恋姫星霜譚   作:大島海峡

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曹操(一):蒼天已死(前)

 ――月初めの洛外。

 竹林に閉ざされてそこにひっそりと結ばれた庵に、かの陳留太守兼西園八校尉は、おのが両翼たる宗族と、そしてもう一人を伴ってやってきた。

 

 そこに隠居先を構えた本人は無作為な人の面会を厭うているのだろうが、そんな彼女の希望に反し、さも知識人でございという者らが列を成していた。

 

 庵の名は、『月旦庵』と言った。

 彼女はそこで、個対個の人相見をやっていた。

 

 だが陳留太守曹操(そうそう)の見るところ、居並ぶ者らは皆凡俗の域を出ぬ者らである。琴線に触れる野心と才能(あと美貌の少女)などどこにもない。自分の幕下に加えることにさえ値しない。

 大方は自分が何者かを知るかというよりも、かの朝

 その証左に、自身の武の右腕たる夏候惇(かこうとん)が、父母より授かった獣の双眸をもって睥睨すれば、皆ひな鳥のごとくそそくさに逃散していった。

 

 だが本人からしてみれば、さほど敵意を込めたわけではなかっただろう。

 その瞳がその類の色を込めたのは、前方の庵と、そして興味深げに辺りを見聞している異装の男に対してである。

 

「なにもわざわざ、このようなところまで来ずとも」

「賊討伐の復命のついでよ」

「しかしっ! あのような無礼な言葉を()かした者に、華琳(かりん)様御自ら出向くなど……!」

 

 主の真名を惜しみなく発するほどに激して口吻を鋭くさせる。そんな彼女をたしなめるのが、夏侯淵の役目だ。

 

「姉者、そもそもなんと言ったか覚えているのか?」

「ん? ほら、あれだ……なんとかのナニ……」

「……姉者……」

 

 苦笑いしながらも、その純粋無垢、天衣無縫ぶりをそれとなく愛でて見守るのが

 後ろからもまた、忍び笑いが聞こえてきた。

 ギロリと睨んで顧みる夏候惇……春蘭にその男は、口元を手で押さえながら弁明した。

 

「いや、失敬。……似たような者を思い浮かべてな、つい」

 

 それでも『氏素性も知れぬ妖しき奴』を曹操麾下随一の猛将は許す気はないらしく、掴みかからんとした。

 

 

 

「『清平の奸賊、乱世の英雄』もしくは『治世の能臣、乱世の奸雄』と言い換えても良い」

 

 

 

 ――鈴を転がすような音が、その手足を止める。

 

 庵の口より覗く、鏡のごとき、純度の高い双眸。

 年齢の定かならぬ白皙の美貌に、黄絹のような髪質。この宅のごとく厭世の感を滲ませた所作。

 ある者は期待をもってその眼に己が影を投げかけ、またある者はその口から出る酷評をこそ恐れる。

 あの憚ることなくけたたましく高笑いする傍若無人な袁紹(えんしょう)でさえ、彼女の前ではまるで『淑女』のごとく大人しくなる。

 

 それこそが、人物評において右に出る者なしと謳われた名士、許劭(きょしょう)であった。

 

「それを撤回せよとでも? あいにく、わたしは、一度下した評を覆すことは、決してしない」

「貴様っ、よくもぬけぬけと!」

「姉者、意味はもちろん分かって言ってるのだろうな?」

「持って回ったような口ぶりで何やら侮辱していたのは分かっている!」

「あぁ、まぁつまりはよく理解してなかったのだな」

 

 過日、からかい半分に訪れてその評が下された時には曹洪(栄華)がいた。曹純(柳琳)もいた。おそらく表情を翳らせた彼女らの顔色から、何やら無礼な発言をした。その程度の認識でしかなかったのだろう。

 

「別に私の方は気にしていないわよ。乱世の奸雄大いに結構。小善小悪しか為せぬよりよほど良い」

 

 むしろ誇らしげにうそぶき、華琳は両翼を下がらせた。

 貌の動きに促されて、代わり前に出たのは、件の男である。

 

 少々変わった枝分かれをした眉をしてはいるが、行き当たった町雀たちがはしゃぐほどには、精悍な美丈夫である。

 彼女たちとは似て非なる装束をまとう、一見して優男ではあるが、腰に佩いた一振りの刀は飾りではない。

 相当以上に優れた太刀筋をもって、自分たちが討つべき賊を単身で全滅させてしまった。

 

「世に言われる天の御遣い、らしいわ」

 

 まるで秘蔵の宝物を披露するかのように、華琳は許劭に紹介した。

 

「彼を、視よと?」

 さほど驚きを見せない人相見に少し残念がりながら、華琳は頷いた。

「他者の眼を借りずとも、貴女の鷹眼をもってすれば、その者の価値が判るのでは?」

「そうですぞ! 何もこのような訳の分からぬ占い師の言うことなど聞く価値もありませぬ!」

 

 どっちの味方か分からなくなるようないきり立ち方をする春蘭を、まぁまぁと夏侯淵こと秋蘭がそれをたしなめた。

 

「先と同じ、冷やかしのようなものね。それに、曲がりなりにも為政者たるもの、他人の視点も時には求めなくてはね」

 

 そう言い切った華琳に、春蘭の言うところの『占い師』は軽く頷いた。

 彼女の口にした『為政者』とは、あくまで陳留一都としてのか、あるいは天下のものか、どう捉えたかは別として、少女のごときそれは、男を自宅へ誘った。

 

「ここから先は、個対個の語り合い。他人の視線があっては、その感情が混じる」

 後に続かんとする三人をぴしゃりとした言葉が退かせる。

「あら、存外に人の眼を気にするのね」

 曹操の揶揄を黙殺し、許劭は意外の奥行きの深い庵の中に、天の御遣いとともに消えていった。

 

 ~~~

 

 男は、その人相見について、奥まった場所に行き着いた。

 彼女の私室は驚くべきほど私物の類がなく、せいぜいあるのは机と数冊の本を入れただけでかなり持て余した棚。それに茶とそれを注ぎ入れる一式の食器ぐらいか。

 

 昼間というのに、室内に差し込む陽光のみでは光源が賄い切れず、燭を使っていた。

 神秘的、とも言っても良いかもしれないが、それよりも日中に油を消費できるその懐の豊かさにふと注意が傾く。

 もっと昨日今日とここに漂流してきた身の上、生活様式をまじまじと観察していたわけではないので、彼女の生活様式が異端なのか正常なのか、判断できかねる。

 

「どこまで聞いている?」

 前もって誰ぞを歓待する用意されていたものだろうか。出された茶は、適温を保っていて、覚えのない味ながらもふしぎと舌に馴染んだ。

 

「この世界のこと。天の御遣いのこと」

 

 男は渋みのある声で答えた。

 

「曰く、天の御遣いとは、世情の乱れの兆し。落ち星の群れに外つ国より取りこぼされた者たちが大地にもたらされ、乱れた世を立て直すとも、あるいは混沌に導くとも」

 自身の恩人たる曹操の言ったことを、彼は諳んじた。

「で、貴方は星に乗って(あま)をかけてきたと?」

「さて、どうであったか……」

 

 韜晦しているわけではなく、男はただ自覚の乏しさから言葉を濁した。

 ここが、別の世界であることは分かる。自身が属していた国とはどことなく文化や地形こそ似ているものの、肌身でつながりのない別物だと判る。

 

 ――そもそも己は、すでに死んだ身であるはずだ。

 

 こうして生前の肉体や装備を取り戻していること自体が、異常そのものだ。

 ……もっとも、先君より賜りし、最強の武具は、すでに友に手渡していたがゆえか手元やにも()にも存在していなかったが。

 

(それがし)は」

 男は苦笑した。

「泉下にて、いつの日か友と酒を酌み交わすことのみを楽しみとしていただけの者だ」

 

 それがふと、足下が抜け落ちる感触とともに魂魄が闇に堕ちた。

 気が付けば、この国にいた。

 

 あてもなく歩いているとあからさまな暴徒、賊の類にその身を囲まれ、身銭や刀を要求された。

 もちろんのことながら、身銭はない。士の魂たる刀を寄越せと言われれば、拒み、応戦せざるをえなかった。

 

 そこの領地……苑州(えんしゅう)が一都市、陳留(ちんりゅう)を治めていた曹操の軍が現れた。

 流入した賊の討伐、前の晩に流れた妖星の追跡と調査のために現れた少女らと。

 自分の国ではついぞ見ない、黄金色の髪の娘。おのが義弟と似た発色をしているが、それよりもよりきらびやかであったし、入念に手入れされて巻かれていた。

 

 歳は若いがその主従を一瞥して、超世の傑物だと理解した。

 立場も立場ゆえに得られる情報も多かろうと、同道を求められた際に素直に従った。

 

 そして今に至る。

 

 そこまで語り終えた時、許劭と呼ばれた娘の目の形が、少しだけながら初めて変わった」

 

「死した後の記憶を持っていた御遣いは、初めて」

 ほう、と男は口を開けた。

 言葉少なくとも、そこから得られる情報は大きく、多い。

 

 まず一に、自分が初めての御遣いではないということ。

 第二に、すでにその者を伴って、同じ用向きで訪れた者がいるということ。

 そして……

 

「付け加えておくと、天の御遣いとはすなわち、先の世ですでに死した者と言われている」

 

 追及する前に、人相見が答えてくれた。

 

御遣い(あなた)たちは、強い未練や後悔を抱えてその命運を絶たれた者、あるいはそうでなくとも特異な才覚を持つ者が選ばれる。それが、この世界の摂理」

「某はおのが任を全うできなかった無能非才の身だ。したがって、後者ではないな」

「そうは思えないけれど……であれば、前者だとでも」

 

 男はほろ苦く自嘲した。

 後悔ならば、ある。

 本来であれば自分が歩むべき道。その途上、命が尽きた。半ば覚悟はしていたことであった。

 だがその道を、心ならずも友に歩ませてしまった。そうするよりほか、道がなかった。死してなお、護らねばならなかった。すべてを委ねられるのは、その男しかいなかった。

 その結果、彼が本来進むべき生き方を、歪めてしまった。

 

「だが、その報いがここで代償できるとは、思えぬが……」

「未練が必ずしもこの世界で昇華できるとは限らない。ただ未練の強さが、彼らを星として引き寄せる。あるいは、貴方と縁を持つ者が黄泉より貴方を引き戻したか」

「某はともかくとしても、むごい話ではあるな」

 

 同情とも非難ともとれる所感を口に、男は言って立ち上がった。

 

「では、貴方は二度目の生をどう生きる?」

「どうもせぬよ。元の世において某のすべきことは、我が友がすでに果たしてくれた。ゆえに、急ぐ身でもなし、しばらくは曹操殿の客将となりてこの世を生きてみるとしよう。……もっとも、たとえ死すともこの身は祖国の主に捧げたものゆえ、臣下となることは能わぬが」

 

 背に向けられたその問いに、男は答えた。

 そして「御免」という別辞とともに、彼は颯爽と退出する。

 

 平静を取り持つ彼ではあったが、その胸中で、二つの感情が渦巻いている。

 彼が持つもう一つの顔としての侠気と、イタズラめいた好奇心。

 そして国に忠を尽くす武人としての、身の置き場がないという当惑。

 

 我ながら厄介な性分であると言えよう。だが、どちらも否定はすまい。

 

()()()も、最初は同じ心地であったのだろうな)

 あの生まれたての雛鳥のような、危なっかしさと底抜けの人の良さ、だがその中に垣間見た芯の強さを思い出し、つい笑みがこぼれる。

 そして、らしくもない伝法な口調で、空にそっと問いかけるのだった。

 

「――やれやれ、今度はそっちの真似事でもしろってことかねぇ……アンちゃん」

 

 

 

 ――自分だったら、時間外手当を要求するね。

 己の内にあるものか。あるいは雲の間より降ってきたものか。

 ふと、どこからともかくそんな声が漏れ聞こえた気がした。

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