恋姫星霜譚   作:大島海峡

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劉焉(二):特権

 ――外史。

 およそこの世が正道ならざる在り方をしていると告げられたのは、二十年前。

 男が女に。死すべき者が生き、不仲であった者が近しく。未だ生まれ出でぬはずの者が台頭し、清純であった者が淫蕩に。暴君であった者が清廉に。

 だがその劉焉に目に見えて異質と分かるのは、西方にそびえる峨眉(がび)山。

 

 知られざる力の衝突が、その山を基点として起こった。

 一般的には賈龍の叛逆、五斗米道の蜂起としてのみ伝えられるが、その裏で起こっていた天の御遣いや神仙たちによる激戦の傷跡はすさまじく、頂より先が折れて崩落している。

 

「――そろそろ、来る頃だとは思っていた」

 

 瞑想と称して独り岩場に佇んでいた劉焉は、ふと背後に浮き出た気配へ横顔を向けた。

 そこには年齢定かならぬ佳人が、ちょうど良い塩梅の高さの岩へと腰掛けている。

「久しいな、管路」

「それは過去の名、友より借りた仮称。今の個体名は許劭という」

 目はこちらにも呉れず、『月旦評』なる手帖に注いだまま、耳目は劉焉に傾けて澱みなく答える。

 

 益州の文化人に許靖がいる。さてはその係累か、と問わんとしたが、無為を悟って止めた。今横目で眺めるそれは、()()()()()()だった。この中華における出自など詮索すること自体が意味のない存在。ただ名と役割のみを割り振られた、機構。

 

「この益州の変化は、興味深い」

 と、娘のかたちをしたそれは呟いた。

「現状、入蜀を果たしている特異点は厳顔のみ。その修正力を、天の御遣いの影響力が上回って余りある。それがために、今この巴蜀は歴史の軌道を完全に見失い、予想がつかない状況にある」

 

 なにを他人事のように。かつても、今も、彼らをこの世界に招き入れたは貴様ら『管理者』ではないか。

 ――想いこそすれ、劉焉は何も言わない。

 渦巻く嵐に田畑を荒らすなと訴えられようか。山火事に、草木を焼くなと非難できるか。

 

 目の前にいるそれは、ただあるべくしてあるのみだ。

 

「……負い目は、ある」

 だが劉焉の冷ややかな目つきに含まれた険を汲んでか、許劭は心外そうに、あるいは気まずそうに、声を細らせた。

「二十年前の左慈の複製品(デッドコピー)の発生と暴走は、我々としても望むところではなかった。巴蜀を戦場にしてしまった。そこから異変を流出させるわけにはいかず、この一州と貴方に労苦を負わせてしまった。ゆえにこそ、礼と詫びを兼ねて……貴方には、一度限りの特例を許している」

「その件でちょうど俺からも許可を求めたかった」

 劉焉は他人に目を向けないという度し難い人相見もどきに、淡々と意向を示した。

 

「例の特権、今こそ使わせてもらうぞ」

 

 そう宣い完全に振り返った次の瞬間、何か言いたげに口を開けた許劭の姿が見えた。と同時に、寒波が彼の視界を刹那的に奪う。つぎに明けた後には、そこにいたはずの影は複数の、張任、法正、アシェラッドのものへと置き換わっていた。

 

「お屋形様? なにか、変事でも?」

「この国の神様にでも祈ったんですかね」

 生真面目に案じた張任に対し、アシェラッドが茶々を入れて冷ややかに睨み返される。

 

「まぁ、似たようなものだ」

 劉焉はにべもなくそう返し、

「して、お前たちこそ何か急報か?」

 と問い返す。

 

「――それについちゃオレが」

 法正こと宵が進み出て言った。

「志々雄一派を称する例の南の軍勢、国境を越え我らの領内に侵入。南部を守る高定(こうてい)雍闓(ようがい)朱褒(しゅほう)らがこれに同調。彼らを素通りさせました」

「おのれ、変節漢どもが!」

 と忠心人一倍たくましい隼などはそう憤るのを、劉焉は静かに諭した。

「地方官僚の常だ。中央から離れれば、その支配力はどうしても弱くなる。玉砕せよとも言えぬしな」

 そも、他ならぬ劉焉自身が漢より離れて半独立を果たした身。どうして彼らの去就を非難できようか。

 

「……だが、予想していたとはいえずいぶんと寝返りが早い」

「敵は陸家の御曹司をはじめ、有能な智者を抱えていると聞き及んでおります。多分、そいつらをもって調略に当たらせたのでしょう。もっとも、そこから先に進むには巴蜀は遠い。猶予は十分にあります」

 わずかにそこが引っかかった劉焉だったが、それに法正が即応した。

 

「にしても、どうします? まさか南北で共闘路線、ってふうでも無さそうですが、このままじゃすり潰されますぜ」

 顎髭を撫でさすりながら惚けたように、他人事そのものといった調子でアシェラッドは言う。

 

「まぁ取りあえずは南からの侵攻軍はまだ距離があります。差し当たっては、姫様の別動隊を向かわせ防がせつつ、我らは北部の御遣いを片づけると」

「大丈夫かよ、あのボンクラで」

「アシェラッド、貴様! よりにもよってお屋形様の前でご息女の罵詈などッ!」

「いや、悲しいかな否定が出来ん」

「お屋形様!?」

「だが、ロラン殿と孟達(もうたつ)冷苞(れいほう)も東州兵を率いさせて副将につけている。容易に敗けはすまい。必要に迫られれば劉璝(りゅうかい)を呼ぶ」

 と言ったが、若干の不安を晴らすための、自身への励ましでもあった。

 ですが、と沓を切り返して宵はさらなる進言を加える。

「これまでは持久戦でしたが、方針を真逆に転換して急戦が必要となります。それも、寡兵でなお我らを劣勢に立たせる名将と精兵たち相手にです」

「分かっている」

「両軍とも確たる補給手段も後ろ盾もない侵攻軍。成都籠城してやり過ごすのも一つの手ですが」

「もってのほかだ。これ以上益州を無用の混乱に招くような真似はな」

 どこか挑発的に尋ねる軍師を、劉焉こと灰峰はにべもなく突っぱねて、そのうえで諸将ひとりひとりの顔を見据えて言った。

 

「哨戒にあたるセルベリア殿と桔梗を呼び戻せ、一気に決着をつける」

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