恋姫星霜譚   作:大島海峡

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漢(二):燕雀の志、鴻鵠いずくんぞ知らんや(前)

 自身の権勢を誇示するためにまずその規模を拡張し、内部の侘しさを埋めるために調度を買い置き、侍人を雇い入れる。そうして引き上げた生活の水準を保つべく、また法外な金策にて利を貪る。

 

 かくして、洛内における何進の邸は、目を惹くほどに巨大かつ華美なものへと成長……否、肥大化していった。

 

 もっとも彼女……(けい)にしてみれば、

(私の惨めな前半生を想えば、まだ足りぬ。まだ不足じゃ。人臣位を極めたと言えども、いずれは巻き返して余りある力と権能を手に入れてくれる)

 という言い分のもとの、拡張であった。

 

 その彼女の屋敷に、曹操からの密使と貢物が遣わされたのは、ある日の朝のことであった。

 

「松ぅー永、久秀と申す。何進大将軍におかれてはご機嫌麗しゅう」

 あからさまに胡散臭い風体。ふてぶてしい物言い。見え透いた辞儀。

 見るからに怪しい天の御遣いを、中庭にまで招き入れて階の上より大将軍何進は冷ややかに見下した。

 

「貴様には、早朝に叩き起こされた余が上機嫌に見えるのか」

 浅黒い、西域の羅紗地のごとき素肌にそのまま寝着を通した傾の左右には、近衛の兵がずらりと並ぶ。

 そろそろ老境に差し掛からんと言う年頃の男の枯れ首をたちどころに斬るには、十分すぎる数と質であった。

 

「あいや、これは失敬」

 肩をすぼめる松永とやらはしかし、道化じみた態度を示しつつも怯えた様子は見せなかった。

 

「されど、まさか昼間にこれを運び入れれば無用に探られ、かと言って夜半に城門をこじ開けて入れるわけにも参りますまい」

 と、曰くありげな眼差しで、運び入れられていく馬車や荷車を顧みる。

 先乗の金と称するそれらの流入を、傾は冷ややかに眺めていた。今顕職を得た彼女にとっては別に珍しからぬもの、そして意図である。

 

「用向きは分かっている。冀州の一件であろう」

「さすが、お耳が早い」

 

 まるで筋書きで示し合わせたかのごとく、松永は恭しく辞儀をしてみせた。

 

「慮外者め。宦官の義孫(まご)風情が、分も弁えず兵馬を恣とするからそういうことになるのだ」

「仰せごもっとも」

 

 ぎしり、と車が揺れた。

 一瞬それに注意を逸らした松永ではあったが、主君への非難も平然と受け入れ「されどぉ」と芝居がかった調子で応じて曰く、

 

「恐れながら何進大将軍様も、市井の出よりのし上がったお方。かくいうこの久秀も、かつては腕一本にて一国の主ともなった男子(おのこ)にございます。ゆえに、我らは言わば同じ穴の狢! ……ではなく、似た者同士、惻隠の情をもってお助けいただきたく」

 

 抜け抜けとそう言う男の目には、共感ではなく多分に揶揄が込められている。

(我らが頼みとしてきたはおのが才覚であるが、お主は妹の縁故だ)

 とでも言いたげに見える。

 あるいはそれは、傾の負い目からくる被害妄想であったのかもしれないが。

 

 なんとでも(さえず)れ。如何様にも邪推するが良い。所詮手に入れられなかった者の遠吠えに過ぎぬ。

 その縁や天運時流なくしては、如何なる麒麟も世に浮かぶことは能わぬのだ。そしてその天命を授かった己と妹こそが、選ばれし者に違いないのだ。

 

「……ふん」

 むしろ相手を冷ややかに見下し、大将軍何進は言った。

 

「まだ足りぬ」

「ほう?」

「金銀財宝など、あっても困らぬが見飽きたわ。代わり、曹操めに伝えい。我が口添えにより公孫賛との和議ないし足止めを求めるのなら、自らその鬱陶しい頭を下げに来い、と。そして来るべきその時、持て余したおのが軍兵を率いて我が手足となって働け、と」

 

 来るべき時。いわずもがな、十常侍との決着の際である。

 今までの外戚と宦官がそうであったように、何進ら軍人たちととあの内侍どもの仲は剣呑そのものであった。

 あの悪辣な害虫どもは、いずれ駆逐する。そしてそれに蕩かされ切った『玉座の上の駄肉』も屠る。

 だが、梁冀と同じ轍を踏み、気が付けば大将軍の印綬を剥奪され、真裸でなぶり殺しにされることは避けねばならない。そのため、都の外部に己のための遊撃軍を造る。そのためならば、口舌と権力の一つや二つ、曹操に貸してやるのも悪くない。

 

 ぎしり、とまたも荷車が揺れた。必死に積み込んだであろう贈り物の重さで車軸が歪んでいるのか。

 

 優越とともにそうほくそ笑み、ついにはこらえ切れず哄笑を漏らす。

 ――だが、同じく笑声を轟かせた者がいた。

 言わずもがな、松永久秀であった。彼女のそれよりもより露悪的で、どこか破壊的な高笑いとともに、肩を大仰に揺する。

 

「……なにが可笑しい?」

 気分を害された傾は眉根を潜めた。

 すると久秀は、やや控えめに表情を引き戻して言った。

 

「いやなに、()()の思い違いぶりがあまりに面白きゆえ、つい笑いがこみ上げそうになったのよ」

 と上っ面の経緯さえ剥いだ物言いとともに唇を歪める。

 

「……なんだと?」

「一つには、我らは公孫賛と和睦など望んではおらん。我輩とて、奴らには借りがあるしな。第二に、お主自身の力など頼りにもしておらぬ」

 ならば何故、何故、自分の邸宅を訪れたのか。この賂は……いったい。

 

「ま〜だ分からんとはおめでたい奴よ。では三つ目を言ってやろう」

 目の前の怪人が得意げに嘯くのに合わせ、車の幌が捲れ上がった。

 

「お主の名義でこの車らを都深く、宮の傍まで入れさせてくれた時点で、すでに謀は成就しておるのよ」

 

 あっ、と何進が驚愕に突き動かされるまま立ち上がる。

 先ほどより不自然かつ不規則的に揺れる荷の正体が、金銀財宝のたぐいではないことを察知した左右の護衛が、慌てて白刃を抜いて駆け出し、車内を串刺しにせんと駆け寄った。

 

 だが、解かれた荷袋より突き出た大刀が彼らの剣を弾き飛ばす。

 次いで現れたのは、女丈夫。

 長い間狭いところに閉じ込められ、主人への嘲笑に耐えてきたその隻眼を烈しくいからせていた。地上に降り立った彼女は、まるで猛獣がごとくに息を巻く。

 

「そしてこれは賂にあらず。ご所望の、洛外の兵力よ。せいぜいありがたく頂戴してくれい!」

 

 さながら蜘蛛の子を散らすがごとく。

 松永が手を挙げれば、ばっと車の内より精兵が討って出てきた。

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