1.信濃、着任しました。
「し、信濃‥‥?」
「う、嘘っ‥‥」
見るからに驚いた表情を見せる二人。
一方はきっちりとした白い軍服を見に纏う男性。
方やもう一方は、紅白のセーラー服に金の注連縄状の物を装着した女性。
初対面の二人。その筈なのに、頭の中に浮かぶ、慣れ親しんだ単語。
それは何の戸惑いもなく発せられる。
「はい、僕は信濃ですよ。提督、大和姉さん」
「ほ、本当に、あの‥‥」
視線を泳がせる女性。信じ切ることができないのか、それとも感極まっているのか、その声は震えていた。
「ま、待ってくれ。君は‥‥男性だろう? 何故男である君がこのドックから‥‥」
驚きも合間、問いかけて来た男性は信じ難そうにこちらを見ていた。
僕はその質問に言葉を返す。
「確かに僕は男です。‥‥でも、その理由には答えられません。ですが、正真正銘僕は航空母艦、信濃。これだけは揺らぎませんっ」
真っ直ぐに僕は提督に視線を向ける。
言葉の意味、全てを僕は理解出来ていない。
ただ、誰かが僕に憑依したように口を動かし、感情の変化に身を任せているだけ。
自分の言葉ですら理解出来ていない矛盾した状況に、僕の思考は止まっているような物だった。
「‥‥そうか。まあ、正直混乱しているところだが‥‥艤装を付けているところを見るあたり、君は艦娘と同じ力を持っていると言うことだろう」
「そ、それでは提督‥‥!」
きっと、その言葉から察したのだろう。歓喜の気持ちを含んだ声はとても明るく聞こえた。
「ああ、どう言おうと君も俺達の仲間と言うことさ。俺はここ横須賀鎮守府の提督だ。よろしく頼むよ、信濃」
にこやかに微笑みながら手を差し伸べる提督。
その姿から、本当に歓迎してくれているのだと分かる。
思わず、笑みが溢れた。
自分ですら理解できていない現状。思考は止まり、感情の起伏すら感じなかった心に浸透する優しさ。
僕は手を伸ばし、握手を交わす。それは、自らの意思による行動だった。
「はいっ、よろしくお願いします。提督」
○
僕は思い出してしまった。それを思い出すべきだったのか、そうではないのか分からなかった。
「本当に‥‥訳が分からないよ‥‥」
個室に小さく響く、弱々しい声。
着慣れない服装に、頭の中で乱れる記憶。
追いつかない脳の整理からか、僕の身体は心身ともに疲労で一杯だった。
提督と挨拶を交わした後、僕は自室へと案内され、ベッドに倒れ込んでいた。
その疲労した身体を何とか起こし、ベッドの近くにある大きな立ち鏡で一度自分の姿を確認する。
「‥‥変わってない」
そこには見覚えのあるなんら変わらない顔立ち。
標準的な長さで、少し青みのかかった長着と同様の紺色の髪。
「‥‥やっぱり分からない」
再度ベッドに倒れ込み、仰向けになるように姿勢を変えて天井を見る。
目を瞑り、僕は思考を巡らせた。
僕には二つの記憶がある。男性として生きていた一生と艦としての記憶。
僕は一度死んだのだ。あの時、崖から身を投じて‥‥。
その筈なのに、僕は存在している。それも人間としてではないのだ。
頭の中に存在するのは艦としてのイレギュラーな記憶。
理解出来ない。何故そんな記憶が僕の中にあるのだろうか。
僕が誰かに憑依した?そんな幻想的な物が実際にあるとでも言うのか。
ただ今言える事は、自分は艦としての意識が強い事。
先程の二人を目の前にして出た名前は知らない筈だった。
それなのに、発した言葉は聞き慣れた物。
"提督"と"大和姉さん"。
一度も口にしたことがないのに、異様な親近感が湧いた。
それは、恐らくもう一方の記憶による感情。
‥‥何故かしっくり来るのだ。
ここは鎮守府で、さっきの男性は僕らを指揮する提督。
あの女性は僕の姉の戦艦大和。
敵である深海棲艦を撃破し、制海権を取り戻す為に戦う僕達。かの大戦で戦った軍艦の力を宿した艦娘。男である筈の僕が艦娘となり‥‥。
そして、僕は‥‥航空母艦、信濃。
第二次世界大戦当時、大和型戦艦からの空母に設計変更。
潜水艦の雷撃により、十日で身を沈め、当時世界最大と言われた航空母艦。
詳しい詳細がどんどん頭の中から浮かんでくる。
理解出来ないのに、自分が心の底から理解している矛盾した現状。
きっと、これは男としての一生ともう一つの記憶が入り混じった事による物。
これの原因‥‥全ては、あの空間の所為だ。
奇怪で、暗く淀んだ深海の様な空間。そこで光はもう一つの記憶として艦の一生を齎した。
"光の正体"。
思い返せば、それは光自身が口にしていた。
"信濃"は僕に託したのだ。
過去の悔しさを晴らし、乗り越えると。
その"過去"は、思えば"あいつら"が深く関わっているのだ。
僕から大切な存在を奪った奴等を許す気はない。
僕は、必ず"あいつら"を沈める。
その言葉を心で浮かべた時、僕の中の何かが消える感覚に襲われた。
だが、僕はそんな感覚を気に留めなかった。
そんな感覚よりも、唯一、大きな理解があったから。
僕は、これから‥‥絶対に後悔しない。
それを実現させる為にも、この感情を他人に晒すわけには行かないのだ。
例え、それが姉でも。‥‥提督でも。
秘めた悔恨は僕だけの物だから———。