かくして張英軍は全軍の三分の二を引き具し、一気に敵先鋒へと差し迫った。
機先を制し虚を突いたつもりではあったが、敵に動揺は見られない。粛々と後退を始める楊の軍を、揚州勢はさらに追った。
ただし、急進は禁じた。敵の偽走である可能性ももちろん考慮していたし、そうでなくても射程外の段階で過剰に刺激すれば、こちらの体勢が整わないうちに後詰めの来襲を招きかねない。あの先鋒は確実に撃滅するのだ。
……何故かよく勘違いされるが。
張英は攻勢の人ではなく元来守勢の人であり、猛勇を揮うよりも手堅く勝利を積んでいく将である。
だが一方で、今この時の如く。おのが勇を投機しなければならぬ事態もあることもまた、弁えていた。
いよいよ敵も逃げきれぬと覚悟したものらしい。
ちょうど自陣と敵陣の中間地点、丘陵を背に兵を並べた。こちらとしても都合が良い。寡兵ゆえ別動隊に回り込まれることを恐れての采配であろうが、背に高所があっては、後詰めの援護はしにくい。敵は悪手を採った。
歩騎ともに、割合としては揚州軍と同じである。数は言うまでもなくこちらが勝る。
負ける道理は、無し。
「江東が浮沈、掛かりてこの一戦にありィィィ! 揚州に生を享けし猛者たちよ、その士魂を北の蛙どもへ見せつけよ!」
さながら己が王が如く、揚州が主のごとく、威厳に満ちた声を、高らかに轟かせる。そして一部の隙もなく兵を動かしたのであった。
〜〜〜
――豫章近隣の村の顔役、
いや、ワシも長いこと
……え? いやいや直接見たわけやおまへん。ただ戦場跡を見て、浮かび上がってくるもんがあるっちゅうだけのことですわ。
おそらくは、初手を制したのは張英軍。先鋒は
まぁその方が果敢に一当て。しかし袁術軍もさるもの、寡兵ながら重装の歩兵を押し並べてよく防ぐ。
しかし止められることまでは張英将軍も読んどった。すかさず本陣を押し出して分断の隙を与えずさらに敵を圧迫した。
とどめとばかりに秘蔵の騎兵や。
率いているのは
ブッダなる人、この振る舞いとこの人に庇護される信者さんらを見たら、どう思いますのやろ。
ただこういう無法の人が今日まで生きて来られたんは、そんだけ腕っ節があればこそでっしゃろ。
実際、堂々たる体躯の豪傑だとかで、この時も馬上、けったいな格好して掌を合わせても、少しも体幹がブレることがなかったっちゅうハナシですわ。
事実、この騎兵が強くて速い。南船北馬ゆう言葉どおり、北方は騎兵、南方は船戦が得手と相場が決まっとるんですが、その意外性を突いて精強な騎兵を鍛え上げてたってことですわな、張英さまは。流石に確たる自負を持つだけのことはある。騎兵を後退する敵陣に楔みたく打ち込ませしかも抜かせないまま、さらに押し込んで山際まで敵を追い込んだ。今までの袁術軍もその戦術にしてやられたんでっしゃろなぁ。
けど、それは呉景さまらの話ですやろ?
いかにも追い詰められ、進退窮まったという体の袁術軍に、ここで一気呵成に揚州軍は攻勢に出たんですわ。
もちろん、張英将軍にしても追い詰められ、要所に上がった兵を攻めるんは難しいとは承知しとった。
やけど、ぐずぐずしとるとせっかく切り離した後続が来る。手柄を自分たちで独占したいという功名心もあったと違いますか。とにかく攻める決断をした。
まぁ当然真っ先に襲いかかったのは、肉薄していた笮融。
丘陵に逃げ込んだ敵の左翼を追った。これが立派な軍装の、見るからに精鋭。これの行動を封じるためという名目やったが、まぁ物資や甲冑目当てだったのは明らかですわな。
ところが、この左翼が攻めきれない。
元より登り坂を騎兵で攻めるんですから、そりゃあ持ち味の脚を殺すことになりますわな。
それを置いても強いの硬いの。
このちょっと前までは袁術軍なんぞは弱兵、寄せ集め、賊上がりの代表格みたいなもんで、それこそ劉耀軍相手に難儀するようなもんでしたわ。
それが今となっちゃあ御遣いさんらがそれぞれの領分で、それぞれ好みに兵を仕立て上げるんだから、そら強いですわ。
これには流石の笮融も苛立ち、
「こちらに兵を回せ!」
と来たもんですわ。
遠くの張英よりも近くの笮融ってなもんで、近隣の兵はその脅しに怯えて持ち場から離れてこの悪漢の援護に回った。
……そーぉやって少しずつ、少しずつ中央の兵は身内から削られていったんですわ。
そして頃合いを見計らって、いよいよ対する御遣い……楊令公が動いたんですわ、多分予定通り。相手の手の内が出尽くしたのを見透かして。
防戦から一転、丘陵の裏に秘していた騎兵が、遊撃に出て左回りに張英軍の背後に回り込む!
ハナからここが戦場になるって楊将軍は踏んどったっちゅーワケですわ。
そして兵隊ってのは駒とか碁石やあらへん。予定外の行動にはてんで弱く、出遅れる。
慌てて揚州勢の右翼がこれを追った。それで詰みですわ。
ここで袁術軍の中央がどっと駆け下って来る。逆落としでっから、そらもう土めくれ上がり大地が揺れるという有様で、あっちゅう間に手薄になっとった中央を蹂躙。
こうなると、もういけませんわな。
勝ち筋を見失った大将ってのは哀れなもんです。数がどれほどいようとも関係ない。刀を振りかざして声を張って制止しようとも、あるいは恩賞で釣ろうとしても、ここで死にゃ元も子もないって分かってるから皆言うことを聞きやせん。
例の薛礼将軍はあっという間に勢いに呑まれ、笮融将軍はさっさと逃げ出し、味方をなんとか押し留めようとする張英将軍は、敗兵に押しのけられて落馬。
立ち上がったは良いものの、そのまま戦意喪失茫然自失。背後を完全に取った騎兵の、槍衾に突き殺されるまでずっと棒立ちになってたってなハナシで。果たしてその間、どう想っとったんでしょうなぁ。察するに余りありますわなァ。
……え? 『さっきから偉そうに講釈垂れてるけど、アンタならこういう時どうする』?
しゃっしゃっしゃ、そらアンタ、解ればワシかて天下の大将軍ですわ。
【張英/恋姫(オリジナル)……戦死】