恋姫星霜譚   作:大島海峡

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だいぶサボってました。
リハビリ的にUPします。


漢(六):北の風林火山と猛虎大喝

「進めぇ!! 未だ勅は我らの手にある! 逆賊は奴らの方ぞ!」

「笑止! 天子の身も心も離れた詔を掲げたとて、一体何の意味がある! 過去の栄えにすがる凡俗ども、ここでも諸共についえるが良い!!」

 

 互いの名分を叫びながら、霧を切り裂き、両軍合わせて十万の兵士たちが前進を開始した。

 一番槍は夏候惇軍。その先触れたる上杉景虎である。

 

 戦国の転換期にあった彼の部隊には騎兵鉄砲が均等に配備されてはいたが、基本的には彼自身は軍神の尚武を受け継ぐ勇の気質である。

 

「かかれ! 景虎、上杉の気概を見せる! ……でないといくら『あいつ』でも、笑われるからな!」

 

 まず銃砲によって敵の出鼻を挫き、しかる後に歩騎を投入する、というのが常套にして有効な段取りである。まして鉄砲の未だ浸透し切らない戦場において、動揺は彼の知る戦場よりも大であったことだろう。

 しかるに景虎はその矜持に従い、まず騎馬を出した。それをもって敵の力量を試し、引っ掻き回して脇腹を晒させた後、横槍を突けるも良し、それこそ鉄砲で撃つも良しという算段でもある。あるいは、夏候惇本隊にぶち当てても良い。

 

 果たして釣り出されるかたちでか、百騎ばかりが押し出してきた。

 先頭を切るのは、童が用いるが如き面の将。その背の裏に立つ幟に刻まれた四字を見た刹那、馬上の景虎の全身は稲妻にでも打たれたかのごとくに固まった。

 

 ――風林火山

 

 忘れるはずもない。軍神たる義父が五たびに渡り智勇を競わせ、それでもなお完全に打ち負かすことの出来なかった男が好んで孫子より引用した言葉。

 そしてこの霧と騎馬が合わせれば、川中島の戦場が否が応にも呼び起こされる。

 

「武田信玄……まさか奴もここに呼ばれていたというのか……!?」

 

 が、さらに現れた旗印は武田菱ではない。

 白地に丸。だが安堵は出来なかった。その剽悍な騎兵は左右に分かれて回り込む気配を見せたかと思えば、それにつられて追った景虎軍の騎兵を横合いに(かち)の兵を回り込ませて逆に景虎の企図していた横槍をもって痛打する。

 

 並の将ではない。あるいはその子勝頼かとも考えた。

 最後の最後で、自分を金で売って義弟へと寝返った、あの愚息。

 だがそうではない。その愚直な用兵とは異なり、のたうつ長蛇がごとく変幻自在の動作を見せるそれは、あるいは信玄の旗本をも上回る機動やもしれない。

 そして、あの面はおそらく蘭陵王(らんりょうおう)になぞらえた代物であろう。味方の士気を乱さぬため、美貌を隠したという、唐土の英雄。

 ――それほどの美男が風林火山を戴くとなれば、もはやただ一人しかありえない。

 

 その名は太平記を多少かじった者であれば記憶に焼き付けて然るべきもの。

 武田信玄が父に匹敵する軍神であるならば、奥羽北陸においてはもはや伝説とも言うべき存在。

 

 奥州鎮守府将軍、北畠(きたばたけ)顕家(あきいえ)

 

 南北朝時代の英雄が一人。公家として生まれながら、奥州の荒武者たちをまとめ上げ、神速をもって北端より強行し都を足利尊氏から奪還せしめた、天才的な軍略を持つ麒麟児。

 

 景虎は、一度その勢いと名に呑まれそうになった。

 だが踏みとどまる。生まれも、そこまでの事績も関係ない。大切なのは、それを幹として如何に自分らしく花咲かせるかであろう。

 

 歯を食いしばった彼は、陣刀を抜き放ち、そして額に押し当てて祈る。

 義父(ちち)よ、どうか自分に一時でも良い。伝説に抗しうる神威をお授けください。

 実父(ちち)よ、不撓不屈不退転の覚悟をご覧ください。

 

「……来いっ、伝説!」

 

 逡巡も怯みも一瞬で済まし、龍の義子は咆哮とともに、馬腹を蹴った。

 

 〜〜〜

 

「駆けるぞ」

 その一言とともに、北畠顕家は先手を動かしていった。

 騎兵を一塊としてぶつかった後、それを三つに分けた。それらが、敵軍の臓腑を寸断する。

 その内の一隊に集中してつぶしにかかった敵先鋒ではあったが、すでにその背後に回った残る二隊が結集して、再びその背に食らいついた。

 

 遠目から見ている分には、まるで奇術のごとくに見える。

 緒戦の趨勢を、完全に自らの内に取り込んでいる。

 戦が変幻なるを、知る者の動きだ。

 

「おぉ……校尉殿、お見事!」

 朱儁軍の属将を務める王子服(おうしふく)はもう中年に差しかかる男だというのに、童のようにはしゃいだ。

 

 胡騎校尉。まったく役不足である。まったく申し訳程度の二千名足らずの兵でよく()る。あるいは言うことを聞く二万騎を与えられていたのなら、この戦場はあの貴公子が席巻していたのではないかとさえ思う。

 

「我らもこの勢いに続くべし!」

 と息巻いて進言する『前線知らず』を、雲雀は冷ややかに「無用」と退けた。

「何故!」

 今参加している漢軍の武将たちは、ただ目の前の戦場の華麗さに心奪われ、その現実を知らずに今日に至っている。それを噛み締めながら、雲雀は引き攣っ表情で理由を告げた。

 

「我らに、同じ芸当(マネ)が、できないからだ」

 と。

 

「いくらあんたらが戦を知らないからってあれを基準にされても困る。援護に向かったとて、むしろ足を掬うだけだ」

「では、ただ見ているばかりと」

 

 冷水を浴びせられたがごとく主将を見遣る王子服を露骨に無視し、朱儁将軍は指示を飛ばす。

 

「ゆえに、無理に呼吸を合わせる必要などなし。斜形陣を敷け。前線に弩兵部隊を配備。北畠の攻めによりかき回され列を乱した敵勢に、矢を浴びせてやれ……楽して勲功を拾おうじゃあないか」

 

 あえて偽悪的にそう言って見せたが、実際顕家に歩調が合わせられるでもなし。援護射撃を加えつつ、その数により相手を牽制して顕家が動きやすい環境を築く。これが最良手であったはずだ。

 

 そこで、夏候の旗が押し出してくる。敵が数と勢いに恃んで反攻してくる時機は予定よりもやや早い。この呼吸さえまともに図らぬ蛮勇が、えてして恐ろしい時もある。如何な顕家とて寡兵ではこの敵味方の流血を厭わぬ獣性には手を焼こう。

 ならばあらためて押し出して手を貸すか。否、否。乱戦に持ち込まれることこそ、顕家の持ち味を殺すことになる。おそらくは夏侯惇に付いた軍師は、それを承知で暴走を許容している。

 

 自身が何の才華もない凡将であることは重々に承知している。だから、張譲の権威を利用した。この戦に先駆けて楼杏の軍と風鈴の後援を頼んでいる。

 

 そして、今この間際においても、なお。

 

「今日は特別でね……異才は、もう一人いる。たまには奇手の一石でも打とうじゃあないか」

 不敵に笑ってそう嘯いた雲雀の脇から、小柄な少女が進み出る。

「ほら、出番だぞ。小娘」

 そうけしかけると、いーっと白い犬歯を見せて彼女は威嚇する。

 雲雀は苦笑する。馴れ初めや自身の世評からして、無理らしからぬ反応だと受け入れる。

 

 朱儁の具体的な指示を待つことなく、少女は駆け出した。

 燕人、というのが通り名であるらしい。陣借りの際に娘はそう告げてきた。

 もっともそれは、易く想像するような自身の敏捷さを誇るものではない。

 燕、という旧国名を生地として告げたに過ぎない。

 

 だが前線へと馳せる姿はまるで飛燕が如く。

 しなやかに敵中に飛び入る様は猫の如く。

 しかしひとたびその身の丈不相応の矛を奮えば、毒蛇の如くに並居る猛者の命を奪う。

 そして大地に屹立する姿は、猫より転じて猛虎が如し。

 

「畏れ多くも治天の君をかどわかし、天下を強奪せんと目論む外道ども。我が武、我が蛇矛は左様な不義を断ずるためにこそ、劉玄徳とともにあり」

 

 大時代的な口上を鈴が鳴るような音調に乗せ、石突で土を叩き、そして大喝した。

 

「張飛翼徳(よくとく)、義によりて朱儁軍に加勢……なのだ!」

 

 本来の劉備軍の持ち場を離れ、客将ならぬ客兵となった少女の放つ並々ならぬ闘気に、夏侯惇軍に肌膚を震わせぬ者は無かった。

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