エンディング後のアニメ世界に来たけど、ヒロインが怖い 作:ツム太郎
視界がグルグルと回る。やがて足場が不安定になり、座っていた感覚がなくなった。
足元を見てみると椅子が無くなっている。机も、カップや菓子も。
あくまであのマスターには迷惑を掛けない、ということか。
「……」
不思議と焦りはない。
なんとなくだが、こんなことになる気はしていた。アステアがどんな過去を持っていたとしても、結局は女神の信徒。敵にならない筈が無い。
だからこそ、触れることのできた魔物の肉だけは離さなかった。
何が起きるかは分からないけど、これだけは手放してはならない。だから、あらん限りの力で袋を握った。
そして数秒経って、視界が安定していく。
「……ここ、は」
見覚えは無いが、予想の付く場所だった。
松明による明かりのみの薄暗い空間。ジメジメとしたレンガの壁、天井、床。
音が全く聞こえない、完全な静寂。
そして奥の方に見える、簡素に作られた大きな扉。
恐らくは王城に続く道。そして聖教会の地下だった。
「さてコウ様、最後の慈悲です」
無機質な声が響き、その方向を見る。
そこにはアステアが立っていた。あの宝石杖を片手で持ち、無表情になって。
さっきまでとはまるで違う。その姿、出で立ち。まさしく聖教会のソレだった。
「聖教会の門を潜ると、今この場で誓ってください」
「断る。何度も言わせるな、俺はララベルのみか――」
「誓えと言っている」
底冷えする大神官の声。
瞬間、アステアの姿が消える。どこにと探そうとする前に、後ろから強い衝撃を受けた。
鋭く、突かれたような痛み。しかしもだえる前に、体は冷たい床へと叩きつけられた。
「がッ……!?」
意識を持っていかれそうになる。
視界がグラつき、急激な吐き気。全身に痛みが走る。魔物に成りかけているというのに、ここまでのダメージ。
だが加減されているのか、ギリギリで気を失うことは無かった。おかげで袋を手放さなくて済んでいる。
「罪人コウ。貴様の犯した罪はこの世界で最も重い類だ。ソレを理解しているか?」
「ぐッ……ハハ……言うに事欠いて……罪人かよ……」
「黙れ、問いに対する答え以外の発言は許可しない」
アステアは言葉と共に、宝石杖の底で俺の右足を突いた。
「グぎッ……ィァァッ!?」
ふくらはぎの真ん中あたり。一切の躊躇、容赦の類は無く。
経験したことのない怪音、感触。一瞬呆気にとられ理解が出来ないうちに、ソレは熱に、そして痛みとなって俺に正体を教え込んでくる。
今までに感じたことのない、体の自由を食いちぎるかのような恐怖。
確認をしなくても分かる。杖が足を貫いたようだった。
人間の力だけではない。魔法で杖の先に鋭い何かを付与している。
「痛いですか? しかし幸運です。本来の罪人ならば、この程度では決して許されませんから」
「が……グ……この……クソ……やろう……ギぁッッ!!?」
「言葉を選んでください。今現在、貴方の運命は私が掴んでいるのですよ……ふふ」
アステアの表情が変わる。喫茶店で見せていた、子供のように楽しそうな表情だ。
しかし杖を持つ手が緩むことは無い。逆にグリグリと回して、足に更なる激痛を与えてきた。今にも泣き叫んでしまいそうだ。
悶えるほどの痛み、こらえ切れず叫び声をあげながら思い出す。
そうだ、コレだ。アニメで見た時も、コレがアステアの一番怖い所だった。天使のような笑顔で誰かを助けたと思ったら、次の瞬間には冷徹な目で誰かを殺す。
コロコロと変わるその表情が、どこまでも恐ろしくて仕方なかった。
「あぁ、可哀そうなコウ様。私もこんなことはしたくないのです。貴方を痛めつけるなど、あってはならないこと」
「どのッ……口がッ……!」
「ふふ、でも思うのです。貴方には聖教徒の格好で祈りを捧げる姿も良いですが、地下牢でボロ布を着て媚びを売る姿もお似合いだと。まぁどのような形であれ、私は貴方が傍にいれば構いません」
聞いているのか、聞いていないのか。
頬に手を当て、優しいまなざしをこちらに向けてくる。しかし今も杖は貫かれたまま。そして痛みも続いていた。
「ララベルはこの場にいません。アレに助けを求めることも出来ませんよ」
「助けなんざ求めるかッ……あの子をこの場所に呼んだりはァ゛ッ!?」
「そうですか……それは幸い。ならばこのまま話を進めましょう……ジース」
杖をひねりながら、アステアが誰かを呼んだ。
聞き覚えの無い名前。だがジースを呼ばれた誰かはどこからか音もなく現れ、アステアの隣に歩み寄った。
「……はい」
痛みで歪む視界でソイツを確認する。
シスター服。褐色肌。そして何よりも、この暗い中で薄っすらと輝いて見える紅色の瞳。
「その……眼ッ……!?」
思わず声に出してしまった。
最悪だ、知識が正しければ最悪の状況すぎる。
ハルメイアの聖教会において、紅色の瞳を持つ人間はただ一人。この世界へ直接干渉が出来ない女神のため、視覚的な情報を与える存在。
外見的な特徴は資料集でも特定されていなかったが、その目だけはよく知っている。
女神の瞳。
アステアやベルクターと同じレベルで接触してはいけなかった、別の意味でヤバい相手だ。
彼女は敵対半分、物珍しさ半分といった表情でコチラを見下ろしている。
俺が聖教会にとって殺すべき存在なのは分かっているが、アステアが生かしている事情もよく理解できていない、と。そんな様子だった。
「おや、彼女のこともご存知でしたか。まったく、情報の過多も女神への反逆と捉えられますよ」
「アステア様、彼は一体何を?」
「貴方は黙っていなさいシスタージース。それよりも、2本出してください」
「……承知しました、大神官アステア」
アステアに命令され、ジースと呼ばれたシスターは顔を強張らせる。
そして服の中から何か細いモノを取り出すと、アステアに手渡して数歩後ろへ下がった。
「本来、この場で行う問い掛けでは、死なない程度の毒を使います」
「……」
「ですが、貴方に毒は効きません。神経を蝕む類も、内臓を穢す類も……ですがやり様はあります」
アステアは受け取った何かをクルクルと手で回すと、次の瞬間ものすごい勢いで俺の右手に突き刺した。
「ぐギッ……!?」
手の平に五寸釘並みの大きさを持つ、針のような何かが刺さる。
堅く、鋭いソレは容易に俺の右手を貫いた。
「ふふ、痛い……痛い痛い。痛くて耐えられないでしょう、コウ様?」
倒れ伏す俺の耳元でアステアが呟く。刺さった針を抜こうともがくが、痛みのせいでろくに動かすことも出来ない。
「うッ……ぐぅ……」
痛みに耐えきれず、小さくうめき声を上げる。まるで子供に遊び半分で弄ばれる虫の気分だ。
そんな俺が可笑しいのか、アステアは楽しそうに笑いながら俺の背中に腰かけ、頭を撫でてきた。
「ふふ、きひ……まるでただの肉の塊。貴方は抵抗も出来ず、芋虫のように地べたを這いずる事しかできない。屈辱でしょう、無念でしょう……かつての私のように」
「クソ……どけ……この……」
「まぁ、なんて座り心地の良い椅子。この圧倒的な優劣の差、貴方に覆せるはずが無いというのに。どうしたら、言うことを聞いてくださるのですか?」
余裕たっぷりと、まるで子をあやす母親のように。アステアは俺へと話しかけてくる。
そして俺の髪を掴み、グイッと上げてきた。
「ぐぁ……」
「もっと痛みがあれば、考え直してくださいますか?」
「お前……と……一緒……に……すんな……」
「一緒です。貴方も私も、結局は痛みのもとにひれ伏すのです」
言うと同時に髪を掴んでいた手が離され、2本目の鉄針が放たれる。
次は俺の左手。親指の爪と皮膚の間に。
「ひィ……ギぃぃ!!」
体が強張っているせいか、絞り出すような悲鳴が出てくる。ソレと同時に持っていた袋を放してしまった。
袋は俺の目の前に放られ、中身の赤い肉が少し出てしまっている。
「……!」
心臓がドクンと鳴った。
目の前にある魔物の肉。俺が食べる筈だった最後の肉。
ララベルは最後の肉を食わなければ、俺が人間に戻ってしまうと言っていた。ならば、食えば完全な魔物になるということ。
今の俺は右足を貫かれ、両手に鉄の針が突き刺さっている。悔しいが、アステアの言う通り何もできない。
突破口があるというのなら、目の前のソレ。
何が起きるかはもちろん分からない。だが、他に頼れるものは無かった。
「……」
口を広げ、顔を寄せる。
体を動かせないのがもどかしいが、かろうじて辿り着くことは出来た。
舌が触れ、あと少しで口に引き入れられそうになる。
「ソレを口にしたら、本当に引き返すことは出来ませんよ」
その時、アステアの声色がまた変わった。
冷徹なソレでも、子供のようなソレでもなく。心から懇願しているような。
そんな声に。
「何を躊躇うことがあるのです。ここで暮らせば、女神のもと不自由のない暮らしが出来るのですよ?」
俺の背中を撫で、再び優しく言ってくる。
どこまでも傲慢な命令を、まるでそうなるのが当然のように。
「ララベルは捨てろ、私だけを愛しなさい……それ以外に助かる道は無い!」
「嫌に……決まってんだろ……」
「っ……このッ! 人の気も知らないで、貴方はどこまでも!!」
激昂。次いでアステアは立ち上がり、杖を思いっきり振り下ろしてきた。
「がグッ……!」
「アイツッ! だけがッ! 苦しんでッ! いるワケじゃッ! ないのにッ!!」
「あ、アステア様! それ以上殴り続けたら死んでしまいます!」
「やかましいッ! 貴様は黙っていろ!!」
味方の静止すら役に立たず、アステアは何度も杖を振り下ろしてくる。
足にも、背中にも、腕にも。頭にさえ。
鈍い音と共に目の内側がチカチカとして、あっという間に赤く染まっていく。
「なんで、アイツばかりッ! なんで、私はッ! 私は救ってくれないのですか!? なんでもっと前に、私のもとには来なかったのですかッ!? あの日、あの場所で! 大丈夫だと、共にいなかったんですかッ!?」
「ぐッ、がッ……」
叫び声を聞きながら、必死に気を失わないように耐え続ける。だが数回もしないうちに、痛みが来ないことに気づいた。
ゴンと鈍い音が傍でして、霞む目で見ると宝石杖が床に転がっている。
そしてすぐ近くには、両手で顔を抑えるアステアが見えた。
両手の間からは、大粒の涙がこぼれ続けている。
「わた、私、だって、本当は……だけど従わなければ。女神の啓示は、反逆を決して許さない! 従わなければ、生きる道なんてない! どれだけ醜くても、どれだけ歪んでいても、それがこの世界の摂理――」
「ッ……あの子はッ!!」
もう救えない慟哭を叫んで止める。その体が、びくりと震えた。
「あの子は……世界が汚いことくらい、とうの昔に分かっていた。自分に味方なんていないって、この城を追い出された時から」
「っ……」
「それでも、旅を続けていた。まだ受け入れられる筈だって。まだ綺麗なところだってある筈だって……ソレをお前らがぶち壊したんだろうが! もっと他に、皆笑っている終わり方もあったんじゃないのかよ!!」
「ッ……黙れェッ! 夢理想を語るだけなら、そこらで死体を喰らう野良犬が吠えるのと変わらない! ただの肉塊でしかない貴様に何が出来る!?」
いつの間にか流していた涙をぬぐいながら、アステアは叫び続ける。もうすべて終わらせてくれと、そう言っているかのように。
「……教えてやる」
確信はもちろんない。何が起きるかなんて決して分からない。
だが、ララベルのため。アステアを、女神を止めるため。
出来ることは、ただ一つだけだった。
「今、教えてやる」
「ッ!? やめろ吐き出せッ!」
アステアの言葉を無視して目の前の肉に食らいつき、一気に飲み込んだ。
「かッ……!?」
飲み込んだ瞬間、世界が大きく揺らぐ。
明らかな異常が起きた。目の前には、俺の口元を掴みながら何かを叫んでいるアステア。
何を言っているのか分からない。聞こえないワケではないが、まるで理解できなかった。
彼女の動きが酷く遅く感じる。
彼女だけじゃない。松明の揺らぎも、周りの音も、何もかも。
ゆっくり、鈍くなっていく。
そして全ての動きが完全に止まった時、視界全体が突然現れた霧に包まれた。濃く、意思を持つかのようにうねる霧に。
いったい何が?
そう思い辺りを探ろうとする。だがそれよりも早く、霧はすぐに晴れていった。
「……は?」
そして気づけば、俺は地下にはいなかった。アステアや女神の瞳もいない。
「光……なのか……?」
松明ではない、薄緑色の不自然な光。ソレが辺り一面を照らしている。
周りの物体も不自然だ。明らかに自然のソレではない。人の手で削ったかのように角ばっており、材質は石でも鉄でもない。目の前のソレに触れてみると、今までに無い感触だった。
そんな物体が、あちらこちらに無造作に置かれている。
「なんだここ……って、怪我が!?」
理解が追い付かない中で、自分の体の以上にも気づいた。
手を貫いていた鉄針が存在せず、その傷跡も無い。痛みすらなく、立ち上がることも出来た。
「……ワケ、分かんねぇ」
そして上を見上げれば、星のように輝く何かが見えた。
まるで意味不明。理解も把握も出来ずにただただ困惑している。
「やぁ、こんにちは」
しかしどこからか声を掛けられ、混乱していた意識は一気にそちらへ向けられた。
ビックリして勢いよく顔を向けると、そこには人影が二つ。
一人は黒いローブで全身を包み、その顔も見ることは出来ない。だがもう一人の方は、とても見覚えのある姿をしていた。
「……ララベル?」
「そうだよ、コウ。私がララベル、初めましてと言うべきなのかな?」
綺麗な金色の髪。麻布で出来た質素な服。そして人間らしい綺麗な肌。
物質の一つに腰かけて楽しそうに笑っているのは、勇者になる前、つまりは村人であった頃のララベルであった。
ご指摘、ご感想があればよろしくお願いします。