恋姫星霜譚   作:大島海峡

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公孫賛(四):山めぐる動静

 司馬懿の軍はそこまで全軍の動向を観察し、かつ直近の夏侯惇軍の苦戦にも、動くことはなかった。

 

 長政もロブも、傍らに在って、この可憐な少女のごとき指揮官の横顔を見遣り、目線で指示を仰ぐよりほかなかった。

 

「なぁなぁ仲達ちゃんよ」

 となれば自然、彼らの秘めたる不安を直言するのは、臧覇の務めとなる。

(仲達ちゃんてアンタ……)

「いい加減、兵を動かしたらどうだい」

 青狼の内心の苦りはさておきその腰や肩に手が、それこそ蛇のように絡みつく。

「四路に五道有り。こうして動かぬこともまた、一つの牽制ですわ」

 自身の肉体の秘もあることゆえ、青狼は素早くそれとなく、その手を解く。

 

「劉備の手駒はその軍師どもが戦場という水面に投じた石であり目。おそらくは遊軍である我らこそが秘策を任ぜられたと見なし、自らの存在を誇示することでその目的を炙り出す、という性格を持っているのでしょう。これに後手で対応することは、底の浅さを露呈することに他なりません」

「では、味方の苦境をただ傍観すると?」

 

 長政の口調はほんのりと酸い。決して私情を持ち込むような男ではなく、むしろ快男児と言って良いが、『本来の司馬懿仲達』とやらを知るが故か、如何せんともそこにらしからぬ陰を潜ませるのだろう。

 

「確かに」

 と青狼は遠慮してみせた。

「あえて底の浅さを見せるのも一つの手ですわね」

 と付け足し、そして少壮の武人たちを顧みた。

 

「ロブ殿。今、突くべき敵の穴は?」

「中央の先陣と後続の隙間」

 (かわごろも)の王将が即答するのに首肯で返し、青狼は正面へと向き直った。

 

「では何進に仕掛けてみますか。朱儁軍への対応は徐庶殿が、皇甫嵩は妙才将軍が柔軟にしていただける。我らは()()()振る舞いながら、敵の目を惹きつけます。古くより関羽を知る臧覇殿、彼女への監視はお任せします」

 

 指図を飛ばし、霧の中に身を沈めながら青狼は苦笑する。

(それにしても、ずいぶん分の悪い賭けに出てくれる。自分らの得にはならねぇってのに)

 あまりに現実と向こうを見ないその策に、意表を突かれたことは確かだが。

 

 諸葛亮。

 長政が言うところの、天命の相手。その者の差配か。

 諸葛孔明。

 理想と幻想の中に智謀を泳がせつつ、未だ臥して眠る竜よ。

 なるほど確かに感じる。

 我が理とこれは、相入れざるものであると。

 

(才と理あれば、いずれは行き合うべくして当たる。それまでは互いの影でも踏み合うのがせいぜいさ……しかし、なんというか、まぁ)

 

 己としては不本意ながら。

 自身としては遺憾ながら。

 諸葛亮に限ったことではなく、この上党の戦場のみの話でもなく。

 ただ天下に蔓延る不条理におのが理を捻じ込み、あるいは上回り屈服させることが。

 

(――楽しくなってきた)

 

 〜〜〜

 

「敵遊軍、先鋒を迂回してこちらの側面に回りつつあります!」

「狼狽えるな! 数はこちらが何倍とも勝る! 敵前軍は関羽とやらに抑え込ませ、我らはこれに集中して当たれば良い!」

 と、何進は司馬懿の横撃に対して存外にも、沈着に応戦しつつ

「あの『司馬』の旗が離れたが好機! 盧植軍を前進させて朱儁らを援護させよ! その攻勢の裏で、公孫賛に高所を強襲させい!」

 鋭く指示を飛ばし、よく当初の軍事予定を履行した。

 

 ほう、とその手際に嘆を短く発したは、公孫賛軍客分、別動隊長源九郎義経である。

 冀州においては奇襲によって曹賊を散々に悩ませた彼は、今はかの河内太守の与力として加わっていた。

 

「意外に軍の動かし方を心得ている。景時(かげとき)ずれよりかは大分に大将たるを心得ているわ」

 それは聞く者によれば不遜とも言えようが、英雄からの最大の賛辞ともとれる。

 とまれ、何進の用兵はこの天狗がごとき神将の興をくすぐった。

 

「今ぞ、我らも駆け下りて司馬懿軍を搦め手より攻め立てん!」

 と気を吐き、郎党武蔵坊が轟声をもってこれに応える。が、前方にいる張楊は

「はぁ、左様で」

 と抜けるような調子で曖昧に相槌を打つのみだ。

 

「今を置いて攻め時はない! 張楊殿も武人であるのに、それが判らぬとは!」

「判りませぬな。自分の見立てるところ、霧中の乱戦。こうして高みに陣しているがゆえに状況がつかめているのみで、いざ地表に立てば敵味方入り乱れさらなる混乱を招くは必定かと」

「いいや、やってみせる! もし臆して尻込みするというならば、即座に先陣を明け渡されよ」

「はは、その儀はご無用に。恐れながらこの陣所は張稚叔の持ち分でございますれば、上官の公孫賛ご自身が掛け合われてもお譲りはいたしかねる」

 

 のらりくらりと構えてかつ譲らぬその姿勢に、義経は焦れる。

 一ノ谷、もしくは壇ノ浦の平三景時の、あの横柄な面構えが思い出されたのもある。

 だが、彼らからしてみれば義経のその物言いこそが、無自覚な横柄さの顕れであり、この場合もその言動が災いして張楊の拒絶をより頑ななものとした。

 

 いっそ斬り捨てまするか。そう言いたげな郎党の目くばせに、義経は苦い表情で首を振った。

「……いくぞ。譲らぬならば、別の道より下山する。地上に降りようとも存分な働きの出来ること、その場でとくと見物なされるが良い」

 ぎりぎりのところの忍耐で理性を留め、代わり剣呑な嫌味を吐き捨てても、張楊はひらひらと手を振って、

「……危ないのに。どう考えてもこの状況は、そんな気分(ながれ)にない」

 と小さくぼやいた。

 

「まったく何たる腑抜けかッ」

 主人の分も加味するがごとく烈しく怒る弁慶を背後の守りにつかせつつ、義経は山を下り、そして想う。

 気分。流れ。張楊に分かることが己に分からいでか。

 

 平家しかり。そして己しかり。

 一度武運の流れに見放された者は、立て直すことなどまずありえない。どうあっても亡ぶ。破滅を前提として過程が敷かれる。

 如何な智将が深謀遠慮を巡らせ堅陣を築こうとも。闘将が地を震わす盤声をあげて剛槍を突き出そうとも。

 覆しようもない流れというものはある。それ即ち精舎必衰の理なり。

 

 そして今、戦の流れはなお、何進(こちら)にある。

 曹子和の予期せぬ死。公孫賛の宿敵袁紹の横死。劉備の参戦。盧植の働きかけ。その後の継戦そして孔明子元の奇策。

 とかく河北進出の後の曹操軍は、兵を進めども喪い、不意を突かれるばかり。苦し紛れに天子を攫い偽勅を立てたようだが、やれ勅命だとか綸旨だとかは、時勢によって容易く反故にされることを、義経は身を以て知っている。

 

 そして洛陽の守備兵を割いてまでの乾坤一擲の大勝負にも関わらず、正義が無きがゆえか総軍の武威は奮わない。自身の雇い主、公孫賛が制圧した高所より逆落としで攻めかかれば、もはや総崩れは免れまい。

 

 にも関わらず、どういうわけだか軍中の曹操が膝を屈する様が想像できない。このまま押し切れるかという一抹の不安が残る。

 戦においては敵の将兵の質よりもこちらの士気と勢いが上。

 ……なればそれは、もし一手曹操が忍ばせているとするならば、それは義経の見出せぬ領分ではないのか。

 

(であればこそ、この勢いのまま埒を開けるほかないのだが……)

 

 懊悩する義経の頬を、突風が殴りつけた。

 否、その風は明確な質量を伴っている。兜を弾き、頬を掠めるは一矢。

「……殿!」

 本来の役割を果たせず動揺する弁慶を押し留め、頬より血とほどけた黒髪を垂らしながら義経は、その矢の射ち所を顧みた。

 

 霧の帳を払うべく、多く焚かれた篝火。

 そのうちの一基を押し倒し、枯れ草に燃え移る。

 その燎原の火を大股で乗り越えて背に回し、弁慶に勝るとも劣らぬ猛者を筆頭とした精兵を供回りとし、狂猛な武気を放つ男は三又の矛を手に持ち替えて嗤いかけた。

 

「これはまた、奇縁もあるものよ……義経」

 と、男は()()へと声を投げた。

 姓を同じくするといっても、会ったことは一度や二度程度。しかも敵としてである。

 が、あるいはその因縁は血よりも濃いのかもしれない。

 

「木曽、義仲! 兼平も! 汝ら、地獄から迷い出たか!」

「それは貴様とて同じことではないか。戦場の物見に立ち寄り、もしやと思えばやはりか」

 

 どうやら野生じみた嗅覚は、同郷人の匂いを的確に把握していたらしい。

 にやりと笑って得物で大きく風を切るや、低く腰を落として構えた。

 

「これもまた天の配剤よ。見たところ兵力も同等。宇治川がごとく、大勢の後押し無くして我を討てるか……? 此度こそ我らが恨み、晴らしてくれようぞ!」

「ほざくな義仲! 暴虐の怨霊、今再び冥府へと送り返してくれるわ!」

 

 義仲の足裏が地を震わせ、愛刀膝丸(ひざまる)を抜いた義経が跳ねる。

 主人らが口火を切ったのと同じくして、彼らに殉じた重装の烈士たちもまた蛮声とともに組み打った。

 

 その闘争の中で、九郎義経は思案する。

 血の臭いに誘われて迷い込んだ義仲。決して曹操に与するための参陣ではなかろう。

 

 ――これが天運でなければ、いったいあの覇王は何に護られ、天運以外の何を信じ、未だ戦い続けるのか?

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