恋姫星霜譚   作:大島海峡

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黄巾(一・終):蝶ひらり(前)

「あ~、これはちとまずい」

 

 南皮にて瞬く間に軍容を整えた公孫賛が北平に留め置いた公孫越(こうそんえつ)の軍と挟撃に出て来た。

 その報を受けた黄巾党の影の支配者は、さほど感情の乗らぬ声で嘆いた。

 義勇軍の加入が、その速攻を可能にしていた。

 

 対する黄巾党は思いのほか勢力が拡大できなかった。

 これは南部で別の旗頭が立ったがゆえであったが、彼の諜報の網は慣れぬ土地にてまだそこまで張られてはいなかった。

 

 彼としてはその星巡りに相応しくもっと大輪の火華を咲かせる腹積もりであったから、その落胆も手伝って彼のやる気は底まで落ちていた。

 そもそも、張角一党はただの大道芸人一行。宗教団体というかはその取り巻きに外側から不平分子が実態もよく理解し得ぬままにすり寄っているという様相で、舞台の上での張角の迂闊な発言によって馬元義が洛陽で暴走し、結果不十分で挙兵せざるを得なくなった。

 

「それでもやれることやったと思うぞ我輩」

 

 とは、その三姉妹付きの演出家兼黄巾の総参謀の弁。

 

「大体、信仰など我輩の趣味ではないのだ。あんなものは適当に付き合って戦を止める時の口実にでも利用すれば良いのだ。于禁(うきん)めの教導とやらも品がなくて好かん。そもそも、熱中する対象が二つに割れてしまっておるのだから、統制が取れるわけがなかろうが」

 

 そう愚痴をこぼす彼に従う少女あり。

 この世界には珍しい黒々とした髪を巻き取り、紺一色の装束に身をまとう。忍び装束を思わせるが、であれば赤い首巻はかえって隠密の障りとなろうに。

 

「いやぁ、そんなことを影奈(えいな)に言われましてもねぇ」

 苛立つような間延びした語尾で当惑を示すのみだ。

 

「というわけで、我輩はあんな気持ち悪い連中とはおさらばよ。……胡車児(こしゃじ)よ、お主はどうする?」

「んー? 拾われた恩がありますので、せめて撤退まではお付き合いしますよ」

 

 男の策に従い、両陣を挟む森林地帯に敵を誘い込み、そこに于禁率いる伏兵を忍ばせ、叩くことに成功。

 果たして案のごとく、公孫賛本隊の足止めに成功。趙雲の隊を一時後退にまで追い込み、半包囲。一時期は優勢を手にしていた。

 

 ――が、そこで誤算が生じた。

 遅れて戦場に到達した公孫越隊。その麾下にあったのが、義勇兵だった。

 

「御恩に報いて公孫賛殿にお味方いたす! 者ども、我に続けっ!」

 緋縅の具足に身を包んだ、よく通る声でもって叱咤し、まるで悪路の踏破などお手のものと木々を突っ切り于禁の隊を突き破る。

 身の丈八尺はあろうかという巨漢の武僧がその傍らにあって、割れるような剛声とともに大薙刀を振るって樹も敵も伐採していき、主の路を切り拓く。

 

(まぁ、こうも正体が分かりやすいのもおらんが、しかし……アレは、何だ?)

 

 そして次鋒を司るのが、黒い羽織をまとった長の率いる歩兵隊。

 これも死地や暗闘に異様に慣れた精強な部隊で、さらに誤算だったのは彼らが銃砲を持っていたことであった。

 森を突っ切り、視界が開けたと見るや、遠間からそれを構え、一気に撃ち放つ。

 男の生きた時代のそれとは、比較にならぬ距離である。

 

 そうなると、所詮は烏合の衆である。

 信奉すべき張三姉妹が早々に戦場を離脱した――というより男が事前に黄河流域にまで避難させていたのだが――こともあって、結束が弱い。

 組頭に立てた三人の賊徒に当然粘りある防戦など期待できようもなく、あっけなく敗走していた。

 

 その傷口から一気に前線が押し込まれた。

「このグズどもー! ケツまくって見せるヤツはタマ蹴り上げ……ってきゃあああっ!?」

 于禁は敗走。

 ついには崩壊に至る。

 

「蔦紋に蜘蛛柄の陣羽織、そしてこここに至るまでの悪辣な罠の数々」

 

 黒衣の男が、いち早くに男の眼前に至った。

「……ふん、露骨すぎてこうも正体が分かりやすい敵将もないな」

 石目塗の朱鞘より刀を抜き放って騎馬武者郎党に向けたものと同様の感想を口にし、そして役者のごとき涼やかな流し目に皮肉げな笑みを作ってみせる。

 

「この乱、そして先の劉虞殺害の糸を引いていたのは貴様だな、松永(まつなが)弾正(だんじょう)久秀(ひさひで)

「いかにもっ! 我輩こそが世紀の大悪党、松永久秀であるっ! 信長を道連れに爆死せんとしたのだが、気がつけばこんな妙ちきりんな世よ! 何なら平蜘蛛見るか? 蓋はぶっ飛んだが」

 

 両腕を大仰に掲げ、しがわれた声で高笑い。

 目の前に在るのは戦国の蟲毒そのもの。だがかえって毒気を抜かれたかのごとく、自分の知らぬ傾奇衣装の『武士』は、ため息をついた。

 

「要らん。……ったく、どこまでもふざけた野郎だ。貴様を斬って、鍋代わりにでも使ってやるよ」

「それではお道化ついでに……これでも食らえいッ」

 

 袂より引き抜いた筒のごときそれを、端正な顔目がけ投げつける。

 驚く男の目に、それが……手投げの爆弾が映り込む。

 剣士の性か。思わず、と言った様子で刀を翻し、両断する。

 

 だが、入っていたのは導線でも火薬でもなく、砂。

 袂で顔を覆う男に向けて、

 

「馬鹿めっ! 貴重な火薬をこのような場で使う訳がなかろうっ!? では、さらばだ!」

 

 ……などと、再び悪の勝利と高笑い。

 久秀は敗兵に紛れて姿をくらました。

 

 ~~~

 

 とは言え、水鳥の如く、余裕ぶる久秀は自身が生き残るため、全身全霊で足を速めていた。老境に差し掛かった身には、堪える逃避行であった。

 

「久秀さーん! こっちこっち!」

 張角を名乗る少女の呼び声に従って、待たせていた岸にたどり着く。

 偽装のために空船を数隻用意して放流し、自身らが乗るのはそのうちでもっとも目立たぬ小舟の選んで乗る。

 

 へぇ、ひぃとへばりつつ息を整えている久秀に、

 

「良かったぁ、沙和ちゃんも帰ってこなくて、せめて久秀さんだけでも無事で……」

 

 と手を握り合わせて張角は目を潤ませる。

 きっと信者がそうされたら昇天せんがごとくに喜ぶだろうが、満身創痍の久秀としてはその柔らかな感触どころではない。

 

「ごめんね、お姉ちゃんたちのために色々と舞台の演出とか考えてくれたのにこんなことに巻きこんじゃって」

(誰が姉だ、誰が。クソマジメでつまらん弟といつまで経っても独り立ちできん息子しかおらんわ)

 

 言いたくなった久秀だったが、まだ軽く動悸が鳴りやまぬ。

 それに舞台作りに協力したこととて、何も奉仕精神からではない。彼の数寄者、教養人としての一面。その美意識が、座視して観客に回ることを許さなかったからだ。

 そして今行動を共にしているのは、まだその扇動能力や人心掌握の能力には天下を乱す価値があるゆえ。いざとなれば、賊の首魁として朝廷に売り渡せばよいという野心と打算からだ。

 

 その傍らで、膝を抱えて張宝(ちょうほう)張梁(ちょうりょう)が震えている。

 

「っていかこれ、ちぃ達もまずい状況じゃん……人の心配してる場合じゃないじゃん」

「だいじょうぶよ、ちぃ姉さん……河の底にもきっと私たちの舞台はあるから」

「ええい、縁起でもないこと言うでないわっ! 壇ノ浦かッ」

 

 そんなことを言われたらそれこそあの鎌倉武者が八艘跳びしてくるではないか。

 と激したところで後漢の人間に通じるはずもあるまい。

 思わずいきり立った久秀をキョトンと見上げる三姉妹。そんな彼女たちに、握った拳を突き上げて力説する。

 

「悪党たるもの、最後まで諦めてはいかん! 生き延びて生き延びて生き延びて、しぶとく生き延びてその果てに運命を掴むのだ!」

「私たち悪人じゃないよ~」

「……いやでも、お尋ね者の大罪人……」

「ていうかオジサン、生き延びきれなかったからこの世界に来たんじゃん」

 

 そしてものの見事に総透かしを食らった。

 これが年齢差による熱意の違いというものか。ちょっと感傷に浸る久秀の耳に、

 

「見つけたぞっ! 悪漢松永久秀っ!」

 

 と、勇ましい女声が響き渡った。

 声がし、孤影が差したのは頭上であった。

 河下りをする松永たちの頭上。太陽を逆行とし、白い衣服の下よりすらりとした脚を伸ばして屹立する。

 

「すでにかの御遣い殿が探りを入れ、かつ教えてくれた! 貴様がしたことはすでにして明白! 天地が許しても、この我が槍が許さぬ!」

「ええい、何奴!?」

「悪党に聞かす名などないっ!」

 

 鋭く、かつどこか楽しそうに誰何の声をあげる久秀に向け、どこか、というかつい先ごろまで戦場で見覚えがある少女は言った。

 

「正義の花を咲かせるために、美々しき蝶が悪を討つ! 華蝶仮面……ここに参上!!」

 

 顔の上半分に、蝶をほどこした仮面が、陽光に閃いた。

 

「…………って名乗っておるではないかっ」

 

 いくらかの間を置いて、久秀は突っ込みを入れた。




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