「申し訳ない、時間をかけた」
「まったくだ、華琳様の貴重な時が、貴様のような胡乱な男のために」
「それで、許劭殿は何を見られた?」
「さて、どうであったか。かえってこちらが色々と教わったような気さえするが」
「おいっ、無視して話を進めるなぁ!」
『月旦庵』より出でた男がほぼ連行のような形で引き取られていく。
遠のくその姿を見ていた華琳ではあったが、許劭もまた庵を出てきて白日の下にその身をさらした。
「あら、お見送り?」
とからかう陳留太守に、
「わたしも旅に出る。荊州の
と隠者は答えた。
名士らしいのからしくないのか。面白味に欠けた返答に「でしょうよ」と内心で毒づく。
何しろ彼女の姿は旅装である。
赴任祝いにわざわざ都の名士を招聘するなど聞いたことがない。つまり、用向きは自分たちと同じ。
(あちらにも、落ちたか)
もっとも荊州刺史の劉表の場合は、
すなわち、救世の雄が自身の下へ舞い降りたのは、皇統として世を改め、治めよという天意であろうと皆に知らしむると。
(果たして、
赴任前に宮中で見た、したたかな野心を感じさせつつも押し出しの弱そうな年増女へ、華琳はあらためて冷笑を向けた。
「
「そのまま旅に出る。今後は都も荒れるだろうし、これを機に巡っておきたい」
自分の許に来い、という前に先手を打つ形で許劭は言った。
荒れる。予言めいたその言葉にふと、気にかかった。
たしかに今の朝廷は惰眠をむさぼる皇帝と、外戚と十常侍らの権謀渦巻く毒蟲の巣となっているし、それによる政の乱れが、暴徒や賊の発生を許してはいるが、『荒れる』とは一体……?
「
まるでその失言を隠すように、即座に女隠者は話題を切り替えた。いや、本来の華琳たちの目的に戻ったといった方が正しいか。
「蒼天を往く者。智勇仁いずれに傾くことなく欠けるところがない。士大将として人として、これほどに完成された者はいない。曹操殿は数多の星の中で最優を引き当てた」
だが、と言葉は続く。
「問題は、貴女自身の内にある」
華琳の鷹眼が歪む。もし春蘭が居残っていたら、この前置きの時点で即座に叩き斬っていたことだろう。
「わたしは、この世界の『役割』ゆえ貴女に乱世の奸雄の名を与えた。だが、決してその異名にも、『曹操』であることにも自らの心を縛られぬよう。……華琳は、華琳。それを忘れ歪んだ覇道に進んだ時、おそらく彼の刃は貴女自身へと翻ることになる」
奇妙で、持って回った締めくくりとともに、
「真名を許した覚えはないのだけれども……まぁ良いわ。話半分に覚えておきましょう」
「それで良い。わたしに諫められたところで生き方を変える貴女でもない」
そう言って最後に、彼女は口元だけで笑ってみせた。
「……いずれまた、その道を進んだ果てに得たものでも聞かせて頂戴」
その後、この動乱の予言者がふたたび曹
落ち着いた頃に招聘してみようとしたが、その行方は杳として知れず、劉曜の下に客分として収まったという風聞もあったがそれも風聞の域を出なかった。
この一月後、洛陽襲撃計画が発覚。その首謀者馬元義は捕縛された後に「だって
それにより朝廷は
そのため張角側としても、望む望まざるにかかわらず武力蜂起を決意。結果、朝廷に不満を持っていた豪族や流民、山賊の類がこれに呼応し、黄色い布をスローガンとして各地を荒らし回る。
さらには騎馬民族
だがその処遇を巡り、劉虞と公孫賛が対立。その確執は極まり、『黄巾の乱』の最中、公孫賛が踵を返して劉虞を攻め、殺害するに至る。
それを受けた袁紹は一度黄巾討伐を中断。朝廷には公孫賛を逆賊と上奏し、その本拠北平を攻めるも公孫賛側の客将、
「むっふふぅ、史実どおりに潰されては面白くないのでなぁ」
――黄色い布を巻き狂騒する集団。自分たちの甘い期待や予想を超え、彼らが制御から外れたことに恐怖する三姉妹。
その影で、蜘蛛が寄生し、蠢動する。
そのように、星々の中で負の輝きを見せる者たちこそが、もっとも早くその頭角を顕していった。
「な、何故……我らがいったい何をした? 貴公らが天よりこの中華を戒めにきた御遣い殿らだとして……何が罪だというのだ?」
「ミツカイがどうのとか知ったことじゃねェが、何が悪いかってのは分かりきったことだ……てめぇらが、弱いことがだよ」
交州においては炎を操る異形の剣士率いる集団がそこの豪族
だがこれによって、本来中原に集中するはずだった反朝の勢力は図らずも南北に分散させられることとなった。
――だが確実に、歴史は、予期せぬ介入によって本道から外れつつあった。