恋姫星霜譚   作:大島海峡

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漢(九):命を賭けて(前)

「松永らには残る虎豹騎を遣わしました。討てずとも、抑え付けることは出来るでしょう」

「彼らの全滅と引き換えにね」

 

 オシュトルが関羽を押し返したことを確認して牽制から戻ってきた臧覇が、司馬懿の独語を拾って口を挟んだ。

 

「華琳からは、死兵を用いるなって言われただろうに」

「真名を呼び捨てとは、不遜ですわよ蛇苺(じゃばい)殿」

「良いんだよ。ここまで来たら同じ穴の狢だろうに。で、青狼ちゃんの言い分は?」

「死兵に、活あり。残念ながら、勝ちに転じた我が方にあえて命を冒して趙雲に挑まんとする兵は、虎豹騎以外におりません」

 

 ――死なせてやった方が、救いだろうよ。

 青狼はそう胸中で毒づいた。

 曹純を喪った彼らに残されたのは、生きる理由は、趙雲への報復以外にあり得ない。これより後は、抜け殻となって物の役にも立つまい。それよりかは、趙雲一人に憎悪を傾注させるが良い。

 

 まったくもって不条理、不合理。

 さりとてそれもまた一つの理なれば、咀嚼せぬまま呑み下そう。

 人には、人の理。

 

「猫には、猫の理」

 は? と訝しむ藏覇こと蛇苺の前で、青狼は手を挙げた。

 転瞬、四方より両者の手前の叢へと向けて火が吹いた。

 鉄砲隊の斉射を受けて、転がり出た空色の影がある。

 

「己が殺したはずの娘が生きている。それに興味を持ち、ついちょっかいをかけたくなるのもまた獣の摂理……えぇ、貴女の習性は『理解』しましたとも、御遣い殿。ゆめ、同じ奇襲が通じるとは思わぬことです」

 

 過日、己の首をへし折らんとした田豫の間者……浅井曰く『くのいち』は、地に伏した。

 まるで半身から上は別種の生き物のごとく、自身の脇腹と股に受けた銃の創をじっと見つめていた。

 それでも、十数発横列に射放った弾丸をわずかに二発受けるのみに留めたのは、驚異的な身体能力と言って良い。

 

「……芸のない始末だこと」

「なくて結構。思考指向嗜好、千変万化でもってそれらことごとく『下らぬ』と理でねじ伏せるのが仲達の戦にございますれば」

「お前さんも、たいがいにヒン曲がってると思うがね」

 

 なんとでも言え。胸中でそう毒づいた少年は、李典より借り受けた銃兵たちに娘を囲ませながら、その前に立った。

 

「趙雲は堕ちた。あれに暴れるは、もはや諧謔も信念もない怪物。とうてい貴女とは相容れぬモノと成り果てた。どうでしょう? ここでわたくしに仕えてみては?」

「やでござる。ぜったいつまらない」

 

 即答であった。そして褐色の胸中に忍ばせた道具を取り出すや、地面へと打ちつける。

 ちゅどッ、という破裂音とともに白煙が吹き出すや、辺りを包む。それが晴れた時には、やはりというかなんというか、あのいかにも軽やかな姿はない。

 

「逃げたか……どうする? 血の跡あるけど」

「放っておきましょう。残し方が白々しい……きっと辿れば罠がありますわ」

 

 どさくさに首を刈られなかったことを、今は安堵すべきなのだろう。

 今更青狼を討ったところで無意味な殺しだ。さすがにそれを弁えるだけの理性は、あの娘にもあったということか。

 

「ところでその首……噂じゃあの娘に殺られかけた時、ぐるりと半周回ったらしいが、どれ、ちょいともう一回見せてごらんよ」

「お断りします」

 

 ~~~

 

 もはや、本営は司令塔としての役割を果たしていない。

 戦を知らぬ宦官近臣は右往左往して、劉協こと白湯(ぱいたん)の行動を制限し、もはや行き当たり、あついは突き飛ばしたのが誰かさえ把握していない有様だった。

 

 ――本来であれば。

 この身は姉より禅譲を受けて玉座に上がり、月とともに聴政を執り行い、その口で天下万民に号令していたはずであった。

 

 ところが、現状はどうだ。

 近くの者にさえこの声は届かず、いや恐怖のあまりあげられず、この身は地に朽ちんとしている。

 

 地獄とは、これか。

 これこそが、罰か。

 世を正すためとは言え、密かに長幼の序を違えんと策したことへの。

 

「殿下ッ、陳留王殿下はどちらにおわす!?」

 そこに、救いの手が現れた。

 家臣らをかき分け、声を枯らし、董承の姿が見えた。

 

「董承っ! わたしは、ここに!」

 闇の通路に光明を見出したが心地で、白湯はちいさな手を振った。

 それを認め、必死に呼ばわっていた董承もぱっと顔を華やがせて駆け寄ってきた。

 

「ひとまずはご無事で何よりでございまするっ!」

 裏返るぎりぎりまで張ったような語調とともに膝下に屈した自身の近臣、友の元部下に、白湯は軽く顎を引いた。

 

「無念でございます! 逆賊公孫賛ともに与し、我らが不甲斐なきゆえに勢い抑えきれず……嗚呼! 私があの時公孫賛めの劉虞様を殺害してなお飽き足らぬ欲深さに気づいていながら! やはりあの時この正義の剣でもって奴めを成敗していさえいれば、かくもかくも苦境に立たされることなどゆめあり得るべくもなくっ!」

「そ、それは良いから……」

 

 何が起こった、誰を憎むかなどすでにどうでも良い話である。

 

「それよりも、これより後、如何に取り計らうべきや」

「はっ、それについては、皇甫嵩将軍よりしかと言付かってこちらへ罷り越した次第!」

 

 皇甫嵩義真。その字のごとく、真義に厚き良識の武人。

 その秘策めいたものを帯びて参上したという董承の前に、白湯はじっと耳を傾けた。

 

「ときに、伝国の玉璽は?」

 と、彼女が問われ、盗難を恐れ肌身離さず携えてきたその朝廷の至宝。帝が帝たりえるその証を取り出した。

 ……董承は、あろうことかそれを掴み取った。

「よろしい。では、こちらは臣がお預かりいたします。御身の傍にあっては、危ういものゆえ」

 こちらが声をあげる間もなくそう言った董承は、さらに畳みかけるように言った。

 

「今、天子の玉体は畏れ多くも逆賊曹操が攫い、もはやこの戦場においては逃げ場などなし。しかして殿下や玉璽までもが敵の手に落ちたともあれば、もはや王朝に救いはない」

 

 よって、と言葉を付け足し、目じりには涙を浮かべ、膝を寄せてくる。

 その異様な雰囲気に気圧されて、白湯は後ろへと足を運ばんとした。

 

「なればこそ!」

 その手を、強い力で董承は握りしめた。悲鳴とともに白湯は逃げ出そうとするも、異様な状況と日ごろ運動などする機もないその身は、まがりなりにも将軍職にある女の力からは抗いようもない。

 溜まりかねた涙は静かに頬を伝い、肉の薄い唇を震わせて、湿っぽい声を懸命に張り上げて、彼女は言った。

 

「皇甫嵩将軍よりの御言葉です……どうか、社稷の安寧がため、どうか、どうか御身が賊どもに奪われるより先に、ご自害あそばしますよう! それを見届けた後、私も玉璽とともに黄河へと身を投じまする! さぁ、どうかこの剣を用いて、その死をもって曹操どもの非道を糾弾し、四百年に渡る劉氏の矜持を天下万民にお示しくださいませ!!」

 ――その腰の、白刃を鞘走らせて。




楼杏「えっ」
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