「あら、こんな夜更けに何用かしら?」
「………」
バベルの最上階、月下を纏う妖艶な花が一輪、その花弁は見る者全てを溶かしてしまうほどに鮮やかで、放つ色香は万人を狂わす魔性の艶。
美の女神フレイヤ、彼女の見る先には何もない黒の帳。しかし、確かにそこには存在がある。生者とも死者とも判別できない。ただただ不気味さだけがそこにはある。
「まあ、命知らずにもここまで来て……それほど私の肌に牙を立てたいのかしら?」
「……」
「ちょっと、無視は止めなさいよね。神の冗談を真に受けないでもらいたいわ」
「……」
「ふふ…冗談が通じない男ね。まぁ良いわ、要件は何かしら」
「………要らぬ助けは施さない。そういう手はずであったと、俺は記憶しているが」
「……あら、その件のこと」
フレイヤの視線の先。何もない影からそっと姿を見せる。窓辺から照らす月明かりがさらすその姿、ローブをまとい仮面を纏うその男はあまりにも異質であり、その青く宝石のように灯る眼光で神を見る。
美の女神を前に、男は何も動じず、ただその手に握る凶器をいつでも振るえるように力を維持する。
「まぁ、余計な手出しはするなってとこかしら。案外、貴方も過保護ね……。」
「……グリモア程度なら問題はない、だが、これ以上の勝手は……」
「あら、意外に束縛するタイプなのね。私は案外嫌いではなくてよ。」
「……戯言を」
はたから見れば一触即発にも見える、そんな不穏な空気が流れる中、暗闇の中から新たな影が姿を現す。
「あら、オッタル…そんなに険悪に見えたかしら」
「……少なくとも、楽観できる相手ではないかと」
オッタルが姿を現して、気が付けば男はその姿を消していた。何も残さず、ただ一方的に言いたいことを残して
「本当にあの男はブレないわね。神々なんかまったく気にもかけないで………まあ、それが彼らなのだから、そうでなくては意味がないわ」
「……」
「あら、嫉妬……?」
「……いえ、そんなことは」
「そう……なら、どうして気に食わないのかしら。あの子は少なくとも約束は守るは。協力関係があるうちはきっと大丈夫よ。」
「……自分は」
オラリオ最強の冒険者が表情を変え、真剣に他者を警戒している。そこには明確な理由がある。
「……あの男は、いつか我らに牙をむく。その被害は、決して貴方に及ばないとは言い切れない。なら、俺は貴方の為に……」
「ふふ……親思いの子ね。でも、それは杞憂よ」
「……」
「だから、貴方も黙って見届けなさい。今一番重要なのはあの子…貴方が仕向けたグリモア、ちゃんと役に立ってるみたいだわ」
「……」
「?……あら、褒めたのに何もないのかしら」
「いえ、その少年ですが」
「?」
「先ほど、ダンジョンに一人で潜っていきました…おそらく」
〇
「どうしたのだ、アイズ。浮かない顔で」
「……」
「………アイズ?」
「……ごめん。何か言ってた?」
「……」
単独でウダイオスの討伐、それを成したアイズはリヴェリアと二人、偉業の達成を胸に彼女たちは地上へと帰還する最中であった。
中層を抜け、上層に至った今、当に気は完全に抜け落ち。モンスターとエンカウントすることなくたわいのない駄弁りを交えながら帰路に着く。
「……五階層、だね」
「そうだな。もうじき地上だ」
「……リヴェリア、覚えてる?」
「……何をだ」
「前に、酒場で追いかけたあの子」
「ああ、それなら覚えている。なんでも、ダイダロス通りで大立ち回りだと聞いたな。……その少年が気になるのか?」
「……うん」
「そうか、お前が気にかけるのだから、よっぽど気になることでもあるのか?」
「……」
…気にかかる。でも、それは
「……まあ、興味があるなら話でもしてみればいいと思うがな。立場こそあるが、お前のプライベートに誰も指図する権利はない。」
「……でも、どうすればいいか」
「ふむ、それこそ上層にいればなんとかなるであろう。ソロの駆け出しなら、ちょうどこのあたりでゴブリン狩りでも……アイズ?」
「……ッ!」
視線の先、少し広めの空間の真ん中に一匹のウサギが
…あれ、ちがう
駆け足で近づく。ロクな装備もつけずに真ん中で大の字に寝る彼はまさに、今アイズが気にかけている少年そのものであった。
「…どうして、なんで」
「む、なぜこんなところに……あぁ、マインドダウンだな」
「!」
…嘘、この子、もう魔法を
「…このままにはしておけんな。仕方ない、地上に連れて帰ってやろう」
「…待って」
ベルを抱え上げようとするリヴェリアの手を制止する。どうしてか、今この機会を逃してはいけないと、焦る気持ちが体柄を動かす。
「……アイズ、ではどうするのだ」
「……連れて帰る、私が」
「…なら、良いが」
サーベルを後ろによけ、ベルをお姫様抱っこで抱え上げる。ステータスの筋力があるとはいえ、ベルの体は思ったよりも細く、まだ年若い未熟さを感じてしまう。
「……」
「なんだ、弟でもできて嬉しくなったのか?」
「……そういうのじゃ、ない」
道中、そんなヤジを受けながらも二人は難なく地上に帰還する。ベルを抱え、アイズはリヴェリアと別れて彼の家へと向かう。
だが、ここで問題が起きた。
「……道、どっちだっけ?」
うろ覚えで道を行くが、いまいち肝心な記憶が曖昧であった。同じ道を行ったり来たりと、気づけば人込み消えて完全に町は就寝の時刻になっている。
「……どうしよう」
抱えたまま、ベルは一向に起きないまますやすやと寝入っている。
…起こせない、よね
悩みに悩んだ結果、ひとまずアイズは宿を選ぶことにした。少なくとも、このまま街を右往左往しているよりはマシであると、そう高をくくった。
「……ここで、いいよね」
〇
「……んっ」
…あれ、ぼくいつのまに
体が妙に温い。こんなふうに言ってはあれだけど、ホームで使っているベッドやソファよりもずっとふかふかで、何やら湯たんぽのような暖房器具までもあって凶悪的な快適さがそこにはあった。
……ダンジョンじゃない。家でもないし……どこ?
視界が重く暗い、瞼が開かず、油断すればまた心地の良い暗闇に落ちてしまいそうになる。
「……ベル、起きたの?」
「……ぅ」
五層の広場で、ゴブリンを倒したところまでは覚えている。けれどそこからバッサリと記憶が無い。
ひとまず、この暗い横向きの世界から脱するためにもまずは起き上がらなくてはいけない。
「……もう、起きるの」
「んん、はい……そろそろ、起きないと」
……起きないと、体を伸ばし、目の前の柔らかい何かを押しのけて……押しのけて
「……押しの……け………て?」
「…ッ」
押しのけた先、そこには何ともふんわりとした何かがあった。あれ、でもこれ知ってる。確か、あれは神様と一緒に寝ていた時
「……」
「……止めて、欲しいんだけど」
「……へっ」
思考のアラートがけたたましく鳴り響く。ぱっちりと開眼した視界で、ベルは目の前にある何かの正体に気づく。
「……あ、あああ、あああああああ!!!!?!?!?」
金髪、碧眼、まぎれもなく、その姿はあの、あの時の、違いがあると言えば少し頬をピンクに染めて……
「……ご」
「ご?」
「ごめんなさあああああぁぁああああぁいいい!!!!?!?!?!?!?」
「あ、あぶないよ!」
忠告を告げる、が、それは一歩遅く
「へぶっ、ぶるぅあああぁああ!!!?!?」
「……あ」
ベッドから転げ落ち、ちょうど、たまたまおいてある木の椅子が顔面にクリティカル。床でのたうち回り悶絶するベルを前に、アイズはただ唖然と見下ろすしかできなかった。
〇
~数分後
「……すみません」
「……別に、怒ってないし、怒れない」
先ほど宿の店主からもらった氷嚢でベルの顔の半分を冷やしながら今は二人ベッドに座って向かい合っている。
「……えっと、整理しますと、その」
「……連れてきた」
「……はい、みたいですね。というかここ」
オラリオに来て、以前にも泊まっていた宿の部屋であった。先ほど、氷を受け取りに下の受付に尋ねた時、妙に神妙な顔をされた後、肩をたたき励まされたのが腑に落ちない。
……いや、今はそんなことじゃなくて
「……あの、とりあえずその……ありがとうございます!」
「…うん」
「…助けて、くれて……僕、魔法が使えることに浮かれて、あんな危ないことを」
「………危ない」
「はい、僕……装備もつけないで、危うくモンスターにやられるとこでした。だから、また助けられました。あなたに」
「……ッ」
「…だから、本当に………アイズさん?」
雰囲気が変わる。どこか天然じみた彼女の様子が打って変わり、僕を見る目はまるで見つけた獲物を逃すまいとするような気迫を感じる。
「……ッ」
「えっ……って、あぁ!?」
「……やっぱり」
「!?」
急に視界映る彼女の姿が大きくなたと思いきや、僕の顔から氷嚢を抑える手を払い、傷口に当てたガーゼをはがす。
「……ッ!?」
突然食らってしまったその横暴よりも、僕は見られたくないものを見られたことに精神が動揺してしまっている。
「……傷、もう治っている」
「!!……それは、その」
細指が触れる。額の右半分にできた傷、そして腫れ、それはまるで怪我そのものが無かったかのようにただの綺麗な柔肌しか見えない。
「……ごめんね、急に……でも」
「……どこまで、知っているんですか?」
「……きっかけは、君と初めて会った日」
アイズは語った。自分が見た光景をそのままに、その胸に空いていた穴から血をだらだらと流し、けれども倒れることなく徒手空拳でミノタウロスと互角に戦うさまを。
結果的に助けたのはアイズだが、少なくともあの時のベルはあり得ないほどの強さをその身で発揮していた。そして、最も解せないこと、神ヘスティアの前では紡いでいた、アイズが知るベルの秘密を
「……つまり、あの日ぼくは」
「……うん、死んでもおかしくない量の血を流して、けれども君は生きている。傷だって、背中を突き抜けていた致命傷なのに……でも、いまは」
「………」
「……君は、一体何者?」
聞かれてしまった。できるなら避けたかった、目下最大の問題を。それも、憧れで、恩人である彼女に
…言うべき、なのかな
いっそ打ち明けてしまえばどれほど楽だろうか。けれど、もしそれで失敗したら
「………僕は、その」
「……」
答えを待つ。
けれど、今はまだ
「……言えません」
「……」
……まだ、言えない。この力を、ファンガイアのことは、まだ
「…アイズさんとはいえ、冒険者個人の秘密は守秘義務があります。それでも、ロキ・ファミリアの冒険者であるあなたは、聞きたいと申すのでしょうか……!!」
「……ッ」
突き放すような物言い、思い人である彼女に対するそれはとても胸が締め付けられるように痛くなる。けれど、それでもだ
「……もう、帰ります」
「……ベル、私は、そんなつもりで」
「…すみません、突き放すつもりは無いんです。これは、本当に、どうしようもない事なんです。あなたが剣姫だろうと、僕の問題は……僕にしか、解決できません。」
彼女の疑問には答えられないけど、それでも、感謝の思いだけは紛れもなく本物だから……僕は
「だから、感謝だけは……あの時、僕を助けてくれて、本当にありがとうございます……アイズさん」
「!!」
「……では、もうこれで」
「……」
踵を返し、ベルは部屋を出る。その後ろ姿を、アイズはただ見ていることしかできなかった。
……悪い事、しちゃったかな。
強くなりたい願うアイズにとって、ベルの中の変化は興味の対象であった。だから、今さっきのことは完全に自分の非であり、暴走してしまったのはひどく失態だ。
「……ベル、私は」
知りたい、けどそれだけじゃない。
あの日、ベートさんに言われて、君は深く気づついた。弱いと指摘されて、必死にあがいた。
「……言いたかった。君は弱くないって、君は……」
〇
「ベル様、今日は10階層まで潜りませんか?」
「10階層?……さすがにそれは」
いつもどおり、ダンジョンの入り口で僕はリリと打ち合わせをしている。魔法が使えるようになった今、一人でもうまく戦えるなら次の階層に進むのは可能だと。
「……でも、エイナさんにも相談してないし」
「いえ、大丈夫です。リリは他の冒険者と同行しているので中層までの知識ぐらいなら持っています。リリのサポートと、ベル様の実力があれば十分に可能な冒険です。」
「……冒険」
「ええ、それに……万一の時はあの乗り物だってありますし」
「バイクのこと、でもあれは」
エイナさんから小言を貰い、僕はあれをダンジョンで使用することは避けている。というか、この前リリを連れ出した時の件も結局はバレてしまったのだ。
……ベ~ル~く~~ん、私の言ったこと、何で忘れちゃうのかなぁ??
「……補修は、もう嫌だ」
「……何があったかお察ししますが、要は万一の事態です。」
そう言い、リリは僕の背中を押す。
「あっ、リリ…!」
「いいから、リリのことを信用してください。……さあ、いっきますよー!!」
「えっ、ちょ!」
今回はここまでで、次回から大きく動きます。