 

 翳りが見えるや、モルガナが叱咤を飛ばす。

 それで幾分か戦意を取り戻す面々だが、あれほど苛烈な攻撃を前にしても衰えることのなかった足取りには、やはり迷いが伺えた。

 

───あれは、悪意じゃない。

 

 誰かが悟った。

 瞬間、湧き上がる戦意とは別の代物。

 それが各々の心に、また違う覚悟を宿らせる。

 

 こうしている間にも幻影は形を定め、薄暗い感情で鎧った手を伸ばす。

 

『そのアルカナは示した……振るわれる権勢に、いかに己が小さく惨めな存在であることを……』

「それは……違う!」

 

 混沌の渦から解き放たれる光線に、蒼炎を破って現れた忿怒相の権現が拳を振るう。

 衝突に次ぐ爆発。余りにも大規模な爆炎を目の当たりにした瑛は目を見開く。

 直後、怒髪天を靡かせるザオンゴンゲンが爆炎を突き破って現れた。その腕の中には、自身に勝るとも劣らない憤怒の形相を湛える蓮が佇んでいる。

 

「ジョーカー!」

「……気持ちは分かる」

「え……?」

 

 誰への同意か、一瞬図りかねた。

 だが、仮面の奥に佇む瞳───鋭くも力強い優しい色をにじませる眼光は、一直線に見据えていた。

 

───窮極の邪神を。

 

「誰だって不満や怒りは抱えている。思い通りにならない現実に……俺もその一人だった」

 

 諭すように。あるいは宥めるように語り掛ける。

 

「現実はこっちの都合なんか考えない。理不尽だって何度も味わった。その度にふざけるな! って殴ってやりたい気持ちにもなったさ」

『───……』

「それが当然だ、当然であるべきだ。……だからといってあれもこれも自分の思い通りになったとしたら歯止めが利かなくなる。俺たちはよく知っている。人の欲望に際限がないことをな」

 

 押し黙る混沌を前に、少年は思い返しながら続けた。

 

「ヨグ=ソトース。お前が変えようとしている一人ひとりの現実は“キャンバス”だ。夢を自由に思い描けるたった一枚の……一つの人生だ。だが、お前の力で際限なく欲望を叶え続けてしまえば、他人の人生さえも簡単に上塗りにしてしまえるようになる」

『それもまた人の願いだ』

「違うな。お前のエゴだ」

 

 毅然と言い返した蓮は説く。

 

 

 

───色欲に溺れた教師やアイドルを想い返しながら。

 

 

 

「確かに夢や願いは希望になりえる。だが、人を明るい未来で照らす反面、暗い影も落とす」

 

 

 

───虚飾に塗れた老画家や小説家を想い返しながら。

 

 

 

「挫折や苦悩を経験し……それでも夢半ばで諦める者なんてざらだ」

 

 

 

───暴食に染まった犯罪者や市議員を想い返しながら。

 

 

 

「そんな彼らを誰が支えると思う? ……共感してくれる、同じ過程を味わった人間だ」

 

 

 

───憤怒に燃え上がっていた仲間や少女を想い返しながら。

 

 

 

「経験があるから共感する。共感するから思いやる。思いやるから他人を支えられる」

 

 

 

───強欲に父親を捨ててしまった社長を想い返しながら。

 

 

 

「全てがそうだとは言い切らない。だが、そうした過程を……成長を経て、人間の心は出来上がっていく」

 

 

 

───嫉妬に震え上がっていた検事を想い返しながら。

 

 

 

「お前は与えようとしているつもりかもしれないが……逆だ。お前が奪おうとしているものは、そういう他者を思いやる心だ」

 

 

 

───傲慢に揮った政治家と取締役を想い返しながら。

 

 

 

「人は一人じゃ生きられない。だから人と人が支え合うように……心が繋がるように世界はできている」

 

 

 

───怠惰に堕ちかけた民衆と社会を想い返しながら。

 

 

 

「もっとも、お前には言うまでもないな」

 

 

 

 数多の心から生れ落ちた悪感情の塊である邪神。

 単純な怒りや悲しみに留まらず、苦悩や葛藤といった成長の途中で否応なく生まれる諸々を孕んでいるのだろう。時折聞こえる助けを求める声こそ、その証拠だった。

 単に欲望を叶えたいだけではない。

 あの混沌渦巻く心が真に求めているものを暴かなければ、窮極の深淵にたどり着くことはできないだろう。

 

 それを明らかにした時こそ、決着だ。

 

「さて……そろそろ頂戴といこうか」

『愚かな……。そのアルカナは示した……』

「人の願いを……お前から奪い返す!」

『耐え忍ぶ道を選ぼうと、いずれ欲望に負けては徒労に終わることを……』

「アティス!」

 

 弾ける泡と共に溢れ出す怨嗟の濁流。

 おどろおどろしい空気を撒き散らす悪意は、そのまま蓮を取り囲むように流れていく。

 

 しかし、寸前でパッと蒼炎が閃いた。

 刹那、包帯を身に纏った人柱が現れ出でては、押し寄せる呪怨を吸収し、あまつさえ無力化する。

 

 神に仇なす四人を、仄かな光が包み込んだのは直後の出来事。

 

「───“テルモピュライ”」

 

 勝利への道を切り開く一手。

 全身に力が満ち満ちる四人は、思考が導き出すよりも早く駆け出していた。

 

 包囲される邪神の影が、今度は崩れる。

 どろどろと融解する強大な影が千切れる度、闇の中には無数のシャドウが出現し、迫ってくる四人の前に立ちはだかった。

 

 しかしながら、それで止まる心の怪盗団ではない。

 行く手を阻むシャドウの仮面を剥ぎ、切り裂き、あるいは自身の仮面を顕現させては蹴散らす。

 

 総攻撃まで、あともう少し───。

 

『知恵の実を食べた人間は、その瞬間より旅人となった』

 

 尚もシャドウを産み落とし続ける邪神に、ドス黒い光が収斂する。

 その異様には蓮やモルガナも警戒し、目を離さない。

 

 刻一刻と矛盾する光が膨れ上がる間、彼らのいる闇そのものが鳴動を始めた。

 これから終焉が訪れると言わんばかりの異変に、瑛の頬に汗が伝う。が、握るジャックナイフは手放さない。

 

「させない……絶対に!」

『カードが示す旅路を辿り、未来に淡い希望を託し……絶望へ塗り替えられた』

「絶対に終わらせるもんかっ!」

 

 肉迫する四人だが、如何せんシャドウの数が多い。

 このままでは間に合わない───そんな時、可憐なおねだりが鈴の音のように響く。

 

『ねぇ……───“死んでくれる?”』

 

 刹那、影が死んだ。

 あれほど分厚かった闇の壁を一瞬の間に蹴散らす少女の霊(アリス)は、くすくすと笑いながら消えていく。

 名立たる神にすら劣らぬ呪力でシャドウが消滅すれば、残るは窮極の邪神のみ。

 今にも炸裂せんばかりにヨグ=ソトースの前で収斂を続ける極光を前に、これが最後のチャンスだと仮面を脱ぎ捨てる。

 

「幕引きといこうか!」

 

 姿を現す逢魔の掠奪者(アルセーヌ)を背に、稀代の変革者(トリックスター)は刃を振り翳す。

 続く反逆の徒もまた、難局に立ち向かう固い意志を燃え滾らせる。

 

「ワガハイ達の決意……とくと味わえーっ!」

「困難に抗う人の心の強さをだ!」

「私たちが……貴方達に教えるの!」

 

 人間の闇へ、果敢にも飛び込む。

 深い暗闇でこそ浮かび上がる心の光は、蒼炎を伴って力を解き放つ───が。

 

『そう、アルカナは示した……』

 

 遂に、極光が爆ぜた。

 

 

 

『その旅路の先にあるものが、“絶対の終わり”だということを……いかなる者の行きつく先も……絶対の“死”だということを!』

 

 

 

 告げられる死刑宣告と共に、光が辺りを飲み込んでいく。

 邪神へと立ち向かった反逆者諸共、闇は終末を迎えたのだ。

 

 

 

 

───ハルマゲドン───

 

 

 

 

 最終戦争の名を冠する破滅の光芒は、天を衝かんばかりの勢いで立ち上っては、やがて辺りに塵一つ残さずに消え去った。

 残るはヨグ=ソトース、ただ一人。

 訪れる静寂に耳を傾ける彼らは、決着の余韻に浸るかのように黙って佇んでいた。

 

『───終わりか……』

 

 淡々と。

 しかしながら、ほんの僅かな寂寥と落胆を隠せぬ声色が、混沌の形を浮かび上がらせてできた影の中へと溶け込んでいく。

 

『……?』

 

 違和感。

 邪神の本能が感じ取った異変に、虹色の光球が周りを見回し───見つけた。

 

 ()()は探す必要もなく、後ろに立っていた。

 

『……何故……』

「チェックメイトだ」

 

 かちゃり、と金属が擦れる音が木霊する。

 

『如何様に我のもたらした“死”を退けた……?』

「生憎、生還トリックは二度目でな。慣れたものさ」

 

 素顔を曝け出し、魔王を背にするトリックスターは生きていた。

 背後の魔王は右腕の銃を構え、ヨグ=ソトースの中心に狙いを澄ませていた。かつては悪神を討った奇跡の仮面は、あの時ほど巨大でこそないものの、満ち満ちる反逆の意志に呼応するかの如き威厳と覇気を放っている。

 

 これは多くの絆が結び得た奇跡の仮面(ペルソナ)

 ある少年が“世界”を手にした一方、あくまでも“愚者”を貫き続けた変革者の化身だ。

 

 死を欺き、再びこの世に舞い降りた威容は荘厳そのもの。

 七大罪を精錬した徹甲弾を込めた銃身も、闇の中でさえ鈍い銀光を放っている。

 

『馬鹿な……そんなもので』

「そうでなければ、俺達が生還を願う人間が居るだけのことだ」

『……ほう……』

「お前の力が本物ならばの話だがな。今、そう願っている人が居ることを……俺たちは知っている」

 

 傍らに佇むモルガナ、ソフィア、瑛の三人は力強く頷いた。

 人知れず戦う彼らを応援する者は少ない。だが、その限られた者たちこそ、邪神を形作る鬱屈とした感情を上回る強い願望を抱いているのだ。

 良くも悪くもヨグ=ソトースは全人類の総意。普く人々の願いを叶えんとする見境のない欲望の塊なのだ。

 

「竜司が。杏が。祐介が。真が。双葉が。春が。一ノ瀬が。みんなが俺たちの無事を願ってくれている」

『我を利用したと』

「さてな」

 

 惚けてみせる蓮に対し、無数の触手を蠢動させる邪神が身じろぎする。

 

『我を撃つつもりか。だが、無駄なこと……我は全にして一、一にして全なる者。その引き金を引いたところで、我を撃ち倒すことは叶わぬ。人の心の闇がある限り、我は何度でも甦る』

「かもしれないな」

『ならば如何する』

 

 試すような視線を、歪んだ光球が放つ。

 彼の悪神や偽神と違い、この邪神を生み出したのは他ならぬ民衆の願いだ。一度倒したところで、人の欲望と闇は際限なく膨れ上がるばかり。根本的な解決にはならない。

 今までとは勝手が違う相手だ。蓮も熟考するように目を伏せるが、既に心は決まっていたと言わんばかりに微笑みを湛えた。

 

「心の怪盗団は悪人のココロしか盗まない。そうして虐げられる弱者に勇気や希望を与える……そういうはみ出し者の集まりだった」

『その心は?』

「俺の仮面(ペルソナ)を……お前にやる」

 

 闇が鳴動する。

 それは困惑か動揺か。

 どちらにせよ、目の前の男が言い放った内容は驚愕に値するものに違いなかった。本来、ペルソナとは一人につき一体。仮に自身のペルソナを他人に与えようものならば、それは確固たる自分を失うのみならず、それこそ廃人になってもおかしくはない真似だ。

 

 しかし、彼は違う。

 悪神にもう一人のトリックスター対抗馬としての才能を見出された器には、長い旅路の間に出会った仮面が宿っている。

 

 だが、それでもだ。

 他者にペルソナを与えるなど前代未聞。

 

『正気か』

「お前は人々のシャドウの集合体なんだろう? ペルソナとシャドウは表裏一体。俺から離れたペルソナは、お前を形作るシャドウとして還っていくだけだろう」

『たとえできたとして、それが何になる?』

「少しは世界が変わって見えるはずだ」

 

 にべもなく言い返す。

 

「世界を変えるのに、ペルソナやお前のように強大な力は必要ない。ただ、ほんの少し見方を変えるだけでいい」

『……』

「辛い時は逃げたっていい。苦しい時は吐き出したっていい。心の影(おまえ)を否定する人間なんて居やしない」

 

 銃を下ろした蓮は、代わりにもう片方の手を差し伸べる。

 膝をついた人間に手を貸すように。強く激励を送る訳でもないが、逸らさない視線が何よりも雄弁に語っていた。

 

───俺はお前を見捨てない、と。

 

 しばしの間、静寂が闇に満ちる。

 

「ねえ、あの……」

 

 それを切り裂いたのは一人の少女。

 静穏な面持ちを湛え、中々羅列できない言葉を何とか整理した瑛は、徐に邪神の触手の一本を手に取った。

 

「聞いてくれる? 私もね、貴方達に頼ってた。自分の意志じゃあどうしようもないことを、神様が何とかしてくれないかなぁって……だから、貴方達にはとても感謝してるの」

 

 過去のイジメを振り返りつつ、優しい声音を紡ぐ。

 

「でもね、気づいたの。他人に頼って変えられるのは、結局自分以外のところ。自分を変えようと思ったら、やっぱり自分自身の力でどうかしなきゃならないんだって」

 

 事実、ヨグ=ソトースの影響で周囲の人間が優しくなったことは事実だ。

 しかし、それは瑛が変わった訳ではない。周囲の人間の瑛を見る目が変わっただけであり、瑛本人は明るい素顔を晒せるか否かであった。

 

「それはとても難しい話かもしれない……けど、貴方達を見て確信したの。一人ひとりの力は小さくても、みんなが力を合わせれば世界だって変えられるって」

『……』

「他の誰でもない……貴方達が教えてくれたんだよ?」

 

 だから、ね? と掴み取った手を強く握りしめる。

 すれば、優しい光が瑛とヨグ=ソトースの体を包み込んでいった。戦いで傷ついた肉体を癒す光は、冷たく渦巻いていた感情を……ゆっくりと解かしていく。

 

 

 

───メシアライザー

 

 

 

 分け隔てなく降り注ぐ癒しの光。

 “慈善”のアルカナを宿す仮面(ペルソナ)は、傷ばかりで涙に膿んだ心を、その純白の包帯で優しく抱き留める。

 

「“人生は変えられる”、って」

 

 はにかむ少女の笑顔が、邪神の瞳に映り込む。

 

 溶け込んでいく。

 少女の優しさが。

 

 溶け込んでいく。

 少女の温もりが。

 

 溶け込んでいく。

 少女の悲しみが。

 

 他人事とは思えぬような心の震えが襲う。

 紛れもない、共感を示す魂の鳴動だった。

 

『これが……───』

「世直しなら、俺たちも手を貸すぞ」

 

 手を差し伸べていた蓮から、次々に宿っていた仮面が邪神の影へと流れ込む。

 永い旅路を経て、多くの出会いを経験した記憶が教えてくれる。

 

「その為の……心の怪盗団だ」

 

 カードに裏表があるように。

 人生に光と影があるように。

 

 悲観するばかりが人生ではないと。

 それまで光に背を向けて闇と影の区別もつかなかった地面から、怪盗は一つのオタカラを掴み上げた。

 

 真っ黒なキャンバス。

 だが、よく目を凝らせば複雑に塗り重なる色が浮かび上がるようだった。

 

「悪くないな」

 

 酸いも甘いも知ってきたらこその素直な感想。

 仮面を脱ぎ捨てた少年は、フッと笑みを零す。

 

 

 

「これから塗り替えられるかは……俺たち次第だ」

 

 

 

 心の闇は、いつの間にか晴れていた。

 あるのはただ、いつもと変わらぬ青い空と───いつもよりほんの少し眩い太陽の光だった。

 

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