恋姫星霜譚   作:大島海峡

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劉備(二):外にて患う者たち

 ――曹操、都を襲う。

 その凶報は董卓の計画していたそれよりもはるかに勝り、かつ袁紹の死にも匹敵する速さと勢いをもって中原の群雄たちの間を駆け巡った。

 

「離せッ、曹操の横暴を赦すわけにはいけないだろ!」

「いや、その状態で戦に出たら今度こそ死にますよ、貴女」

 とある者(馬超)は憤り蛮勇をもって出撃せんとしてある者(張魯)に止められ、

 

「やってくれたな孟徳、この我を、差し置いて……!」

 とその大逆にある者(韓遂)は臍を噛んで悔しがり、

 

「なに、それ……横取りかっ!? ボクらの計画を!」

 ある者(賈駆)も恨み節を潜伏先の上庸で吐き捨て、それを聞いたある者(董卓)はもはや敗者として語る言葉もなく悲しげに目を伏せ、

 

「今すぐに盟を切り曹操軍を背後から襲うべきです! 主力のことごとくが北へ目を向けた以上、豫洲宛州を攻め取り、名門袁家として勤皇の志を示すことこそが肝要!」

 袁術軍においてはある者(満寵)が机を叩いてらしくもない強弁で主張するも、

「西には董卓さん、南に劉耀さんと今川さん、北に陶謙さんを抱えてるのに、そんな余裕あるわけないじゃないですか」

 などというもっともらしい建前で、本音では彼女や御遣いらの『増上』を曹操の挙兵以上に悪むがゆえに、ある者(張勲)がそれを拒む。

 

 そして言わずもがな、河北で転戦する公孫劉備連合部隊にもまた、それは届けられたのであった。

 

 ~~~

 

「おのれ曹操め! 野望が挫かれたのなら大人しく引き返すならまだ可愛げもあったものの、平穏な都まで我らの戦に巻き込むか!?」

「まったく、往生際が悪いどころのハナシじゃないのだっ」

 

 平原(へいげん)の周辺、当座の野営地にて愛紗、鈴々ら義人たちはその横暴に憤りつつも、

「だが、そんな破れかぶれの無謀も破綻に終わった、陛下を始め、主だった武将たちさえも誰ひとり擒とされなかったのだからな!」

 と安堵と嘲りを示した。

 が、対して軍師衆の表情は決して楽観的なものではない。むしろ困惑と動揺は、智者である彼女らの方にこそあった。

 

「如何した、朱里、雛里?」

「い、いえ……それこそ大胆な策です。本当に、都が掌握されていればわたし達への決定打になっていたほどの」

「でもだからこそ、より入念に練られていたはずのその計画が、どこで漏れたのか」

 

 それは彼女らが過大に曹操を恐れていただけで、その程度の粗末な策を出せないほどに曹操もその幕僚も凋落したのではないか。

 愛紗はそう思ったが、思考力においてはこの臥龍鳳雛らに自分は遠く及ばない。それを知るがゆえ、余計な口を差し挟まず、主従ともども結論がまとまるまで彼女らが小さな額を突き合わせて議するに任せた。

 

「得てして、天才とは至上を望むがゆえに足下には目を向けず、それがために高転びするものよ」

 

 ――が、あえてそれを遮る者が、唐突に割って入って現れた。

 

「何者か」

 成り行きを静観していた星がやおら愛槍を掴んで誰何する。

 その彼女や関張の義姉妹をして間合いに入られるまで気配を察せられなかったのだから、この侵入者の隠形の術は中々のものである。

 

 が、予想に反して現れたのは細身の娘であった。鋭気と理智とを兼ね備えてこそいるが、朱里らよりも少し年上といった塩梅の、さほど齢を重ねていない面持ちである。

 

 そして彼女のその面を認めた瞬間、臥龍鳳雛はあっと声をあげた。

 

「剣里さん!?」

「えっ、ほんとです。先生のところ以来ですっ」

「久しぶりだね、朱里、雛里」

 

 どうやらふたりの旧知らしい。久闊を叙すのもそこそこにして切り上げて、まずは警戒を解くべく娘は桃香へと礼を捧げた。

 

「徐庶、字を元直と申します。劉備様のお噂は、かねがね」

「わぁっ、こっちも朱里ちゃんたちから話には聞いてるよ。私にとっての、白蓮ちゃん的な存在なんだよね」

 と、みずからの肩を公孫賛のそれに寄せて微笑み返す。

 その姉弟子の方はと言えば、どこか居心地が悪そうにしつつも、星に槍を下ろすよう促し、桃香の方も義妹たちにそれに倣わせた。

 

「先ほどの言葉の意味は、どういうことだ?」

「藪から棒にすみませんでした。まず、先にお話ししておきますと、自分は曹操軍に属していました」

 と、剣里なる娘は穏やかならざる文言であらためて切り出した。

「ほう?」

 目を眇めた星は尋ねた。

「すると、今は違うと?」

 顎を引く剣里は、全体的に視線を振り分けつつ続けた。

 

「しかしながら、今回の曹操の野心を知った私は、かつてツテを持っていた十常侍の張譲様の下へ馳せ参じ、事の次第を告げたわけです」

「十常侍……」

 

 これもまたきな臭い相手ではある。

 ともすれば曹操以上に社稷を食い荒らす宿痾ではないか。

 

「つまりは、密告か。あまり褒められた手段ではないな」

「分かっています。ですが、あの時はそれしか手段がありませんでした。そして今は、副使としてここへの案内を頼まれてここに参りました。妹弟子たちが潜伏先として選ぶのなら、おそらくここであろうと」

 

 田豫ほどではないにせよ、キッパリとした物言いをする娘であった。

 

「副使?」

「流石にその密告者に正使は務まらないので」

 半ば自虐を含んだ皮肉を返したその裏から、林をくぐり抜けて踊り込む影があった。

 

「おおおおお! 劉皇淑であらせられますか!」

 ……こっちは声量は言わずもがな、気配はダダ漏れ、物音を鳴らしまくりの、装いこそ武人のそれだが……というかその格好こそ密使としてどうかとも思うが……まったくなっていない二十歳そこそこの、全体的に丸い顔つきの女である。

 

董承(とうしょう)と申します! 皇淑様の凶賊ども相手の弛まぬ抗戦、わたくし心より感じ入っております!」

「は、はい。ありがとうございます……? で、その皇淑って」

「盧植様によらば、劉備様は中山靖王の末裔であらせられるとか! されば、ざっくばらんに申しますれば今の陛下の叔母御に当たります!」

「おば……」

 

 固まる桃香に星が思わず吹き出し、さしもの愛紗も憤るより先に苦笑をこぼすしかなかった。

 悪気なく褒めたつもりなのだろう。そして邪心を持つ人ではないのだろう。

 が、ともに大事をなせる器量ではないことは、この時点で既に明らかであった。

 

「ええと、それで、わざわざ我らを訪れた御用とは?」

 朱里が尋ねると、董承は頷いて答えた。

 

「今、我ら官軍は混乱により散った兵を取りまとめている最中でございます。それと同時に義勇軍にも招集をかけ、曹賊を討滅するべく堂々たる正面決戦を挑む所存。詔勅により、是非にも劉備様と……まぁあと公孫賛殿にも河内に参陣していただきたく」

「あのあの、であればなおのこと私たちはこのまま遊撃して曹操さんたちの後方を脅かしていた方が」

「なんと!? 畏れ多くも帝からの勅を、なんとお心得か!! 一も二もなく漢室の御為に従うのは筋ではございませんか!?」

 

 そこまでの好感触より急転直下。煮えたぎる湯がごとき剣幕の女将軍を前に、異論を唱えた雛里は萎縮した。

 常人ならざる智の泉をその幼き身柄に秘めた両軍師だが、押しが弱いのが瑕瑾である。縋るような視線で徐庶を見たものの、彼女は首を振った。

 

「残念ながら、今の私は軍師じゃない。発言権を持たない張譲様の刃」

 とにべもなく返したことで、如何に天才軍師と言えど、その方針を覆しようがなくなった。

 あわわと固まる妹分へと目を背けた徐庶は、振り返って田豫へ向けて、一通の書簡を上衣より抜き出した。

 

「それと、こちらは公孫賛将軍ならびに田豫殿へ、我が主人よりの親書でございます」

「親書だと?」

「はい、『こちらに参られたら、いずれ折を見つけ天下のことなど語りたい』と」

「佞臣が何を白々しい、その天下をかき乱しているのは曹操と奴らではないか!」

 

 憤る愛紗を無視するように進み出た田豫はそれを受け取るや、本当に目を通しているかさえ分からない速さで一読した。そして氷の眼差しで徐庶を一瞥した後、文は己の懐に押し込みつつ

「……確かに。いずれ主君ともども日取りを決めてご挨拶に伺います故、貴殿の御主君には、どうぞよしなに」

 慇懃無礼な、取り澄ました調子で答えた。

「お、おい奏鳴。勝手に」

「状況が状況ゆえ、この件についてはまた後ほど打ち合わせいたしましょう、殿」

「……わかった」

 このように人の血の通わぬ言動が、この北辺の才媛を愛紗が好まざる所以でもあった。

 

「白馬長史。私はその件預かり知らぬが、また別にこちらからもよろしいか」

 董承は割り込むようにして言った。

 

「劉虞様の死について、問い質したきことあり」

「……」

「京師を取り戻した後、あらためて朝議の席査問させていただくが、よろしいな?」

 桃香に対するものとは一転、辛辣な態度であった。

「ちょ、ちょっと待ってください! それについては」

 慌てて弁護に回ろうとする桃香本人を手で制し、その身を庇うがごとく女将軍の前へと立った。

「良いんだ。誰かが劉虞、様の件で責任を取らなければならないんだからな……承知した。朝廷が平穏を取り戻した暁には、あらためて参内する」

 

 当然だ、と言わんばかりの傲然とした顔つきで胸を反らした董承。その裏より、一連の流れを黙して静観している少女の姿を、愛紗は見咎めた。

 

「如何した、子明(しめい)?」

 字を呼ぶと、その片眼鏡の娘、呂蒙(りょもう)は大仰なほど双肩を跳ねさせた。

 

「い、いえ……」

 と、彼女は俯きがちになって袖で口元を覆う。その所作を見ると、愛紗は心臓の奥底がひりつくのを微に感じた。

 ()()()()()()()()()()()、流れ者の一兵卒から関羽隊の従者として取り立てられたのが、この娘である。

 あるいはそれは、将来の士官候補としての成長を見込むと同時に、愛紗自身の人材育成能力自体を養ってもらいたいという桃香や朱里あたりの配慮であったのかもしれない。彼女に悪心がないことは承知している。任務にひたむきな、良い娘だとは思う。

 しかしどうにも、いっそ運命的なほど、相性が悪い。

 小動物的な性格が気に入らぬのか、とも自問したが、それなら軍師たちの方が余程ではないか。強いて言うなら、呂蒙は気後れして今のように言葉を濁した後になって、こちらを窺うような目つきをする。

 今のそうしたことで、愛紗はさらに不興を覚えた。

 

「……何か言いたいことがあるなら、申してみよ」

「え……」

「我らは何も朱里や雛里の意見ばかり聞く耳を持っているわけではない。時には別の切り口から物事を見る必要もあるだろう。気づいたことがあるのなら、遠慮なく言ってみてくれ」

 

 自分なりに懸命に、語気を柔らかくし言葉も選んだつもりだった。

 その甲斐もあってか、呂蒙は遠慮がちに目を持ち上げたあと、まだわずかに強張りの残る声で、

 

「あの、徐庶さんという方の、その……目が」

「自分が、何か?」

 

 間の悪いことに、言いさした呂蒙を遮る形で、その徐庶が現れた。

 

「関羽殿……でしたね。お話し中に申し訳ありません」

「いや、良い。大した話はしていない」

 あう、と愛紗の横で呻き声が漏れた。

 

「すぐにこの場を出立し、官軍と合流します。董承様と自分とで先導しますので、どうかご準備を」

「また急な話だな」

「都の襲撃は曹操軍全体に知らされていたものではありません。動揺が彼らの内にも広がる今こそ、追撃もなく転身できる好機です。……本当に、雛里の言う通りに非合理なれども、どうかここは後日のために従っていただきたく」

「なるほど、さすがは朱里たちの姉弟子か。納得の見識ではある」

 

 徐庶はやや自嘲の色を含む苦笑とともに、一礼して去っていった。

 言葉を中断させられた呂蒙はというと、露骨にホッとしたような顔で、

「あ……私も準備に入ります。貴重なお時間をとらせてしまい、ごめんなさい」

 と辞去していった。

 

 どうやら自分は、よほど年少には好かれぬ性分らしい。

 あらためてそう思い至り、小型なその背を眺めつつ愛紗は嘆息した。

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