さっそくにして、各方面より袁術軍の南下を警戒していた揚州軍の指揮官が、曲阿へと召集された。
かく言う井尻又兵衛も遊撃部隊として四方への連携と哨戒に当たっていたひとりであった。
兜を小脇に抱え大足で歩く彼は、別口より入庁していた吉兆と蜂合わせた。
「おう、備えこそしておったが、いざ来るとなるとえらい騒ぎだのぅ」
「あぁ」
この
そのせいで国元では何かと誤解と内外の反発を招いた、とは本人の朴訥とした弁。
だが、決して他者を拒絶しているわけではないことは、又兵衛と付かず離れず並び歩くその間の取り方から見て取れる。
苦笑する又兵衛ではあったが、ふと吉兆の身辺に気になる影が寄り添っているのが見えた。
過剰に裾に切れ込みの入った、上下一対の唐土風の衣服。
だが顔立ちは異人の目鼻立ちで、金色の髪を結い上げている。
均整の取れた肢体を持つ、妙なる美女である。
そして帯には拵えの美しい細い直剣を佩いている。
「ときに……そこな娘は一体?」
恐る恐る、という体にて又兵衛は問うた。
一体どういった素性の者なのか。現地のものか天の御遣いか、上記の容姿ゆえに判別がつかなかった。
「ん? あぁ、そう言えば紹介していなかったか。チェルだ」
と、慣れぬ音声でもって
「初めましてね、おじさま。チェルシーよ。吉兆との関係は……見れば分かるでしょ?」
ふふ、と嫣然と笑みを含ませながら、吉兆の毛皮のついた奇妙な上衣に背より寄りかかってみせる。
吉兆はやや苦みはあるが、まんざらでもなさそうに彼女の態度を受容する。
「なに、するとふたりは夫婦か?」
「……まぁ、婚姻はしなかったが、あんたらの時代で言うところの恋仲といったところだ」
これには又兵衛は驚き入った。ある者より伝え聞いてはいたがよもや後の世が、政策や身分血縁門地のみならず、海の垣根を越えてまで情を交わすことが出来るというのか。
――あるいは、そうした時代に生まれていたならば……
又兵衛は首を振り、刹那に思い浮かべた麗人を、邪念にして未練と断じて打ち消したのであった。
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現状、劉耀軍のは大雑把に四派に分類される。
太史慈などの劉耀自身の縁故の者。
キルヒアイス、又兵衛、吉兆、チェルシーなどの天の御遣い。
楊奉と徐晃、そして厳白虎戦以降にあらたに加わった
そして、最後に現地より召し出された一派であり、これがもっとも発言権が強い。
「承服いたしかねるッッ!」
そして軍議の席にて一番に気を吐いたのは、その筆頭たる張英であった。
事実上の、劉曜軍の最高司令官である。
二十も半ばを超えた年頃の女性で、無駄なく切り揃えた灰色の髪の下にある顔が笑ったところを、初対面以降キルヒアイスは見たことがない。
平常時でも、何かに追われるかのような気忙しさがあり、誰と対する時であっても敵に挑みかかるかのごとき向きがある。
「我らにこの連中の指揮下に入れと言われるか!? 何を根拠にッ」
極め付きは、この大音声である。
指揮をするにもこうして論議を重ねるにしても、その声量はいささかも衰えるところを知らない。
「いや、しかしだね? このキルヒアイス君は厳白虎をたちまちに退けているし、向こうも先手は御遣い殿というじゃあないか。ここは彼らに任せた方が良いんじゃ」
「黙らっしゃい!!」
ひぃっ、と劉耀はその一喝に屈して目に見えて退いた。
「あのような蛮族がいかほどの者か! 我らは先年、袁術配下、孫一族の
「……いや、忘れてはいないけど……その厳白虎の時、君らどうしてたの」
「だから! その孫賁呉景と再び対しており申した!!」
「……さっきも聞いたよ。というか、再来するってことは別に散々に打ち負かしてはいないんじゃ」
「何ィッ!?」
「いえ、なんでもありませんっ」
これでは、どちらが主従か分かったものではない。
キルヒアイスの視るところ、張英のそれは叱咤ではなく恫喝であり、諫言ではなく暴言であり、威厳ではなく威圧である。
そして劉耀も劉耀で、その剣幕を浴びてしまうと彼女の主張の是非を考える前に「さもありなん」と納得してしまう。
他の派閥の者らはそんな主従に辟易している様子で、揚州派の
「ふん、所詮他所者は」
「守ろうとする意識がないからそのような軽率な言動を取るのだ」
などと、聞こえよがしに漏らす。
言わずもがな、非難している対象は劉耀である。
それに反論出来ず、刺史は肩身を竦ませた。
なるほど、三互法の欠点はこれかと、脇目でキルヒアイスは眺めていた。
意識の差が如実に表れている。
彼らの指摘通り、揚州派にとっては純然たる防衛戦争なのだろうが、劉耀や一部の新参にはその意識が薄い。ともすれば、刺史自身が状況によりては降伏ないし逃散しかねない。
その逃げ腰の支柱を、曲がりなりにも支えているのが張英らの、帰属意識からくる過剰なまでに強硬な気骨であるという面も確かにある。
もっとも、赴任時より劉耀が良好な主従関係を形成できていれば、かくも拗れることはなかっただろうが。
詰まるところ、制度とはそれを運用する人間次第なのだろう、とは彼の知る誰ぞが言いそうなものだ。
「だいたい、先手が孫景呉賁が如きでは、袁孫の実態もたかが知れようというもの! 劉耀様、虚名に揺らいで取り乱しては、揚州刺史として鼎の軽重を問われましょうぞ!」
「……名前逆」
「香風、控えぬか! ……申し訳ない、普段は無口なくせに、こういう時ばかりはしゃしゃり出てくる者でして」
と、配下である香風を叱りつけたのは、外様の楊奉である。
生真面目な一方で野党まがいの出自であるが故か、必要以上に自身の立場を気にして卑屈になってしまうらしい。
その噛み合わせゆえか殊更に軍議が荒れることはなかったが、皆憮然としていることは確かである。
そもそも今までの侵略者が容易に退く凡将ばかりだったのは、後背に敵を抱えて本腰を入れて渡河しなかったがゆえ。今回の軍事行動とそれとを同一視するのはいささか危うい。
が、このまま纏まりを欠いて強敵に当たることこそ剣呑で、確たる論拠もなく異見を唱えればますます頑なにさせるだけだ。
「我々としても、未知の敵との戦いに際し、司令官閣下の軍権を侵すことは本意ではありません。対袁孫軍の経験豊富な閣下の指揮下、その手腕を後学とさせていただきたく存じます」
「そ、そうかね? キルヒアイス君がそう言うんじゃあ仕方ないなぁ」
キルヒアイスが本音と建前を織り交ぜて譲歩すると、劉耀は露骨に安堵の様子を見せた。
「ふん、見え透いた世辞を……」
「所詮は部外者ですな、この戦の帰結、揚州がどうなろうと、知ったことではないのだろうよ」
「返り忠にて寝首をかかれないよう、気を配らねばなりますまい」
一方で張英らの反応は変わらず辛辣であった。
ではどう返せば良かったのか。そう問いただしたところで、おそらくは彼女らの中にも答えはないのだろうな、と赤毛の大将は思ったのだった。