禍々しい波紋が広がる空。
赤と黒のストライプが円となって連なる光景は、現実の空とは似ても付かない。
少し足取りを早くすれば、紫紺の水飛沫が飛び散る。が、それらは突き進む三人の衣服を濡らすことなく、再び地面の中へと吸い込まれていく。
そうした浮世離れした光景の中心に佇む監獄城。
高く聳え立つ塔からは、脱獄者を照らしあげるために幾条ものサーチライトが伸びていた。
「……流石に正面は守りが固いな」
「だが、地下はそうでもないらしい」
マンホールを押し上げ、周囲に人気がないことを確認したモルガナと蓮が、難なく絵美のジェイルの中へ潜入を果たした。
続いて梯子を上ってきた瑛は感嘆の息を漏らしつつ、先のモルガナの言葉を思い出す。
「牢獄塔……だっけ? 先に行かなきゃいけない場所って」
「ああ。近いところから落としていく。遅れるなよ!」
「もう、誰に言ってるの? ノリの良さだったら負けないんだから」
「その意気だぜ、ジャック」
自分を奮い立たせるように胸を張る瑛。
彼女の姿にフッと笑みを零す二人は、細心の注意を払いつつ一つ目の牢獄塔を目指す。
潜入に当たって最低でも四人は戦力が必要である訳だが、潜入できるタイミングが不規則かつ不明瞭である今、戦力不足を押してでも攻略に奔走しなくてはならない。
可能な限り戦闘は避ける。それが現在の方針だ。
故に先頭に立つ蓮は、普段以上に神経を研ぎ澄ませる。
(それにしても警備が固い。迂闊に前へ飛び出せないな)
どのジェイルにも共通しているが、浮世離れしたジェイルの内部構造は複雑だ。
それに対し、初見で、しかも警備の目を掻い潜って行かねばならないというのだから、潜入する側にしてみればこの上なく神経をすり減らす作業である。
「巡回するシャドウにサーチライト……それに監視カメラと来た。脱獄者を逃がさないって気概がプンプン匂ってくるな。こりゃ脱出するには苦労しそうだぜ」
「逆に侵入者に対しては手薄だと考えよう」
「……」
「おい、ジャック。ボーっとしてどうしたんだ?」
「あっ……ううん、ちょっと気になる場所があって」
「なんだァ?」
「ここ……」
心ここに在らずであった瑛が向かうのは、監獄城の裏口から入ってすぐ目の前の階段―――の裏だ。
乱雑に置かれている木箱を見るからに、適当な物置に使われているのだろう。
特に目ぼしいものがある訳でもないが、ゆっくりと歩み寄る瑛はおもむろに木箱の一つを退かす。
「! これって……」
「壁に穴……? なんだってこんな場所に……」
壁の下に穿たれていた穴。
人一人容易く通り抜けられそうな穴に手を翳す蓮は、微かに吹き抜けてくる風の感触を確かめる。
「どこかに続いている。使えるかもしれないな」
「ホント!?」
「先に何があるかは見てからのお楽しみだな」
と、一番小柄なモルガナが率先して穴の中を突き進んでいく。
「そろそろ出るぞ」
「えっ、近くない?!」
「階段横の部屋に繋がってたらしいな……とぅ!」
勢いよくモルガナが飛び出し、辺りを見渡す。
一切の灯りが無い―――と言えば嘘になるが、ほとんど灯りのない部屋の中には一つだけ朧げな光が浮かび上がっていた。
「非常口だと? 階段……じゃねえな」
「モナ。屋上まで行けそうだ」
非常口の電灯が明滅するエレベーターを前に右往左往する面々。
やって来た抜け穴以外に出入口が見当たらない異様な造りになっていることを怪訝に思いつつも、操作盤を弄っていた蓮は普通に扉を開けてみせた。
「ねえ、大丈夫? こういう場所って監視カメラとか……」
「安心しろ。見たところそれらしいものはないぜ」
昨今のエレベーターのように監視カメラが設置してある様子はない。
となれば、使わない手はないだろう。
しかしながら、見つけた張本人である瑛は首を傾げて思案に耽る。
「なんでこんな変な場所にエレベーターがあるんだろう? 他に扉なんて無いのに……欠陥住宅?」
「欠陥って……まあ、ここはイセカイだ。認知の歪みが影響している以上、普通じゃない場所なんて山ほどある。いちいち気にしてたらいくら時間があっても足りないぜ」
「それもそっか」
二階、三階……それなりの階数がある建物の屋上まで上がるには、それ相応の時間を要した。
そして屋上に到達する音が鳴り響いた後、顎に手を当てていた蓮がハッと面を上げた。
「いや……むしろ、
「見つからない為?」
「―――なるほどな。合点がいったぜ」
瑛が理解できていない傍で、蓮の言葉に得心いったモルガナが目を細める。
監獄の屋上、と言われたら無駄なものがない物々しい空間を思い浮かべるだろう。
だが、現在目の前に広がる光景はある意味常軌を逸していた。
鮮やかに発色するレンガ床の周りには、色鮮やかな花が咲き乱れる花壇が並んでいた。また、ほんの少し年季の入ったベンチの横には自販機も設置してある。
まるで、現実の中庭を彷彿とさせるように穏やかだ。
「見たところ、他に上ってくる手段も見当たらない。不自然な通り道からしかたどり着けない屋上……ジャック。エミがイジメられていた頃、彼女はよく居た場所はどこだ?」
「絵美が? えっと、教室とかは避けてたかな。人目がつきにくい場所って言うの? それこそ保健室とか、屋上に……あ」
「そういう訳だ」
話を続けながら第一目標である牢獄塔の方へ進む。
屋上とだけあって見晴らしはいい。
すぐに牢獄塔を視界に入れた蓮は、どうやってたどり着くか頭の中で淡々とルート構築に勤しむ。
そう、
「―――エミのジェイルは学校が監獄へと変わったものだ。なら、彼女がどこをどういう風に認知しているのかが鍵になってくる」
「じゃあ、さっきのエレベーターも……?」
「そうかもな。誰にも見つからず、人目のつかない
「っ……」
仮面越しでも分かる程に瑛の表情が曇る。
それが親友の陰惨な心の歪みの一旦を垣間見たからかは本人にしか分かり得ないものの、同じ立場であれば少なからず同じ面持ちになっていただろう。
そう同情する蓮であるが、先行きが不明瞭なジェイル攻略の状況を鑑み、一つ瑛に発破をかけることにした。
「このジェイル攻略……鍵になるのはジャックだ」
「え……私?」
「さっきの抜け穴然り、この中で一番絵美を理解している親友だからこそ気付けることがある」
刹那、瑛がハッと息を飲む。
「そうだぜ、ジャック! さっきの調子で仕掛けを見つけてくれりゃあ、彼女を助けられる時間もグッと縮まる! お前が……いや、お前しか彼女を助けられないんだ!」
そこへモルガナが付け加える。
これは誇張でもお世辞でもない。認知世界の攻略の要となるのは、いかに歪みをもたらす主の思考を理解できるかにかかってくる。
故に、ほとんど他人に等しい蓮やモルガナなどよりも、瑛の方が絵美のジェイル攻略には適任だ。
「勿論任せっきりにはしないが、何か少しでも気付いたことがあったらすぐに言ってくれ!」
「うん! そのくらいお安い御用!」
「よし……行くぞ!」
瑛を勢いづけたところで、三人は一つ目の牢獄塔へ駆け出した。
屋上から他の建屋の屋根や壁を伝い、あるいは縁に手をかけながら下りていく。蓮たちは当然ながら、瑛も負けじと鮮やかな身のこなしで進んでいけば、瞬く間に目の前へ目的地が迫ってくる。
だが、牢獄塔とはジェイルにおける重要施設。
そこに警備が配置されていないなどという都合のよい出来事は、今までの経験上一度たりともない。
「オマエら! シャドウのお出ましだ……ぜ?」
そう、一度たりと。
一度たりともなかった光景が目の前に広がっていた。
ぱちくりと目を白黒させるモルガナの傍では、つぶさに周囲を警戒する蓮が不気味な静寂の中、神妙に独り言つ。
「……気配はないな」
「それらしい罠も見当たらない……どういうことだ?」
「誰も居ないんならチャンスじゃない? 今のうちに行っちゃおう!」
「うーむ……どうする、ジョーカー?」
「立ち止まっていても仕方ない。注意しつつ進もう」
警備が手薄どころか無防備な牢獄塔を怪しみつつも、細心の注意を払いながら進むことに決めた後の行動は早い。
牢獄塔の外壁の螺旋階段を駆け上がれば、あっという間に鳥籠のような鉄柵に囲まれた天辺へと到達する。
無機質な屋上に浮かぶのは、周囲の禍々しい雰囲気とは対極的に眩く輝く光球。
それを始めて目の当たりにする瑛は、しばし目の前の代物に目を奪われたように立ち尽くす。
幻想的と思っているのだろうか。ただ二人は、それが美しいとは言いきれるものでないということを知っている。
「これがお目当てのものだ。
「う、うん……―――!」
「それは……リストバンドか」
言われるがまま光球に手を伸ばした瑛。
何かを掴み取って腕を引けば、その掌の中には彼女にとっては見慣れたデザインのリストバンドが収まっていた。
見間違えるはずもない。これは―――絵美とお揃いにしたリストバンドだ。
「これが……絵美の力の象徴なの?」
瑛は困惑する。
大切な思い出の品が力の象徴とはどういうことだ?
今持ち得る情報だけで答えを導こうとすれば、否応なしに親友の知られざる負の一面を覗いてしまうようで忌避感が凄まじい。
しかし、
「……行かなきゃ」
「ジャック?」
「絵美が私と友達なのを誇りに思ってるんだもん! なよなよなんてしてらんない!」
湧き上がる想いが渦巻く嫌悪を凌駕する。
曝した姿には、それ以上もそれ以下もない。ありのままの福田 瑛という人間を見せ、絆を結んできたつもりだ。
そんな自分を友達と―――例えシャドウであろうとも―――呼んでくれるのならば、期待に応えたいと思う。思うことを止められない。
「ジョーカー、次はどこに向かうの? 確かこれでどこかの仕掛けが解けるんだよね」
「待て……あそこだ。サーチライトの数が減っている」
脱獄者を照らしあげる光が幾条か減っている。
これだけで先ほどよりもジェイルの探索が容易になった。牢獄塔に収められている物は、王の力の象徴―――つまりは歪みの元。それらを奪取するだけでも王の思い通りに歪められている認知世界の機能を弱体化させられるという寸法だ。
「なんの苦労もなしに牢獄塔を一つ攻略できたのは僥倖だったな。けど、次もそういくとは限らない。気を引き締めるぞ」
「うーん……でも、本当に三人だけだと戦力不足なのかな? 最悪強引に突破できないの? ほら、ジョーカーもモナちゃんも強いし……」
「おいおい、そいつは御法度ってモンだ。怪盗のやり口はスマートに……って、流儀に酔うのは二の次だぜ。何よりもまず仲間が無事であることが先決。ジェイルは開けた場所も多い分、囲まれる危険性が高い。そうなりゃあまず無傷で逃げだすのは難しいぜ」
「多勢に無勢ってやつかぁ……」
次なる牢獄塔への移動する間、話題として挙がっていたのは戦闘についてだった。
蓮とモルガナのペルソナ使いとしての経験は熟練と呼んでもいい域まで達している。瑛の言う通り、シャドウの軍勢を強引に突破することも不可能ではない。
しかし、可能である事実と実情は別の話だ。
大勢を相手するにはそれだけで体力を要する。不意を突かれて背後から攻撃でもされれば一気に態勢を崩されるだろう。
では、ちまちまと武器を振るわずにペルソナで一掃すれば良いのかと言われれば、そうとも限らない。
心の力たるペルソナを降魔させ、強大な技を使うとなればそれだけで多大な精神力を費やす羽目になる。そうなればどんな道を辿るか?
―――瞬く間に気力を失い、体力を回復する手段さえ失ったところを叩かれ、全滅の一途を辿るだろう。
今は怪盗団のブレインたる真も居なければ、高度なハッキング技術によりジェイルの一部システムさえ掌握してみせる双葉も居ない。
良くも悪くも初心に帰ったような編成の今、蓮たちが慎重にならざるを得ないのは当然のことであった。
口にこそ出さないが、初心者故に無意識のまま地雷を踏みかねない瑛の挙動に、お目付け役として目を光らせているモルガナが気を揉んでいる様子だ。一刻も早く親友を助けたい余り暴走しかねない可能性を危惧しているのだろう。
「そうだ! そんなワガハイたち心の怪盗団の頼もしいメンバーについて興味はねえか?」
「えっ!? あるある!」
「だろだろ? 道すがらちょっと聞いていけっ」
緊張や焦燥からくる余裕のなさが危うい行動を後押しするならば。気を利かせたモルガナは瑛が食いつきそうな話題を挙げるや、それに彼女もすぐに興味を示す。
「まずは切り込み隊長、スカル! 麗しい美貌の演技派美少女、パンサー! 刀捌きさえ作品……怪盗団の芸術担当、フォックス! 鉄拳を持つ怪盗団の頭脳、クイーン! コンピューターならこいつに任せな、ナビ! 悪い子にはお仕置きしちゃう美少女怪盗、ノワール!」
「おぉ~! ……あれ? 大阪で流れた映像じゃもう二人くらい居なかった?」
「よく気付いたな、ジャック。実はその二人、怪盗団が華々しい復活を遂げてから参入した新メンバーだ」
「どういう経緯で加わったんだろう? 気になるぅ~!」
「おいおい、そこを訊くのは無粋だぜ。ただ悪い奴を改心させたいっていう想いだけは共通してるがな」
「……そっか!」
「今はオマエもその中の一人だぜ」
キメ顔で告げるモルガナ。
が、
「それで残り二人のコードネームは?」
「んにゃあああ!! もうちょっと間を置けよな、間をォ!! 折角ヒトがいい感じに言ってやったのに!!」
「あっ、ごめん! 結構臭い台詞だったからあんまり真剣に受け止めてもアレかなって……」
「ヒトが滑ったみたいに言うな!! 大真面目だわ!!」
「流石大阪帰り……ツッコミの切れがすごいね! あっ、モナちゃんって怪盗団のツッコミ担当?」
「誰がツッコミ担当だ!! 大阪帰りは関係ねーわ!!」
「なんでやねん」
「ジョーカー、ノるな!! っつか、間が微妙過ぎるだろ!!」
澄ました顔で悪ノリする蓮も話に混ざりつつも、三人は二つ目の牢獄塔へと難なく辿り着いた。
「ここも手薄だな……ここまでくると薄気味悪いぜ」
静寂が辺りに満ちる中、モルガナが感想を零す。
「罠はあるのかな? うーん……」
「考えていても仕方がない。警戒はしつつコアを回収しよう」
立ち止まっていても始まらないと悟った三人の動きは早かった。
瞬く間に牢獄塔の頂上まで上り詰め、力のコアを手に取る蓮。
「これは……カッターだな」
「ッ……」
「ジャック、大丈夫か?」
「うん、平気だよ……」
何の変哲もない市販品だ。
それを見た途端、瑛の顔からサッと血の気が引いていく。察するに余りある様子だ。『平気』と口にしているものの、どことなく息遣いも荒々しい。
「次の場所へは急がず進もう」
「ごめんね、心配かけて……でも、いざとなったら頑張るから! ……ほどほどに」
意気込む瑛だが、いざ戦闘になった事態を想像し身震いしている。
「これだけは数をこなさなきゃな……」
「安心しろ。いざとなったら守る……モルガナが」
「ワガハイだけかよっ!」
「車を乗り回していればいい」
「車前提かよ!? 一応言っておくけどな、車になってる時も感覚はあるんだぞ!! 壁とか硬いシャドウにぶつかったらワガハイも痛いんだからな!!」
「―――だ、そうだ。柔らかい相手を狙っていけ」
「うんっ!!」
「今日一番元気のいい返事をするな!! 柔らかさの問題じゃねえよ!!」
元より蓮とモルガナも瑛に過度な期待を寄せてはいない。いくらペルソナ使いとは言え覚醒したばかりの上、戦闘経験も一度のみ。寧ろ真面な戦力と見る方が愚挙である。
良くて後方支援。立場を例えるならサポート方法が攻撃となった双葉と見るべきか。
(願わくば戦わずに済むのが一番だが……)
蓮の思惑も、最後の牢獄塔を目の前にして潰えた。
「なんだ、あいつは? シャドウか、いや……」
じっと目を細めるモルガナは、牢獄塔へ通じる城門の前に佇む人影を訝しんだ。
ただの看守のシャドウにも見えない。
警戒する三人であったが、辺りをいくら散策してみても城門以外に牢獄塔へ続く道は見つけられなかった。
見つからない道は皆無。戦闘になることを覚悟した三人は物陰に隠れつつ武器を構えて城門を潜る。
すると、
「!! 閉じ込められた!?」
「落ち着け、ジャック」
轟音を立てながら閉まる門に慄く瑛を蓮が宥める。
それを見計らうかのように歩み寄る人影。
暗がりではっきりと視認することが叶わなかった存在は、ゆっくりと伏せていた面を上げる。
「……私?」
『―――』
瑛と瓜二つの容貌。
思わぬ相手に瑛も思わず息を飲んだ。
「ジャックのシャドウか?」
「いや。ペルソナ使いになった今、シャドウが居るなんてことはありえない。エミの認知が生み出したんだろうな」
鴨志田のパレスに居た杏がいい例だ。杏がペルソナ能力に覚醒した後も、パレスの中で鴨志田に付き従っていた。
「つまりどういうこと?」
「絵美の心の中の瑛……ってトコだ。誰か個人のシャドウじゃない以上、倒しても問題はないぜ」
「そっか、了解!」
「……」
快活な返事をする瑛の傍ら、依然として蓮が腑に落ちていないと言わんばかりに立ちはだかるもう一人の瑛を見つめる。
妙な違和感を拭えぬまま―――。
「……力のコアは頂いていく」
『本当にいいのか?』
「どういう意味だ?」
もう一人の瑛が口を開いた。
現実の快活な性格の彼女とは正反対な、酷く陰鬱な声色で。
『お前の触れようとしている真実は、本当にお前が追い求めているものか?』
「戯言をほざいたトコロでワガハイたちは止められないぜ?」
『部外者は黙っていろ。瑛、私はお前に言っている』
「えっ、私!?」
指名された瑛があからさまに狼狽える。
自分と瓜二つな偽物―――もとい、認知によって生まれた自分自身と話す経験など生まれて初めてだ。
「わ、私に何の用なの?」
『真実は残酷だ。場合によっては知らない方が幸せなこともある』
「それは……絵美のことを言ってるの? だったら違う! 絵美が心の中でどう思っていたって、絵美は私の親友!」
『私を見てもそう言い切れるか?』
「?」
もう一人の瑛の言葉に瑛は混乱する。
ひどく婉曲した物言いだ。何かを気付かせたいのかそうでないのか曖昧で話の核心を捉えられそうにない。
「……貴方が何者でも、私は絵美を助けたいの。本当に貴方が絵美の思う私なら、貴方は私の邪魔なんてしないはずなんだから!」
『その通りだ。
「なっ……!?」
突如として周囲に広がる力の波動。
カッと閃く光と共に、瑛だった影は見たことのあるシャドウへと変貌したではないか。
「こいつはあの時の!?」
「―――切り裂き魔!」
「ひっ……!?」
『汝、真実を追い求める者ならば……今こそ発せよ!!』
両手にナイフを構える英国紳士風の怪人。
蓮に“切り裂き魔”と称されたシャドウは、紅血が滲んだ瞳を瞬かせながら斬りかかってくる。
三人へ一斉に襲い掛かる剣閃の群れ―――“空間殺法”は、さながらレーザートラップのように隙間なく押し寄せてきた。
「くっ……ナイチンゲール!!」
「止せ、ジャック!! 躱すんだ!!」
次の瞬間にはサイコロステーキにされる斬撃の嵐を前にペルソナを召喚する瑛。
しかし、耐え切れないと断じたモルガナが呼び掛ける。
「―――アバドン!!」
そこへ現れる大口を備えたヘドロ状のペルソナ。
ヨハネの黙示録において『破壊の場』や『滅ぼす者』と呼ばれる奈落の王を顕現させた蓮が、瑛と切り裂き魔の間に割って入った。
刹那、辺りの床や置物を細切れにしつつ迫っていた斬撃は、アバドンの体に当たるや、吸い込まれるように消滅していく。
「無事か?」
「あ、ありがとう」
「まだ来るぞ! うおおおお、ゾロおおおおお!」
空間殺法を無力化されるや追い打ちを仕掛けてくる切り裂き魔に、モルガナが迎え撃つ。
数度切り結んで火花を散らした後、接近戦では分が悪いと踏んだモルガナはガルダインを解き放った。
しかしながら、軽快な身のこなしで飛び退いた相手を前に、一陣の疾風は向かい側の壁に裂傷を刻むだけに留まってしまった。
「こいつ! この前より速い!!」
「メタトロン!!」
今度は蓮が攻撃を仕掛ける。
前回通じた祝福属性の魔法“マハコウガオン”の光で戦場を覆い尽くすように切り裂き魔を狙う。
だが、相手の身のこなしは蓮の想像以上であった。
一斉に瞬く光に慄く様子もなく姿勢を低くすれば、ナイフを構えながら光の中へ吶喊する。そのまま微かな光の隙間を掻い潜り、無傷のまま三人の前へと躍り出たではないか。
(“大天使の加護”でもついてるのか!)
余りの回避率に目を見開く。
そうしている間にもナイフを振り翳す敵を前に、蓮はすぐさまメタトロンからアバドンへとペルソナチェンジを果たす。アバドンは物理攻撃にも呪怨攻撃にも耐性を持つペルソナだ。それら二つを主な攻撃手段にする切り裂き魔に対し、まさしく適任。
―――そう踏んでいた蓮に鮮烈な痛みが襲い掛かる。
「ぐッ!?」
「ジョーカー!!」
苦悶の声を上げる蓮の下へモルガナが駆け寄り、パチンコ玉で牽制する。
どんな手段で―――と切り裂き魔へ目を向けた彼らが目の当たりにしたのは、ロングコートの陰でたなびく包帯の先から血が滴り落ちる光景。
「血を吸われたか……っ」
「回復手段もあるって訳か! 厄介極まりない相手だ……!」
「刻め、ナイチンゲール!!」
吸血された蓮を庇うように前へ出る瑛が吼える。
爆炎を巻き上げながら顕現するナイチンゲールは、その右手に掲げるランプから巨大な火球を連射する。
着弾する度に火柱を上げる火球の威力もさることながら、これだけの威力を有すアギダインを繰り出せる瑛の精神力も脱帽ものだ。
しかしながら、瑛はあくまで素人。ただのシャドウとは一線を画す身のこなしの切り裂き魔に対して有効打となる一撃を与えることができぬまま、精神力を浪費していくだけの時間が過ぎていく。
「やたらめったら撃つんじゃない! 来るぞ!」
「分かってる!」
そうは言うものの、瑛の額からは滝のような汗が流れ出ている。
心なしかナイチンゲールの攻勢の手も緩む。
その隙を狙ってか、切り裂き魔の狙いは瑛へと移った。レンガ床を踏み砕き、爆発的な加速を以て肉迫する。
「ジャック!」
前へ飛び出ようとするモルガナだが、もう間に合わない。
凶刃を閃かせる切り裂き魔がとうとう瑛の前へ辿り着いた。血塗られた刃は鈍い銀色の光を放ち、瑛を袈裟斬りにせんと横薙ぎに一閃。
『!』
だが、紙一重のところでゲットダウンの要領で屈んだ瑛を前に斬撃は空振り。
空を切る虚しい音が鳴り響く中、依然素顔を晒したままの瑛が切り裂き魔を睨み上げる。
「どんな理由があったって……他人を傷つける人は許せない! ペルソナあああッ!!」
激情を露わにする瑛に呼応し、ナイチンゲールから迸る力の波動も強まる。
一瞬たじろぐ切り裂き魔。
次の瞬間、ナイチンゲールはどこかから取り出した注射器を眼前のシャドウへと突き立て、押し子を引いていく。
すると切り裂き魔の血液―――ではなく、仄かな光を放つエネルギーが吸い上げられ、そのままナイチンゲールの体へと流れ込んでいった。
「はあああああ!!」
吸魔にて精神力を補充した瑛。
続けざまに繰り出した爆炎は、そのまま切り裂き魔へと直撃する。
「やったか!?」
『―――!』
しかし、モルガナの期待も虚しく切り裂き魔は多少焦げた箇所を手で払うだけ。決定打には至っていない様子だ。
「チッ。やはりあいつは別格だ、長期戦を覚悟しておけ!」
よもすればジェイルの王に匹敵するかもしれない戦闘力。
戦力も十分に確保できていない中、なんという強敵に出会ってしまったものかと嘆く暇もない。
と、次の瞬間、幾つものサーチライトが牢獄塔周辺に屯する蓮たちと切り裂き魔を照らしあげた。
「見つかったか!?」
「ええ!? こんな逃げ場所がない中で……ちょっと待って!! あれ銃じゃないの!?」
ジャックが指さす先。
一見何の変哲もない監視カメラにも見えるが、よく目を凝らせば真下に構える銃口を確認することができる。
侵入者―――否、脱獄者を見つけ次第銃撃するものだろう。
それらが一斉に照準を定めているとなれば、逃げ道を塞がれた三人からすれば堪ったものではない。
「おいおい……」
「マ、マンホールはない!? 地下に逃げたりとか!」
「残念だが見当たらないな」
「じゃあどうしたら……!?」
最悪手元の銃で破壊するしかない。それも切り裂き魔の攻撃を掻い潜りながら。
狙撃用の銃でもない代物でそれを為すことは至難の業。蓮の頬にも冷や汗が伝う。
そうこうしているうちに銃口の下からはレーザーポインターが伸びる。
無数の赤い点が刻まれる第一の標的は―――。
『!!』
一斉に轟く発砲音を前に切り裂き魔が飛び退いた。
さっきまでの立ち位置は蜂の巣。集合体恐怖症の者が目の当たりにすれば卒倒ものだ。
それだけの銃弾の雨を掻い潜る切り裂き魔は、時に監視カメラごと銃を真っ二つに両断しつつ逃走を図った。
逃げ場などない。
自分たちでさえそうなのだからと考える三人であったが、突如として鉄柵の間から流れ込んでくる霧が切り裂き魔を覆い隠す。
「……消えた」
茫然とする瑛が何者も居なくなった場所を眺める。
しかし、残りのサーチライトが自分達を照らしあげた瞬間、依然緊迫した状況であることに変わりがないことを思い出す。
銃口が火を噴く光景を幻視すれば、体中から汗が噴き出していく。
いつ攻撃か来るかと身構えること数秒。仕掛けは一向に動く気配を見せなかった。
怪訝そうに全員が首を傾げる。
その瞬間だ。三人を照らしていたサーチライトがあらぬ方を向き、謎の人影を浮かび上がらせたではないか。
『はっはっは! いやぁ~、システムをハッキングするのに少々時間がかかってしまってね。しかし、どうやら大事無くてよかったよ』
「とぅ」
スピーカーから大音量で流れる女性の声に続き、塀の上に立っていた人物が飛び降りる。
「こういう時は久しぶりと言えばいいのか? でもまずは会えて嬉しいぞ、ジョーカー。モナ」
「オマエは……!」
「来てくれたのか」
現れた赤髪の少女を前に、蓮とモルガナは喜びの色を隠さない。
「えっと……この子は?」
「初めましてだな、ジャック」
「えっ、私のコードネームを……!?」
「当然だ」
―――同じ怪盗団なら。
そう言わんばかりの微笑みは、浮世離れした容貌とは裏腹に人間味を帯びていた。
「よろしくな、ジャック。私は『ソフィア』。人の良き友人だ」