「……ふぅ」
先生の方が、私より先に食べ終えたみたいです。
ウェイトレスさんが、空になった食器を運んでいかれます。
「さてと」
先生は、よっこらしょと言いながら席を立たれました。
「しゅまんな、のの。あたしゃちょっとトイレに行ってくる」
「分かりました」
席から離れると、先生はまず小松シェフの前まで歩いていかれました。
「小松くん、ごちそうさま。腕が上がっとったじょ」
「本当ですか?!ありがとうございます!」
嬉しそうに笑う小松シェフを、先生は暖かい眼で見られていました。
「ところで、トイレはどこにあるか教えてくれんかの?」
「店を出られて右に進んでいただくと、廊下の突き当たりにありますよ」
小松シェフに言われた通りに、先生はレストランから一度出られて、そのまま右へ歩いていかれました。
「……………………」
私は今、黙々とスープをいただいています。
先生が今いらっしゃっらないから、ここには私と小松シェフだけ。
なんだか緊張してしまって、スープを飲むペースが早くなってしまいます。
「あの~」
「!」
小松シェフが、背中を向けながら話しかけてきました。
「ののさん、でよろしかったですか?」
「……はい」
「ののさんは、節乃さんのところで何年働いてらっしゃるんですか?」
「えと……五年目です」
「へえ~!そんなに長く!」
「でも全然、私はまだ未熟者です。先生や小松シェフには、遠く及びません」
「い、いや~そんな。ボクだってまだまだですよ」
苦笑混じりに、小松シェフは答えられました。
「……あの、小松シェフ」
「はい?」
「もう食べ終わりました」
「あ、良かった!じゃあ後ろ向きじゃなくて大丈夫ですね」
小松シェフが、こちらに振り返ってきました。
真っ正面から見る、彼の顔。
ちょっと恥ずかしくなりました。
「どうですか?お味は」
小松シェフが、わくわくされた顔でお尋ねされました。
「はい、とても美味しかったです。今までのスープの中で、一番だと思います」
「い、いや~、節乃さんのスタッフさんにそこまで誉めてもらえると、ついついニヤケちゃいますよ~」
えへえへと、まるでセンチュリースープを飲まれたような顔でニヤケられました。
……今なら、いいかな?
「こ、小松シェフ。質問をしてもいいですか?」
「質問?ボクにですか?」
「はい」
「良いですけど……」
小松シェフは、一体なんだろう?といった感じで、頭を傾げられました。
とうとう逢えた、憧れの方。
訊きたいことがいっぱいある。
でも、何を訊こうかな?
どうして料理人を目指されたのか?
夢や目標はあるのか?
尊敬する料理人や美食屋は誰がいるのか?
訊いてみたい。
いろんなことを訊いてみたい。
うーん、何を最初に訊こう?
「……………………」
私は、思わず固まってしまいました。
「……?あの~、ののさん?どうされました?」
「あ、えと……」
いけない、小松シェフが待ってるのに。
えーと、えーと……
「……小松シェフは」
「はい」
「……今までで一番、美味しく作れたお料理って、なんですか?」
「今までで一番?」
「はい」
小松シェフにとって最高のお料理が、どんなモノなのか。
やっぱり、センチュリースープなのかな?半年以上もかけて作ったらしいし。
それとも、他に何かあるんだろうか?
「一番はですね……」
小松シェフは、少し照れ臭そうにされながらも、真っ直ぐに私の眼を見て言われました。
「今日、作った料理です」
「……え?今日の、ですか?」
「はい」
小松シェフは、恥ずかしそうに頭を掻きながら、こう説明してくださいました。
「ボクはいつも、“今日のボク”にできる最高の料理を作ろうと決めています。今日この日に作れるものを、全身全霊で作りたい。だから、今日の料理が最高傑作で、一番美味しいものです」
「……………………」
「と、まだ半人前のボクがこんなことを言うのは、傲慢かも知れませんね」
苦笑される小松シェフの顔を、私はずっと見つめていました。
「……………………」
眼が、離せませんでした。
「ののや、帰ったじょ」
あ、先生が戻って来られた。
「そろそろお暇するかの」
「あ、はい……」
私は席を立って、先生の下へ駆けていきました。
「それじゃ小松くん、またいつかな」
「はい!またお越しください!」
小松シェフは、先生に満面の笑みを向けられました。
「ののさんも」
「!」
私の方にも、小松シェフは笑顔を向けてこられました。
「是非また、いらしてくださいね!」
「……はい!」
私は、はっきりとそう答えました。
……帰り道を、先生と二人、並んで歩いています。
先生も私も、特に会話はなく、ただただ歩くだけでした。
『いや~。節乃食堂のスタッフさんがファンでいてくださるとは』
『ボク、すっごく光栄です!』
「………………」
小松シェフの真っ直ぐな笑顔が、ずっと頭から離れません。
六ツ星レストランの料理長なのに、少しも高圧的な態度もなく、謙虚で親しみ深く、そして……
「……優しい、人」
私が恥ずかしがって顔を見せようとしなかった時も、ちゃんと気を使ってくれたり、特許よりも食材の方を大切にされていたり。
「……………………」
「……ふふふ、ののや」
「あ、はい。先生」
先生は歩みを止めて、私を呼びました。
私も、それに合わせて止まります。
「逢えて良かったかの?小松くんに」
「!」
……ええ。
もちろん。
もちろんです。
「逢えて、良かったです」
「しょーかしょーか」
先生は、嬉しそうに笑ってくださいました。
「……先生、今日はありがとうございました」
「いいんじゃよ、お安いご用じゃ」
先生はそう言われると、またゆっくりと歩き始めました。
私も、それについていきます。
『是非また、いらしてくださいね!』
……小松、シェフ。
優しい方。
また、お料理を食べさせてもらいたい。
私のお料理だって、食べてみてもらいたい。
また。
また、逢いたい。