PERSONA5 The BlackJack   作:柴猫侍

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Ⅱ.告白/秘密

 心地よい静寂が辺りに広がる。

 

「―――ここは……」

 

 見知った天井だ。

 慣れ親しんだ古ぼけた牢獄は、運命の囚われたる自分の心の写し鏡のようなもの。

 

「ごきげんよう、マイ・トリックスター」

 

 鈴の音のように軽やかで凛とした声が反響する。

 硬い牢獄のベッドから身を起こし、鉄柵越しに見遣る先には、青色を基調とした服に身を包む少女が佇んでいた。

 彼女はここの住人。

 数多のペルソナを宿せる“ワイルド”―――その素養を持つ者を導く青き蝶とでも例えようか。

 

「ラヴェンツァ」

「お久しぶりです……というには些か早い再会でしょうか。ですが、一先ずは再会できた喜びを。ようこそ、ベルベットルームへ」

 

 人形のように端正な美貌を可愛らしく崩したラヴェンツァが応える。

 ここは夢と現実、あるいは精神と物質の狭間に存在する空間、『ベルベットルーム』。

 本来ならば部屋の主たるイゴールが出迎えてくれるはずだが、今のところ彼の姿は窺えない。

 

「どうしてここに?」

 

 だからこそ問う。

 彼女との再会がある種の()()の予兆と言ってもいいことは、二度も経験した身である蓮にとっては既知の事実だ。

 牢屋の扉に手をかければ、いとも容易く扉が開かれる。

 蝶番が軋む甲高い音を響かせながら歩み出た蓮。そんな彼に対し、仄かな憂いを表情に浮かべるラヴェンツァは、はぁ、とため息を吐いてから客人を見つめ直した。

 

「歪み……でしょうか」

「歪み?」

「ええ。今はまだほんの僅かな歪み……その気配を、貴方の町から感じ取ったのです」

「それは……また何かが起こるのか?」

「今は何とも。ただ、こうして私と相まみえたということは、無意識ながらも貴方自身が違和感を覚えている事実に他なりません」

「違和感……」

 

 思い当たる節は―――一つだけある。

 

「イセカイナビか。だが、あれは」

「そうです、あれは偽神がもたらしたもの。彼の偽神が貴方たちに討ち取られた以上、存在しているはずもありません」

「なら、EMMAか?」

 

 偽神の仕業でないならば夏に討った神を騙るAIの存在がまだ、と一つの推測を立てる。

 しかし、ラヴェンツァはゆっくりと頭を振った。

 

「いいえ、そこまでは……ただ、イセカイとは影のようなもの。人の心がある限り、消えてなくなることはありません。ふとしたきっかけで現実とイセカイは繋がり得る……それは貴方もよくご存じのことでしょう」

 

 一年前にはパレスやメメントスとして存在していたイセカイ。

それが今年の夏にジェイルという形で復活していた出来事は記憶に新しい。

 

 ふむ、と唸る蓮。

 対してラヴェンツァは心苦しそうな面持ちを湛えていた。

 

「私の役目は人の精神を“導く”こと。これ以上貴方を手助けできず歯痒くはありますが……」

 

 不意に蓮の瞳を見つめる。

 まるで心配していないような真っすぐな瞳。覗き込んだ側の姿がはっきりと映り込むほどの堂々たる佇まいを前に、ラヴェンツァの口元がフッと綻んだ。

 

「貴方ならば大丈夫……そう信じています」

 

 固く結ばれた剛毅なる絆が、そう告げた。

 

「―――さて、新たな旅路を行くトリックスターの眠りを妨げるのはこのくらいにしておきましょう。月並みの言葉にはなりますが、これからの貴方の行く末の無事を切に願っています。武運を、マイ・トリックスター」

 

 意識が再び闇に落ちようとする感覚。いや、これは意識が現実へと引き戻されていると言った方が正しいだろうか。

 暗く、深く、そして落ち着いた静寂に満ちた青い牢獄からの帰還。

 例えるならば深海より晴れ渡る空の下へ浮上する解放感。それと共に、蓮ははかない夢から目を覚ますのだった。

 

 

 

 

 

 

「おはよっ、雨宮くん」

「おはよう」

 

 一夜明けた朝。

 普段の通学路を進んでいると、昨日と同じ曲がり角から爽やかな笑顔を浮かべた瑛と遭遇する。

 はきはきとした挨拶に清涼感を覚えつつ、蓮も柔和な笑みを以て挨拶を返す。

 

「昨日は眠れたか?」

「あれ、心配してくれてるの? 大丈夫だよ、あんなこと滅多に起こらないだろうし……とは言っても、実は眠れてなかったり……困りましたなぁ」

 

 ほんのりと浮かぶ隈を見逃さなかったから言い放った言葉だ。

 蓮の視線から寝不足を見抜かれた瑛は観念したように頭を掻く仕草を見せる。

 

「あっ、でもね! 大丈夫なのは本当。今度あんなことが起こってもいいように色々準備してきたから!」

「準備?」

「ふふっ、それは秘密。なんなら今襲ってみて確かめる?」

「襲うくらいなら正々堂々口説き落とす」

「えっ? ……って、いやいやいや! 違うから! 別にそういうのは求めてないからァ!」

 

 とは言うものの、瑛の顔は真っ赤に染まっている。意外と口説かれることには慣れていないのだろうか。

 

 予想だにしていなかった返答に耳まで真っ赤に染め上げて取り乱した瑛は、『これは問題児だぁ』と揶揄しつつ、気を取り直して話を戻す。

 

「私も自衛できるくらいには準備してきたつもり。だから、雨宮くんもそんなに心配しないで」

「何事も準備は念入りに越したことはないぞ」

「それはそうだけど……本当に冤罪なんだよね?」

「フンッ」

「意味深な笑い!」

 

 わざとらしく鼻で笑ってみせる蓮。

 それにリアクションする瑛も中々に楽しそうだ。冤罪という中々にセンシティブな問題ではあるが、こうして相手と友好を深めるジョークとして使えるのは、誤解が解けたからだと言えよう。

 

 こうして他愛のない会話でまた一つ仲を深められた登校時間。

 別々のクラスである二人は、生徒の談笑が朗らかに響きわたる昇降口で一先ずの別れを告げた。

 

「それじゃあね、雨宮くん!」

「ああ」

 

 軽やかな足取りで階段を駆け上がっていく瑛。

 踊り場に差し込む朝日が浮かび上がらせるシルエットは、一つの絵画であるかのように幻想的だ。

 そんな彼女に続き、自分たちも―――と階段を上がりかけた蓮であったが、

 

「ねえ、ちょっといい!」

「うん?」

 

 反対側の階段―――蓮から見て頭上に当たる場所から、ひょっこりと顔を覗き込ませる瑛がしゃべりかける。

 

「放課後、時間があるならダンス部の練習見に来てね! 体育館裏でやってるから!」

 

 それだけ告げてピューっと風のように去っていく。

 なるほど、彼女が男子に人気がある理由が分かる。男女共に多感な時期、こうして男子を邪険にせず、さらには部活の練習を見に来てもいいと告げられようものならば、ワンチャンあるのではと勘違いもしてしまうだろう。

 

「こうして悲しい青春が生まれるんだな」

「オマエ……よく言うぜ……」

 

 呆れたモルガナの声。

 それを聞くや、蓮は自分に痛い程突き刺さる男子生徒の視線に気がつくのだった。

 

『なんなんだ、あいつ……』

『福田さんと仲良くしやがって……』

『まさか……彼氏か?』

『ありえねえ! あんな冴えない野郎が!』

『いや、でもよく見てみるといい男かも……ウホッ』

 

 ゾッと背筋に悪寒が奔る感覚を覚え、蓮はそそくさと教室に向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 放課後、体育館裏。

 普段閑散としている場所には、文化祭に向けて練習に励むダンス部員が集まっている。

 スマホから流れる音楽は陽気で軽快なジャズ調のダンスナンバー。クラスでは大人しく過ごしている蓮にとって、些か場違いな雰囲気が流れてはいるものの、ライオンハートな彼は撤退することもなく目的の少女を探す。

 

「言われた通り来てみたはいいが……」

 

 居ない。

 誘った本人が居ると思うのは、至って普通の思考だ。しかしながら、どこを見渡しても彼女の姿は窺えない。

 

「まだ来てないのかもな。教室まで戻ってみようぜ」

「ああ」

 

 そろそろダンス部員の視線も厳しくなってきた。

 不審に思われる前に体育館裏から退散する蓮は、モルガナに言われた通り彼女のクラスへと向かった。

 

「カバンは……見当たらないな」

「まさか行き違ったか?」

「可能性はあるな」

 

 しかし、可能性の話をしたらキリがない。

 先生の呼び出し、委員会の仕事、はたまたトイレか―――ざっと教室以外の校舎内に留まる理由を思い浮かべたところで、ふぅと息を吐く。

 

「日を改めよう」

「そうだな。今日じゃなくてもダンスは見れるしな。それに今日は雲行きが怪しいらしいし、一雨来る前に帰ろうぜ」

 

 見に行けなかったことは正直に説明すれば済む。

 彼女のダンスを見られない点は素直に残念だが、それは後日の楽しみだ。

 そうと決めた蓮は、踵を返し下校の準備を整える。今日は昼ぐらいから曇天だったのもあってか、湿気が酷い。足元が滑りやすいだけに留まらず、元々癖っ毛な蓮の髪型はいつもに増してクリンと飛び跳ねている。

 嫌な天気だ。そう思いつつ昇降口を目指していた時だった。

 

「……瑛?」

 

 昇降口のすぐ横に位置する部屋に入る少女の姿が見えた。

 間違いない、あのプラチナブロンドの髪は瑛だ。やや急ぎ足で入室する後ろ姿からは、そこはかとない焦燥感のようなものを感じ取れる。

 

「おい、レン! フクダの奴、どこに入ってったんだ?」

「保健室だ」

「保健室? 怪我でもしたのか?」

「行ってみよう」

 

 昨日もこともある。実は蓮に告げていないだけで、痛む場所でもあったのだろうか?

 そのようなことを思いつつ、保健室の扉に手をかけようとした―――その瞬間だった。

 

『―――ちゃんと先生には相談した?』

『ううん……まだ』

『どうして!?』

 

 瑛の声とは別に聞こえる陰鬱とした少女の声。

ただならぬ気配を覚え、蓮は咄嗟に手を止めた。

 

『ちょっと絵美、手首見せて!』

『あっ、待って瑛ちゃん……!』

『ッ……! ()()()()()の……?』

『ごめん……』

『謝らないでよ……でも、こんなに悩んでるならちゃんと相談しなきゃ!』

 

 快活な彼女とは思えぬ深刻そうな声色に、話相手と思しき絵美と呼ばれた少女は、ヒュっと息を飲む。

 

『やめっ……てよ!』

『ッ……絵美?』

『あ……ごめん。ホント、ごめん……怒鳴るつもりじゃ……』

『ううん、気にしてない。でも、どうして?』

『だって……高校最後の文化祭だよ? 私がいじめられてることがバレて問題にでもなったら、中止になるかもって』

『だからって絵美が我慢することじゃないよ! こんな……そんなっ……』

 

 涙声で訴える瑛。

 言葉にならない感情がひしひしと伝わってくるようだった。

 

『瑛ちゃん……ありがとう。けど、やっぱり瑛ちゃんの思い出がダメになっちゃうようなことだけはしたくないよ』

『ダメ……って。こっちの方がもっとダメだよ! 決めた、やっぱり他の人に相談するの! そしたら……』

『余計なお世話だよ!!』

『絵美?!』

『私だって……私だって一生懸命考えて決めたの!! なのに、頭ごなしに否定しないで!!』

『違っ……そんなつもりじゃ!!』

 

 制止する瑛の声を振り払い、大きな足音を立てる少女が保健室から飛び出す。

 扉の前に立っていた蓮とぶつかりかけ、『あっ……』と気まずそうな声を上げるも、すぐさま面を伏せて逃げるように去っていく。

 彼女が絵美だろうか。などと思いつつ、悲痛な背中を見届けた後に保健室へ視線を移す。

 そうすれば絵美に目を向けていた瑛に気づかれるのは当然とも言えよう。

 

「雨宮……くん?」

「盗み聞きするつもりはなかったんだが……」

「……そっか」

 

 遠回しに会話の内容を聞かれていた事実を告げられ、瑛は目を伏せた。

 重々しい吐息を紡ぎ、しばしの間、項垂れる。様々な感情が綯い交ぜとなった胸中を他人が推し量るにはあまりある為、蓮もまた黙ったまま彼女の応答を待つ。

 

「……あの、ちょっといいかな」

「どうした?」

「今から、()()できる?」

 

 精一杯繕った笑顔で持ち掛けられた取引。

 断る理由など、なかった。

 

 

 

 

 

 

 校舎内の一角に佇む自販機。

 その傍のベンチに腰掛ける蓮と瑛。無言のまま握りしめるのは冷えた缶コーヒーだ。表面に浮かび結露が時間と共に床に滴り落ちていく様は、瑛の内心を表しているようだった。

 

「絵美はこの学校に来てから初めてできた友達でね」

 

 懐かしむように紡ぐ。

 

「ほら、私って目立つ見た目だから中々友達ができなくて……でも、絵美はそんなの関係なく話しかけてきてくれたの」

「いい子だな」

 

 似たような境遇の人物は知っている。

 容姿で忌避され、挙句妬まれる経験こそないが、鼻摘み者が自身の手を取ってくれた者をどれだけ大切なものとするかは共感できた。

 端的に同意すると、瑛がからりと笑う。

 

「うん、ホント。絵美もダンス部でね、『部活どれにするか悩んでるなら一緒にやろう!』って誘ってくれたの。ダンスなんで体育の授業ぐらいでしかやってなかったのに……絵美ったら強引でさ」

「居場所を作ってくれたんだな」

「そうだね。あの子の隣が私の居場所()()()

「……?」

 

 含みのある言い方に、蓮は視線で次の言葉を促す。

 

「ダンス部に入ったおかげで友達は増えた……けど、絵美が私と一緒に居るのを気に入らない子が居るなんて気づけなかったの」

()()()()()()()?」

「絵美が隠して……ううん、私が気づかないようにしてくれてた」

「他の誰にも相談していないみたいだな」

「そうなの。私が気づいたのだって偶然」

 

 『見て』と瑛が掲げるのはシンプルなリストバンドだ。

 彼女が右手に嵌めているものとまったく同じデザイン。てっきり左手の分を外したのかと思えば、続く瑛がそれを否定する。

 

「これね、去年のクリスマスに絵美にあげたプレゼントなの」

「お揃いという訳か」

「大事な宝物なんだ。でも……これでリスカしてたの隠してたなんて」

 

 それ以上の言葉を吐き出さないが、重々しい瑛の表情から察するに胸中に抱える感情は並々ならぬものだろう。

 しかも、全ては瑛の為なのだから、当人にしてみれば堪ったものではない。

 そこまで自分を大切に想ってもらえている事実は喜ぶべきかもしれない。

しかしながら、自傷行為に至る程に思い悩み、あまつさえ自分の善意をはね退ける強情さへの怒りもある。

 

だが、それ以上に―――。

 

「親友だと思ってたのに……何も相談してもらえなかったことが悲しいや」

 

 ポタリと。

 また一つ、雫が零れ落ちた。

 

「……難しい話だな」

「ごめんね、雨宮くん。こんなこと相談されても困るよね……」

「構わない、そういう取引だ」

「……ふふっ、雨宮くんって結構キャラ設定大事にする方?」

「……役柄に徹していると言ってもらおう」

 

 スッ……と眼鏡を上げる仕草をするも、伊達眼鏡をかけてなかったことから指は空を切る。それがまた滑稽さを煽り、沈痛だった瑛の顔に明るさを取り戻す。

 

「ふぅ、話したらちょっと楽になったかも」

「何か解決策はあるか?」

「まだ思い付いてない……けど、このままで終わらせたりなんかしない! 私の為だって言っても、だからって絵美がいじめられたままなんて間違ってる!」

「手伝うぞ」

「えっ?」

「これでも伝手は多いつもりだ。何か役立てるかもしれない」

「雨宮くん……」

「警察と弁護士の知り合いだっているぞ」

 

 すかさずモルガナが『ゼンキチとニイジマか』と相槌を打つ。

 共に夏の事件でも世話になった二人だ。正義感の強い彼らであれば、片田舎の高校で起きるいじめであっても真摯に対応してくれることだろう。

 だが、予想外の伝手に驚いたような瑛は目を丸めている。

 

「け、警察と弁護士……? 冗談……だよね」

「……フンッ」

「意味深な笑い! 怖いよ!」

 

 天丼だ。

 だが、明確に協力の意を示されて安堵したのか、瑛の顔は目に見えて緊張が解けていく。

 

「ありがとう、正直私一人じゃ不安だったの。雨宮くんが力になってくれるなら、何かいい方法が思いつくかも」

「二人で一緒に考えよう」

「うん!」

 

 瑛から信頼を感じる。

 

 すっかり彼女も調子を取り戻したようであり、満面の笑みを湛えたかと思えば、『温くなっちゃったね』と缶コーヒーを開けるや中身を一気に飲み干す。

 同様に飲み干した蓮は、空になった缶をゴミ箱へと放り投げる。綺麗な放物線を描く缶は、見事に入ったことを示すかのようにカラカラと音が立てた。

 

 と、次の瞬間、校舎内に帰りのチャイムが鳴り響く。

 

「うわっ、もうそんな時間!?」

「すっかり長く話し込んだからな」

「外も暗くなっちゃったし……」

「霧も酷いな」

「こんなになるなんて聞いてないよぉ……あっ!?」

「どうした?」

「教室にスマホ忘れたかも……」

 

 あちゃー、と瑛は頭に手を当てる。

 

「私、ちょっと取りに行ってくるね。雨宮くんは先に帰ってて!」

「ああ、また明日」

「バイバイ! あとでメッセージ送るから!」

 

 教室へと忘れ物を取りに行く瑛を見送り、蓮は今度こそ昇降口へと向かう。

 部活で残っている者にも下校を促す最後通告のチャイムが鳴る時間だ。校舎内に残っている生徒もほとんど居らず、昇降口は不気味なほどの静寂に包まれている。

 

「それにしてもひどい霧だな。心なしか毛が湿気を吸って体が重いぜ……」

「奇遇だな」

「オマエは頭だけだろ! ワガハイは全身なんだよ!」

 

 湿気でクリンクリンになっている髪を揺らしながら下駄箱からスニーカーを取り出す蓮。

 モルガナの抗議もほどほどに聞き流し、靴を履き替えようとした―――その瞬間、外に濛々と立ち込めていた濃霧が校舎内に吹き込んできた。

 思わず目を瞑ってしまうほどの勢い。

 咄嗟の出来事で蓮とモルガナは慌てふためく。

 

「っ!」

「わっぷ!? なんだなんだ、突風か!?」

「いや、風じゃ……」

 

 

 

『―――ナビゲーションを開始します』

 

 

 

「「!」」

 

 不意に聞こえた電子音。

 聞き慣れた声と聞き覚えのある内容に、蓮とモルガナは霧中で瞠目する。

 

 しかし、辺りは一切見渡せない。となれば、真っ先に音源でも調べる必要がある。

蓮がポケットから取り出したのは自前のスマホ。一年前も今年の夏も、あの場所へ入るには誰の手にしている電子機器が鍵となっていた代物。

 

 それが今、()()()()()()()()を画面に映し出していた。

 

「これは……!」

「おい、()()()()()!」

()()!」

 

 コードネームで呼ばれ、反射で応答する。

 それから程なくして霧が晴れたかと思えば、小脇に抱えていたはずのカバンは影も形もなくなっていた。

 

「気を付けろ!」

「ああ」

 

 二人、何かに納得したように辺りを見渡す。

 目の前には、学校とは似ても似つかない牢獄のような光景が広がっていた。

 レンガ造りの建物内には、所せましと牢屋が並んでおり、中には手枷を嵌められた()()が無数に収監されている。

 

 突如として現れた非現実的な空間。

 しかし、驚きはしても動揺しない二人の怪盗が、正装たる()()()を正す。

 

 

 

 何故ならここは、

 

 

 

「―――イセカイだ」

 

 

 

 消えた筈の世界が今、眼前に広がっていた。

 

『きゃああああああああああああああ!!!』

 

 しかし、思案する間も与えられず、劈く悲鳴が通路に響き渡る。

 

「ジョーカー! 今の声は……!」

「瑛だ。急ぐぞ!」

「おう!」

 

 

 

 

 

 

「えっ……」

 

 教室だったはずの部屋で困惑する少女。

それも仕方のないことだろう。普段の日常の代名詞とも言うべき光景が、悍ましくも恐ろしい拷問器具が並ぶ部屋に移り変わったのだから。

 

「夢……なの?」

 

 誰に問う訳でもない。

 だが、不気味なほどの静寂で気が狂いそうになったから声を発した。

 

 すると、

 

―――コツン。

 

「! 誰か居るの!?」

 

 不意に響く靴音。

 酷く怯えた面持ちを湛える瑛は、尚も歩み寄ってくる気配を感じ取り、音が聞こえてくる方へ目を遣った。

 

「誰……?」

 

 音が近づく。

 

「誰なの……!?」

 

 ゆっくり、ゆっくりと。

 

「答え、て……?」

 

 そして、()()は現れた。

 

『―――』

「あ……」

 

 白いロングコート。

 白いフェドゥーラ。

 白い包帯に巻かれた顔面に血のように浮かび上がる顔は、歪な笑みを湛えてこちらを覗き込んでいた。

 

 言葉を失い、数拍。

 

 刹那、二人を阻んでいた鉄格子が瞬き一つする間もなく切り裂かれた。

 甲高い金属音を響かせて床を転がる鉄棒を蹴り飛ばす。鋭利な半月状の刃物を携えた靴底は、それだけで辺りに並んでいた拷問器具を次々に切り刻む。

 

「うっ……ぁ……」

 

 無差別に。

 半狂乱で。

 目に見えるもの全てを切り刻む姿は、切り裂き魔に他ならない。

 

「っ、きゃああああああああああああああ!!!」

 

 泣き叫ぼうが、助けを呼ぼうが。

 この場には、彼女一人しか居なかった。

 

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