恋姫星霜譚   作:大島海峡

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曹操(十):斜陽

 どこかから、虎の啼き声を聞いた気がした。

 暮色に紛れ、地平の果てに散っていく董卓軍を、剣里は見送った。

 

「追わないの?」

 丁奉が聞いた。剣里はまっすぐ問い返した。

「徐栄が致命傷を負ったのは、本当なんでしょうね」

「えぇ、あの肉団子(オフレッサー)の裏からきっちり()()()したわ」

「だったら、問題はない」

 

 追撃する必要はない。袁術への義理は果たしたし、董卓軍が潜在すればこそ、袁術は曹操との同盟を疎かにはできないし、ちょっかいもかけられない。

 だが、追跡は要る。董卓軍の所在動向は、曹操軍にとっても重要事だ。

 

「ロイド殿、ご足労ですが、董卓軍の逃走先を確かめて貰えませんか」

「人遣いの荒い」

 

 そう毒づくロイドだったが、その彼が戦の中、命ぜられもしないのにそれとなく自分の援護に回り、かつ目と剣の届く位置にいたことに気づいている。

 それは、剣里の後ろぐらい過去と共鳴するがゆえのことなのかも知れないが、荒涼の雰囲気をまとう無頼でありながら、本質は不器用で純良な人間なのだろうと思う。

 

 ロイドが気配ごとその姿を断つと、ふと気が抜けた。

 知れず、後ろに我が身に傾きかける。

 丁奉がそれとなく腕を伸ばしたが、それに先んじて背より添えられた手があった。

 夏候惇に代わりこの軍の大将となった、オシュトルである。

 

「軍師の『初陣』、見事な働きであった。色々と心労も多かったことだろう」

 などと仮面の奥で目を細めて褒める彼から、それとなく身を剥がす。

「別に、軍師ならば当然のことです。妹弟子たちなら、私などよりもよほど首尾よくやったでしょう」

 これは我ながら冷たい物言いではないかと、口にしてから後悔する。

 

 自分の代わりに負け戦をさせた諸将、総大将の身の上で一騎打ちを演じさせてオシュトルの方が、よほど自分よりも、称賛に価する。

 

 しかしオシュトルは剣里の味気ない態度に、別段不快感を見せていない。

 むしろ、

(あぁ気丈な年頃の娘とは、こうして片意地を張るものであったな)

 などと、微笑ましく見ているフシがある。それがなおさらに気に入らなかったが、悪態を返す前に、横合いからけたたましい、地を揺さぶるがごとき笑いが聞こえた。

 オフレッサーである。

 

「卿がそうして女子供と戯れている間に、おれは敵将を討ったぞ!」

 などと誇る。盧江での敵対の遺恨あっての、張り合いであろう。あるいは純粋に、言い換えれば幼稚に、自慢をしたかっただけなのかもしれないが。

「……それは祝着」

 オシュトルの相槌は短いながらも、重たげだ。

 別段悔しさや対抗意識などは持ち合わせていないだろうが、敵を嘲弄するがごときオフレッサーの戦への姿勢は、やはりこの義士とは相容れぬ価値観なのだろう。

 

 剣里が身を持ち直している間に、袁術軍の留守居組が返礼にやってきた。

「曹操軍の各々がた、援兵に感謝する。不甲斐ない戦をお見せしてしまった」

 筆頭たるエルトシャンが、謝意とともにそう挨拶をする。

「なんの、この国最強の兵団相手に、寡兵でよくぞ持ちこたえられた」

 と、オシュトルが返す。

 

 オシュトルにはヤマトが國の作法があろう。

 エルトシャンたちにもまた、彼らなりの流儀があろう。

 だが互いの国家の礼法を知らぬ両者が採ったのは、お互い共有できる知識、この国の拱手の礼であった。

 

「そう言えば、敵将の徐栄を討ったと聞いたが、まことか?」

 その奇妙な交流を経て、エルトシャンが切り出した。

 側に控える満寵の取り澄ました顔を見遣ってから、剣里が答えた。

「断定は出来ませんが、十中八九は間違いないでしょう」

 付き合いは短いが、丁奉の鋭敏な五感を信頼しているし、武人として些末な偽りを言うこともないだろう。

 それにいずれは、袁術側にも知れ渡る情報だ。秘すだけの意味はない。

 

「……そうか」

 金髪の貴公子の頷きは、緩慢であった。

「現在南下の途にある耶率休哥将軍が、目にかけておられた少女だった。私から見ても、類い稀な用兵術の持ち主であった。彼に、その訃報を伝えても?」

「ご随意に。どのみちそちらにも報告の義務はあるでしょうし」

 

 しかし、と剣里はあらためてエルトシャンを見遣った。

 敵将を正当に評価し、その死を惜しむほどに実直な士が、何故に袁術がごときに仕えるのか。夏侯惇ほどに露骨ではないが、袁術側と会見するたびに頭を過ぎる疑問ではある。

 否、実直なればこそあの馬鹿娘に根気良く付き合っていられるのか。

 

「それは私も同じか」

 曹操が有史以来稀な英君であることは剣里も認めるところではあるが、それでも真に忠誠を尽くしているわけではない。唯才を掲げつつも、常に政治軍事の中枢には曹氏夏侯氏が在る。ここに居ても重用はされないだろうことは、最初の扱いを見ても瞭然である。

 すべては母のため、己の才腕が真に臥龍鳳雛に届かぬのか、その命題に生涯をかけて挑むためである。

 

 そしてその機は、程なくして巡ってきそうだと、不安と期待がないまぜになったままに、剣里は北天を仰ぎ見た。

 

 〜〜〜

 

 数日して後、遣わしたロイドが帰還して、徐栄の戦死が確定した。

 と同時に、董卓軍本拠も知れた。

 地名は知らずとも彼が地図で示すところによれば、場所は上庸(じょうよう)

 独裁の梟雄にも、王朝の救い主ともなれなかった少女の、終焉の時が近づきつつあった。

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