恋姫星霜譚   作:大島海峡

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董卓(四):将の果て、武の先(前)

「もはや遠慮も呵責も無用! 老若男女に関わらず、目の前に立ちはだかる敵すべてを打ち倒せ!」

 

 その年の暮れ、賈文和の苛烈に極まる号令の下に、宛城はふたたび戦火にさらされた。

 

「徐栄、郭汜(かくし)樊稠(はんちゅう)は弓騎を率いて機動戦を展開! 城兵に主導権を握らせず翻弄し、出血を強いて防衛線を削り取りつつ、各方面の守備部隊の孤立を誘い、包囲のうえ各個撃破! その上で機を見て突入する張遼、李傕(りかく)両隊を援護射撃!」

「……何やら軍師は小難しいコト言ってますけど、やらなきゃいけないことはただ三つ! 射って、走って、敵を囲む!」

 

 詠の微に入り細を穿つがごとき指示を極めて簡略化して、透が部下や配下に申し伝えて、切先となって城の周囲を駆動する。

 

 彼女の率いている騎射隊は、極めて精妙かつ効率化され、放つ矢はその実数以上の威と殺傷能力をもって城壁の兵士たちを狩り立てて行く。

 

「分散するなっ! 隊伍を崩さず、盾で互いの背を守りながら、自分たちが流動する塁壁となって、敵の射線を読んで防ぎ切れっ!」

 

 みずから円盾を振って城兵を統率する守将は満寵である。

 ()将である。()将ではない。

 防御側の総大将エルトシャンは、みずから手勢を率いて、幸村、満寵、周泰らが築き上げた防塁の中に籠もり、出撃を見計らっている。野戦において長じているのは彼とて同じ。いずれ背後を突くその戦機を見出すつもりであろう。

 

 留守居組の最年長は、黒生鉄心ではあるが、彼は士であって将ではない。棟梁であって指揮官ではない。

 ――そして、個にして軍勢である。

 

 生前(これまで)の鬱屈を晴らすがごとく、愛刀を引っ提げて城壁へと上がった彼は、一剣客として乗り上げてくる敵勢相手に大小の技を使い分けて圧倒していた。

 

合計三千が、二万余の涼并最強の混成軍を迎え撃っていた。

 

 ~~~

 

 エルトシャンは初め、袁旗の下に剣を振るうことに乗り気ではなかった。

 それでもなお望まぬ戦場に身を置き続けた彼を支えていたのは、自分自身の騎士としての矜持と、表裏のない高潔な、自分とは違う世界からの来訪者たちとの友誼であった。

 

 だが今は違う。少なくとも、この一戦、ここ南陽においては。

 ここは孫家との連絡線。友と思しきあの虜囚と己とを結ぶ唯一の手がかり。

 あの男が真に友なのか。それであったとして、自分が処断された後に一体何が起こったのか。それを知るまでこの地を、董卓に譲り渡すわけにはいかない。言わずもがな、己が命も。

 

「孫堅殿よりの返答は?」

「『荊州の民心の慰撫こそが只今の孫家の務め。私闘に介入するが如き、()()()()()真似には応じかねる』と」

「そうか……」

 

 おそらく取次いだのは孫策であろう。でなければ周瑜か。いずれにしても当てつけがましい返答は、荊州の完全制圧を火事場泥棒的に阻止された恨みの根深さを感じさせた。

 

 

「止むを得ないな。曹操軍の救援まで時を稼ぐ。徐栄の背後を衝くぞ……十字騎兵隊(クロスナイツ)、続け!」

 そう宣告するや、銀の剣を手に、獅子王は疾駆した。

 

 ~~~

 

 背後の部隊が、ようやく自分たちを狙いを定めたことを徐栄は知った。

 甘い、と彼女は低く哂った。

 いや判断は的確。だが、惜しむらくは速度の完成度がわずかに不足している。そも、西涼の馬とは地力が違い過ぎる。

 

「追いかけっこは自分らがやります! 郭汜姉さんがたは、脚を止めずに射続けてくださいなっ!」

「あっ、おい!」

 

 透はそう言って兵を分けた。

 従う兵に当惑はない。彼らは知っている。将軍徐栄の征く先に、勝利あっても大過なしということを。

 代わり、取り残された郭汜らが、

「蕩児め」

 などと舌打ちする。

 

 それを半ば無意識に聞き流す。ちょうど空いた両部隊の間隙に、吶喊して来たエルトシャンの騎兵が突っ込んで来た。

 いや、後尾より突き入り、中央を粉砕せんとしたところを、回避したのだった。

 いずれを追うべきか、討つべきか。

 その一瞬の逡巡が、さらなる間を開く。透の部隊はあえて絶妙な距離感を保ちつつ、それ以外の部隊は確実に城兵を討ち減らしていく。

 エルトシャンが狙い定めたのは、樊稠。

 城方の援護射撃の射程外に逃れつつ、エルトシャンの出鼻に横槍を突き入れた。

 

 敵将の舌打ちが聞こえてきそうだった。その会心の避けっぷりに、透自身も我誉めし、酔った。

 

 もちろん、軍隊というものはただ命じたからと言って寸毫過たず即時その判断の結果が出力されるわけではない。

 伝播の時間、反映される時間。

 その差を、透は計算や経験ではなく、本能と嗅覚でやってのけるのだ。

 それこそが、ともすれば張遼呂布より敵しがたいと言われる所以であった。

 

 ――ただ、やはりあの方は別格だったなぁ。

 あの白狼を思い出す。

 遼国将軍、耶率休哥。

 

 彼の将器はまさしく神妙の域であった。突かれた。割られた。引き裂かれた。

 あの袁術軍に、数で劣っていたのに、練度で勝っていたのに、良いように打ち崩されたのだった。

 だが、ぶるりと身震いするほどの、今までにない高揚と甘やかな尊崇を感じたこともまた、確かであった。

 

「――はやく、はやくおいで下さいな、耶率将軍」

 白き天才児は馬上でそう囁く。

 今度こそ、此度こそはと恋い焦がれる。

 

 そして、彼女の削り取った城の防御線に、張遼の歩兵隊が衝き入る。

 

 ~~~

 

「今だっ! 張遼、李傕! 外門へ突入せよ!」

 

 涼州兵は野戦に強いが、反面、攻城戦や長期戦には不向きである。

 攻城兵器を作る余裕もなく、自然その攻めは騎射による牽制と雲梯や縄梯子などにより歩兵を城壁より内部に進ませることが主軸となる。

 

 そしていざ本格的に攻勢に出んと、詠率いる本隊をも前進させ、反撃の矢が総大将の足下に届くほどとなった。

 

「おう、ようやっとか!」

 意気込む霞の姿を見て、詠は瞠目し、直後に呆れた。

「何その恰好」

 霞は腰に大小数口ずつ短めの刀槍を帯び、背には修復したばかりの飛龍偃月刀を負い、あたかも古の武神めいた、威容を伴った佇まいとなっている。

 ……が、あからさまに身に余る重装備は、詠のような理智的な人間から見れば、はっきり言って彼女の速足を殺すばかりの枷であろう。

 

 だが霞はふっふっふ、と会心の含み笑い。

「安心せえ、ちゃんと目論見あってのことや。んじゃっ、行ってくるわ!」

 見た目の重苦しさとは真逆の、まるで散歩にでも出かけるような軽やかさで、董卓軍第二の猛将は城へと駈けだした。

 

「どいたどいたぁっ!」

 味方を押しのばかりの剣幕で怒鳴り上げて道を開かせ、雲梯に足をかける。

 重みで体勢を崩さぬように前のめりに全速で。兵は伴っていない、単騎駆けである。

 またぞろ詠か透あたりに小言をぼやかれていそうだが、仕方あるまい。この先で剣気を放つ魔を前に、生半の兵など連れていけるものか。

 

「ひぃっ……ひぃ。さすがにしんどいわぁ」

 身を乗り上げてから、堰き止めていた疲労がどっと肉体に押し寄せる。

 だが身を休ませてはいられない。呼吸を整えるのがせいぜいである。

 

 置かれた状況については、判っている。

 功を焦り先んじようとした李傕隊が、皆変わり果てた姿で骸の山となっている。

 一合も報いるところができず、伏している。

 そして軽く持ち上げた視線の先、悪鬼のごとき貌がある。否、その紋を背に負った剣鬼が、ちらりと横顔を向けてきている。

 そして低い声で、

「貴様か」

 と言った。

 

 黒生鉄心。

 かつてその魔剣を容赦なく霞に向けて振るった、異界の剣客。

 

「ふっ、張文遠ともあろう者が、武蔵坊弁慶の真似事かよ。貴様もおのが本質を見極めぬ阿呆であったか」

「そのベンケーっちゅうのが何かは知らんが……見た目に惑わされると痛い目見るで!」

 

 霞は間を図ることさえ惜しむかのごとく、男との再戦に挑んだ。

 力任せの猪突に見えて、肉体に刻まれた術理は、彼女にニ槍を選択させた。間合いの利を得んがために。

 

「笑止!」

 一喝とともに、振り向きざま鉄心は突き出されたその腕を掴み、投げ飛ばした。だが宙を翻りざまに、霞は槍を投げつけた。続きざま、小刀を腿と胸元のサラシより抜き取って放った。

 それを、鉄心は愛刀による、同じ軌道の上段からの切り落としですべて叩き落とした。

 霞が見切れたのは三度。振りは最小限。引き戻しも速い。彼が剛剣のみならず練達した技芸の持ち主であることの証であった。

 

 舌打ちとともに着地した霞を待っていたのは、ずお、と迫る鉄心の分厚い体躯であった。

 今度こそ、一撃必殺の断撃が来る――来た。

 

 竹どころか、鉄さえも断ち割るがごとき破壊性を伴った重い一斬、二斬。

 霞が応戦したのは、双刀である。

 だが、やや刃肉の乏しいそれらは、迎撃の毎にそこかしこが毀れていく。そして受け止め切った時には、すでに武器として成立しない形状となっていた。

 

 だが、第一波は凌いだ。第二波は、打たせぬ。

 刀を打ち捨てて次いで抜いたのは、直刀である。鞘走らせた銀光は巨躯と言えども鉄心の臓腑に至るはずであった。

 

 だが次の瞬間、鉄心の姿が丸ごと消えた。

 左右を見た。上を仰いだ。そして最後に、

(下!?)

 残った可能性は、それのみである。まさかと思いつつ目線を下ろすと、足下に鉄心が屈んで、剣筋を跳ね上げた。

 亀の如く、蛙の如く平べったく。されども繰り出されたのは竜が昇るがごとき、一閃。

 

「しっ!」

 霞がかろうじてそれに対処できたのは、ひとえに彼女の武がすでにして達人の域に至っているからに他ならない。

 あらたに抜いた双棍を犠牲に、斬撃を防ぐ。だが鉄心の攻勢はそれに終わらない。

 息つかせぬままに、再び同じ軌道で二度、三度と斬り上げていく。

 その連続的な攻めに、ついに霞の得物が浮いた。腰と足が浮いた。

 

 だが鉄心はその重量に見合わぬ跳躍力をもって、さらにその上を行き、翻した刃で霞の脳天を破壊せんとした。

 

 ためらうことなく、また腰斬を覚悟で、霞は地に飛び込むようにして避けた。

「ほう、よう足掻きおるわ」

 むろん、彼らの間で兵たちの攻防は続いている。だがその喧噪はどこか遠い。

 それは両武人が放つ闘気が、自覚無自覚にかかわらず、凡百の者を遠ざけさせるがゆえだ。

 

 そして鉄心の側の圧が、さらに加わった。

 ――来る。

 あの百鬼の軍勢がごとき魔剣が。

 

 待っていた瞬間が訪れた。

 それを知った時、霞は大きく息を吸い込み肺に溜め、そして我からその死地へと飛び入った。

 

 可能な限り剣筋の初動を目で追い、躱すことに専念する。

 どうしても避けられぬ軌道、あるいは躱したとて体勢を大きく崩す状況についてのみ武器にて応戦する。

 

 自身の咄嗟の判断と死が、背中合わせであった。

 その事実が彼女の肌にうすら寒いものを覚えさせた。

 

 刀、剣、槍、鋒、戟、斧、鉞、錘、棍。

 武器の最小限にも関わらず、迎撃に用いた武器は一合とて持たない。

 だが彼女は手と眼を休めず、我が身をもってその剣撃の嵐を耐え忍んだ。

 

 知らず、ふたりの周囲には武器の墓場が出来上がっていた。

 

 そして最後に大振りの一薙ぎが迫った。

 線ではない。面的な、広範囲の大技。もはやそれは避けようがない。手を替え品を替えて防戦に当たっていた霞だったが、それも尽きて、ようやく大本命の偃月刀を背より抜いて、寸手のところで相手の大刀の鍔元へと叩きつけた。

 

 そこで、鉄心の表情が変わった。弾かれた己の金属音。その常とわずかに異なる響きを聞き分けたがゆえの、苦みばしった表情である。

 彼の刃が熱を帯びている。さしもの剛剣も、彼自身の腕力と大技の連発に、悲鳴を上げてきているのだ。

 

 そしてそれこそが、霞が戦に及んで鉄心がこの城にあると知った時より立てていた筋書きでもあった。

 だからこその、凡百の武器の大量導入である。

 

「へっ、ようやっと気づいたか! ハナっからこれがウチの狙いや!」

 という嘯きもまた、餌である。

 鉄心の意識がわずかに敵将張遼より外れ、己が剣へと向いた。

 

 すでに霞自身も二の腕から先に感覚がない。己が愛刀を今握れているかどうかさえ答える自信がない。

 だがそれでもここまで鍛えげた肉体を信じ、少女は飛翔する。

 

 よくて鉄心自身の首。さもなくば、唯一無二、換えがきかぬであろうその刀を叩き潰せればそれで良し。

 そういう心境で、最後の一撃を霞は打ち放った。

 

「甘いわっ!」

 と鉄心、怒喝。左手を柄より放して突き出した。

 遠間からの掌底……否、発勁であった。

 固められた空気の圧が、鉄球のごとく霞の腹を叩いて吹き飛ばした。

 

(なんやそれ、アリかいなそんなん!?)

 心で吼えるが、一言とて発せる余裕も、城壁の外に投げ出された己を引き戻すゆとりもなかった。

 

 一瞬手放しかけた意識を取り戻したのは、真っ逆さまに落下していく最中、

「アレは張遼将軍だ!」

「やられたんだ」

「落ちてくる」

 と、地上の部下があげた声によってである。

 奇しくもそこからは、逆向きではあったものの、戦場の様相が一望できた。

 

「っ!」

 最後に腰元に残っていた鉤爪。それを城壁に掛けて削りながら落下の速度を減速し、安全を確保して後、地表へと降り立つ。

 

「くそっ」

 霞は毒づく。

 またしても、あと一歩。先よりもより肉迫できたとしても、自分の武は鉄心に届かなかった。

 だがまた一方で武将としては、個人的な武闘を切り上げて戻って来られたことは、僥倖だとは思った。

 

「ちょっと大丈夫なの、霞」

「詠、仕切り直した方がええ」

「は?」

 

 落下の最中に見た光景。近づいてきた軍師にそれを簡潔に、霞は報告した。

 

「曹操軍の後詰がもう少しで来よる。このまま行くと透とカチ合うで」


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