恋姫星霜譚   作:大島海峡

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曹操(十六):泰山鳴動して

 洛陽へ連れ出された降将の裁きがおおむね終わった。

 星が縄目の恥を受けながら典韋に引きずられていくところに、劉備の追討に対しそこそこの成果をあげて切り上げてきた公孫賛が、行き当たった。

 

「……あぁ、命だけは助かったんだな」

「……貴様が、自身の功と引き換えに、助命を乞うたと聞いた」

「子孝のおかげだ。彼女がたとえ妹の仇であっても、戦場以外のところで血を流すのを良しとしない武人だからこそ、我々は許された」

「許された?」

 

 星は皮肉な笑みを持ち上げた。

 

「私は何も悪しきことはしていない。戦場で敵を倒すのは当然のことだ」

「わかってる。言葉のアヤだよ」

「そして許す許さぬで言えば、私の方こそ貴様らを決して許しはしない。これで帳消しになったなどとは思うなよ」

「思わないよ」

 

 すっかり光も色も落ち切った眼で睨む星に、きっぱりとした物言いとともに白蓮は返して通り過ぎた。

 彼女は曹操に降るを良しとせず、あくまで漢の臣として社稷の立て直しに尽力をするという。

 

 だが、決して彼女たちの道が再び交わることはない。

 曹操と漢、自分と星はいずれ再び袂を別つ。その時こそ、本当に敵として、白蓮に彼女は竜槍を突きたてるのだろう。

 それをも享受して、公孫伯珪は前へと進む。

 

 その途上に、風鈴が立っている。

 後光とともに、何事も起こらなかったかのように、やわらかい笑みを称えて。

 

「……先生」

「一応、復職することになったわ~。これから一緒に頑張りましょうね、白蓮ちゃん」

「でも、しかし、よろしいのですかっ? 私、は……っ」

 

 曹操につくという決断に、後悔はない。

 それでも師にとっては許されるべきではない背信であり、自分たちは友の仇であるはずだ。

 たとえ処刑されなかったとしても、曹操の申し出を蹴り、隠遁することも、桃香と合流することも出来たはずだ。

 

 ――なのに、あえて自分を選ぶと?

 

「……そうねぇ。たしかに、色々あったけど」

 色々、という響きにふしぎと剣呑さは感じられなかった。

「でもここで、漢も貴女も放っておいたら、それこそ彼女に怒られてしまうわ。あの人……雲雀ちゃんには、ずっと皺寄せをさせて来たのだから」

 

 これよりは鬼となると決めた白蓮の頬を、暖かな頬が包む。そして、胸肉の海へと包まれる。

 

「だから、これぐらいの埋め合わせはさせて頂戴。決して貴女を、独りになんてさせないんだから」

 

 その一言が、堰を崩す切欠だった。

 一気に感情を崩壊させた白蓮は、そのまま師匠でもあり母の、その胸襟の中で吼えるがごとくに哭いた。

 

 ~~~

 

 次いで、皇甫嵩が引き立てられた。

 さすがに歴戦の将軍相手ゆえということか。戒めは解かれ、敷物の上に坐らせられる。

 

 しかし階の上には、曹孟徳が立って見下ろしている。

 

「泰山鳴動して、鼠一匹……といったところかしら」

 これは時と場を隔てた西域の諺からの引用ではなく、彼女自身の所感である。

 

「天下の趨勢を決める大規模な戦であったにも関わらず、主だった者で死んだのは張譲と朱儁の二奸臣のみ。とまれ、将軍のような有為の人材が喪われなかったことは、嬉しく思います」

 

 一応の敬意をもってそう伝えてくる曹操を、楼杏は冷ややかな目で見上げ返した。

 

「……貴女にとっては、漢の上将も鼠に過ぎないと。大した思い上がりね」

 いや、彼女のみに限ったことではない。

 そう面罵する己でさえ、朱公偉は城に巣食う野鼠と考えていた。社稷を蝕む狐とも。

 

 ところがどうだ。

 雲雀は、その身を賭して劉協殿下を救った。

 漢の負債も、誇りも、すべて荊の冠として被り、死んだ。死なせて、しまった。

 実直に、高潔たらんと振る舞っていたはずの自分はその場で、何もできなかったのだ。

 

 その怒りも手伝って、畳んだ膝の上で拳を固める。

 きっと勝利者を睨み上げる。

 

「出仕はお断りするわ。愚弄するのも大概にして頂戴。どうせ貴女にとっては、私も、近親も、従者たちも。自分の構想に当てはまらなければ路上をうろつく野鼠でしかないのでしょう?」

 

 そこまで余裕を持っていた曹操から、笑みが消えた。眉根が寄った。そして小柄な軍師がさっと色を成した。

 

「今の雑言っ、いかに将軍と言えども……!」

 などと怒髪頭巾を衝かんばかりに波打たせた少女を、その主が制した。

 

「無理強いはするつもりはありません。蟄居閉門、その気になれば参内を……それでよろしいかしら」

「結構よ」

 

 どのみち、曹操の政権に自分の居場所などまずあるまい。

 立場が逆転した年長者で元上司であれば、確実に扱いを持て余すに決まっている。

 

 ――たとえ、故人がそれを望んでいなかったとしても。

 

 なるほど雲雀は、皇統が絶えぬよう命を使い果たした。それは立派なことだったのだろう。

(でも、褒める気になんかならないわよ)

 部下僚友を巻き込んで玉砕するなど、武人としては落第も良いところだ。

 そもそも、何故自分に一言の相談もなかったのか。いや、己とその手勢だけで死ぬにしても、さんざんに宦官と結託して私欲を満たしながら、今更潔く散ろうなどとは虫が良すぎる。何故最期まで卑劣に汚く生き永らえなかった? 生きて、責任を取らなかった。

 

 馬鹿。卑怯者。臆病者。格好つけ。偽善者。

 あらんかぎりの罵声を死者に投げつけながら、声もなく楼杏は泣いた。

 

 ~~~

 

「朱儁と張譲の首は、往来に晒して旧弊打倒の見せしめとする」

 当座の方針を決める議場にて、華琳はおのが府の謀臣たちにそう告げた。

 

「……おま、お待ちください!」

 半身を浮かせて立ち上がったのは、一人二人の話ではない。

 だが一先ずに目についた徐庶へ、華琳は目を向けた。

 

「いくらなんでも、それは……あまりに」

「生きている人間に責任を求められない以上、死者を利用するほかないでしょう」

 異議は認めない、という強固な意志とともに、主席の桂花が言った。

「現状、都人は分かりやすいかたちで正義の所在を求めている。もちろん首魁たる何進らの捜索を続けてはいるけれど、このまま雲隠れされたままろくに証も立てられないんじゃ、治まりが悪いでしょう?」

「しかし、張譲ひとりで良いはず!」

「禁裏の腐敗。軍部の腐敗。その両面から糾弾しなければ意味がないのよ。そのうえで、両者に我々から新た風を送り込む。それとも元直には、何か他に代案があるの? 策は? いったいそれ以外に、誰に責任を取らせて処刑すると?」

 口吻鋭く反問されれば、その道理の正しさ、選択の余地の無さゆえに腰を下ろすしかない。

 

 青狼はその合理性を認めるがゆえ、田豫は左に同じくして、かつ新参ゆえに異論を挟むことはしなかった。

 ただ、そろって発案者たる荀彧を横目で何か言いたげに見つめている。

 

「……ただ、これで義真将軍の足は朝廷からますます遠のくでしょうね」

 それが狙いか、と。

 絶対的な主人を非難された桂花の憎しみの根は深く、それがゆえにかくも冷酷な策を建てたかと。

 

「それで? 続けるけど、対案は?」

「……ないよ。どうせ、貴女たちの間ですでに決定事項なんでしょう? 外様がとやかく言っても、容易に覆るとは思ってなかった」

 なおねちっこく追及する桂花に、剣里はそう皮肉を返した。

 

「ただ言わせてもらえるなら……朱儁将軍は、真面目な人でした。分かりやすい、悪党などではなく」

 

 そしてそれ以上は重い空気の中で進展のしようもなく、二、三の新法案を練ったあたりでお開きとなった。

 

 その間際、桂花を華琳は呼び止めた。

 きわめて私的な理由である。

 彼女が黙って床を指さすと、頬を赤らめて桂花は四つん這いとなった。

 他の参謀たちには見せられない、させられない恰好の少女の背に、腰掛けたままに沓を脱いで素足を置く。

 

「……さすがに、疲れたわ」

 それに、頭も痛い。

 諸人の手前、『泰山鳴動して』云々などと豪語したが、実際の感想としては、

 

 ――画竜点睛を欠く

 

 と言った方が正しい。

 何進が矜持も名誉も捨てて真っ先に逃げ出したことは、実のところ予想外に早かったし、朱儁の矜持を見くびっていた。

 

 彼女が、謹直な武将であったことは、剣里や皇甫嵩に非難されるまでもなく良く知っている。だからこそ、彼女は自らの身命を差し出して、漢の命脈をつないだのだ。

 あるいは清濁の事情をよく知る彼女こそ、今の自分たちに必要な人材だったのではないか。

 

 だがそれを弱音や後悔として、表出させることはあってはならない。

 

 誰よりも正しくあらねばならない。

 誰よりも強くあらねばならない。

 誰よりも明哲であらねばならず、冷徹でなければならない。

 

 旧弊とやらに正しき一面があるとしても、それを粉砕しなければならない。

 それが奸雄と異名を享けし、己の姿だ。

 

 ――それでも、想わないでもない。

 凡庸で月並みであっても、人であることを繋ぎ止めてくれる誰かが傍にいてくれたのなら、また違った展望もあったのではないか、と。

 

 無意識下に足の裏でぐにぐにと桂花の背肉を揉むと、「おふッ」と若干気持ち悪い声が漏れて、繊細な空気は台割と無しになった。

 

 

「失礼しまーす、華琳さまに、面会人が……ってあ」

 ふいに季衣が入室してきて、桂花を見て気まずそうに顔を曇らせた。

「何事?」

 それに恥じる様子もなく、むしろ不機嫌そうに首を向けた桂花に、

「あぁー……なんか、よくわかんないけど、お邪魔だった?」

 と不安げな目を向ける。

 

「まぁ、色々とね……で、誰が来たのかしら?」

 苦笑とともに桂花を解放した華琳だったが、次第に季衣の背越しに大きくなって轟く笑い声に、そう問うた愚を悟った。

 

「あっはっは、あーはははは!」

 底抜けにけたたましい高笑いを耳にすれば、そのやかましさに気を取られて頭痛が少し和らいだ。

 

 そして護衛の李衣の断りなく、扉がその少女の両腕によって開け放たれた。

 青と白を基調とした貴人然とした旅装。一族の特徴たる黄金色の髪はしかして宗族に珍しくまっすぐな短髪で。背には大弓が覗き、どことなく少女と言うよりかは王子様然とした、颯爽たる振る舞いである。

 

「遅いわよ、千里の駒」

 と、苦笑とともに、だが快く華琳はその少女――曹休(そうきゅう)を出迎えた。

 

「あっはっはは! すみません! けどいくら優駿と言っても、呉から荊州から益州の横断してから里帰りは、さすがに時間がかかりますって! ……もっと帰りが早ければ、柳琳どのも死なせずに済んだかもしれませんけど」

 

 一見豪放なその笑いが、その実不安と隣り合わせであることを、華琳はよく知っている。果てしない長旅でも、その性質は矯正されなかったらしい。

 

「別に、貴女が気に病むことでもないでしょう。もう一割も残ってはいないけど、虎豹騎は貴女に率いてもらう。それで? そっちはそっちで、役割を果たしてくれたのでしょうね?」

 

 あっはっは。また笑う。その上で、肩より掛けた荷袋の内より、書類竹簡の束を机上へと置いた。

 

「これが、遍歴のうえで得た各国の情勢です。もっとも、当時より推移している土地もあるかもしれませんが」

「そこについては後々精査していくとして……とりあえず、貴女から見て、まずどこを警戒すべきかしら?」

 

 曹休は笑みを止めた。

 そのうえで、膨大な調査報告のうち、ひときわ分厚い紙束を抜き出して、言った。

「益州」

 と。

 

 

 

「巴蜀はもはや、地獄の様相です。急ぎ対応せねば、あの悪鬼どもにより中原まで手遅れとなります。一番にそれをお伝えしたく、馳せ参じた次第」

 

 

【劉備軍……滅亡】

【漢王朝ならびに公孫賛軍……曹操軍に吸収】

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