恋姫星霜譚   作:大島海峡

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曹操(十二):天より降る謀

 曹操と、そして彼女によって呼び戻された司馬懿軍が鄴城へと還ってきたところで、あらためて一帯の略図を挟んで軍議を開くことになった。

 だが初端からその空気は重く、一人として浮かぬ顔をしない者はいなかった。

 元気印の曹仁をして、なんとなく居心地の悪そうな面持ちで肩をすぼめている。

 

「ここに至れば、敵の狙いは明らかです」

 その空気を破るべくあえて切り出したのは、進行役の荀彧である。

 

「特定の拠点を持たず、散発的に攻勢を仕掛けこちらの進軍を遅滞させること」

「はっ、所詮は悪あがきだろう。そもそも悪戯に戦を長引かせたところで、奴らにこの状況をひっくり返す術なんぞないさね」

 臧覇がそれに意気を見せて答えるが、桂花は冷ややかに見返すばかりであった。

「九郎義経と劉備軍が前後より神出鬼没に我らの輜重に少なからず打撃を与えているのよ。すでに末端の部隊に不足が出ている」

「それこそ微々たる問題じゃないか。だろ、曹洪さんよ……ってわけでもなさそうだね」

 

 ぐったりと肩を落として顔を机上に突っ伏したままの栄華。憔悴しきった本人の様子とは裏腹に、その手先にある人形が、臧覇の楽観を否定すべく全力かつ盛んに手を振っている。

 

「さらに言えば」

 と、良くも悪くも議が動き始めた頃合いに乗じて、司馬懿が発言した。

「これは朝廷に出仕している司馬朗()よりの報せなのですが、どうにも朝廷内での我らの出兵に非難の声が出ているようで」

「我らは皇室に連なる劉虞殿の弔い戦をしているのだがな。その上奏も行っただろう」

 と、秋蘭がそれが建前であることを承知したうえで口を挟んだ。

「もっぱらその非を鳴らしているのは北中郎将盧子幹(しかん)。劉備と公孫賛の師で、彼女らの依願を受けての働きかけでしょう」

「厄介なのがしゃしゃり出てきたわね」

 

 桂花は舌打ちを隠さなかった。

 人品、将器、見識、声望いずれにも劣るところのない清流の大物である。

 

「停戦要請があるのならまだ良し。最悪、我らが逆賊に認定される恐れもあるな……」

 長政もまた表情を曇らせて言った。

 

「しかしていっそ、こちらから朝廷を頼り、公孫賛と手打ちとするのもまた手かと」

 煮詰まった議場を眺めまわし、司馬懿こと青狼はあえてそう進言した。

「河北の過半を手中に収めたのです。今後は戦局を再整理して、後事に備えるのも」

「思案のほかよ」

 

 青狼の提案を、にべもなく華琳は蹴った。

 

「朝廷からの介入が生じるのは承知のうえ。ただ誤算は介入して来たのが盧植だったのと、それを呼んだ劉備の影響力。相手にも時間を与えることとなれば、河北の平定に尋常のやり方なら十年はかかる」

「おぉっ、みんなおばちゃんおじさんっすね」

 

 場の空気などそっちのけの、ある意味天真爛漫な華侖の発言に苦笑するロブが、

「じゃあ、尋常()()()やり方で期間を短縮する、と?」

 と皮肉を言った。だがそれの通じない華侖はパッと華やがせて、

「あ! じゃあ食べ物を道中にばらまいて、公孫賛がお腹を空かせてやってきたところをとっ捕まえるとか」

「鳥獣じゃないんだから」

 桂花がぼそっとツッコミを入れたが、華琳は殊の外上機嫌だ。

 妹の死後、何かと塞ぎがちだった従妹がようやく立ち直りの兆しを見せたことが、嬉しいのだろう。他も同様に、苦笑ながらも温かいまなざしで彼女を見ていた。

 その微妙な塩梅の空気を察してか、所在なさげに華侖はきょろきょろと左右を見渡す。

 

「あれ、ダメっすか?」

「いや、何か餌を用意して散った敵を引き寄せるのは、案としては悪くない」

 と、長政は真面目くさった調子で受け応えた。

「ただ、問題は城や土地さえも捨てて見せる彼女らが、今更兵糧に飛びつくとは思えない」

「そもそも、あの方たちに差し上げる兵糧などなくってよ!?」

 がっくりと肩を落とした華侖ではあったが、それでも重圧な空気に埒を開けたことには間違いない。

 

「だが、子孝の言や良し」

 華琳はおもむろに口を開き、そう前置きした。

「皆、彼女に倣うべし……起立し、好きにこの場を巡りなさい」

 そう言い放った当主の意図を察しかねるように、一同は顔を見合わせた。

 そんな彼らに喝を入れるがごとくに、華琳は机上の図面を叩いた。

 

「門地出自席次領分才気、一切問わぬ。あるいはこの戦から外れても良い。己のままに議し、有為無為を問わず発言をしなさい」

「……曹操殿、しかしそれでは」

「構わない」

 青狼の懸念を聞く前に

「さぁ、智勇の士よ、この曹孟徳とともに立ち上がり、天下の方策を想う様に論じようではないかッ」

 

 稀代の主君の号令一下、居並ぶ将星たちは腰を持ち上げ、敢然と屹立した。

 

 ――結果、その曹孟徳は肩身の狭い思いをすることとなった。

 彼女の両隣には長政、ロブといった上背のある男たちが並び、しかして彼女自身の身長は下から数えた方が早い。

 しばし憮然と瞑目していた華琳であったが、やがて、重たく言った。

 

「…………やっぱり、着席はしておきなさい」

(言わんこっちゃねぇだろ)

 

 自身の命令を撤回した曹操の意に従い、青狼以下武将たちは着座しようとした。ふとした拍子と角度で、女装の少年は地図を俯瞰するかたちとなった。

 

(曹仁殿の発想は、浅井殿の言う通り悪くはない。が、同様に吊り出すだけの餌がない。餌ねぇ……)

 

 当代の製図である。当たり前だがあまねく全土を網羅したかのごとき巧緻なものではなく、あくまで周辺一帯を概略的に記したものではあるが、その一点に目がいった時、

 

「あ」

 

 声が、漏れた。

 それは意図してのものではなく、その地点に目が行ったのも、思いついたのも偶然であった。したがって、不意にこぼした呼気は、常の彼ならぬ声量を伴っていた。

 だが、諸将らが気づいた様子はない。胸をなで下して自身も椅子に着こうとした時、

 

「仲達」

 と、自身の名が曹孟徳の唇から紡がれた時、彼の心の臓は跳ね上がった。

 

「今、何に気が付いた?」

 天下人の鷹眼は、決して軍師の表情の変化を見逃してはくれなかった。

 追い討つがごとき問いかけに、青狼は自身に向けられた衆目にも憚らず、身を切り返すようにして膝を地につけた。

 

「口端にのぼらせることさえ愚かしき妄想でございます。できれば、お聞き逃しいただきたく」

 拱くその手に不自然な負荷が加えられ、血管が手の甲に浮き出ている。

 だが、それを承服する気配など毛ほども見せず、薄く笑って華琳は掌を彼へと突き出した。

 

「有為か無為か。有害か無害か。それは私が判断することよ。さぁ、聞かせて頂戴な。貴方が今、何を見出したのかをね」

 

 ――これ以上遁辞をかませば、首を刎ねるぞ。

 絞られた眼差しには、まごう事なき殺意が込められていた。

 

 〜〜〜

 

 かくして無理やりこじ開けられた青狼の口より紡ぎ出された着眼点に、驚かぬ者はいなかった。

 皆して言葉を失い、めいめいに見たこともないような表情で、信じられない怪物でも見るような目つきで発言者を見返していた。

 

 荀彧にいたっては、

「な、な……」

 と、俎板の上に載せられた魚がごとくに、ともすれば死相とも取れるような目の剥き加減で、

「なんておっそろしいこと考えてんのよ、アンタはぁっ!?」

 と後輩を怒鳴りつけた。

 

(文句はあんたの敬愛するご主人様に言えよ)

 発案者たる青狼とて、披瀝を促した華琳よりも寧ろ、狼狽し怒る将らにこそ道理があると考えている。

 さしもの曹操とてこれは後悔する判断であっただろう、とそれとなく睨む青狼だったが、その視線の先で華琳自身は横顔を向け、手で口元で覆い、その眼差しは真剣そのものであった。

 沈黙が恐ろしい。戯言と一笑に付してくれた方が、いや激怒してくれた方がいくらかマシであった。叶うならば首を捻じ曲げて全員の視線から逃れたいぐらいであった。

 

「青狼」

 針の筵に立つ心地の彼へと向き直った華琳は、今度は真名を呼んだ。

 

「ずいぶんと、貴方らしくない献策じゃない。手酷くやられて殻が破れた、と言ったところかしら」

「は……わたくし自身の言ながら、名門司馬家として、そして曹操殿の幕下として、恥ずべきことと存じます。重ねてお願いいたします。どうかとるに足らぬ雑言と、切り捨てていただきますよう」

「その通りですっ! なんならこいつごと切り捨ててくれて構いません!」

 と、勝手に人の生殺与奪を委ねつつ、桂花も諫止の声をあげる。

 

「もし仕損じれば、敗退どころではありません! 我らの三族子々孫々、永劫に汚辱に塗れる末路が待っていますっ」

「じゃあ成功すれば?」

「は、え……」

「成功すれば、どうなる?」

 

 取り乱しながらも、荀文若の王佐の才は本人の意思とは関わりなく計算を始める。

「……我らを取り巻くあらゆる諸事が除かれるばかりでなく、その勢力は飛躍し、一躍して天下第一に上ることとなりましょう」

 奥の歯を食いしばり、汗顔を真っ赤に染めながらも、震える唇より強張った解答を紡ぐ。

 

「さりとても!」

 前のめりになりながら、桂花はなおも食い下がる。

「あまりに分の悪い賭けではありませんか! 見返りも特大ながら、危険はそれに三倍して余りあります!」

「それでも華琳さまは……成算がこの無謀のうちにあると?」

 

 秋蘭の問いかけに、重く顎を引いた。

 手の離れた口元には、不遜にして確信めいた強気の笑みがあった。

 

「多少の手直しは当然必要だけど、やれないことはない。いや、やらなければならない。でなければ私たちは冥府の穴の上で、そこを繋ぐ橋の中途で、爪先で我が身を支え続けなければならなくなる」

「それでもですっ、ただ一手、一時、選別する将の一人でも誤れば、全体が一気に崩壊することとなります! どうか、ここは無難に地固めを……」

「それは曹操の戦いではないわ!」

 剣で空を裂くような声音をあげて、華琳は立ち上がった。

 

「我が覇道に躓き、あらゆる苦難から怖じて目を背けるような人材を、私は集めた覚えはない! 私とて、乱世の奸雄と称されたその日から、この身は汚辱に塗れる覚悟が出来ている!」

 

 金色の髪を風に流し、覇王は諸将へ顧みた。

 

「臧宣高、信義を重んじ高い志を掲げるお前が『奴寇』と蔑まれながらも朝廷の意に反して起ったは何のためか! ロブ・スターク、浅井長政! 貴殿たちが家を挙げて時流に逆らい、節や道義を曲げて己を貫かんとしたのは何がゆえか!? お前たちと同じく、この曹操とて己が信じる答えに行き着くためならば、あえて荊の道を征く!」

 

 誇り高く吼えた彼女の前に、もはや反意はない。動揺しつつも彼らの瞳は、確たる意志の輝きを取り戻していた。

 

覚悟(こたえ)は、決まったようね」

 それらの輝きを浴びて、華琳が総身の覇気もまた、一層の煌めきを放つ。それを神のごとく、一門譜代および桂花は仰ぎ見る。

 

(……滅茶苦茶だ。不合理だ)

 内心でそう毒づきながらも青狼の脳では、無茶苦茶と当初は自他ともに認めていたおのが策に、道理がひとりでに肉付けされ、色づいて、明確な勝算のかたちが出来上がりつつあった。

 そしてその新たに生まれつつある摂理に、狼顧の謀士の頬は、熱を持って吊り上がり、歪な笑みを形作っていた。

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