恋姫星霜譚   作:大島海峡

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劉備(四):真の絆

 中央、曹操軍の前衛。

 そこにて敵を待ち構えていたオシュトルの目が、仮面の奥底で軽く持ち上がる。するりと剣を鞘走らせる。

 その所作ゆえか、霧の向こうで濃くなりつつ武の気配ゆえか。許褚典韋の小さな双璧たちもまた、進み出てきた。

 

「ここは任せよ」

 

 霧の先の敵、其方たちの手に余る。

 そう言外に告げるオシュトルとあえて張り合うがごとく、両名はずんと進み出る。

 

「いえ、共に!」

「ここで退いたら、何のための護衛か分からないって!」

 と息巻くも、緊張に顔を強ばらせている。

 両名ともに初陣はすでに済ませている。その身を固くさせるのは偏に、この霧向こうから発せられる闘気……否凍気がゆえであろう。

 

 それが姿を顕すと同時に仕掛けたのは、季衣と流琉である。否、仕掛け()()()()()。接近と共に倍加して膨れ上がる威圧感に、怖じはせずとも先制を余儀なくされたのだ。

 

 敵は、上背から放たれた流琉の大盤、低く腰を落としてせり出した李衣の大鎚。それらの合間を掻い潜り、オシュトルと直接肉薄し、競り合う。

 

 その速きこと、風伯が如し。

 

「我が名は関雲長! 劉玄徳が仁道を切り拓く一筋の剣であるッ」

 先に左翼側から響いた大音声と、似たような口上、主人の名を挙げながら競り合う。

 その迷いのない太刀筋。あえて挟撃をやり過ごし、おそらくは三人の内もっとも武練の者を選んであえて一騎討ちに持ち込む潔さ。

 清らかで意志の強い、その眼差し。

 

 いずれも彼女が賞賛と尊敬に値する士であると教えてくれる。彼女も、そしておそらくは彼女の朋友も、主君も、出会う場所と機が違えばきっと、通じ合えただろうにと思う。

 

 果たしておのが振るう刃に、義はありやなしや。

 

『肩の力を抜くと良い』

 心の月下で、男が言った。

 

『損得より善悪より、面白き方を選べば良いのさ。義理人情がそこもとの楽しきことだと言うのなら、その道を進むといい』

 と、敬意に値するその敵の言葉に従い、余計な力を脱く努力をしてみせると見えてくるものがある。

 

 そして己の内には、今更に翻す刃などないことを知る。曹操の覇道、劉備の仁道、それらを秤に掛けるのは己の仕儀ではないと悟る。

 それはとても、己らしくもなく、楽しくもない。

 

「我が名はオシュトル。右近衛大将オシュトルである」

 

 敵方に名乗りつつ仮面の者(アクルトゥルカ)は、己が今この場においては他の何者ではないと自他に強く言い聞かせた。

 

 ~~~

 

 漢軍左翼を担う皇甫嵩勢は、夏侯淵に機先を制される形となった。

 というのも、初陣の緊張がためか、必要以上に先手の董承が守りに入ったことがその一因となった。

 一番槍を左翼側の夏候惇に譲ったことで、神速で鳴る夏侯妙才も、さては風聞ほどではなかったかという侮りもあったのだろう。

 おそらくは河北侵攻、あるいは宛の董卓迎撃において活躍の場を与えられなかった姉に華を与えてやろうと意図あってのことだとにも気づかず。

 

「退くな! 逆賊どもに遅れを取るなぁ!」

 威勢だけは良いものの、実が伴っていない。

 それにしても、夏侯淵の速攻は見事なものである。錐のごとくに瞬く間に董承を抜いて、こちらに迫ってきているという。彼女のみならず、いったい宗族に、どれほどの才人を抱えているというのか。

 

「……我らの失態は、後進を見出し、育て上げなかったことね」

 否、高い意識とすぐれた才覚を持つ者は皆、今の中央政府に失望して地方に散ったのである。

 眼前の敵のみならず、四海に目を向ければそういう結論に至る。

 これまでの後漢と、我が半生とを思い返せば――

 

(あぁ、これは、いけない)

 自身の限界(おわり)を、数え始めている。

 

「あの、大丈夫ですか」

 戦場とも思えない、甘く柔らかな声が聞こえた時、ふっと暗き底に光が差し込んだ心地だった。

 顧みれば、下がり眉の劉備玄徳がいる。

「どこかお加減でも?」

 ほぼほぼ初対面とも言うべき間柄とは思えない、真心から案じる様子の娘に、楼杏は苦笑を返した。

「大丈夫よ。久々の戦場に、ちょっと気を入れ直していただけだから」

 と表情ごとに心根を取り繕う。

 

 そうだ。

 まだ、このような若き芽が漢王朝の将来を憂え、なんとか立て直そうと志を抱く。

 そのような者が飛翔を遂げるまで、あるいはそれさえも飲み干して世を改めんとする野心の前に立ちふさがるための壁として、この身と軍はある。それまでは腰を下ろすことの許されぬ、責務を負っている。

 

「しかし、貴女たちもまた大胆なことを考え付くものね」

 もっぱらは良い意味で、楼杏は劉備に言った。

「まさか、自分の腹心たちをこの戦場の方々にばらまくなんて」

「あ、あはは……」

 自身でも如何なものかという思いは少なからずあったのか、桃色の少女は眉を下がらせたままぎこちなく苦笑した。

 

「でも、どのみち私たちは村のみんなや鄒靖(すうせい)丁原(ていげん)両将軍の兵の一部を無理やりまとめた寄合所帯ですから、『兵力』としてはあまりお役に立てないわけで」

「でもでも、武人としては雲長さんや翼徳ちゃんは一騎当千。それを皆さんには上手く使って補ってもらえれば、と」

 

 その策に秘められた事情を、ちいさな両軍師が補足する。

 

「言ってたんです、私たちのお姉さんが。『人の弱さに寄り添える軍師になりなさい』って……だから、互いに互いの欠けた、弱い部分を補い合えるようにする。それが玄徳様のお考えです」

 

 なるほどそういうことかと、頭脳の片隅で頷く。

 たしかに夏侯淵隊の出遅れは、あながち意図されてだけのものではなく、劉備勢力の思いがけぬ与力がこちらにも回されているのではないかという逡巡があったがためではないだろうか。

 となれば、董承の見立ては行動が伴わなかっただけで存外に本質を見抜いていたのではないか。

 この小さな齟齬と誤算を積み重ねていけば、きっと覇者曹操の足を躓かせる巨石と化すはずだ。

 

 だが、一方で上手くいっているのは今のところはだ、ということにも気にかけなくてはならない。

 

「……その志は立派なことだと思うけれど」

 楼杏は水を差すことを承知で言った。

「その真心が大将軍様や朱儁にどこまで通じるものかしら。今でこそ上手く使ってくれているようだけど、戦況が少しでも悪化すれば捨て石にしてくる可能性だって」

「大丈夫ですよ」

 劉備はすかさずに断言した。そこまで押し出しの弱かった娘が、気持ち(そこ)ばかりは譲れないと言わんばかりに、楼杏の懸念を遮って。

 

「まさか……信じているというの?」

 身内ですら猜疑心に駆られ、蹴落とすことが常となった乱世で、漢王朝で。

 晴れやかに天を、霧の向こうで薄く虹を浮かばせた日輪を仰ぎ、少女は言った。

 

「たとえ、離れていたとしても」

 と仁星の下に生を受けた少女が謳うがごとくに呟けば、

「我々は、運命と志を一つにした、同志っ」

 と智の双星が唱和する。

「たとえ生まれた日は違えども、死すときは同じ日と誓い合った!」

 と将星が言葉を継げば、

「利と弱みにつけ込んで繋ぎ止めたニセモノの絆には、敗けはしないのだッ!」

 と虎星が吼える。

 無論、互いに聞こえるはずのない間合いの外だ。だが、それでも実際に彼女たちは通じ合って声をあげた。意図が届かずとも気の柱が四方に立った。

 

 そのつながりが、熱が、楼杏にも、彼女の麾下にも伝播していく。

 たとえ直接的な支援は受けられずとも、この思いがけぬ効果は好ましい。

 

 まったくもって風鈴も、不思議ながらも羨ましい愛弟子を持ったものである。

 彼女がただ傍にあるだけで、小春日和のようでもあり、彼女とのつながりを、彼女の居る空間をなんとしても守らなくてはという忠誠心や義信を超えた使命感が胸に宿る。

 

「董承隊が敵背後で立て直す時を作るッ! 亀甲のごとく堅陣を敷き、鋭鋒を打ち砕け! 拙速は時として巧遅に如かず、ということを敵に教えてやれ!」

 

 その声音に意気と若さと取り戻した楼杏は、高らかに命じて陣刀を勢いよく振り抜いた。

 

 ~~~

 

「ほざくなっ、小娘!」

 憚らぬ宣言を耳にした瞬間、夏侯惇は激昂して張飛へと斬りかかった。

「深遠なる曹孟徳が志、我ら主従の紐帯! 貴様ごとき餓鬼が容易に語るな!」

 愛刀七星(しちせい)餓狼(がろう)が風を斬り、刃鳴り散らす。

 

 幼さを多分に残しながらも、万人に匹敵する膂力でそれを跳ね除けた張飛は、獣の如く八重歯をちらつかせながら、

「へっへーん。でもどーせ、そのシンエンだとかいうものも自分はちゃんと分かってなさそうなのだ」

「…………おのれっ、言うに事欠いて!」

「あー、ムキになるってことは図星だったのだー?」

 となお煽る。

「……いいだろう、件の関羽との決闘こそ我が本懐であったが、その前に貴様を血祭りにあげてくれるわぁっ!!」

 

 競り合いながらあらぬ方向に向かわせられる主将を、

「……孺子(こども)に言い負かされてる……」

 と、剣里は呆れながら見送った。

 

「良いんですか参軍殿!? あのまま行かせて」

 と、夏候惇の部曲が声を張って唱えた。

「止めようもないでしょうよ。指揮は元よりこちらでする。左翼本営の支柱を夏侯将軍よりオフレッサー殿に変更。というわけで、行ってくれますか、総監殿」

 あえて元の役職で呼ばわると、あん? と猛獣は怪訝そうな顔で睥睨してきた。

 並の女ならそうされただけで卒倒しそうな迫力ではあったが、そこは持ち前の胆の練りでぐっとこらえて、

「オシュトル殿は、最前線にて敵方でも随一の猛将と争っておられます。貴殿が拱手傍観していれば、あとでどれほどの手柄顔をされることか」

 などと挑発的に言った。

 

「小娘が、煽りよる」

 さすがにそこまで露骨であれば、さすがに単純極まりない男であっても含めた因果は解するものらしい。だが、この男の置き場など、たかが知れている。大鉞を担いで、猛獣の風情そのままに不敵に嗤い、オフレッサーは前線へと出張っていった。

 

「して、あの『風林火山』には?」

「景虎殿は、あの旗を見た瞬間陣容を切り替えました。そして劣勢ながらも食い下がっています。おそらく相手が何者で、かつその戦術癖を前知識として知っていたのでしょう。及ばぬながらも、そのまま耐えていただくよりほかありますまい。我らは朱儁の本隊とこのまま対峙し、あの先鋒との連携を徹底して妨害します」

 

 ――忌々しいことながら。

 留守を任された夏候惇は、大将としての器量を養うどころか変わらずあの(ザマ)。だがあれで良い。あれが良さなのかもしれない。

 一方でその無茶苦茶に振り回されてきた自分たちは、多少なりとも視野が広がっていると感じる。

 こと、徐栄戦は良い糧となった

 

 そして剣里は、自分の中で意外な素養を見出してもいた。

 天の御遣いとはいわば、敗者たちだ。

 ゆえにその性質には負い目というか一種の自虐、屈折を感じさせる。

 よって常に敗北者の気分を味わう己には、彼らの虫の居所というか、方寸と言うべきか、点穴(ツボ)のようなものが分かり、噛み合わせが存外に良いことに気が付いた。

 

 そういう効果を期待してあえて夏候惇を留守に、新参者をその補佐につけたは、曹孟徳の思惑ではなかったか。だとすれば見事に的中。忌々しいとはそのことだ。

 

 一方で、敵方にいる妹弟子たちも、みずからの殻を破らんと試行錯誤している様子が、あえて関張を切り離したこの差配からも見て取れる。

 

「雛里、朱里……さては私の言葉か。『人の醜さに寄り添え』を、そう解釈したか」

 なるほどまさしく、あれこそは自分の立場から物申せる唯一の温情、助言には違いなかった。

 だが徐元直は、ゆるやかに首を振って小さくぼやいた。

 

 

 

「――違う。()()()()()()

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