恋姫星霜譚   作:大島海峡

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董卓(四):将の果て、武の先(後)(★)

 敗残兵……と思われていた兵が、曹軍本陣に流入していく。

 彼らを蹴散らしたがために、がら空きとなったと思われていたそこは、あらかじめ拵えられていた木柵に沿って瞬く間に人の波で埋まり、亀甲がごとき陣形、あるいは一個の城砦のごとく変化した。かえって孤立したのは、総大将目当てに突っ込んだ霞だ。

 

「ヘェ」

 透をして、その鮮やかな手際に嘆を放ったほどである。

 どうして中々。熟練の士や智者は軒並み北で出払ったと思っていた。事実、透の前に立ちはだかった者らは皆、ついぞ知らぬ新参の顔ぶればかりだ。

 

 だがそうした味方の未熟さ、連携の甘さ、負けを込みで兵を動かしていたとするならば、この奥に引っ込んで姿を現さぬ軍師、他とは異なる切れ味を持つ。

 

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 透に焦燥はない。嵌められたという感覚さえない。

 彼女は己が直感と眼力に身を任せ兵を任せ、その陣地へと吶喊した。

 

 ~~~

 

 八門金鎖。

 奇門遁甲の理術になぞらえ、休、生、傷、杜、景、死、驚、開より成る陣にて形成されている。

 

 如何な大兵と言えども傷門、休門、驚門より出づれば損害を被り、杜門、死門より入れば滅びを免れず。正しき進路を知らねば、無敵の構えである。

 反して、それを突かれれば数百の敵であったとしても脆く乱れる。

 

 そして……

「徐栄隊、生門、景門、開門に三手を分けて突入!」

「いずれも突破され、二段目も程なく突破される模様!」

 徐栄は、その三つの弱点のうち、いずれもを当てて見せた。

 

 これといった血統も家名も持たぬ、常在戦場の人である。

 然るべき門を叩いて軍学を修めたという話は、ついぞ聞いたためしがない。この八門の解法など、事前に知るべくもないのだ。

 

 だが、それでも彼女はそれを当たり前のごとく、最適解を以て破ってのけた。それはひとえに、彼女自身の才覚ゆえであろう。

 

 ――天才はいる、悔しいが。

 徐庶は、剣里は、偉大な後進に追い越されつつある秀才は、そのことを知っていた。

 

「好きなだけ、誇ってなさい、勝ってなさいよ」

 止まらぬ徐栄。その威に驚懼する司令部に在って、少女は掌の内に、血の滲むほどに爪を食い込ませた。

 しかしその言葉、果たして徐栄のみに向けられたものであったのか。

 

 ~~~

 

 徐栄隊が本陣中央を直撃すると、霞は周囲の状況そっちのけで、徒歩(かち)で敵総大将と斬り結んでいた。

 呆れと同時に、「あー」と思わず透の口より声が漏れる。

 だが救わないわけにもいかず、手勢とともにそこへと割り入った。

 

「おう、透か」

「透か、じゃあないんですよ。指揮そっちのけで愉しんでまぁ。ほら、さっさと仕切り直しますよ」

 

 そう言って手を差し伸ばし、霞を引き上げ我が身の後ろへ乗せる。

 元より、透自身が小柄で身軽ということもあるが、さすがは涼州の名馬。二人分の体重によく耐えた。

 

 馬首を返した彼女たちに追いうちをかけんと、仮面の敵将が剣を振るう。

 だが、他二方より迫った別動隊が、それを取り囲み、そして受け流して徐栄本隊へと合流した。

 討ち取りはしない。個人的な武には疎いが、それでも張文遠と長時間渡り合ったという事実が、透に敵しがたき猛者ということを教えてくれていた。かかずらっていれば、包囲されるのはこちらの方だ。

 

 高潔さゆえか。あるいは袁術への義理立ては果たしたということか。

 その男も、一定以上は追っては来なかった。

 

「武関で言ったこと忘れたんですか」

 と、未だ混乱収まらぬ雑兵どもを蹴散らし、南西へと向かいながら、透は小言を続けた。

「小うるさいこと言うなや、アンタだってはしゃいどるくせに」

 

 敵の刃を受け、反撃していきつつ、霞は否定しない。

 それについては否定はしない。

 

「自分のそれは嗜好と実益を兼ねてるんですぅー。霞姉さんのは、ただの自己満足じゃないですか。どうせ深入りなんてする気がないんだから、曹操軍なんてテキトーに散らせばそれで良いんですよ。それが敵総大将と一騎打ちなんて」

「わぁーとるわ! くどくどくどくど、アンタはウチのオカンか!」

「くどくども言いますよ……本当に、もったいない」

 

 知れず、透の口からはふぅ、と息が漏れる。

 

 ――目と狙いは良かった。

 

 頭の内、記憶を収めた部分より、声が反芻した。

 

 ――その後の詰めが甘い。お前の考えに、兵がついて来ていない。

 否、とその異見を拒む。

 それは改めた。自分の思考速度に耐えうるだけの部隊を鍛え上げた。

 だから、詰めが甘いなどと、いうことは。

 

 ――その悪癖を改めねば、次こそ命はないぞ。

 狼の幻影を見たその先に、門の口が見えた。

 

 あれは、なんだったのか。

 広がる地平、悪夢から醒めたような心地で透は肩の力を抜き、手綱を緩めた。

 

 刹那、正面で何かが閃いた。遅れて、音が轟いた。

 涼州の騎兵が、何者にも屈することのない無敵の部隊が、先より崩れ落ちていく。

 

「これ、は……」

 華雄の時と同じ兵器。

 何故、曹操軍に配備されている?

 

 指揮しているのは、紫髪の二つ結びである。

「っしゃあ! 細工は流々、仕上がり上々! 鉄砲隊二番組、ってぇ!」

 霞とよく似た訛りでもって指揮すると、再び前方へ光が爆ぜた。辺りには濛々と煙と血が立ち込める。

 

 その幕の内に、ぼんやりと旗が挙がる。

 『丁』と『李』。そして『徐』。未だ陣より出切らず立ち往生を喰らう董卓軍を、三方より挟み込んだ。

 

 ――そして、先陣を突っ切って、大斧を手にした鬚面の男が、野獣の咆哮とともに差し迫る。

 

 ~~~

 

 剣里には良く分かっている。

 自分は天才にはなれない。自分は劣っている。自分の学問は報われない。自分の努力は報われない。

 自分は王にはなれない。王佐にはなれない。

 子房にも陳平にも韓信にも蕭何にもなれない。

 楽毅にもなれない。管夷吾にもなれない。晏嬰にはなれない。子産にもなれない。商鞅にもなれない。

 

 よしんば名君に出会えたとしても、きっとその傍にあって支える者は自分よりも遥かに優れていて、自分よりも寵と信を置かれ、そして劣った自分は、何かと理由を付けて、惨めな劣等感とともにその幕下を去るのだろう。

 

 ――だが、それでも。

 どんな天才相手にも、ただ一度だけ上回る可能性は、誰にだってあると思う。神がいたとしたら、我が天命にそれぐらいは用意してくれているはずだ。でなければ、あまりに惨め過ぎる。

 

 勝ち続ける必要などない。勝り続ける必要などない。

 ただ、生き抜いて戦い抜いて、最後に一度、相手に致命的な敗北を与えれば良い。

 今がそれだ。

 

「あんたは、八門金鎖の弱点を即時に見抜くほどの天才……逆に言えば、あんたは敵陣の脆弱性を看破するがゆえに、必ず出る時に()()()()()()()()()()()

 となれば、対処は簡単だ。その口に伏兵を設けて一撃のもとに覆滅すれば良い。

 

 そしてかの臥竜鳳雛にも言えることだが、得てして天才とはどこか童子じみた部分を持つ。

 ――いや、朱里も雛里も未だ童女なのだが。

 

 八門金鎖という玩具を与えられた時、徐栄はその謎解きに夢中になった。そこまでは万全であった周囲への警戒と集中力が緩んだ。

 

 果たしてその名のごとく、生より出でて、死へと至る。

 

 ~~~

 

 陽が沈む。遊びの時間は終わりであった。

「クソがっ!」

 霞は毒づいた。

 敗兵をまとめて川面に沿って、片腕で手綱を取る。透は、逆に後背に回していた。

 

「あの熊男、好き放題やりおって」

 猛者との三連戦は、さすがに霞にとっても限界であった。

 まるで息をつかせぬ斧の連撃は、もはや武というよりも暴の化身であった。人のかたちをした、人以外の獣と殺り合った、と言ったほうが良かろう。恋でも、あそこまで力任せで野卑ではない。

 少なからず手傷を負わされた。利き腕も、最早感覚がない。あるいは斬り落とされたのではないかと錯覚したほどであった。

 

「にしても、さっすが透やな」

 あの死地においても、その進退は鮮やかで際立っていた。

 彼女の采配でなければ、全滅していたかもしれないところを、半数以上は救い上げたのだ。

 これを名将と呼ばずしてなんというのか。

 

「それは、良かった」

 ――直後、透の身体の感触が、霞の背から消えた。

 

 水音が聞こえた。霞の総身を、雹が張ったがごとき怖気が襲った。

 

「――おい」

 川面へと力なく落馬した透を顧みた霞は、先ず声をかけた。

 だが反応を見せない少女に、慌てて下馬して助け起こした。

 ここまでは正確無比に彼女を支えて来た兵士たちも、初めて動揺した。いつ敵が追撃してくるかもわからない状況下。にも拘わらず、危惧をかなぐり捨てて、彼女へと駆け寄った。

 

「ここまで、頑張ってみましたけど、もう駄目みたいです……例の、兵器に腹貫かれましたし、首の脈もあの獣人の斧にやられてます」

 

 霞らの動揺とは裏腹に、自己診断さえもしてのけるほどに透は冷静であった。

 だが、今なお水に流れていく血の量は、とうてい助かるほどのものではなかった。

 

「死ぬんか、お前ほどの(オンナ)が」

 渇いた独語とともに、霞は認めざるをえなかった。

 ぐっと顔をしかめる彼女に、透は儚い笑みと澄んだ眼差しを返した。

 

「ほら、言わんこっちゃない。突っ込んで敵将の首取ろうとしたところで、戦局なんて容易に覆らないんですよ」

「……すまん。ウチが逸ったばかりに」

 将ではなく、武人たることを選んだばかりに。

「なんてね」

 透は咽こみながら言った。

 

「分かってますよ、これは自分のしくじりです。敵を侮った報いですよ。だから」

「だから……大人しく死ぬっちゅうんか!?」

 

 霞は透の上体を揺らした。そうして乱暴に扱わなければ、そのまま彼女の魂魄がどこかへと霧散してしまうような、そんな恐怖に駆られた。

 

「アンタがおらんようになったら董卓軍はどうなる!? この軍を誰が支える!?」

 感覚がないために加減が出来ず、過剰な力みの入った霞の腕を、そっと透は握り返した。

「それは、あんたがやれば良い」

 天才児の総身より、力が抜ける。血のぬくもりが消えていく。

 首の据わらない嬰児がごとく、くったりと霞に身を預けながら、

 

「たしかに、姉さんの武は恋姉さんには遠く及ばず、大軍を指揮するだけの器量もない。数千数百がせいぜいでしょう」

「……言うなや、これから託す相手に、そないなコト」

 

 だが、その空気を読まず場の流れを汲まないあたり、最期まで徐栄らしい。

 

「――それでも、姉さんは一流の武を持っている。将器がある。華があり、敵味方を問わず相手を知ろうとする情義がある。そして何より、天運がある……ゆえに、その数千数百の部隊は、きっと最強になれる」

 

 口からこぼれた血泡をぬぐい、肺腑に溜まる血反吐を戻しながら、それでも少女の遺言は止まらない。

 

「だから姉さんは生きて……生き残って、そしていつか見せてください。兵の差、器量の差、ありとあらゆる不条理を覆すような奇跡の戦を、張文遠の、大舞台を」

「……かんたんに言うなや」

 

 どうしろというのだ。どうやれば、この少女の死に報いることができるのだ。

 

「馬鹿だなぁ……かんたん、じゃあないですか」

 赤い舌を出して、透は目を細めて返した。

 

「最後まで生き抜いて戦い抜いた果てに、舌出しながらテキトーに言ったモン勝ちですよ、そんなの」

 

 そんな詭弁とともに、瞼を下ろす。舌を戻し、朱の抜けた唇から震える呼気を吐きだしていく。

 

「あぁ……でも、悔しいなぁ……まだ、いけると思ったんだけどなぁ……きっと、これから先もっと時代は楽しくなって……いっぱい、あそべた、はず、なのに……あの、(ひと)、とも」

 

 霞は何も言わなかった。ただその無念を汲んで、力一杯に小柄なその身を抱きすくめた。

 

「後悔を抱いて、ここに堕ちてきたのが天の御遣い、なら、この後悔は、どこに堕ちていくのか……? もし、また生まれ変わることがあるならきっと……月さまや、霞姉さんたちと……ともに」

 

 言葉が絶えた。命が絶えた。

 少女のかたちをした彼らの軍神が死したと知った時、兵たちの間で嗚咽や慟哭が漏れ始めた。

 それらがついに、霞の感情をも決壊させた。

 

 未だ戦場である。それは深く強く承知している。

 それでも霞は、吼えるがごとくに哭いた。

 

 

 

【徐栄/透/恋姫(オリジナル)……戦死】

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