恋姫星霜譚   作:大島海峡

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公孫賛(五):訣別

 時は遡る。

 上党にて漢軍と合流した公孫賛は、落ち着く間もなく徐庶の引き合わせにより張譲に招かれた。

 その権勢らしからぬ、黄河の淵に小ぢんまりと構えられた小屋。

 何かの密儀か密命か。とかく色々な嫌疑を掛けられている白蓮には、拒むだけの理由はない。

 

「……中央の佞臣らと同様、私もまた宦官に媚びるというわけか。堕ちるところまで堕ちたな」

 などという愚痴を何度も奏鳴にぶつける。眉一本とて動かさず彼女は、

「この乱世、生きるためにはそうした媚態も必要となってきましょう」

 などと平坦に返しつつ、その小屋の戸を開けた。

 

「もっとも、貴女が媚を売るのは宦官じゃなくて、その孫だけれども」

 この挑発的な物言いは、奏鳴の(もの)ではない。小屋の内より発せられた。

 その声の主と、白蓮は面識がない。だがその派手な容姿は一目して風聞の特徴と合致した。

 金色の髪。華奢な背。薄い体躯。髑髏を模した髪留め。

 何より、総身より溢れる覇者たる自身と先の『宦官の孫』という矛盾の表現。

 その少女が悠然と腰を据えれば、そのあばら家も城砦のごとくに見える。

 先導していた徐庶が無言で白蓮の脇を過ぎ、少女の傍に立った時、ようやく会談の相手、徐庶の雇い主が曹孟徳その人だと察した。

 

「……そういうことか?」

 白蓮は田豫を顧みた。彼女が企みに気がつかぬはずがない。おそらく両名示し合わせての、この引き合わせであろう。

 

 曹操の手に勧められるまま、白蓮はその対面に腰を下ろした。呆れたような、あるいは疲れ切ったような、重い吐息とともに。

 

「私を、曹純殿の仇を、討つつもりか?」

 首を差し出すが如くに垂らし、白蓮は尋ねた。

「私は闇討ちは好まない。夜這いは好きだけどね。そのつもりなら、真正面から戦場で斬っているわ。そういう貴女こそどうなの? 私は、無茶を言って戦を仕掛けてきた、一門や戦友の仇でしょうに」

「いや、すべては武門のならい……と言うよりも、家中をまとめ切れなかった私の責任なんだろうな……もう、恨みを通り越して疲れたよ」

 

 何故、かくも正直に弱音を打ち明けるのか。

 それは互いに互いの傷を知るがゆえ。その痛みを共有するがゆえ。

 

「……ねぇ、公孫伯珪」

 同じ空気を吸いながら、曹操が言った。

「これで、もう終わりにしましょう」

 

 顔を上げた白蓮に、付け加えて言った。

 

「これより我らは、奸臣どもの手より帝をお救いする。その上で、朝廷の宿痾を一掃する。貴女もこれに協力してくれたら、その成算はかなり増すのだけれども」

「断る」

 絆されかけていた表情より一転、幽州の総領の貌となった白蓮は即答した。

 

「それは、私を助けてくれた先生や友人、そして死していった者たちを裏切る行いだ」

「その義理堅さが、守ろうとした人々を苦しませるとしても?」

「……どういう、ことだ?」

 思いもかけぬ曹操の問いかけに、思惑を感じ取りつつ乗ってしまう。

「よしんば貴女がこの戦に勝ったとして、待っているのは劉虞様殺害への嫌疑。何進が喜んで御遣い込みの軍勢を取り上げるために、貴女を処断するでしょうね。そうなれば、盧植殿や劉備は貴女を援護せざるを得なくなって立場を悪くし、最悪朝廷を割る戦となってその隙に烏丸あたりに幽州の国境は荒らされる……それが貴女の望み?」

「……詭弁だ。大将軍何進殿も一角の武人。その程度の分別がないわけがない。全てはお前の妄言だ」

 

 そう吐き捨てた白蓮ではあったが、その脳裏には先の董承の、傲然とした態度ちらつき、自らの将来と妄言と思いたい曹操の予想図とが近しいものとなる。

 

「だから、その差し伸べた手を振り払い、お前とともに地獄に堕ちろ、と?」

「地獄とは穏やかじゃないわね。勝つ気でいるわよ、私」

「私にとっては地獄だ。お前が帝を奪ったとして、皇族殺害の咎で罰せられるのは目に見えている。これはその名分がための戦だろう、そもそもは」

 

 自身を貶める相手が何進か曹操かという違いではないか。そう目で訴える白蓮に、曹操は、

 

「あぁ、あれ?」

 と惚けたような調子で眉を持ち上げた。

「あんなもの、建前に決まってるでしょう。こうして会っても、どこまでも普通な貴女に劉虞様を暗殺できるとは思えないし。ただその土地と軍が欲しかったのよ」

「なぁ……!?」

 

 思わず絶句。固まる白蓮の後ろで奏鳴が口を開く。

「曹操殿。劉虞様の件につきましては、おそらく貴殿の麾下として流れ着いたある男が」

 その奸悪の名を言いさしたものの、その小さな手によって遮られた。

「おおむね、()()()も察している。今は泳がせているところよ。いずれその事実が明るみに出るならば、法に照らし正当な手続きをもって処断する」

 厳然と言い放った曹操に、白蓮は放心したかのように天井を仰いだ。

 大義名分など建前。そう言い放った舌の根も乾かぬうちに、あたかも法の番人の如く振る舞う。

 その奔放さ、悪辣さ。自分にはないものだ。

 嫌悪より先に、圧倒される。

 

「もっとも、貴女がきちんと潔白を表明してさえいれば、盧植殿らも前もって動きやすかったでしょうに……何故、そうしなかった?」

 

 鷹のごとき瞳で問いかける少女に、

「まぁ……たしかに、とんだ不祥の弟子もいたものだ」

 と白蓮は苦笑した。

 

「劉虞への殺意は、紛れもなく私のもの。そこを松永(ヤツ)に付け込まれたのも私の弱さ。そこから逃げるつもりはない」

 我ながら、随分と飾った言葉を遣っている。そう自覚した時、いよいよもって滑稽な姿だと思った。

 

「……なんてな。本当はさ、中華に何かを残したかった。例えそれが虚名であろうと、悪名であろうとも」

 そう言った時、介添えの徐庶の表情が僅かに変じた。どことなく据わった目つきになった。

 

「だからある意味お前が羨ましいよ、曹操。都を襲おうとも子弟を喪おうとも、先に見据えた答えに行き着くために、歩みを止めない」

「……それは、大きな勘違いよ」

 

 曹操は少しだけ困ったように微笑んだ。初めてこの絶対的な覇者の中に、少女らしい面を見た気がした。

 

「私は結果も経緯も大事にするの。子和の死も、散っていった将兵たちの犠牲も奸雄の汚名も無駄にはしない。そのために、必ず見据えた天下に漕ぎ着けるのよ」

 

 伯珪。十年の友を呼ぶような声調をもって、白蓮の字を呼び、立ち上がった。

 

「もし私に味方してくれるというのなら、その才も軍も、懊悩も野心も余さず用いる」

「……」

「もっとも、結果も大事よ。だから全ては帝を何進や十常侍からお救いしてのことだけれど。それまで貴女は動かなくて良い。この徐庶が消えればそれが成功の合図よ。繋ぎはこの田豫を介してする」

 

 それだけ言うと、ごく自然に曹操は徐庶を伴い小屋を出て行った。

「……言うだけ言って去ってったな……」

 調略するならばせめて甘い言葉の一つや二つ、呉れてもよかろうものを。あの娘、存外に器用ならざるのかもと苦笑する。

 そこへいくと、桃香や風鈴などは、どこまでも優しく甘やかだ。共にいて心安らぐのは疑うべくなくこの両名。邪心もなく、彼女たちは自身の醜さを糺すだけの懐がある。

 

 だが、劉虞弑逆に対して触れ、それを嘘だと見抜き断じたは曹操だ。

 等身大の己を認め、その罪さえも受け入れると。

 

 どちらに善悪や是非があるか。問い答えるだけの器量は白蓮にはない。要するに、自身の問題だった。

 温情の繭の中で安寧を供給され続けるか。それとも悪党の背を追い、己の足で、その先に待つのが荊道と知りつつ打って出るか。

 

 ……きっとこの邂逅を黙秘し続けた時点で、答えは決まっていた。

 

 〜〜〜

 

 幾度となく、鏑矢が上がる。

 だが、白蓮はその軍を動かさない。別の者からの合図を……己が見出した機を待つ。

 胸が締め付けられる。だが、後悔はない。

 

 白馬に跨る白蓮の左右には、奏鳴と星とが同じく騎乗して侍る。

「……鏑矢、上がっておりますなぁ」

 そう声をあげたのは、星だった。

「……そうだな」

「動きませぬのか?」

「……あぁ」

「…………裏切ったか」

「もはや帝は曹操の手にある。何進に与する理由はない」

 呟いた彼女と、それに応じた白蓮も、鷹揚ながらもその声質はどこか硬い。

 

「……公孫賛ッ、貴様ァ!!」

 刹那、今ここまでは耐え切っていたであろう星の感情が、その許容範囲を超えて爆発した。

 

「一体誰のせいで、こうなったと思っている!? 誰が引き起こした争乱だ!?」

 全ては劉虞の件で煮え切らなかった貴様のせいではないか。それを利用して攻め込んだ曹操のせいではないか。

 その怒りを腕力に込めて、白蓮の腕を絞り上げる。

 

「……分かっている。全ては私の不甲斐なさのせいだって」

 だが対する白蓮も、その腕を上から押さえつけて言った。

 彼女の絶対的な正義を容れて叶えてやることが出来なかったその負い目から、よく目線を外していたが、今はその正義を踏み躙っても、やるべき夢が出来た。

 

「だから、私にはこの戦いを、それを引き起こした乱世を終わらせる義務がある。曹操が才を束ねて乱世を切り拓くのなら、桃香がその仁徳をもって乱世を収束させるつもりなら、この凡器たる公孫伯珪はなんとしてでも乱世を終わらせる。そのためならば、奸悪に膝を屈することも、それによって自身が千年の汚名を被ることも、辞さない……それが私の、ようやく見出した覚悟だ!」

 

 そう啖呵を切って、白蓮は星の腕を振り払った。

 馬体ごとよろめいて退がった星は、俯きがちに低く嗤った。

 

「いったい、なんだったのだ。ここまでの戦いは、土方殿たちの死は……こんな顛末のために、このような女のために……私はこの刃を貸したというのか」

 

 自問と自虐の果て、星は顔を上げた次の瞬間、彼女の竜槍をもって白蓮の頭部を穿たんとした。

 が、その鼻先で銀穂が止まる。躊躇したからではなく、鉄糸が槍に腕にと絡みついたがゆえに。

 その糸の出処目で追っていた星は、やがて奏鳴の手袋へと行き着き、せせら笑った。

 

「そうか。焚きつけたのは貴様か、田国譲。なるほどその字は国を譲る……つまりは売国奴の意であったか」

「本当に貴女は口数が多くなられましたね、趙将軍。かつての貴女であれば、裏切られたと知りつつも、かくも口汚い面罵はしなかったでしょうに」

「私を歪んだのではない。貴様ら自身が歪んだゆえ、そう見えるのだ」

 

 そう言いつつ、相変わらず氷の表情は微動だにしない。代わりに、細やかに動く彼女の指先に合わせて、白蓮から槍が外れた。

 冷汗を額に覚えつつも、白蓮自身は剣を抜かず手で制するのみだ。

 

「頼むよ、星。何もしないでくれ。私に、何かをさせないでくれ」

「黙れ、腐れた口で私の真名など呼ぶな」

 

 白蓮の懇願など歯牙にかけず、利き腕の自由を奪われつつなお動かそうとする。

「この程度の拘束で私を御そうとは、舐められたものだ」

 と自身が嘯く通り、生粋の武人たる星の膂力は、その細さに見合わず発揮され、むしろ奏鳴が馬上より落とされかねなかった。

 

「……えぇ、私()()貴女を刺すことなどとてもとても」

 曰くありげにそう呟いた奏鳴の背に、軽やかに影が降り立つ。

 

「鈴女殿、どうしてもというのなら彼女に引導を」

 と冷ややかに命じる。雇用者とは対照的に情緒豊かな女隠密はうーむ、と悩ましげな表情のまま、『手裏剣』なる暗器を取り出した。

「まぁたしかに? オマンマにありつけたのは奏鳴のお世話あってこそでござるなぁ」

 さしもの星も、その腕前を知りがゆえに表情を改めた。

 

「――でもコレは、ハタから見てると『いーっ』って感じでござるよ」

 

 転瞬、鈴女の手裏剣は奏鳴の鉄糸を切断した。ちゅんちゅんと、雀が鳴くが如き音を立てて。

「ふん、裏切者は裏切られる。なんでも理で割り切り利に靡いた者には、正義の一撃をくれてやろう」

 体勢を崩した奏鳴に、解放された星の槍が迫る。

 が、白馬の陣中より躍り出た人影が、鈴女の第二射を剣閃で弾きつつ、返す一閃で星の槍撃を防ぐ。

 

 地を滑りながら着地した精悍な男は、胡族にも似た茶色い髪を手の甲で整えた。

 公孫賛軍中には見覚えのないその剣士の登場に、星は舌打ちした。

「……曹操側の間者か! この乱戦のどさくさで紛れ込んだか」

 これでは容易に討てぬと判断したか。星は馬首を返す。勢い余って落馬した奏鳴は、その背に問いかけた。

 

「では劉備や漢王朝には仁や情があるとでも?」

 と。

「楼桑村に、北辺の地に生まれながら、そこに住まう民の苦衷を汲まずして匈奴を招けなどと冗談でもヘラヘラと言ってのけるような、あの女に。高祖以来頭を悩ませてきたにも関わらず、その守りを左遷先としか考えぬこの国に」

 おそらく吐き捨てたその言葉は、氷の参謀が垣間見せた感情。桃香や漢を見限った、最大の理由。

 

「……貴様らよりも、はるかにマシに思える」

 もはや顧みることなくそう言い返した星は、次いで槍穂を掲げて見せて、

「精強なる北方の衛士たちよ、未だその白馬が穢れていないというならば、私に続けぃ!」

 と不穏分子を煽り立てた彼女は、抜き出た騎兵たちと鈴女を伴い、駆け下っていった。

 追撃を仕掛けようとする奏鳴を抑え、公孫賛もまた残った兵を取りまとめた。混乱を収集した後に、あらためて高らかに宣言した。

 

「もはや何進に天意なしッ、これよりは勅命に従い逆賊どもを討つ!」

 そして眦をぎゅっと絞りつつ、初めてそこで剣を抜いて、切っ先を当座の目標へ突きつけた。

 

「まずは……目先の盧植を横合いより攻める!」

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