南下した袁術軍に、エルトシャンより便りがあった。
恐らく西域のものであろうその文字を、御遣いの特権で難なく読み解いた耶律休哥は読みつつ、息を吐いた。
「どうしたよ、狼の旦那」
そう問うたのは、高杉晋作である。その書状を風に乗せて寄越された彼は、同じように異国の文字を一読し、
「ほう、そうか! 宛は守り切ったうえ、董卓軍の中核を穿ったか! ……にしちゃ」
と、その糸の如く細まった眼が、白い狼へと移る。
この遊撃水軍の長にもやはり、己は浮かぬように見えるのだろう。
「徐栄の死を、悲しむか、耶律休哥」
そう声をかけてきたのは、また別の武人である。
そして、かつて将と将、北辺に生きた男と男として、相対した宿敵でもある。
「悲しみなど、しない。ただ一声、教示を垂れただけの、小娘に過ぎない。だが、時折、思うことがある」
「何を、思う?」
「勝ち負けが分かれ、戦が終わる。だが、敗者が死ぬ必要があるのか、と。日が暮れ、敵味方ともに、酒を飲み交わし、互いの健闘を、讃えあう。それで良いではないか、と」
高杉が、クスリと笑った。
「ははっ、そりゃあ良い。時代が革まりゃあ幕府も薩長も、正義派も俗論党も関係ないってか」
などと軽妙に節をつけて宣い、手元の弦楽器をかき鳴らす。
「私が死んだときも、そう考えたのか? 耶率休哥」
だが別の漢は、笑いもせず質した。その背に、楊家の旗が風を孕んで大きく靡く。
それを見上げるようにしながら、耶率休哥は答えなかった。ただ、目元には苦みのある苦笑が浮かんでいた。
男は、
ただ馬上の人になる。
「ならば先陣は、私がやらせてもらおう。武人が、名将の死を惜しむ。その程度の時は、稼いでみせる」
整然とした歩騎の兵五千を整然と従え、颯爽と馬を駆る。
「異人相手に古事記を諳んじた俺様も、さすがに唐土の歴史にゃ詳しくないが」
その疾走を目で慕いながら、高杉は肩をすくめた。
「それでも分かるさ。あんたら二人を先陣に投入しようなんざ、贅沢にも程があるってな」
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劉耀軍は、もとい張英軍は、愕然とした。
万全の態勢で迎撃に赴いた豫章の口。そこにはすでに、袁術軍の先陣が渡河を完了していた。
「馬鹿な」
愕然とする張英の軍事計画では、寿春方面の袁術本隊を陶謙軍が今川なる将が散発的に防戦し、時を稼いでいる間に、先手を打って豫章方面軍を水際にて総軍をもって一気に叩く、という算段であった。
ところがいざ急いで来てみれば、すでにそこには袁術軍の橋頭保が築かれ、兵が詰めてある。
「おそらくは、先に取り込んだ荊州水軍があればこその行軍速度でしょう。率いている提督の指揮も見事なものです」
「そんなことは解っているっ!」
差し出口を叩かんとする赤髪の孺子を怒喝し、張英は歯噛みした。
(くそっ、いかに劉表の残兵ごときが船を漕いだとて、劉耀
などと脇目で外様者どもらを睨む張英であったが、その認識は誤りであった。
いかに軍議の席で一悶着があったといっても、キルヒアイスが大人しくみずから退いたがゆえに、乱れはあくまが一時的なものに過ぎない。
その原因は、張英が先に打ち倒した呉景らを袁孫の基準と判断して軽視したがゆえの油断であり、劉耀軍自体の足の遅さにある。
だが、そのことに気づかず、他者に失敗の責任を求めるその精神性は、彼女にとって幸であるのか不幸であるのか。
「申し上げます! 敵勢の一部、動き始めました!」
「数は!?」
それでも彼女は、場数
物見からの報告に、すぐさま切り返した。
「数、五千!」
「五千!? こちらの半数以下ではないか! されば他の部隊は!?」
「動きなし」
「おのれ、舐めおってからに!」
奥歯を軋らせた張英は、首座を温めるしか能のない総大将に首を向けた。
「
「い、いやしかしだねぇ……勝てるのかね、キルヒアイス君?」
「確かにそういう見方もできます。敵が一枚岩でないのもまた確かですから……しかしながら」
張英は聞こえよがしに何度も舌打ちした。
具申しているのは自分であり、かつそれは己の口から発せられた時点で決定事項なのだ。
なのに言った側からすぐそれだ。まるで新しい玩具に飛びつく孺子がごとく、この揚州刺史を称する余所者には、重んじるべき順序と節操というものがない。
「い、いや! 話を腰を折って悪かったよ! じゃあ、いつものように君に一任するよ」
キルヒアイスが黙礼して引き下がる。そして劉耀が重圧から解放された一心で下した決定により、『楊』の旗を引っ提げたその最先陣と、張英率いる揚州生え抜き組が、まず相対することとなった。