恋姫星霜譚   作:大島海峡

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漢(五):暗夜長陣(前)

 十常侍筆頭の無残な骸が、戸板に載せられて戻ってきた。

 首がねじ曲がったその死体を視た残る十常侍は嗚咽と共に吐き、蹲って震えた。もはや彼らは、何の役にも立たない野鼠でしかなかった。

 車駕を天下の往来にて堂々と乗り回してきた権力者としての往時を思い返せば、あまりに悲惨な末路と言わざるをえない。

 

「これは一体どう言う事だ!? 帝が拐かされたなどと!」

 だがその死せる張譲よりも哀れなのが、生ける何進である。

 逃避行の疲れもあって泥のように眠っていた彼女は、その大凶報が周知の事実となってから初めて触れた。

 

 髪もばさばさと振り乱し、夜着のまま陣中に駆け込んで来た彼女に、朱儁こと雲雀は

(今からこいつの指揮で迎撃せねばならないってのか)

 と暗澹たる気持ちで受け入れた。

 

「どういうことですか!? 雛里ちゃんが……私たちの軍師が捕まったって!!」

 時同じくして、桃髪の少女が陣幕を払って入ってきた。衛兵もとりあえずは制止しようとしたが、左右の女傑たちに睨みを利かされその務めを果たせなかった。

 

「落ち着いて、桃香ちゃん」

 と風鈴が宥めているのを見て取るに、彼女こそが劉備玄徳なのだろう。

 

「聞いての通りだよ。張譲子飼いの徐庶が、裏切った。陛下を拉致し、都の夏候惇軍へと引き渡した。おそらくは元よりそれが狙いだったのだろう」

「そんな……そんなはず」

「いえ、それは事実と心得ます」

「朱里ちゃん!?」

 

 劉備の裏より、青ざめた顔の少女が俯きながらも、しかししっかりとした口調で答えた。

 

「で、でも雛里ちゃんは関係ありませんっ! 彼女はおそらく止めようと単独で動いたのですっ!」

「そう願いたいね」

 雲雀は嘆息して答えた。

 

「だが聞くところによると、君らは同門というじゃあないか、諸葛亮殿。そこについて、しっかり事情を説明してもらいたいと思い、道中で倒れていたあのお嬢さんは拘留させてもらっている」

「我らが、裏切った徐庶に通じているとでも?」

「そんなハズないのだ! もっとちゃんとよく調べるのだ!!」

 

 黒い長髪を束ねた娘が、大人さえも圧迫する気を飛ばしながら凄んで来た。隣接する小娘も大層な剣幕である。

 さしもの雲雀も後退したいほど肌をひりつかせたが、感情を制せないことこそ彼女の未熟の顕れである。そう理性で押さえ込んで、踏みとどまった。

 

「実際の、ところ。徐庶独りで成し得ることだと思うのかい? 彼女だけで、帝の御座所を割り当て近衛を全員殺し、そのうえで逃走経路まで用意できたと? おそらくそこには協力者がいた。そして今なお、ここにいる。それも、我らのすぐ近くにね。いくらなんでも噂が広まるのが早過ぎる。誰かが触れ回ったに違いない」

 

 そう言って雲雀は、ゆるやかに目線を愕然として立ち尽くす何進へと向けた。

 

「――それにしても、ずいぶんと深いご就寝だったようで、大将軍様」

「なんだと……?」

 曰くありげな雲雀の物言いに、何進が眉を逆立てた。

 

「いえね、ずっと不思議だったんですよ。何故軍最高位たる貴方が、それも謀反の発生地点にいた貴方が、無事にこの場へとたどり着いたのか」

「私……余を疑っているというのか!? この無礼者めが、妾をなんと心得るか!」

「その大将軍の位でさえ、もはや夜が明けるまで保つか怪しいもんではありませんか。もっとも、閣下があくまで無実であればの話ですが」

「ば……馬鹿らしい! 何故総大将たる私が宦官の孫娘ごときに裏切らねばならんのだ!?」

「その宦官を朝廷内より排斥したかったのでは? それがゆえに、あえてその孫と結託したと」

 

 幾度と一人称を切り替えながら狼狽して怒鳴りつける何進を、皮肉っぽく追い詰める。

 いつもであればもちろんある程度の礼節と社交辞令は弁えているが、己の行いのすべて無駄となり、雲雀もまた心を荒ませていた。

 

「お姉様なら、事が起こった時、間違いなく眠りこけていたわ」

 と、陣中の片隅で膝を抱えた娘が答えた。

 家臣の妹であり、帝の情人たる太后である。かつては十常侍に匹敵する権勢を担っていた彼女も、その中枢がこのザマでは、もはや何の影響力も持たない無用者となってしまっていた。

 

「多分、その内通者は趙忠よ。あいつの姿がないですもの。脅されて不逞の輩に与した、と見るのが妥当でしょうよ」

「あいつがそんなタマですか」

 

 霊帝が害されると知れば、その百倍にして相手に返すことを厭わぬ、おそらくは帝個人の『忠臣』ではないか。

 いや、なればこそ養父の増上はとうてい許容できるものではなかったのだろう。

 あの帝を無能者呼ばわりしたあの瞬間。張譲にとっては娘相手の他愛ない戯言のつもりだったのだろうが、それが最後の一線だった。それを聞いていた徐庶に付け入られた。

 

(とするならば、結局言葉によって権勢を得たあの奸物は、その言葉と権勢によって身を滅ぼしたか)

 自虐を含んだ、低い朱儁の哂いを不遜と見た人物がいた。

「趙忠のことはともかく、共犯者は一人だけとは限らない。貴女も大概に怪しいと踏んでいるのだけどね、朱儁」

 皇甫嵩であった。

 

「私かい?」

「さっきから頼まれてもいない進行役を買って出ているようだけど、えてしてそうやって混乱に乗じて場を取り仕切ろうとする輩こそ、実のところ真の敵、ということはよくあることじゃなくて?」

 眼鏡に冷ややかな光を宿す旧友に

「おいおい」

 と呆れつつ雲雀は返した。

 

「私を嫌うのは君の勝手だが、きちんと物事の筋道というやつを考えて欲しいものだね。今回の件でもっとも割りを食ったは他でもない、殺された張譲を後ろ盾にしてきた私じゃあないか」

「自業自得でしょ……けど、まぁそうね」

 

 そこは再考できる理性が残っていたらしい。口元を押さえて険を和らげた。

 

「あるいは、現状がごとく相互不信に陥らせることこそ、徐庶の策なのやもしれません」

 と、またしてもそこに闖入者が足早に登場してきた。

 

「唐突に申し訳ありません。公孫賛が軍師、田国譲と申します」

 小柄ながらも氷柱を想わせる、冷たく鋭い雰囲気を持つ少女であった。

 

「白蓮ちゃん、陛下が……徐庶ちゃんが」

「あぁ、聞いた……大それたことを、してくれたものだ」

 度重なる連戦と行軍がゆえか、その後ろで友人と話す公孫賛は精彩を欠き、物憂げな様子である。

 これではどちらが主が知れたものではない。白馬長史とはその顔色が青白きゆえかと揶揄したくなるほど、憔悴していた。

 

「とにもかくにも、噂は広まり、脱走を図る将兵がそろそろ現れ出すかもしれません。あるいは彼らの口づてに、諸侯にも広まれば、彼らも引き返すか、模様見に切り替えることでしょう。とにもかくにも、我々は兵力の減退、士気の低下だけは阻止せねば」

 

 さながら荒涼とした北風が吹きこんで来たがごとく。

 公孫賛の軍師の、理路整然とした状況の整理と献策に制圧された場の空気は仕切り直しとなり、何進が勇を取り戻したがごとくにわめきたてた。

 

「おぉ、そうよ! まだこちらには劉協殿下がおわす! あの方を新帝として擁立し、不遜なる曹操を討ち破っていずれが正義かを天下に示すのだ!! 者ども、さっそく今の言に従い、各々の兵力の保持に務めよ!」

 

 ~~~

 

「も、もう駄目だ! 帝が逃げちまったってよ!!」

「いや、張譲に殺されたって……」

「逆だ逆、張譲と趙忠は長年の悪事が明るみに出て、ついには帝と衝突したのさ。今も各陣営間で秘密裏に殺し合いがされてるって、これは確かなスジからの情報だぜ!?」

 噂は、数日と経たず官軍……否、何進連合軍の陣中を尾を生やしヒレをつけて駆け巡り、果たして田豫の危惧したがごとく脱走兵が相次いでいた。

 

「姉ちゃん、悪いことは言わね。あんたも逃げぇや」

 夜半、取るものも取りあえず手荷物をかき抱き逃げようと誘う兵士に、少女は首を振った。

 その男は悪友たちにそそのかされ、程なくして彼女の説得を諦めて逃げていった。

 が、裏切者に逃散と、今軍中も兵士の動きに敏感になっている。間もなく彼らは処断されるだろうというのが、娘の見立てである。

 

 その横合いに、馬上の大将が現れて、その様を遠望した。

 異形の大将である。見たことのない軍装に、童が遊びに用いるような面をつけている。

 

「追わなくていいの?」

「あれは、我が手勢ではない。それに、この地形では、大軍は動員できない。数は絞るべきだと、私は思う」

 

 仰ぎ見る少女に向けたものか、独白か。

 

「似たような光景を、見たことがある」

 と若い男の声で言った。

 

「敗れ落ち延びていく敵を、追う味方がいた」

「追撃のため?」

 思わず尋ねた彼女に、異形の面が左右に揺れた。

 

「合流するために。勝ったはずの、我らから、離反者が出た。あれが、如何ともしがたい時代の流れかと、そう思った。今も、時流は、曹操に傾きつつある」

 

 曹孟徳。

 朝廷に弓を引いたにも関わらず、今人為をもって自らの手中に天の理を収めた女。

 果たしてそこに、正義はあるや否や。主命に背いてでも、貫くべき信念とは在って良いものか。

 それと相対し、未だ迷いを残す己自身に問うために、彼女はここに義勇兵として参じている。

 

「お前の名は」

「凌公績」

「……凌統、孫呉の者が何故ここに」

 

 名を言い当てた仮面の男は、耳慣れぬ語句を混ぜて軽く驚いたようだった。

 だがそれ以上は何も言及することなく、自身の持ち場へと馬首を返したのであった。

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